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【徒歩圏という発想?】
荒尾市の商店街の一角にお年寄り向けの八百屋的なお店があるそうです。大規模店まで行く足がないというお年寄りの声と,あおりを食っていた商店街の思いが共鳴して,お年寄りを対象とした店が立ち上げられたということです。野菜類は近所の農家の方が納入し,加工食品は大規模店が仕入れをするという協同体制が実現しているというのも,新しい展開です。行政や企業からの視察もかなりあるそうです。熊本県も「徒歩圏マーケット」という企画を打ち出しているようです。(NHKのテレビ番組:20年6月12日)。
徒歩圏。この言葉に情報探索のアンテナが反応しました。社会教育の活動目標として「地域づくり」を掲げていますが,地域という言葉を具体的に実感してもらうために小学校校区という広がりを展開のキーワードとして使用してきました。実のところ,地域という言葉は人によっていろんなイメージが持たれて語られていました。特に広がりのイメージがばらばらで,話がかみ合わなくなっています。地域とは小さな自治行政区であったり,市町全体であったりする一方で,人間的なつながりのあるところという曖昧なイメージも絡んでいるという状況です。
とりあえず広がりを定義しておかないと,地域づくりという活動が始まりません。苦し紛れの一策として「校区」という広がりを想定しました。その根拠として,歩いていける距離,それも子どもが歩いていける範囲,そこが日常生活圏と考えることができるからです。そこに飛び込んできたのが「徒歩圏」という言葉でした。上記の事例はお年寄りの生活圏を手がかりにした地域づくりでしたが,ちょっと視点を巡らすと子どもの健全育成活動に関わる地域づくりもすっぽりと重なってきます。「徒歩圏」という直截な言葉で新しい展開が開けるのではという期待が生まれます。
徒歩圏という言葉には,とても大切な感性を呼び起こす力が秘められています。徒歩という行動を表す言葉は誰がという主語を引きずり出します。徒歩圏とは自分が歩く範囲というイメージがあり,主体が自分であると感じさせてくれます。活動の成否は,自分の活動であるという意識を持たせられるかどうかです。その点で,校区という言葉では主体が子どもになって,自分の出番という感じを持たせる力がありません。社会教育の言葉としては訴求力不足です。
ただ普段使われている言葉ではないかもしれないという点が気がかりです。しかし,それがかえってよい効果を発揮することも考えられます。無理なこじつけの造語ではなく,そばにある言葉ということで違和感もありません。インパクトはありませんが,かえって安心感があると思うこともできます。よいように考える癖が出てしまいましたが,機会があれば,いろんな社会教育の場面で,共通の言葉として使ってみることにしようと思っています。
(2008年06月12日)
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