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【役職忌避症候?】
ある公的に委嘱を受けている委員による活動をよりきめ細かく実践できる趣旨で,ある団体が連携するボランティア的な委員を独自に委嘱しました。委嘱元が異なるので当然に独立した委員組織ですが,活動を一体化しているので,指示系統が公的な委員に個別的に直結してしまっています。団体の委員としての主体性を持つことができない状況にあるので,ある会合で委員会という協議体を持つことを提案してみました。ところが,団体の委員自身にその意識は全くなく,またもし委員会という組織化をすれば,当然のこととして代表者が必要になり,その選任が加わることで,委員になる人がいなくなるという意見も出て,あっさりと却下されました。
様々な社会活動を見ていると,いわゆる人脈の構成が3つに大別されていることに気がつかされます。1つは,自分の個人的なことだけに意識が閉じこもって,社会的な活動など眼中にないという人脈,2つめは社会活動にしがらみによって渋々引きずり込まれている人脈,3つめはある程度関心を持って社会活動に参加するが,ついていくことで終わる人脈です。実は,4番目として社会活動を自発的に推し進めようとする人脈が必要ですが,年々衰退しています。たまに現れることもありますが,独走タイプで,組織を動かすという器量が欠けています。
いろんな団体では,役職を順番に務めるというルールを課して,否応なく役職を維持している状況です。ところが,そのルールがあるばかりに団体に加わることを辞退するということも起こってしまい,団体自体が衰退しようとしています。その淀んだ雰囲気の中では,役職を務める人に対して,何か旨い汁を吸っているのではないかという疑念さえ持ち始めています。そうでなければ,役職なんていう面倒なことを引き受けるはずがないという邪推がふつふつとはじけています。
組織的な活動をする場合には,構成員全員に納得のいく運営をすることが望まれます。ただ,そのためには,構成員が自分のことだけを考えるのではなく,組織全体の利益を優先するという共通意識を持ち合わせていることが前提となります。それは,個人的な利益の不平等を招くかもしれません。しかしながら,不平等は恒久的に続くものではなく,構成員全体が相互に引き受けていく性格のものです。そうなるように,役職を担う者が差配をすべきです。
してもらうことはいいのですが,してあげる立場は金輪際嫌であるというわがままが,臆面もなく定着しています。親しい仲間内ではあれこれと世話を焼くことは厭わないのですが,知らない人が集う集団になると,手のひらを返すように引っ込んでしまいます。人に対する基本的な信頼感が育っていないかのようです。知らない人に対しては不信感が先に出て来るのでしょうか。自分が不信感を持っているから,人も自分を不信な目で見るだろうという憶測にとらわれるのかもしれません。人と人の関係は鏡のように自分を映し出します。身近な社会が貧相になっていくのを見るのはとても悲しいことです。
(2010年04月08日)
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