*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【社会教育計画書の説明?】

 わが町では,各種の団体・機関等の役職者を対象に生涯学習研修会という行事が行われています。内容は,社会教育委員の紹介と社会教育計画書の説明が行われ,その後メインイベントの講演会が催されます。24年度の生涯学習研修会で行った「社会教育計画書」の説明を,掲載しておきます。

 この生涯学習研修会は,平成3年度に,「生涯学習のまちづくり」に資することが期待されて始まりました。
 昨年3月に策定された「第四次粕屋町総合計画・後期基本計画」においては,「人・地域・文化を愛する人を育むまち」であるために,「いつでも学べる環境づくり」が掲げられています。
 その背景として,「人々が心豊かに生きがいをもって生涯を送ることができるよう生涯学習への意識が高まっています」と分析し,「多様化するニーズや時代の流れにより変化する学習テーマへの対応を目指す必要がある」と課題を設定しています。その実現化方策として
  ○生涯学べる環境づくり    ○生涯スポーツ活動の振興
  ○文化活動の創造       ○歴史の継承
  ○地域社会還元の仕組みづくり
が列挙されています。
 ここまでは,主として,生涯学習活動を推進する施策であり,まちづくりへの道筋を今ひとつ読み取りにくい面があります。

 生涯学習は,人が生きている間を通して,知恵を獲得しようとして学習することであり,その成果はあくまでも個人に止まり,個人の活力の増進です。
 この個人の活力を束ねて「まちづくり」に向ける仕組みが必要であり,それが「社会教育」の発揮できる機能です。個人の知恵と活力をつなぎ,活用する働きかけをすることで,「協働」というまちづくりの力を生み出さなければなりません。
 個人の生涯学習活動,それ自体には,まちづくりという目標はありません。したがって,生涯学習を社会の学習に方向付けて,社会人を育成する,それがひいてはまちづくりにつながるというプロセスが社会教育の目指す目標です。
 以上の流れを御理解頂いた上で,お手元にお届けした,「社会教育計画書」の概要について,お話させていただきます。

《はじめに》について
 昨年の東日本大震災を経験して,生きていることの基盤は何かということを考えさせられました。考えるだけではなく,電力の節減という現実を受け入れるという事態に遭遇しています。
 個人の生活のありようが社会と無関係ではあり得ない,自分は見ず知らずの多くの他者と同じ舞台に立っているということに改めて気付かされています。その気分が絆という漢字で表されました。
 (計画書の以下の文章を読み上げ)
 「いざというときに発揮される力を教え育んできたのが社会教育です。生きる上で大事な心臓の鼓動を普段は意識してはいないように,社会教育活動も普段は目立たず見えにくくなっています。より安全でより安心な暮らしを求める地道な活動の中に社会教育は確実に組み込まれています。
 人のつながり,絆が大切であると分かってはいても,その実践が伴わなければ,なんの力にもなりません。絆を結ぶために何をどうすればいいのか,その実践方策を考えてきたのが社会教育です」。

 劇作家の井上ひさし(1934−2010)は不遇な幼時期を過ごしました。幼い頃,父親と死別し,義父の虐待を受ける子どもでした。貧しさのため母に手を引かれて児童養護施設に預けられ,不良少年と付き合い,中学生になると店で物を盗んだりもしました。ある日,彼が岩手県一関市の本屋で国語辞典を盗み、本屋のおばあさんに捕まりました。おばあさんは「そういうことをすると,私たちは食べていけなくなるんですよ」と厳しくたしなめ,裏庭で薪割りを命じました。罰だと思って井上は薪割りをしました。
 そのおばあさんは薪をすべて切った井上の手に,国語辞典とともに,辞典代を差し引いた日当を握らせました。「こうして働けば本を買えるのよ」。
 後に作家になった井上は文集で「そのおばあさんが私に誠実な人生を悟らせてくれた。いくら返しても返し切れない大きな恩」と回想しました。彼は作家として有名になり,故郷の山形県川西村に自分の蔵書を寄贈して図書館をつくったほか、現地の農民を対象にした農業教室「生活者大学校」を設立しました。またその本屋があった岩手県一関市で生涯,同僚と一緒に無料文章講習を開きました。これを井上は「恩送り」といっています。

 (計画書の以下の文章を読み上げ)
 「江戸時代に使われていて今は忘れられている「恩送り」という言葉があります。人はさまざまな恩を受けて生きていて,恩返しをすることで一つの関係が結ばれます。ところで,恩返しだけではつながりは部分的ですし,恩返しができない場合もあります。そこで,いただいた恩を返すのではなく,別の人に送っていくようになりました。この恩送りが行き渡っている世間だからこそ,情けは人のためならずという故事が成り立っています」。

 学習は人から受け継ぐものです。受け継いだものは,人に受け継がせていくのが義理というものでしょう。恩送りならぬ学び送りをしようという意図の下に,「社会教育計画書」は策定されています。
 社会教育計画書は,粕屋町が取り組もうとする社会教育活動を推進するものであり,その目的は粕屋町民の絆を結ぶことです。具体的な事業を通して町民の和が広がり深まる一助になることが目標とされています。

《基本方針》について
 社会教育活動が備えている基本機能として
  @社会を構成している人の結びつきを広げるために「知り合うこと」。
  A社会をお互いに必要なものとして維持するために「助け合うこと」。
  B社会を人々が安んじて生きていく場とするために「学び合うこと」。
を厳選しています。個別の事業の中に,この3つの機能が織り込まれていることによって,その事業は社会教育活動になることができます。

 人と人との絆が出来上がっているときには,そこには,助け合いや学びあいは当たり前になされているでしょう。
 その学びを外に向けて送っていくことが,この計画書が皆さんに期待する基本方針です。そのメッセージが

       =「どうぞ」が似合う かすやまち=

です。学習をすると「ありがとう」とお礼を言います。そこで終わるのではなく,学習の成果を独り占めにするのではなく,「どうぞ」とそばにいる人に送ってほしいのです。助けて頂いた恩を,周りの人に恩送りをして欲しいのです。なぜなら,ドウゾと手をさしのべることこそが,絆を結ぶ唯一の方策であり,まちづくりそのものだからです。

 厳しい状況の中にもかかわらず,町民の皆さんは前向きに頑張っておられると思います。ただ,あえて言わして頂ければ,内向きになっているのではと感じることがあります。
 家のことで精一杯,地域のことで精一杯,自分の団体のことで精一杯,とてもよそのことまで構っていられない,そのような気持ちが内向きな発言が聞こえることがあります。それがどこまで本心かわかりません。
 内気な人が多いので,自分からどうぞと言い出せないのかもしれません。そんなときは,頼まれたら「はい」とだけ答えて頂ければと思います。気持ちを外向きにしておかないと,豊かな絆を結ぶことはできません。

 この計画書に記載している事業は,生涯学習事業でもありますが,みんなのための事業という趣旨を付け加えているために,社会教育事業としています。個別の行事については,4つの分野,青少年育成 まちづくり,スポーツ・体育,文化・芸術,に分けて掲載しています。
 (計画書の本体は,個々の行事別に,目的や内容,期日,場所,対象者などの表組みとして,社会教育課が管掌するすべての行事・事業を掲載しています)。

 4ページに,24年度の社会教育行事予定を掲載していますので,日程の調整をお願いいたします。それぞれの行事の説明は,参照のページをご覧になって下さい。また,行事予定の詳細な一覧は末尾のページに記載してあります。
 全体を紐解いて頂くと,こんな事業もあるんだと気づかれるものがあるかもしれません。どうぞ,周りの人に,教えてあげて下さい。

 資料編の19ページ,20ページには,各自治公民館の昨年23年度の実績が掲載されています。各区の役員さんのご尽力で,地域の融和と共助の絆が着実に築かれていますことに,深く敬意を表します。
 次の21ページ,22ページには,社会教育関係団体等の23年度の実績を掲載しています。年代ごとやテーマごとに組織化されている各団体も,積極的な活動を積み上げておられます。最近は,団体間の共同事業もなされており,絆の広まりが楽しみです。

 自治公民館,社会教育関係団体の活動は,行政の社会教育活動と密接に連携がなされ,粕屋町のまちづくりに大きな貢献をして頂いております。どうぞ,そのことを自覚頂いて,より一層の活動推進をご期待申し上げます。

 この社会教育計画書は表紙に記載の通りに「教育委員会」の発行です。先ほど,内向きではなく外向きになろうと申し上げました。皆さんにお願いするだけではなく,私たちも外向きになる必要があります。
 行政の他の部署課でもまちづくりに向けた活動がなされています.例えば,お手元にお届けしているパンフレットの「まちづくり出前講座」です。自治公民館の学級や各団体の研修などに組み込んで頂くようにご案内をいたします。よそのことと見過ごしにするのではなく,手をつなぐことができるものは手をつなぐという外向きの態度が,新しい展開を生みだしていくはずです。

 人は人とのつながりが途絶えたら,幸せにはなれません。生きていくことは人とのつながりに支えられています。人には5感があります。視覚,聴覚,味覚,嗅覚,そして触覚です。この中で普段ほとんど意識されないのが,触覚です。この触覚が失われたら,人はどうなるでしょう? 足が痺れて触覚が麻痺するわかるように,立つことはもちろん,座っていることもできずに,寝たきりになって身動き一つできなくなります。もちろん,ものを持つこともできません。生きていく上で,触覚が最も大事なのですが,普段は意識されません。同じ程度に,人との触れ合いは思う以上に大事なのです。
 絆を,場面に応じて触れ合いと読み替えてみることも,新展開につながるかもしれません。一つの言葉にこだわるのではなく,言葉を自分の身近な言葉につないでいけば,深い理解がもたらされることでしょう。
 大切なことは失って発見されるものですが,ただ漫然と見ていては発見はできません。大事なことは何かという目を持って見つめ続けることが,望まれる学習です。

 この1年の皆様の活動によって,まちづくりが一層進展することを願って,社会教育計画書の紹介を終わります。
(2012年06月10日)