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【PTA総会での祝辞8?】
第53号,第72号,第86号,第111号,,第125号,第138号,第147号の「PTA総会での祝辞」の続編です。子育て羅針盤の第108号から抜粋してお話することにしました。
ところで,来賓の祝辞という登場であり,普通にはお話しをするという場ではありません。祝辞らしいあいさつをすべきなのにという思いがあって,どことなく落ち着かない雰囲気を,話す者としても感じていました。この感じを払拭する言い訳を苦し紛れに考えてみました。
本日はPTAOBとしてお話しをする機会を頂きありがとうございます。皆様のご両親から皆様に伝えてほしいメッセージをお預かりしてきたという形で,一つのお話しをさせて頂きたいと思います。(という前置きを置くことにしました)
親業という言葉があります。親としての努めとか,役割といった言い方もあります。その言い回しに引きずられて,役割を果たしていれば親であるという短絡的な結論を何となく引き出してはいないでしょうか? 親になるのは易しいが,親であることは難しいと言われています。親の役割をきちんと果たすことはそれほど難しくはありません。役割とはこれこれですと並べることができるからです。ですから,親になるのは易しいのです。
例えば,仕事場で与えられた役割をちゃんとこなしていれば,つつがなく勤務を続けられるでしょう。ところで,何かのアクシデントで休むことがあるとしたら,担当していた役割は他の人が肩代わりをします。つまり,役割を果たすには,代わりは誰でも勤まるのです。役割とはもともとそういう普遍性を備えています。あなたでなくてもいいというわけです。
親の役割にこだわると,あなたでなくても構わないということになります。子どもに自分の親はこの人しかいないと思われたとき,親であることができるのです。親として信頼されるということです。では,親であるためには,役割以外に何をすればいいのでしょうか?
我が子のために何をしたかということです。例えば,夕食のおかずはお店で買ってきたパック詰めを皿に移しただけだとしたら,あなたでなくてもできますよね。もちろん,子どもは親らしいこととは感じません。あなたしか作れないもの,お袋の味とはそういうものです。袋の味では,親の役割を果たしていますが,親ではないのです。
親はいろんな場面で子どもを見守っているつもりですが,子どもは見張られていると感じことがあります。見守りと見張りとはどう違うのでしょうか? 見守るのは味方です。一方で,見張るのは敵方です。敵が見回していれば,見張っていると受け止めるのは自然です。見張り,見張られの間柄ということになります。
子どもが見張られていると察知するのはどうしてでしょう。日頃の親子の会話はどうでしょうか? 子どもがしくじったとき,「ダメじゃないの」と叱ってばかりいませんか? 自分のあら探しをしている目であることが一目瞭然です。子どもがいったんそう思いこんでしまうと,どうせ私なんか信頼してもらってない,とふてくされるだけです。
「大丈夫?」と,子どものことを気遣っていますか? それなら,普通です。その程度のことであれば,通りがかりの他人でさえ言ってくれる言葉だということです。親らしい言葉掛けとは,「大丈夫,ママがついている」と受け止めることです。もちろん,ケースバイケースですが,いざというときはママがついているという言い方ができるようになってくださいね。それが味方の言葉です。
子どもが思い描いている親との絆とは,親らしいことをしてくれたかということで判定されます。不始末をいっしょに片づけてくれる,親だから,親しかできないことです。子どもは親がいっしょに泥を被ってくれると信じたいのです。守るというのは,そこまでの覚悟が必要であり,それだからこそ,親とはありがたい存在になるのです。親である皆さん方は,そういう親に守られて育ってきたのではないでしょうか?
親の恩ということで考えると,親に恩返しをするということではなく,親にしてもらった恩を子どもに送る,恩送りをして欲しい,それが皆さん方の親の願いではないかと思いお話しをさせて頂きました。日常の活動の中で,親であることを時々意識してくださるようにお願いをいたします。本日の総会が,新しい年度に向けての確かな節目になることをお祈りしながら,祝辞といたします。ありがとうございました。
(2012年04月27日)
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