よりぬき 電鉄G’sMagazine
「旅」の巻
旅行記中心です。旅先での奇妙なこととか。
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タイトル | 掲載年月日 |
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〆□ンブックス全店訪問達成 | 2004/08/10 |
外を歩けばネタに当たる | 2004/10/19 |
神岡鉄道降り潰し(その1) | 2004/11/16 |
神岡鉄道降り潰し(その2) | 2004/11/17 |
神岡鉄道降り潰し(その3) | 2004/11/18 |
神岡鉄道降り潰し(その後) | 2004/11/18 |
旅日記(九越フェリー) | 2004/11/20 |
旅日記(ニューれいんぼうべる) | 2004/11/21 |
旅日記(博多上陸) | 2004/11/21 |
旅日記(三角から島原) | 2004/11/30 |
C67-1の記(その1) | 2005/01/05 |
C67-1の記(その2) | 2005/01/06 |
16年冬季の18きっぷ使い切り | 2005/01/17 |
岐阜駅前 | 2005/02/06 |
名鉄空港特急 | 2005/02/06 |
中部国際空港駅 | 2005/02/06 |
テクノスーパーライナー「希望」に乗ってきた | 2005/07/14 |
旅日記(ぶらり奥羽本線) | 2005/08/23 |
常磐新線に乗る | 2005/08/30 |
常磐新線を降りる | 2005/08/30 |
キングオブ一般道路線バス | 2005/09/17 |
先週、岡山に行って、了ニ〆イトに寄ったりしたところ、2階に「〆□ンブックス岡山店」があることに気付いた。
フォアッ!
既に全店訪問していたと思っていたのに。いつ開店したんだよ岡山店しかも1周年かよ!が発覚(爆)。
ま、晴れて全店訪問と相成ったが、1週間も経たない8月7日に仙台店が移転。
この日は福島県の小名浜に行かなきゃならんので、仙台行けねぇやということで再び未訪問店が生じてしまう。
つか、太平洋側の小名浜にどんな用事があって行くですか、日本海側に生息している自分。青春18きっぷの2回分も使って(爆)
(ゃ、福島臨海(笑)とかゴニョゴニョ)
てことで、8月8日、新仙台店に行ってきました(ぉ。
その前に旧店舗跡地を覗きに行ってみると、9月まで営業継続とのこと。
さて、新店舗。旧店舗よりも仙台駅に近い「JTB仙台ビル」の3階。周囲の赤い看板の中に緑色の看板は妙に目立っている気がしないでもない。
エレベーターに乗り込み、3階でドアが開くと。
「っらっしゃぇいぁせっ!!」
ビクッゥうう!
レジ打ちのお兄さんとは違うタイプの、ゴツイ男性陣の野太い声のお出迎え。応援か視察に来た幹部社員の方々ですかぁ?
店舗は、広い。昨年秋に移転した名古屋店とどちらが広いか。とにかく、最大級の広さでしょう。勢いづいてますなぁ。
……それにしても、ヲタ御用達のえちぃ本に満ち充ちている店だってこと、ビルの管理者様はご存知なんでしょうか(笑)
1階の入口ホールにエレベーター待ちのヲタどもがたむろする光景(以下略)、、、、
テケトーに買物して、新しい店の住所入りのポイントカードをもらって、外に出ると「リアルめろん」が呼び込みをしていた。
……何だか、妙に、なんとなく、いや、すごく、非常に、激しく浮いている気がしてならないのですが。
アーケード内とか自動車乗り入れ禁止のような商店街ならまだしも、普通の大通りですよ?
オフィスビルの玄関ですよ?
さすがは100万都市だ。田舎モンのあたしの感覚とは違うのね、多分(笑)
メロンブックスに、幸あれ!
続・メロンブックスネタ↓
2004/08/10
過去のメロンブックスネタ記事↑
旅の続き。
ふと、メロンブックスに立ち寄ると、こんな貼り紙が。
えりすめろん来襲!
探偵ファイルというサイトで、メロンブックスのマスコットキャラクター、めろんちゃんのコスプレで買物をするというネタがあったんですわ。
ふむ。
こちらにはリリアン制服があるからな。対抗しなければなるまい(マテ)
電話ボックスはどこだ?!<やめなさい
#元ネタはここ
ぅあ。紙袋用意してないや(爆)
……すみません。公衆の面前では着られません。
てなわけで。 悟りWikiの捕捉コメント
その列車は天竺行きの片道列車でしょうかを頂いておりますが。
んで、男装(苦笑)のまま入店。
ま、早い話、「探偵ファイル」の書物とかCDの販促活動だったわけだ。
(http://www.tanteifile.com/girls/2004/10/13_01/index.html)
とか言いつつ、お買い上げ&サインしてもらってたりする(汗)
予期せぬ出来事に、ちょっと時間のロスと予定外の出費となったが、旅先での思い出の1つとなった。
2004/10/19
タイトルは「乗り」つぶしではなく「降り」つぶしですので念のため。全線完乗のほか、全駅の乗降も目指しております。
乗り潰しのほうはゴールが見えてきた感じだが、降り潰しはあと40年はかかりそうな計算ではあるのだが。
さて、今回のターゲットは、岐阜県北部の飛騨市を走っている神岡鉄道。
過去に完乗済みであり、今回は未乗降の駅全てに乗降するのが目的である。
あまり紅葉の色あいが良くないが晴天の秋の日、高山本線の猪谷[いのたに]駅に降り立つ。時刻は7時。陽は既に昇っているが山間の小駅はかなり冷え込む。おまけに風が強い。どうもこの一帯は、神通川[じんづうがわ]の谷間の地形のせいか強い風が吹くことが多く、列車の運休も頻発する。
ちなみに、10月の台風23号の被害で猪谷−高山間が運休中となっており、富山駅では、「高山へは、猪谷から神岡鉄道に乗り換えて、終点からバスに乗って……」と凄まじい案内がされていた。
JR東海よ、代行バスは走らせないのか?いや、JR西日本の社員はそこまで知らない(知らされていない?)のか。どっちにとっても、こんな辺境の利用者はどうでもいいことなのか?
はたして、神岡鉄道にとってタナボタとなるのか?
閑話休題。
7:10発の神岡鉄道の201Dに乗り込む。客はきわめて少ない。土曜日、時間帯、人の流れを考えれば回送も同然。車内に設けられた「囲炉裏」をカメラに収めているあたり、いかにも、な客である(笑)
やがて発車時刻となる。昭和41年開業の比較的近代的な路線で、神岡の街を目指し、長大なトンネルで直線的に山をブチ抜いていく。神岡鉱山前までの16.9キロの大部分がトンネル。その後、終点の奥飛騨温泉口までは景色が楽しめるが3.0キロしかない。
終点の1つ前、神岡大橋[かみおかおおはし]にて下車。
(その2)へ続く。
2004/11/16
神岡大橋は昭和59年10月1日、国鉄から第3セクターへ転換されたときに開業した駅で、ホームが大変短い。他の駅も立派とはいえないがそれでも「国鉄」、この駅はひときわ貧相で「私鉄」と、何となく格の違いのようなものが感じられる。
次は起点の猪谷の隣、飛騨中山[ひだなかやま]に下車する。猪谷方面の上り列車は33分後の8:12発であるが、奥飛騨温泉口までは0.8キロしかないので、歩いて始発から乗ることとする。
ホームから階段を登って、線路と並行している道路に出る。左へカーブしつつ登り坂となっている道を進むと、高原[たかはら]川(神通川の上流)に架かる朱塗りの「神岡大橋」(道路橋)を見渡すことが出来る。
道路が下り坂に転ずると、前方に側線を何本も持つ奥飛騨温泉口の駅構内が見え、駅舎が姿を現す。う〜ん、確か前回の訪問は9年前で、駅舎の建物で営業している喫茶店に入ったことは記憶しているが、全く見覚えがない。しかも、隣に大きな建物が建っている。この建物、当時は間違いなく無かった。
早朝で無人駅状態のため、喫茶店の脇の通路をすり抜けてホームに出てみたらびっくり仰天。ホームは往時のものが使われているが、何と頭端式となっている。車止めの先に新駅舎、知らない建物は駅舎と本社?と地域の集会所?のような施設として設置されていたのだった。
やはり早朝で無人駅状態なのだが待合室に鍵はかかっておらず、切符の券売機も稼動していたので乗車券を買い求める。そして新しいほうの”駅前”に出てみる。
かつて側線が何本もあった駅用地の半分ほどがアスファルトで埋められて駅前広場、バスのロータリー?となっていて、DE10機関車がデンと鎮座している。
ふうむ、観光客誘致に大々的に乗り出したか、と根拠のない想像などして列車に乗り込んだ。
……隣においてある物体、ナニ?
……穴の開いたタンク貨車。うぁ、トロッコ列車かい?!
猪谷行き、8:10発の204Dは1ボックスに1名ずつ収まるほどの地元客を乗せて発車した。
(その3)へ続く。
2004/11/17
さて、JRに接続する猪谷の1つ手前、飛騨中山で下車。
国道41号線より高い位置に線路があり、片面ホームに小さな待合室。特にめぼしい建造物は見当たらない。道端に下りてみると、道路・線路を横切っている送電線がある。見渡すと線路端に水圧鉄管があり線路と道路の下にもぐりこんでいる。視認できないが崖下には北陸電力の中山発電所がある。
クルマはビュンビュン走り抜けていくが、神岡鉄道の利用者らしき人は姿を見せない。うん、いわゆる秘境駅だなこりゃ。
20分後の8:56発203Dで漆山[うるしやま]へ。
山間のわずかな平地に設けられた無人駅。ホームは低く、段差もなく駅前?へ通ずる道路へ出られる。うむ、鉄路の行く末を考え、高齢化社会、交通弱者の生活路線として早くからバリアフリーを目指していたのだな(んなこたぁない(^^;)
このあと、2時間ほど列車がないので、隣の茂住[もずみ]駅まで歩くことにする。
鉄道の営業キロは4.7キロ、トンネル区間であることと、道路は多少遠回りしていることを考えて6kmほどの行程か。
漆山の駅から高原川を渡り、国道41号線を“テクシー”で進む。
通行量は少なくなく、乗用車のほかダンプなども激しく走っている。徒歩で移動するような物好きは極く稀であろうが、大変歩きにくい。歩道が一部しかないのである。特に、ロックシェッド(落石よけ)の部分の車道を歩くのは大変危険である。歩行者用らしきスペースも設けられているものの道の片側にしかなく、しかも入口・出口をガードレールで塞いであったりする。
そりゃ、ゼロに近い歩行者のために歩道を設けるのは無駄ではあるが、いかに自動車優先の思想であるか、クルマでなければ出歩くことが不可能に近い、ゆがんだ田舎の交通体系を、クルマを使う人には認識しておいてもらいたい。クルマが使えなくなったときのこと、想像できますか?
景色をゆっくりと眺められるのは徒歩ならではで、ダムでせき止められて幅の広い川に、色づいた山々。1枚撮りたくなるが、見た目の印象を再現できるようカメラに収めるには、腕が足りない(苦笑)。
と、道端に錆びた小さな鉄橋が目に留まった。もしかすると、国鉄神岡線開業前の、三井鉱業神岡鉄道時代のものかもしれない。ということで、この写真。地点的には、高原川と跡津川[あとづがわ]との合流地点の急カーブから猪谷方面。
10時過ぎ、茂住駅に到着。無人駅だがかつては交換可能な有人駅で、出札口跡も残っている待合室は広い。しかし、他の無人駅もそうだが、蜘蛛の巣が張っていたり虫の死骸でベンチが汚れていたりと、「待ち合わせ」るにはよろしくない。この時は幸い天気が良かったのでホームでひなたぼっこできるが、冬ならばそうもいかない。囲いがあるだけでもありがたがらねば。とは言え、高校を卒業したくらいの年齢の、数えるほどの人数のこの近辺の若いモンが遊びに出るとき、このような鉄道を利用しようとは、とても思えない。
11:07発の206Dに乗車。以前に神岡鉱山前、飛騨神岡、奥飛騨温泉口は過去に乗降済みなので全駅乗降を達成。神岡鉄道を後にした。
(その後)へ続く。
2004/11/18
「その5」ではありません。(苦笑)
神岡鉄道の全駅乗降を達成し、うきうきと帰ってきてから、驚愕の事実が!
こちら(http://d.hatena.ne.jp/kusamachi/20041106)からの情報
[神岡鉄道]貨物輸送休止を申請http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/00/gif/20041106/lcl_____gif_____008.shtml
実質的には9月末にコンテナ輸送、10月16日に硫酸タンク輸送を終了。10月20日に事業基本計画等変更認可申請書を提出。ここは貨物輸送だけでもっている鉄道で、旅客の輸送人員は1日100人くらいしかいない。もうダメだろう。
神岡鉄道は昭和59年10月1日の開業。国鉄から第3セクター方式へと転換した日であり、「初の第3セクター」として話題を集めた三陸鉄道の開業の半年後。転換第2号の老舗で、セメント輸送を行っていた樽見鉄道が同期。鉄路の存続理由としては貨物輸送が大きく、ことに神岡は貨物専用となってもおかしくなかったはずで、よくもまぁ20年も営業を続けられたなというのが正直な感想。観光客誘致の姿勢も立派ではあるが、観光だけで生き残れるとは到底思えない。
ましてや、高山本線のバイパス機能など……
(追記:神岡鉄道は平成17年11月15日に鉄道事業の廃止を届け出て、平成18年12月1日に廃止(運行は11月30日限り)の予定)
あの、奥飛騨温泉口の立派な駅舎は、何のために建てたのか。貨物輸送をやめることが視野に入っていなかったはずはなかろうし、廃止後の「神岡鉄道記念館(仮称)」の先行投資でもあるまい。
“錬金術”はいろいろあるだろうが、地元民でも関係者でもない、通りすがりの鉄道愛好者に過ぎない身としては、詮索はしないことにする。無責任な存続論は展開しない。
できることは、乗車する機会を1回でも多く捉えること。
2004/11/18
写真は直江津港にて、九越フェリーの「ニューれいんぼうべる」。
本日11/20は博多行きとなる。
22:00発、博多到着は翌日の18:30の予定である。
片道の2等寝台の運賃・料金は¥14,640。ちなみに、原油価格高騰のため11/1から¥200値上げされている。
かねてから乗ってみたかった九越フェリー、今回、利用できる機会が得られたので、ついでに九州へ乗り鉄の旅へと出かけます。
その後の日記は……書けるかな?
パソコンのバッテリーは残り少ない、携帯電話もどれだけもつか。上陸後、ホテルに入ってupできる余裕があるかどうか。
天候が現在小雨で、翌日は晴れるといいが。船室にばかりいてもつまらない。デッキに出て潮風にも吹かれないと船旅の楽しみが半減する。もっとも、普段ゆっくりと読書する時間もとれないので、このときとばかりに、積んだままになっていた本も数冊持ち込んではいるが。
続く。↓
2004/11/20
前の記事↑からの続き。
貨物車両の積込みに手間取ったらしく、直江津を20分ほど遅れて出港。22時を過ぎた頃から、止んでいた雨が再び降り始め、傘が必要なほどの降り方になったのでデッキで出港風景を眺めることを断念した。
船旅での大きな楽しみの1つなんだがなぁ。
会社更生中の東日本フェリーだが、比較的好調な太平洋航路に比べて日本海航路は営業成績が芳しくないらしい。廃止の危惧があるので九越フェリー航路も早めに乗っておきたかったのである。
(追記:九越フェリーは東日本フェリーとともに平成17年8月1日にリベラ(株)に合併)
さて、乗ってみるといくつか賞賛できる点がある。
まず、軽食コーナーの営業時間。夕食の時間は16:00〜17:30となっているが、深夜営業と称して22:00〜23:00にも開店している。もともと“合理化船”で供食体制は充実しているとは言えないのだが、乗船の時間帯は小腹が空いてくる頃である。カレーライスやピラフ、枝豆等おつまみ類と種類は少ないものの、自動販売機のカップラーメンや冷凍うどんで間に合わせるよりもはるかに良い。
それから、自動販売機の飲物が安い。地上より高いというのが定説だが、ビールのロング缶が¥260、レギュラー缶が¥200、ペットボトルのお茶¥140、清涼飲料¥110と、破格な値段設定である。乗船前に買い込んで飲む頃にはぬるくなってしまっている、ということもなくなる。
次に、各寝台に電源コンセントが設けられたこと。長時間の乗船であり携帯電話やノートパソコンを持ち込む客も多いであろうから、大変重宝する。
これは、前年の6月に室蘭行きとして乗った時には無かったと記憶しているものである。
あとは、特等船室の設置であろうか。かつてはVIP用特別室?として存在は知られていたものの一般売りされておらず、オール2等寝台だったものから選択の余地が生まれた。もっとも、2人用2部屋しかないこと、1人あたりの運賃・料金が2等寝台より1万円以上も高いこと、1人で使用する場合は貸切料金として大人運賃の0.75倍が加算されることなどから、私には縁の無いものと思われる(苦笑)。
粗探しを始めればキリがないのではあるが、久しぶりに「いいものに乗った、楽しめた」と感じることができた。
続く。↓
2004/11/21
前の記事↑からの続き
夜食にハヤシライス¥600を食し、缶ビールを空けたりしているうちに日付が変わった。雨が収まったらしく、デッキに出てみる。風がかなり強く波も高い。船内に掲げられている通過予定時刻の図をみると、能登半島を回り込んでいる頃。左舷側にポツポツと明かりが見える。右舷側は暗闇の日本海、だが、チカ、チカと1点の点滅する光が。輪島市沖の舳倉島[へぐらじま]の灯台だろうか
翌朝、7時過ぎに目が覚める。結構ピッチング(縦揺れ)が強く、時々船底からガツン、ガツンと音が響き、波は高いようだ。
朝食時間は8:00〜9:30、和定食(焼魚)¥600を注文。セルフサービスで席まで運ぶのだが、揺れのため難儀する。味噌汁がこぼれたりするほどではないが。
天候は、晴れと曇り(雨も少々)が短時間に入れ替わる。冬の天気予報でおなじみ、「日本海に現れるすじ状の雲」であろうか。「時化のため博多到着が15分遅れの見込み」と放送が入るが、まだ本格的な冬型ではないので海も大して荒れてはいないし、1万1千トンの大型フェリーでもあり、多少よろけるものの歩くには支障ない程度の波である。
写真は展望サロンから前方のもの。画質が良くないのは機材や写真加工の関係もあるが、窓が汚れているため。波の飛沫がかかり、塩が結晶して張り付いているのである。
昼食後は読書や昼寝などして過ごす。左舷側に陸地が見え始める。2002年劇場公開だった映画「白い船」のポスターなどが船内に貼られており、山陰の小学生が学校の窓から見える船に乗る、という物語で、その船とはもちろん九越フェリーのものである。
本州もそろそろ終わりに近づき、天候、波とも穏やかになった。西へ来ているため、陽も長い。17時頃に夕食を取る。船内で4食というのは初めて。大阪から沖縄へ乗った時でも、深夜発の翌々日朝着の30時間コースだったが朝昼夕の3食だった。
博多の接岸は18:35、遅れをいくらか回復している。
船からフェリーターミナルまではすぐなのだが送迎バスに乗せられる。サービスというよりは、クルマの積み下ろしをしているところをウロチョロされたくないからだろう。
と、マスコミの取材陣が下船客を待ち構えている。出迎人には「ようこそ福岡へ」などという横断幕を用意している人もいる。いったいどんな御仁が乗られていたのか事情は知らないが、野次馬するほどの暇はないので、港を後にする。
徒歩で20分、福岡市営地下鉄の千代県庁口[ちよけんちょうぐち]に着く。天神から西鉄。19:40に着いたがグレ電でネットに繋いだりしていたため20:00発の特急に駆け込み。転換クロスの8000系だが夜のためかぶりつきは遮光幕が下りている。天神発車時点で既に立ち客も多数出ていて、座れたのは大善寺から。
西鉄利用は現金の出費を抑えるためと、不良債権化していた「よかねっとカード」のストックを少しでも消費するためで、大牟田からのJRもオレンジカードで切符を買う。
21:11発333M、げぇ、九州の走ルンです815系だよ。ロングシートで熊本へ。泊。
続く。↓
2004/11/21
↑からの続き。
熊本からは三角[みすみ]線を乗り潰す。時刻表を眺める限り、なんとなく平凡なローカル線に思えたが海あり山あり、コンパクトにまとまって意外と楽しい路線であった。
天草、島原への連絡線として建設された路線で、終点の三角は宇土[うと]半島の先端に位置し、駅のすぐ前は港。ここから三角・島原フェリーで島原を目指す。
待ち時間は15分ほどで、あわただしく乗船券を購入して乗り込む。操舵室は客室の上にあり、前方を見渡すことが出来る。客室後部には売店が営業し、トイレも備え付けられて、乗船時間はわずか1時間というのに結構豪華である。
まずはデッキに立って、出港から沿岸を眺める。
船は三角港を出港すると、谷間のような狭い入り江に進路を取った。頭上には、天草へと通ずる国道266号線の天門橋という大きな橋梁、それをくぐって宇土半島と大矢野[おおやの]島との間の「三角の瀬戸」と呼ばれる細い海峡をすり抜ける。そして有明海、島原湾の海原が一気に開ける。天気は快晴。前方には今はわずかながらも噴煙を上げる雲仙・普賢岳が姿を見せている。
風がやや強いので客室に入ることにする。
売店でビール、つまみに地場ものの極太な竹輪を購入し、気分が大いに盛り上がる。
島原外港に到着。フェリー乗り場はなかなか立派な建物で、平成3年からの普賢岳噴火災害の概要を展示しているコーナーも設けられており、ゆっくり見ていきたいが、島原鉄道の乗り潰しという目的がある。1時間に1本、距離も長いので乗り遅れるとその後が大変になってしまう。
相変わらず、観光らしい観光ができない旅である(笑)
港からまっすぐ、やや市街地に入ったような感じのところに島原鉄道の島原外港駅があった。軽便鉄道の雰囲気を残す、素朴な感じで、フェリーとの連絡駅にはちょっと見えない。
有人駅で、硬券の入場券も発売している。島原駅までの乗車券、「幸せ記念乗車券」も買い求める。
島原鉄道にある、幸[さいわい]、愛野[あいの]、吾妻[あずま]の3駅を揃えた縁起ものである。
と、入場券には日付を入れるかどうか聞かれる。もちろん、訪問記念に購入するのであるから、入れて欲しい。すると、「これでいいですか?」と、朱肉不要で捺せるハンコの日付印を見せられる。「島原(駅)に行けばこういうの(と、昔よく見られた日付の打刻機に通す仕草をしながら)があるんだけど……」「いや、それ(ハンコ)でいいですよ。……鋏も入れて下さい」と返答する。
「マニアの人は嫌がるんですよねぇ」と苦笑しながら切符を出し、お金を受け取る。うん、ボク、マニアじゃないもん(笑)。
昔ながらの様式にこだわるのも良いが、不自然な工作をしてまでも手に入れたいもんかねぇ?
私などは、素で売られているスタイルだからこそ記念品としての価値が高いと考えるのだが。まぁ、券売機のかすれた印刷モノなどは末永く取っておきたいとも思えないので買わなかったりするけど(苦笑)
島原外港→島原→加津佐→諫早と乗車する。距離も長くノンビリ走るので、なかなか乗り応えがあった。車両は新型の軽快気動車で、旧国鉄のキハ20はなかなか乗れる機会がないが、だからと言ってつまらないことはない。私は車両マニアでもないし。
沿線の風景は「風光明媚」などという熟語で片付けてしまうには惜しいくらいで、変化に富んで飽きることがなかった。天気も良く車内も適度な客の入りだったこともある。運の良さもあるだろうから、いつでも誰が行っても満足できるか、保証はできないが、大変に楽しい1日であった。
路線の南半分が廃止されそうな雰囲気もあるが。何年先になるかわからないが、もし、再訪の機会が得られたとき、どのようになっているであろうか。不安でもあるが、それもまた旅の楽しみでもある。
蛇足ながらも、感慨深かったもう1つの場面。
諫早から長崎へ向かう途中に見えた、山並みの見慣れぬ色合い。本州では紅葉がすすんでいるが、あたりは木が青々としている、にもかかわらず黄色い。よーく見ると、やや赤みを帯びた黄色い粒々で、ミカン畑なのであった。ずっとミカン畑には縁がない土地で暮らしてきたので、ミカンはこんなにもたくさん木に生るのかと驚くと同時に、日本の秋にはこういう風景もあるのだなと、見入ってしまった。
2004/11/30