三浦半島の海岸線は、過去数回の大地震により隆起して今の形になっています。
頼朝が山荘に遊びに来ていた時代からすると3メートル以上、大正末期の関東大震災 からしても1メートル以上の隆起が起こっているようです。その様子を下に紹介します。 従って、海岸線を歩くことは過去の海の中を歩くことになります。干潮、満潮、大潮、 小潮により困難さも変わってきますが、ここに紹介しますのは、比較的に歩き安く、 コースにも成っているような所です。だと言っても、下駄履き(苦労しました)やハイ ヒールでは無理があります。小さなお子さんも要注意、多少トラブっても大丈夫な格好 でお楽しみ下さい。 |
今後は、南海岸、東海岸なども追加したいと思っています。
大正の末に大地震が揺れたときには、春吉さんは船にいたので碇をおろして津波に流され
ないようにした。西から来る津波の方が強かったが、東から押寄せる津波も城ヶ島より5 6メートル高く盛りあがっていた。もしその水が陸に押寄せたら、三崎の町はつぶされる のだが、西から来た津波とぶつかって、三崎の町から城ヶ島まで海の底が干あがってしま った。地球が傾いたのではないかと思われた。ところが水は干あがったきり押寄せて来な いので、町の人は笊を持って元の海の底へ魚を拾いに行った。今、岬陽館にいる女中のお 袋なんかも、あのときには笊を持ってサザエを拾っていたと春吉さんが云った。 (井伏鱒二 三浦三崎の老釣師より) 9月1日まだ残暑厳しい最中、私の死んだ親父もちょうど泳いでいたようで、陸地がぐら
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