三崎口よりバスで
   東岡行きなら終点にて下車、徒歩15分、城ケ島、向ヶ崎、三崎港行きなら三崎港下車
   徒歩10分、東岡乗り換え市内循環なら歌舞島下車(但し本数は少ない)

三崎の最西端にあたる歌舞島、現在は小高い山にしか見えない。埋め立てにより長く伸びた
岩礁は失われ、今下に有る浜も無くなろうとしている。歌舞島の名は頼朝の三崎来訪、安貞
3(1229)年2月21日竹の御所を招いて三浦義村が行った来迎会などに由来する。
  

歌舞島の磯から続く海岸が二町谷の海岸、明治以降有数の避暑地であった砂浜はもう無い。
頼朝が来た時代には桃の花が咲き誇っていたのか。桃の御所、向井将監の墓所、北原白秋の
住居であった見桃寺、白秋が歌を詠んだ真福寺が近くにある。北側の切り通しの先端部(地
元ではトンビ山と言う)の中腹には、遠い昔海の底に有った証拠「波調層」がある。風化に
より無くなる前に見てください。崖下の小さな社はもと山の上にあったものです。
        

海岸沿いに進むと海外町に入る。昔は山越えか、海を歩くかしかなかった。静かな湾をぐる
りと廻る。右側の台を「拝の台(現尾上町)」と言う。上記の来迎会を村人がここから見た
と言う。道路建設で現れた地層が過去の地殻変動のすごさを見せてくれる。前に見える小山
を狐塚とも呼ぶ。そこに向かって進もう。
  

造船所の中を通して頂いて進むことにするが、その勇気の無い方は道路沿いに進もう。
ちょっと面白い岩が有ったり、アサリを掘ったり(これは無理か?).... 
        

一度道路に戻る必要が有ります。昔は海岸沿に行けたのだが、住宅が建ってしまったので
通れません。信号を曲った所の小道を海岸に降りると、上右写真の建物の前にでます。運
が良ければアヒルが迎えてくれるかも、そこから岩場を湾に沿って進みます。
            

次の湾を超えるのはちょっと大変かも知れませんが、満潮などの最悪に出合わなければ、
まず大丈夫でしょう。小さな入り江もあります。この湾を超えれば「浜諸磯」までもう
少し、でもまだまだ岩場が続きます。
   

ライオンみたいな岩を超えると、三浦義同の家臣大森越前守の居城跡と言われる先端の小
高い山が見えてきます。浜諸磯の南の浜を抜けると小さな集落にでます。ここの神明社に
も小桜伝説が有りますが、不思議なことに地元では知られていない。興味の有る方は「霊
界通信小桜姫物語」なる本を読んで見てください。
  

先端部には三浦道寸の物見塚、荒次郎の狐の馬場などの場所が有ります。先端の浜からは
大島、伊豆、富士箱根、湘南、江ノ島から油壷まで270度の展望が望めますが、天気次
第ですので、心掛けが必要。                            前面は油壷
  

ぐるりと一周してもとに戻ります。ここは道寸時代の刑場の跡とも言われ、民家の奥、山裾
に「首切り地蔵」と言う地蔵が祀られています。また荒次郎の姥が住んでいたと言われる
姥が谷(地元ではオバゲートと呼ぶ)」、姥塚(現在は無)が有る。

  

港沿いに諸磯湾側に進みましょう。ちょっとした岩場も有りますのでルートを確り見定め
てください。途中の小さい浜辺が「銭が浜」、謂れなどは不明です。岩場を進みますと諸
磯の岸壁にたどり着きます。ようやく平地ですので一息入れてください。
        

今はヨットハーバーに成っていますが、遠浅の海で川の流れ込む所ではウナギを捕まえる
ことも出きました。白須と呼ばれ、道寸の時代白州だったとか言われ、小高い山に鐘撞堂
が有ったとも言われています。内陸のガンダ山の裾には天然記念物に指定された隆起海岸
が有る。陸橋の手前を左に入ると名向崎の先端に行くことが出来ます。併し油壷側へ廻れ
ないので今日はやめます。途中のトンネルを通り別荘の下を行く、山に登るなどの方法も
あるにはあります。
  

油壷湾もヨットハーバーに成っておりマリーナがあります。マリーナ沿いに小道を進んで
ください。遠い昔は崖ぷちを通り先端まで行ったものですが、今は途中で家がとおせんぼ
をしています。小さな公園の脇の小道を上ってください。
   

最後の苦しい上り坂を上り切ると大通りにでます。目の前が油壷のバス停です。
これから油壷を廻りますか、それとも引橋まで歩くとか、西海岸パートUとか、
さすがはタフですね...ではお疲れさまでした。またどこかでお会いしましょう!