ツアー登山における法律上の問題(安全配慮義務を中心として)
     
                                     弁護士 溝手康史
1、はじめに
(1)ツアー登山中の事故としては、
   谷川岳ガイド登山事故(昭和50年5月29日)
   八ヶ岳静岡文体協遭難事故(昭和53年4月29日)
   穂高岳ガイド登山事故(昭和63年11月4日)
   春の滝雪上散策ツアー事故(平成10年1月28日)
   羊蹄山ツアー登山事故(平成11年9月25日)
   十勝岳ツアー登山事故(平成14年6月9日)
    トムラウシ・ツアー登山事故(平成14年7月12日)
   屋久島沢登り事故(平成16年5月4日)
   唐松岳ガイド登山事故(平成18年3月15日)
   白馬岳ガイド登山事故(平成18年10月7日)
   大雪山ツアー登山事故(平成21年7月16日)
などがあげられる。
 これらの事故の概要は以下の通りである。

谷川岳ガイド登山事故

 昭和50年5月29日に谷川岳一ノ倉沢でガイドとともに岩登りを終えて、アイゼンなどのデポ地点に戻り、ロープをはずした直後に、客の1人(52歳、女性)が滑落して死亡した。
 業務上過失致死事件として送検されたが、起訴されなかった(「山で死なないために」99頁、武田文男、朝日新聞社)。

八ヶ岳静岡文体協遭難事故

 昭和53年4月29日に、静岡県社会人体育文化協会の職員1名が一般公募した30名の参加者を引率して、横岳付近の岩稜をトラバース中に27歳の女性が滑落して死亡した。その女性はアイゼンを着用しておらず、引率者からそのような指示もなかった。
 民事裁判で静岡県社会人体育文化協会及び引率した職員が損害賠償を命じられた(静岡地方裁判所昭和58年12月9日判決、判例時報1099号)。

穂高岳ガイド登山事故
 昭和63年11月4日、ガイドとともに初心者2人の客が、涸沢ー前穂高岳北尾根5・6のコルー奥穂高岳を縦走中に、膝までの新雪のために時間がかかり、予定を変更して吊尾根の途中から涸沢に下降した。下降中に雪崩に遭い2人の客(29歳男性、40歳女性)が死亡したが、この下降ルートは一般的なルートではなくガイドは初めて下降するルートだった(「リーダーは何をしていたか」268頁、本多勝一、朝日新聞社)。

春の滝雪上散策ツアー事故
 平成10年1月28日、ニセコアンヌプリ山付近の通称春の滝付近で、スノーシューによるツアー中、沢筋で(傾斜30度を超える谷の下部)休憩していた時に雪崩が発生し、1名が死亡し、1名が負傷した。2名のガイドは登山、スノボード、スノーシューイングのガイド業を行っており、当初予定していたコースは被害者らが行ったことがあり、他のコースに変更したが、そこは、雪崩危険区域に指定され、30〜40センチの降雪の直後であり、事故当時、大雪、雪崩注意報が出ていた。
 刑事裁判で、業務上過失致死傷でガイド2名のいずれも禁錮8月執行猶予3年の判決だった。(札幌地方裁判所小樽支部平成12年3月21日判決、判例時報1727号)。 山岳保険に加入していた
 
羊蹄山登山ツァー事故
 平成11年9月25日に、北海道の羊蹄山(1898m)で旅行会社が募集したツアー登山に参加した55歳〜71歳の14人の客のうち2名(64歳、59歳)が凍死した事故。事故当日は台風の通過直後で、暴風・大雨・洪水警報が出ていた。添乗員(49歳、無雪期の縦走経験のみ)1名が引率し、3合目、5合目、8合目で各1名が脱落し、8合目で集団が離れ離れになり、その後死亡した2名が遅れた。添乗員はその2名を待つことなく登頂し、下山して始めて2名が下山していないことに気づいた。当時、山頂付近は、風速15m、視界は10〜30mであり、2名は道に迷って山頂付近でビバークし、凍死した。
 旅行会社の部長は不起訴、添乗員は、刑事裁判(業務上過失致死罪)で、禁錮2年執行猶予3年の判決(札幌地方裁判所平成16年3月17日判決)。民事裁判では 旅行会社が遺族に損害賠償を支払うことで和解した。

十勝岳ツアー登山事故
 平成14年6月9日、十勝岳(2077m)で旅行会社が募集したツアー登山(客18名、ガイド1名、添乗員1名)で、出発時は曇りだったがまもなく強風と雨、その後はみぞれから吹雪に変わったらしい。当日、避難小屋で朝食休憩後、激しい風雨の中で山頂を目指したが、午前9時40分ごろ、山頂近くの標高1921メートル地点で65歳の男性客が倒れ、呼吸停止となり、死亡した。男性は雨具をバスに残し、ベストの上に薄手のウインドブレーカーで、下半身はずぶぬれだったようである。
 平成15年10月8日、富良野警察署が送検を決めたと報道されたが、その後、不起訴処分となった。

トムラウシ・ガイド登山事故
 平成14年7月11日、トムラウシ(2141m)で、台風が接近中、ガイド1名、客7名というガイド登山で、山頂付近で58歳の女性が動けなくなった。ガイドが午前4時30分頃まで付き添ったが、その後ガイドは避難小屋に向かい、その女性は死亡した(「ドキュメント気象遭難」94頁、羽根多治、山と渓谷社)。
 刑事裁判でガイドは禁錮8月、執行猶予3年の判決を受けた(旭川地方裁判所平成16年10月5日判決)。

屋久島沢登り事故
 平成16年5月4日、屋久島でガイドとともに沢登り中、寒冷前線が通過し、激しい雨の中を下山するために渡渉をしようとし、その途中で客の1人が流され意識不明になった。その客が意識を回復した後、もう一度渡渉を試みたところ客が流され、3人が死亡し1人が重傷を負った。賠償責任保険に未加入。
 刑事裁判でガイドは禁錮3年、執行猶予5年の判決を受けた(鹿児島地方裁判所平成18年7月11日判決)。

唐松岳ガイド登山事故
 平成18年3月15日、ガイド登山で八方尾根から唐松岳に登頂し、下山途中で風雪のためにルートを見失い、雪洞を掘ってビバーク中にガイドが死亡した。

白馬岳ガイド登山事故
 平成18年10月7日、祖母谷温泉から白馬岳をめざしたガイド登山(ガイド2名、客5名)で、冬型の気圧配置となり風雪のために山頂小屋の近くで客4人(53歳、61歳、66歳、61歳)が死亡した。

(2)一般に、ツアー登山とは、ガイドもしくは添乗員(以下、ツアーガイドという)が客を引率する形態の登山を指すが、これには、@山岳ガイドが客を引率する登山、Aツアー業者が主催し、ツアーガイドが多数の客を引率する登山、B自治体や山岳団体等が主催する公募型の登山などがある。一般に、ツアー登山という言葉は、Aをさす言葉として使われることが多いが、本稿でいうツアー登山は、上記@ないしBを含むガイド登山、業者主催のツアー登山、公募登山をさしている(これは、@ないしBの形態の登山の問題性をここで取り上げているからである)。
 前記の春の滝雪上散策ツアー事故、屋久島沢登り事故、トムラウシ・ツアー登山事故、白馬岳登山事故は@の形態であり、羊蹄山ツアー登山事故、十勝岳ツアー登山事故、大雪山ツアー登山事故はAの形態、八ヶ岳ツアー登山事故はBの形態の登山中の事故である。最近は、@とAの形態の登山事故が増えているが、@とAの違いは、Aの多くは旅行業法の適用のある旅行業者が主催するが、@は旅行業法の適用がないという点にある。ただし、@の場合でも、山岳ガイドが宿泊の手配をすれば、旅行業法の適用があり、Aの場合でも、宿泊や輸送の手配をしない場合には旅行業法の適用がない。
 なお、Bに属するツアー登山のうち、リーダーがガイドをするのではなく、あくまで登山の仲間を募り、登山の機会を分かち合うという形態の登山がある。例えば、平成15年11月26日に起きた房総半島・麻綿原高原で参加者27人のハイキングにおける「遭難騒ぎ」のパーティーなどがこれにあたる(「ドキュメント道迷い遭難」164頁、羽根田治、山と渓谷社)。法律的には、これはリーダーがガイドの地位に立つものではなく、仲間同士の登山におけるリーダーと同じ扱いになるので、ここでは扱わない(「岳人」2006年7月号172頁参照)。
 本来、ガイド登山は、登山の技術や経験を有する山岳ガイドが数名程度の客を連れて登山をするという形態が想定されていた。しかし、中高年を中心とする登山者の数が増加したこと、登山の商品化傾向が強まり、旅行会社などがこの業界に参入したこと、日本の山岳のほとんどが山頂まで歩いて登れるという特殊性があることから、登山が旅行の形態で行われるようになり、ツアーガイドが多数の客を引率するツアー登山という日本特有の登山形態が生まれた。
 ところで、ツアー登山ではしばしば添乗員という肩書の旅行会社の職員が客を引率し、添乗員はガイドではない」との主張がなされるので、添乗員の法的性格が問題となる。
 契約の実態、登山の形態からすれば、添乗員は客を案内することが契約内容になっていると考えられるから、案内する者という意味では添乗員もガイドの一種である。また、サブガイドという、ガイドなのか、ガイドでないのか曖昧な補助者が付くことがあるが、ガイドでないとしても法律的にはガイドの履行補助者になるので、ガイドに含めて考えることになる。本稿では、山岳ガイド、サブガイド、添乗員、ツアーコンダクター等ツアー登山を案内する者をツアーガイドと総称している。
 ツアーガイドの注意義務の内容は具体的な状況に応じて異なるので、添乗員の注意義務として山岳ガイドと同等レベルのものを要求できないことは当然であり、例えば、危険な場所ではロープで客を確保すべき義務を添乗員に要求することはできない。ただし、今までの裁判で問題となっているツアーガイドの注意義務は、ツアーガイドとしての基本的なレベルの注意義務であり、高度な登山経験、技術、知識を必要とする注意義務が問題となっているわけではない。そういう意味では、ここではツアーガイドに共通する問題を扱っている。

(3)このようなツアー登山は、少数のツアーガイドが多数の客を連れて登山を行うこと、ツアー登山の参加者の中には登山の初心者が多く含まれていること、引率するツアーガイドの登山経験や技術が必ずしも十分ではないケースがあること、営利目的で行われる場合には、ツアーの内容や行動、ガイドの数などが営利的な観点から決められることが多く、営利優先のために安全対策が軽視される傾向があることなどの事情から、遭難事故につながる危険性がある。
 八ヶ岳ツアー登山事故、羊蹄山ツアー登山事故、十勝岳ツアー登山事故、トムラウシ・ツアー登山事故は、いずれも多数の参加者を少数のツアーガイドが引率しており、引率者が初心者の安全管理ができる体制にはなかった。また、引率者のガイドとしての能力に関して明らかに問題があったケースもある。
 大雪山ツアー登山事故(平成21年7月16日)は、15人の客に3人のガイドがつき、経験のあるガイドもいたが、ツアー登山という形態が、ガイドの判断ミスの影響をより大きな事態に至らせてしまったといえる。
 今後、営利的ツアー登山は増加すると考えられるので、安全な登山を実現するうえで、軽視できない問題がある。そこで、以下では、営利的ツアー登山に関する問題について、法的問題を中心に検討したい。

2、ツアー登山における法律関係
 ツアー登山において、ツアーガイドと参加者の間に存在する法律関係は契約に基づくものである。旅行会社が募集したツアー登山であれば、旅行会社と客の間に旅行契約が存在し、ツアーガイドは旅行契約の履行補助者と考えられる。旅行契約は、準委任契約類似の契約か請負契約か争いがあるが、準委任契約類似の契約と考えるべきである。ツアーガイドは、旅行契約に基づいて客を案内し、客の安全に配慮する義務を負う。安全配慮義務は当初契約関係を前提とする債務不履行責任において問題とされるが、現在では、契約関係がない場合にまで拡大して認められている。安全配慮義務は、支配、指示、使用関係などの特別な関係が存在する場合に認められる注意義務である。
 ツアーガイドに過失がある場合には、ツアー業者は使用者責任(民法715条)または債務不履行責任(民法415条)を負い、ツアーガイドと連帯して損害賠償責任を負う。国や公共団体がツアー登山の主催者の場合には公共団体等は国家賠償法に基づく損害賠償責任を負い、この場合にはツアーガイドは損害賠償責任はなく、ツアーガイドに故意または重大な過失がある場合にのみ公共団体等はツアーガイドに対し求償できる(国家賠償法1条)。
 ツアー登山においては、客相互の間には何ら法律関係がないので、客相互間で、互いに援助したり、事故の場合に通報する義務はない。通常の登山パーティーにおいて遭難事故があった場合に、参加者が関係機関に通報せず、放置すれば、保護責任者遺棄罪等に問われたり、損害賠償責任が問題となるが、ツアー登山ではツアーガイドを除く参加者にそのような責任は生じないのはこのためである。 
 これに対し、ツアー登山以外の通常の登山パーティーにおいては、パーティーを編成するという行為に基づいて参加者が互いに安全に行動するために援助、協力、補助する義務を負う。この義務は努力義務と呼ぶべきものであって強制できるような性格のものではないが、通常の登山パーティーでは、リーダーを含めた参加者が協力し合うことによって、参加者の安全面を補完することが期待できるのであり、いわばパーティーの安全性が集団的に担保される面がある。登山パーティーにおけるこのような機能を集団的安全チェック機能と呼ぶことができる(「岳人」2004年3月号181頁参照)。登山パーティーを編成する主な意味は、参加者が互いに協力することにより登山能力が増すこと、及び、集団的安全チェック機能により安全性を高める点にあると考えられる。
 ツアー登山においては、集団的安全チェック機能が働かないので、ツアーガイドはすべての参加者の安全面に配慮しなければならず、ツアーガイドの負担は極めて重い。この点から、ツアー登山においてはツアーガイドが引率できる参加者の数にはおのずから限界がある。引率者が引率できる参加者の数は、登山の内容、危険性の程度、参加者のレベル等によって規定され、一義的に定めることはできない。もっとも、ツアー登山において集団的安全チェック機能が皆無かというとそうではなく、実際には、ツアー登山の客相互間で多少の援助協力関係が存在することが多いと思われるが、それは単に事実上の人間関係でしかなく、また、常にそれが期待できるというわけではない。したがって、例えば、リーダー1名、参加者10名のグループであっても、それが登山パーティーであるか、ツアー登山のグループであるかによって、そのパーティーの安全面に大きな違いが生じる。たとえツアー登山以外のパーティーであっても、リーダー以外の参加者がすべて初心者であるとか、リーダー自身が初心者であるようなパーティーでは、集団的安全チェック機能はほとんど働かない。
 
3、ツアーガイドの注意義務
 ツアー登山における引率者と参加者の法律関係は契約によって規律されるが、安全面に関しては契約内容が曖昧なことが多い。ツアー登山におけるツアーガイドの注意義務は、契約内容、登山の内容、危険性の程度、登山の時期、参加者の数、登山経験などによって定まる。
 一般に、ツアー登山におけるツアーガイドの注意義務としては以下のようなものが考えられる。
@登山コースを案内する義務
A宿泊を伴う登山の場合には宿泊場所を手配し、確保する義務
B参加者が登山中に安全に行動できるように配慮し、アドバイスする義務
C登山の途中で参加者にトラブルがあれば援助、補助する義務
D事故が発生した場合には救助のための連絡等を行う義務
E遭難者を救助することが容易な場合には救助する義務
 等
 かかる注意義務は具体的な状況に応じて態様が異なる(「岳人」2004年7月号172頁参照)。ここでは、羊蹄山ツアー登山事故を取り上げて具体的に検討したい。
 この事故は、平成11年9月25日に、北海道の羊蹄山(1898m)で実施された登山ツァーで2名が死亡したというものである。この登山ツアーは55歳〜71歳の16名及び添乗員1名で構成され、添乗員は1名(49歳)であり、無雪期の縦走経験しかなく、山岳ガイドの資格を持たなかった。台風の通過直後で、強風があり、暴風警報、大雨、洪水警報が出ていたが、登山口では雨がやんだために添乗員は登山を決定した。16名の客のうち14名が登山に参加し、3合目、5合目、8合目で各1名が脱落し、8合目で集団が離れ離れになり、その後死亡した2名が遅れたが、添乗員は遅れた2名を待つことなく、出発し、添乗員を含む2名が登頂し、他の5名が遅れて登頂したが、遅れた2名は、道に迷っていた。山頂付近は風速15m、視界は10〜30mだった。添乗員はそのまま下山したが、死亡した2名を含む3名が行方不明となり、3名が山頂付近でビバークしたが、2名(64歳、59歳)が凍死した。
 この事故の刑事裁判は、ツァー会社の部長は不起訴、添乗員は禁錮2年執行猶予3年の判決だった。民事裁判では、ツァー会社が7150万円を支払うことで和解が成立した。
 羊蹄山登山当日は、台風の通過直後であり山頂付近は悪天候の可能性はあったが、登山口付近では雨がやんでいたので、この時点でツアーガイドに登山を中止すべき注意義務を課すことはできない。また、登山を中止すべきかどうかという点が、遭難と直接の因果関係を持っているわけではない。
 9合目付近で2名が遅れたが、ツアーガイドはその2名を放置して登山を継続した。客を案内することはツアーガイドの基本的な職務であるが、これを怠った点が直ちにツアーガイドの過失となるものではない。天候が良ければ、体力、経験がある客は、ガイドが多少放置しても自力で登頂でき遭難などしないからである。
 しかし、当時の羊蹄山山頂付近の気象状況は、風速毎秒15メートル、気温3度、視界は10〜30メートル、山頂付近は登山道が錯綜し、地形的にも迷いやすいこと、客が集団から離れてしまうと迷う危険性があること、集団のペースについて来れなかった2名の客が体力、登山経験等に劣ることが明かだったことから、ガイドはその後の予見を予見することができた。本来、ガイドにはその後の事態を予見する義務があるというべきであって、予見義務違反こそがガイドの過失のようにも考えられるが、裁判実務では、結果回避義務違反を過失ととらえることが多い。
 ツアーガイドはその後の事態を予見可能だったので、パーティーが分散しないように注意し、仮に、パーティーから遅れる者がいれば、その者を待ち、集団から離脱する者がいないようにしてパーティーを統率する義務があった。ツアーガイドの法律上の注意義務としては、客がパーティーから離脱することがないように注意し、仮に、離脱する者がいればその者を待って、客がルートに迷うことがないように配慮する義務があった。ツアーガイドがこの義務を尽くしていれば、2名が道に迷い遭難することはなかったから、この義務が遭難と直接の因果関係をもつ結果回避義務である。このようなツアーガイドの義務は、あくまで、事故当日の気象状況や参加者の状況という具体的な状況のもとで生じる注意義務である。

4、ツアーガイドの専門家責任
(1)、一般に民事上の損害賠償責任に関する注意義務は、行為者の能力を基準にせず平均的な人の能力を基準に判断するとされるが(その意味で抽象的過失と呼ばれることがある)、ツアーガイドの場合には平均的なツアーガイドの能力を基準に判断することになる。
 ところが、日本ではツアーガイドの種類が余りにも多様でガイドの個人差が大きく、ツアーガイドの一般的レベルを考えにくいという実態がある。日本ではツアーガイドの資格は従来からバラバラだったが、それが最近組織的に統合されたものの、従来から存在するガイドの資格を統合しただけなので、ガイドのレベルが均一化されたわけではない。夏山の縦走経験が多少ある旅行会社の添乗員と、経験豊富なプロの山岳ガイドではその技術、経験の違いは余りにも大きいが、これら玉石混淆のツアーガイドが同じ山域で同じ業務についているのが日本の実情である。
 一般的にいえば対象となっている山のレベルと参加する客のレベルに応じてツアーガイドに要求される注意義務の内容が定まる。転落の危険性のある岩稜では歩行の頼りない客についてはツアーガイドはロープを用いて確保する義務があるが、確保技術のない添乗員ではロープを使用した客の安全確保を期待できない。しかし、このようなルートでは添乗員には一定の確保技術や救助技術が要求されるのであって、添乗員のレベルに応じて客に登山能力が要求されるのではない。夏でも高山では悪天候に見舞われれば、体感温度が0度近くになるから、そのような場合に対応できる能力がツアーガイドには要求される。したがって、高山でのツアーガイドには冬山経験もしくは悪天候の中での対処方法を訓練した経験などが要求される。同じく、登山中に日が暮れたり、ビバークすることがありうるので、夜間登山の経験やビバークの経験等も必要となる。
 ツアーガイドにはそのルートに応じた技術、経験が要求され、それは救助技術、危急時の対応や判断力、多数の客を統率する能力までを含めた総合的なガイドとしての能力である。
(2)、日本の山岳には、ほとんどの山に山頂までの登山道があるので、天候等の条件さえよければ登山技術がなくても登頂できるという特殊な性格がある。このことから、ガイドに登山技術がなくても、条件さえよければ客を案内できることになり、旅行会社の社員が簡単に添乗員として登山のガイドをするという事態が生まれている。しかし、このような登山でも、ひとたび天候が荒れれば、冬山に変貌することがあるし、事故の場合の救助にはロープワークなどの登山技術が欠かせない。
  したがって、事故さえなければガイドに登山技術は不要だが、事故があればガイドに冬山経験、登山技術、救助技術などが要求されることになる。ガイドの法的責任は事故の場合に問題となるので、結論的には、ガイドにはそれなりの登山経験や技術が要求されることになる。
(3)、ツアーガイドと客の技術、経験の差が大きい場合、しばしば客はガイドの指示通りに行動することになる。例えば、沢登りのガイド登山の場合、ガイドがロープを出すという判断をしなければ、初心者である客はその箇所でロープが必要かどうかの判断ができない。その滝を直登できるか、高巻きできるか、高巻にロープが必要か、安全に懸垂下降できるかなどすべてガイドの判断に委ねられることが多い。ガイドが「それほど危険ではない」と考えても、客にとっては十分に危険なことがあり、そのような判断はすべてガイドに委ねられる。初心者が危険性の高いツアー登山に参加する場合には、ツアーガイドの専門家としての責任は極めて重い。他方で、かなり経験のある客がツアー登山に参加する場合には、ある程度は客自身による危険性の回避が期待できる。

5、ツアー登山における自己責任の範囲

 いかなる登山でも一定の危険性があり、登山に参加することはそのような危険を了解していることを意味する。道路を歩く歩行者は、自動車の通行による危険を承認したうえで歩行するわけではないから、原則として歩行者に危険性の承認はありえない。しかし、歩行者といえども、横断歩道以外の場所で車道を横断すれば一定の危険性を承認しているとみなされる。
 日本の裁判所は危険の承認を違法性阻却事由として扱わない傾向があり、危険の承認は注意義務違反を判断する諸事情の1つとして考慮することになるが、山岳地帯は本質的に危険であるにもかかわらず、自分の意思で敢えて行うのが登山であるから、危険の承認の有無は注意義務違反を判断する重要な事情と考えるべきである(「岳人」2006年9月号172頁参照)。
 もっとも、ツアー登山においては、契約に基づいてツアーガイドが案内することが前提となっているので、参加者の危険の承認はあくまでツアーガイドの安全配慮義務を前提としたものとなる。そこでは、ガイドが一般的なレベルの能力、技術、経験を有し、ガイドとしての一般的なレベルの安全配慮義務を尽くすことを前提としたうえで、それでも通常予想される程度の危険は参加者が承認しているとみなされる。
 例えば、冬に北アルプスの登山を行うのであれば、参加者は冬山の寒気や危険を承認して参加したものとみなされる。冬山など自然の持つ危険性は、ガイドがついていてもいなくても変わりはないからである。したがって、通常程度の冬山の風雪の中で疲労と寒さのために体力を消耗し、悪天候による停滞中に疲労凍死したとしても自己責任である。また、天候が悪化したために、荒れ狂う風雪の中を下山中に動けなくなり、凍死しても自己責任とされる場合が多いだろう。もっとも、このような事態をガイドが容易に予見できるだけの事情があり、容易に回避できるような状況があれば、ガイドが予見義務違反、結果回避義務違反の責任を問われることがある。
 では、風雪が強い中で冬山経験の豊富な客が敢えて登頂することを望み、山頂アタックを試みたが、予想以上の悪天候のために遭難した場合、風雪が強い中で敢えて山頂アタックを試みたガイドに法的責任が生じるだろうか。
 「ガイドは客の安全を守る義務がある」という点を形式的に理解すれば、「現実に天候が悪い中で行動をし、そのために遭難したのだから、遭難を予見することは可能であり、ガイドには登山を中止すべき注意義務があった」と結論づけることは容易だろう。しかし、ここで重要な点は、一定の程度の危険を承認したうえで客が行動を選択した点である。現実には、悪天候は予想以上であり、そのために遭難したのであるが、山岳という自然の持つ危険性を予め正確に予測することは不可能であり、ある程度の冬山経験のある客が悪天候の中で行動することを敢えて選択したことは危険の承認といえる。ただし、ガイドが行動中に遭難の危険を容易に予見できたとすれば、ガイドは途中で登山を中止して下山すべき注意義務を負う。この場合、悪天候の中で登山を決行したことがガイドの過失になるのではなく、遭難の危険を容易に予見できたのに、途中で登山を中止しなかったことが過失となる。
 他方、冬山登山の参加者が初心者であるような場合には、客が「どうしても登りたい」と言っても、天候が悪ければガイドは登山を中止すべき注意義務を負う。この場合、初心者の客が「どうしても登りたい」と言ったとしても、登山の危険性を十分に判断できるだけの能力に欠けるので、公平の見地から危険の承認があったということはできない。
 前記の穂高岳ガイド登山事故では、新雪のラッセルに時間をとられ途中で時間が足りずビバークが避けられなくなったとしても、それは11月の北アルプスでは想定された事態であり、危険の承認の範囲内の行動である。したがって、仮に、ビバーク中に疲労凍死したとしてもガイドの責任を問うことはできない。しかし、時間不足のために予定を変更して雪崩の危険のあるルートを下降することによる危険は、11月の北アルプスの縦走登山では想定外のものである。したがって、この事故により客が遭難したことに危険の承認があったとはいえない。
 唐松岳ガイド登山事故については、悪天候のために下山ルートを見失い、ビバークすることは冬山登山で予想される危険の範囲内のことであり(出発時に、下山ルートを見失う危険を予見することが可能だった場合は別であるが)、ガイドに法的責任は生じないだろう(この事故では死亡したのがガイドなので法的紛争になりにくい)。
 他方、前記の谷川岳ガイド登山事故は残雪期の岩登りであるから、滑落の危険性があることは客も想定しているといえる。ただし、ガイドが滑落することが予見できるような場所でロープをはずすように指示したとすれば、ガイドの安全配慮義務違反が問われることになるが、この事故の具体的状況が不明なので何とも言えない。
 一般的には、悪天候であれば、当然にガイドに登山を中止すべき注意義務を負うというものではない。客にそれなりの体力や技術があれば、少々の悪天候でも登山を安全に実施できないわけではないし(現実に、羊蹄山ツアー登山、十勝岳ツアー登山事故、トムラウシ・ツアー登山事故、白馬岳登山事故でも、遭難することなく行動できた客がいる)、客に悪天候による危険性の承認があれば客の自己責任になるからである。しかし、一般にツアー登山では客はガイドにとって初対面であることが多く、ガイドが客の体力や技術を正確に判断することが難しいことが多いので、ガイドは客にそれほど体力や技術がないことを前提としたうえで行動を考えなくてはならない。少々の悪天候でも行動をすることが許されるのは、ガイドがそれまでに客と行動を共にしたことがあり、客の力量を正確に把握でき、登山の形態や状況から客が登山の危険性を十分に理解し、判断しているとみなすことができる場合に限られる。その場合でも、万一、ガイドの予想に反して客が悪天候に耐えることができず遭難に至ればガイドの判断が的確だったかどうかが法的に問題となるので、ガイドとしては敢えてこのようなリスクを犯さない方が賢明である。
 前記の羊蹄山ツアー登山事故の場合で言えば、台風の通過直後であり、登山当日は悪天候が予想され、出発前に2人の客は登山を断念した。他の客は参加することにしたのだが、参加者はある程度の悪天候を予想していたと言え、その限りでは出発時点では一定の危険を承認していたとみなされる。しかし、9合目付近で風速毎秒15メートルくらいあり、パーティーが崩壊状態となったのであるから、そのままでは安全に客をガイドできないことをツアーガイドは予見できたはずである。この時点で、登山を続行するか、あるいは、どのように行動すべきかはツアーガイドの判断によって決定されるべきことであり、客には選択すべき能力もそれだけの状況にもなかった。そのまま登山を続行したことは極めて危険なことであったが、それを客が自ら決定したとして危険の承認があったと言うことはできない。
 要するに、羊蹄山ツアー登山事故の場合には、死亡した客は出発時における悪天候による一定の危険を承認していたが、9合目付近ではガイドに全面的に頼るしかなく、山頂付近での客の行動は自己決定に基づく危険の承認があったとはいえない。
 なお、このケースではガイドに安全配慮義務違反があるのだが、現実には、客が出発時において予想される悪天候による登山の危険を認識していたとは思えないフシがある。余りにも安易に旅行会社主催のツアー登山に参加する傾向が問題とされている(これはガイドの責任とは全く別の問題である)。地図、磁石、雨具、ヘッドランプ、非常食等を持たないツアー登山参加者は参加する資格がないのだが、添乗員が大の大人を相手に所持品検査はできず、、せいぜい、「雨具、ヘッドランプをちゃんと持っていますね?」と言うくらいのことしかできないのが現実でだろう。天候のよいときであれば添乗員でも安全にガイドできるかもしれないが、悪天候や降雪があった時に、添乗員にそのような登山の経験がなければ十分に対応できないし、あるいは、客が崖から転落しかかったような場合に添乗員が適切に救助できる技術を持っているとは思えない。添乗員によるツアー登山の場合、そのような危険を了解したうえで参加するという自覚が必要である。仮にガイドに安全配慮義務違反の責任が生じたとしても、失われた自分の命は戻ってこないのであり、登山者には、「いざとなれば、自分の命は自分で守る」という自覚が必要である。
 羊蹄山ツアー登山事故、十勝岳ツアー登山事故、トムラウシ・ツアー登山事故は、いずれも、ガイドが、客の体力やルートファインデイング能力を見誤ったことが遭難に繋がっている。「この程度であれば、この客はついてこれるはずだ」とか、「この客はまだ歩けるはず」とガイドは考えたのだが、それに反して客の状態はもっと悪かった。ガイドはその客とほとんど初対面であるにもかかわらず、なぜ、そこまで客の能力を過信することができたのだろうか。恐らく、トムラウシ・ツアー登山事故の場合には、「できれば、他の客を登らせてやりたい」などのガイドの心理が働いたのではないかと思われる。羊蹄山ツアー登山事故の場合には、最初に登頂したのは添乗員と客1人だったという状況からすれば、この添乗員自身が個人的にどうしても登頂したかったのではないかと思われるフシがある。
 ガイドは、客の能力を冷静に観察し、判断に迷えば、客の登山能力を低めに見積もって判断すべきである。
 ガイドが下山を決定したにも関わらず、客がそれを無視して登山を続行する場合は、その後の客の自己責任に属する。あるいは、ガイドが雨具を付けるように客に指示したにも関わらず、雨具を着用しない場合には、それは客の自己責任に基づく行動である。
 ガイドと客が冬の岩壁登攀をするようなガイド登山とか、ヒマラヤの高峰のガイド登山など極めて危険性の高い登山では、ガイドが客の安全を確保することが困難なことが多いので、客の自己責任の範囲が広くなる。

6、免責条項の効力(「岳人」2006年10月号172頁参照)
 消費者契約法8条は包括的免責条項を無効としている。羊蹄山ツァー登山事故では「会社は一切事故の責任を負いません」という条項があったが、これは無効である。また、故意または重大な過失に基づく行為については、責任の一部を免除する条項も無効である。
 ツアー登山においては、契約書に「主宰者は一切の責任を負わない」という条項を入れているケースが多いが無意味である。それよりも、登山の危険性について詳しく説明をし、参加者の危険性に対する自覚を促すことの方が意味がある。

7、ツアー登山における危険性の説明義務
 一般に、旅行業者は客に対し、サービスの内容を説明する義務があり(旅行業法12条の4)、契約内容に関して必要な情報を提供するように務める義務がある(消費者契約法3条)。また、旅行業者やツアーガイドは客に対し、契約上の信義則に照らして、客がツアー登山に参加するかどうかを決定するうえで必要な情報を提供する義務がある。したがって、旅行業者やツアーガイドは客に対し、登山の危険性に関する情報を提供する義務がある。
 羊蹄山ツァー登山では、秋の北海道の2000メートル近い山に関する危険性についての情報の提供が十分ではなかったようである(ツアーガイド自身がこの点を十分に認識していなかったようである)。
 説明義務違反が慰藉料請求の対象となる場合があるが、契約の重要な事項に関して虚偽の説明がなされた場合には契約の取消が可能である(消費者契約法4条)。
 また、予め客に登山の危険性を説明することが客の危険の承認の内容となり、ツアーガイドの注意義務の内容に影響する。例えば、パンフレット等で事前に、登山では下山が遅れる可能性があること、下山が遅れればヘッドランプが必要となること、ヘッドランプなしに行動することが危険であることを説明しておくことが必要である。そして、このような事前説明をしておけば、客の歩くペースが遅いために下山の途中で日が暮れて、ヘッドランプを持参しなかった客が転倒して怪我をしても、ツアーガイドに特段の不注意がない限り、客の自己責任とされることが多いだろう。この場合、客が小学生でない限り、ツアーガイドが出発前に客がヘッドランプを持参したかどうかの所持品検査をする義務はない。

8、ツアー登山における問題点等

(1)ツアー登山などの引率登山と自主登山はまったく異なる形態の登山である。
 両者では自ずから登り型が異なってくる。自主登山では、通常、5月の北アルプスに冬用ヤッケを持っていかず、カッパのみ持参し、シュラフは3シーズン用を使用し、冬にテントを持参せず常にツェルト使用する登山者がいる。しかし、ツアー登山やガイド登山でこれを行えば、装備不足となり、それが原因で事故が起きれば、損害賠償責任が生じる。
 仲間同士の登山では、悪天候でも登山を中止しないことは多く、台風が来ることがわかっていながら剣沢で幕営したことがある。テント2張りのうち1つはテントがつぶれ、ポールが曲がり、フライシートなどが千切れた。シュラフカバーに水が溜まった状態で一晩を過ごし(通常、夏にはシュラフを持っていかない)、翌日は八ツ峰、チンネの登攀に向かったが、三の窓でもずぶ濡れ状態でツェルトとシュラフカバーで震えながら一晩過ごした。それでも、翌日はちゃんとチンネに登った。また、夜、雨の中を三の窓から剣沢までの岩稜を歩き、夜の10時にベースに帰着したこともある。これがツアー登山であればこのような登山はありえない。
 もともと、登山には冒険的要素があり、冒険的要素のない登山は登山ではないとも言えるが、ツアー登山には冒険はあってはならない。そういう意味で、引率登山は面白みのない、つまらない登山になるが、それは仕方がない。ヨーロッパアルプスでの現地ガイドの行う登山の話を聞くと、「面白くも何ともない登山だった」という感想をよく聞くが、日本人ガイドの場合はサービス精神が旺盛で、客の満足度がけっこう高いようである。ヨーロッパのガイド登山では、「ガイドが高圧的」、「冷たい」、「命令口調」、「やたらと急がせる」、「すぐに登山を中止する」という感想をよく聞く。
 マッターホルンで日本人ガイド2名が6人の客と1本のロープで登ったケースで、現地ガイドから轟々たる非難を浴びたという記事を読んだことがあるが、これで事故が起これば法的責任が生じることは明かである。
 日本のガイドが客に満足させようとすればそれだけ危険を冒しているのではないかと思われるが、客へのサービスよりも安全性の方を優先させなければならない。

(2)日本におけるツアーガイドの地位

 ツアーガイドの権限と義務は一体のものであり(「岳人」2004年9月号172頁参照)、ツアーガイドが重い安全配慮義務を負うということは、他方で、ツアーガイドには客に対する指示命令権があることを意味する。ツアーガイドは客がガイドの指示に従わなければ、叱りとばしたり、客に下山を命じることができるはずのが、果たして日本の添乗員にそのようなことができるだろうか。そんなことをすれば、その添乗員は後で会社の上司から叱責されたり、最悪の場合には解雇までされかねない。日本の労働法制等における労働者の地位が保護されていないという問題(例えば、日本の企業は簡単に労働者を転勤、リストラ、昇進差別をしているが、これを訴訟で争うにしても、法律扶助制度等が不十分な日本では庶民が弁護士に依頼すること自体が容易ではない)も関係しており、地位が保障されていないツアーガイドは客に迎合的な態度をとったり、客の世話係兼案内係というのが実情だろう。
 ツアーガイドの地位を保障するためには資格を国家資格とし、資格取得要件を厳しくすることによって、その資格が何らかの付加価値を持つようになり、ガイド組合等が一定の力を持てば、ツアーガイドという職種が売手市場を形成し、その待遇が改善されるはずである。
 また、平成16年6月に旅行業ツアー登山協議会が「ツアー登山運行ガイドライン」を制定したが、このような業界の自主規制では実効性がない。ツアー登山が営利優先で実施されることの弊害がしばしば指摘されるが、営利企業であるということと、「利益を追い求めない」ということは矛盾しているので、企業の自主規制には限界がある。そこで、営利優先の弊害を規制するために行政の政策が必要となる。金融庁が「貸金業に関するガイドライン」を制定し、これに違反すれば貸金業者を行政処分しているように、実効性のあるガイドラインを国が制定することが必要である。長い目で考えれば、このような国の政策によってツアー登山の質が向上し、健全な旅行業の発展に寄与するはずである。

(3)引率される者のレベルを把握することの重要性とその難しさ

 ツアーガイドの安全配慮義務の前提として、客の体力や技術、経験のレベルが重要であるが、ツアーガイドがこれを把握することは容易ではない。特に、旅行会社主催のツアー登山の場合には参加者する者と初対面のことが多いので、この点が問題となる。
ツアーガイドとしては、客の体力や技術、経験のレベルが低いものと想定して対応することが必要となる。

(4)引率者の登山能力と事故を防止する能力
 日本のツアーガイドは、添乗員は旅行会社の一社員でありガイドとしてのレベルの保証がなく、山岳ガイドも従来は資格が統一されていなかった。現在、山岳ガイドの資格が統一されたとはいえ、ヨーロッパ山岳ガイドに較べれば資格付与は雑である(「岳人」2005年10月号83頁参照)。従来から、日本ではそれなりの登山の実績があれば簡単に山岳ガイドの資格を与えてきたが、登山の能力とガイドの能力は別のものである。
 登山に関する能力としては、@登攀能力、A体力、B危険を察知し事故を防止する能力、C他人を登らせるために指導できる能力、D他人の判然に配慮できる能力、E救助能力等があるが、自分が登るための能力と、他人を安全に登らせるための能力は別のものである。自分が登るための能力がどんなにあっても、客の安全を守れるとは限らない。また、救助技術は特別の訓練をしなければ、どんなに高度な登山を実践しても絶対に身につかない。客の安全を守るためには、自分に関わる登山能力(これは当然必要である)とは別に、ガイドとしての経験や技術が必要となる。プロの登山家とプロのガイドは異なる。
 ところで、誰でも、自分のことはよく理解できても(それすら自分で認識できないことも多いが)、他人の技術、経験、心理、考え方、感情などはわからないものであり、他人がどんな時にミスを犯すかを判断することは容易ではない。客の安全を守るために必要なノウハウは、仲間同士の登山でも初心者がいればある程度経験で身につけることができるが、互いに力のある者同士のパーティーでは絶対に身につかないだろう。これを身につける訓練としてはガイドとしての修養がもっとも確実であり、一人前のガイドになるためにはガイドの補助者として何年間か経験を積むことが必要である。客の経験や技術、体力の程度を素早く見抜く訓練、客がどのような場所でどのような時にどのような勘違いやミスを犯しやすいか、客の状態の応じて客に要求できることと要求できないことを見分ける能力等は、ガイドとしての経験によって身につくものである。
 医師は、医師免許を取ればすぐに手術ができるというものではないし、裁判官は10年間は判事補であって単独で裁判を担当できないし(ただし、現在は便宜的に5年間判事補をすれば単独で裁判ができる運用がなされている)、弁護士も資格をとっただけですぐには一人前に仕事はできない。どの職種においても、それなりの経験を積むことによって一人前に仕事ができるようになるのである。

(5)自然を知ることは難しい。
 
「登山は危険である」という言葉は言い古されているが、この言葉の深い意味を理解すること自体がそれほど簡単なことではない。
 1つの山に何十回も登っても、毎回自然条件が異なり、次回に登る時に安全だということにはならない。自然の計り知れない脅威の前では、数十年程度の人間の登山経験で得られる経験はたかが知れている。それでも、同じ山に何十回も登っていれば、それが2、3回目の人よりはその山の自然条件をよく知っているということは言える。 
 ツアー登山の多くは引率するガイドがその山域について数回程度の経験しかないというケースがある。九州居住のガイドが北海道や信州で行ったツアー登山で起きた事故も多い。九州のガイドよりも、信州に居住し北アルプスのガイドを多くこなしている方がその山域に詳しいだろうが、現実には多くのガイドの仕事は東京や大阪などにいるガイドに依頼がなされ、現地に住んでいるからガイドの仕事が多いといういことではないようだ。問題はその山域での登山経験がどれだけ豊富かという点であり、それが多ければ多いほどより安全にガイドし易いだろう。
 旅行会社の添乗員の場合、企画を実施する前にその山を下見をする程度の経験しかなく、添乗員がその山域を知悉していることはおよそ期待できない。秋のツアー登山であっても、降雪の可能性があるが、その山に冬に登った経験を添乗員に期待することはできないだろう。したがって、不意に降雪があったような場合にどこが危険個所となるかという知識を添乗員に期待するのは無理である(冬山経験の乏しい添乗員が多いのではないかと思われる)。
 ヨーロッパーアルプスでは、日本から客を引率していく日本人ガイドよりも現地のガイドの方がよほどその山域に詳しい。日本から客を引率していく日本人ガイドは、フランスやスイスなどのガイドの国家資格を持っていないから、「フランスやスイスなどのガイドの資格がなければガイドできない」という法律に反するのではないかという意見が出るのは、単に、形式的な法律論だけではなく、「実際に日本から来たガイドが客を安全に案内できるのか」という実態を考慮したものでもある(むろん、日本人ガイドが現地ガイドの仕事を奪うという経済的な問題点もあるのだが)。

(6)人間はミスを犯す動物である。

 人間は必ずどこかでミスを犯すものであり、山岳事故は必ず起きる。これは、交通事故は絶対になくならないこと、「飛行機は二重、三重の安全対策があるから安全」と言われるが、それでも人為的な事故が起きること等を考えれば容易に理解できる。
 人工物はすべて人間が作ったものなのでその構造がわかっており、そのメカニズムを理解することが可能であるが、自然のメカニズムは完全には解明されていないので、予測不可能な部分が多い。それだけに登山においてはしばしば人間の予測が狂い、ガイドの判断ミスが生じる。人間自体が自然物なので、客の行動が予測に反することが多く、例えば、ガイドが客に体力が残っていると判断しても、実際には客が体力の限界だということがある。客自身がガイドに「もう体力の限界だ」と告げればわかりやすいが、客自身が「まだ、大丈夫 」と考えている場合も多い。ガイドがこの程度の箇所は誰でも簡単に通過できるはずだと思っていても、その客にとっては心理的な恐怖感から足がすくみ、転落してしまうケースがありえないわけではない。
 危険な登山では、ガイドも客も含めて、人間は必ずどこかでミスをする前提で考えておくことが肝要である。事故は人間の1つのミスで起こるよりも、むしろ、いくつものミスが複合的に重なって起こることが多いので、常に人間がミスを犯す可能性を想定しておくことによって事故の確率を減少させることができる。

(7)事故が起きる客観的要因と心理的要因

 山岳事故が起きるのはそれなりの要因があり、事故の客観的要因と心理的要因を分析することが非常に重要であり、今後の課題である。

(8)事故が法的紛争に至るメカニズム

 山岳事故によって法的紛争が生じるのではなく、人間が法的紛争を引き起こすのである。人間と人間の関係が法的紛争に至るメカニズムを解明することは、山岳事故に限らず、あらゆる紛争に関して重要な課題である。
 一般的には、事故前及び事故後の人間関係、事前の想定と結果のギャップの大きさ、謝罪や金銭賠償の有無等が法的紛争の顕在化に大きく関係する。事故後の被害者との対応が重要な所以である。

(9)損害保険への加入
 事故を防ぐために最大限の努力をすべきであるが、それでも人間はミスを犯すことが絶対にないわけではない。そして、運が悪ければそれが法的なミスとみなされ、損害賠償責任が生じる。その場合は潔く責任を認めて謝罪し、損害賠償責任保険で損害を補償するしかない。それも人間の運命の1つかもしれない。

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「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007年、定価1700円、電子書籍あり

                                

               
  
 「山岳事故の責任 登山の指針と紛争予防のために」、溝手康史、2015
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数90頁
        定価 1100円+税