日々是好日
↗ 文字をクリックすると、「日々是好日 総目次」にリンクします ↖
2020.04.17 伍和の里・南ア・座禅草(長野県) |
3月半ばの晴れた日に、南アルプスと座禅草(ざぜんそう)を探して、南信州・下伊那郡阿智村、伍和の里(ごかのさと)を訪ねた。この時季の伊那谷から見る南アルプスは、残雪に映えて殊更に美しい。南アルプスとは、仙丈ヶ岳から聖岳へとつづく赤石山脈の標高の高い峰々の連なりの愛称であるが、その南半分の主峰・赤石岳は前衛の山に隠れて伊那谷からその全容を見るのは難しい。伍和の里は数少ない赤石岳の雄姿を拝める展望地の一つである。春を呼ぶ座禅草は積雪をかき分けて現われる。今年は暖冬で、座禅草にとっては少々季節遅れであったが、”原の平”群生地では、僅かに残った幾株かが見つけられた。4月始め、サクラが咲き揃った。3月後半から4月半ばにかけて寒暖の繰り返し、今年のサクラの季節は長く続いた。毎年迎える”春”だが、季節の訪れも日々の営みも、恒(つね)ではない。
伍和の里(原の平)から見る南アルプス 悪沢岳(3,141) 小赤石岳(3,081)・赤石岳(3,120)・大沢岳・兎岳・前聖岳(3,013) (mouse-over) 仙丈ヶ岳(3,033) 北岳(3,192)・間ノ岳(3,189)・農鳥岳(3,026) |
座禅草 | 4月初め サクラの季節 (春日井市・都市緑化植物園) (mouse-over) サクラと大谷山 |
新型コロナウイルス禍は来るべき崖っぷちに到達した。この期に及んでも、後手後手に対策を引延ばす政治の姿は失望に近い。感染初期に始めた感染源と感染者よりなるクラスターを見つけ感染経路を断つという作業は限界に達した。いち早く感染の拡大防止に着手し、死亡者数を抑え込む事に、協力体制・援助も整わない環境で不休不眠に尽力されてきたクラスター対策班の方々には、改めて敬意を表したい。同時に、感染の現場で働く医療関係者への負担が増々激増していることに危惧を覚える。医療関係への人材・財政援助・協力を願っている。我々一般市民は、連日報道される”コロナ・ニュース”に無関心を装うことなく、ひとりひとりが今何をすべきかを考える”賢い”国民でありたい。
日本の叡智・ノーベル賞科学者(生化学)達は、pcr検査の拡充を第一としている。「目に見えない敵を相手に戦争はできない」という。国政にとっては重要な言である。実態を知ってこそ個別の作戦が練れる。日本の全叡智に加えて、全企業の協力が必要となっている。モノ不足により医療従事者が感染の危険に曝されている。優秀な日本の企業なら、事業収益は必ず早期に取り戻せるだろう。今必要な医療設備・備品・場所を提供することにより、現状打破を期待したい。心ある企業は既に行動に移っている。ウイルス攻撃を迎え撃つには、覚悟を決めた国政と全国民の参加を必要とする。報道ベースでは、ドイツ、台湾、韓国などの方が優れた国政・援助体制にあるようだ。
緊急事態宣言により、”緊急事態での行動として、外出を80%控え・群がらない”が、政府から後押しされた。この「緊急事態の行動」は、人類の歴史の観点からも正当化される。人類の進化は、240万年前頃を起点として、ホモ(ヒト)属(ホモハビリス、ホモエレクトスなど)の時代に入る。現生人類(ホモサピエンス)は、人類発祥の地(アフリカ)を先に出たホモネアンデルターレンシスとヨーロッパおよびレバントでの交替劇を3万年前頃までに終了した。
ネアンデルタールはサピエンスに比べ、頭脳容積も大きく体躯も屈強な優秀な狩人だった。ホモサピエンスが生き残ったのは、ネオンデルタールに比べ、幅広く物事を伝える能力に優れ、群れをなして協力する術に優れていたとする仮説が有力である。ホモサピエンスは群れを作り、ムラ(村落)を造り、マチ(都市・大都市)、クニ(国家)を造り、そして現在では巨大交通網によりグローバルな人的交流が地球規模で通常化している。このホモサピエンスの発達した行動特性が、種々の華やかな文化を生む一方で、ウイルスの生存・拡大に好都合な場と行動を生んだ。現在に生きる我々ひとりひとりは、繁栄文化をいたずらに享受しながら、ウイルス活動の場を作ってきた。ウイルス攻勢を避けるにはヒトの行動を一時的に止めることにある。ホモサピエンスの歴史からすれば一瞬時の駆引きである。
ウイルスの蔓延は、とりあえずは人の交流を断てば収束する。それが可能かどうかは、感染拡大の原因が自分たち(ホモサピエンス)にあることに責任を感じ身を律することに依っている。すなわち、日本人ひとりひとりの賢さにかかっている。そして、もし幸いに収束に持ち込めても、その後の未来像を創り出すことが必須となる。ウイルスを根絶するか同じ生命体としてその活動に制限を加えるかは、世界観・宇宙観の違いとなる。集中化し過ぎた都市機構・経済活動の分散化・人工頭脳化などの解決策もあるが、人類はそれを望んでいるのか、それを幸せと感じるのかは別問題であろう。人類の未来像を見据えた若い思想家・政治家を必要とする。
人類の存続を脅かす事象は他にもある。例えば人工的に創り出す放射能汚染である。これは元を断てば逃れられるが、ヒトの欲が優ると解決できない。決定的な事象は、自然災害(地震・噴火・火災・風水害・気候変動など)である。現状では予測・備えにより防備するしか打つ手がない。
2020.03.17 志段味古墳群の五世紀の古墳(名古屋市) |
中央本線・高蔵寺駅の南側、庄内川左岸に、”しだみ古墳ミュージアム”を中心にして古墳公園が整備された。この区画は、5世紀半ば以降6世紀初めまでの帆立貝式古墳が習合するエリアである。帆立貝式古墳は古墳時代全期に亘って現れるが、特に5世紀から6世紀(中期)、岡山東部から近畿・東海、関東・群馬に多い。濃尾平野では、岐阜の野古墳群もその一つである。5世紀は、巨大な天皇陵古墳よりなる百舌鳥・古市古墳群が営なわれ、河内平野・大和を中心に倭国(日本国)が主権を掲げ、対外外交(宋への遣使)が始められた時代である。政治の中心には大王(天皇)家と葛城氏が居て、中央豪族・地方豪族の整理が進んだ。葛城氏は大王家(天皇家)の姻鏃(外戚)として、第15代応神大王から第25代武烈大王まで、安康・武烈を除く九代まで葛城氏の女性を母、妃として送り込んだ。帆立貝式古墳を築いた豪族は、中央勢力に従属する豪族と新興勢力と言われる。地方の武人集団も多いことは、武具・甲鎧・馬具などの出土が多いことが証明している。かつては騎馬民族征服王朝説や河内王朝説もあったが、現在では、葛城氏が築いた対外政策を通しての大王家の確立過程が注目されている。「倭の五王の時代」である。
志段味古墳群には、西大久手古墳(5世紀中頃)、東大久手古墳(5世紀末)、大久手5号墳(5世紀末)、志段味大塚古墳(5世紀後半)、勝手塚古墳(6世紀初め)が帆立貝式古墳として築かれた。これらはいずれも馬蹄形周濠を伴っていた。それらの中で形態として現存するのは、志段味大塚古墳と勝手塚古墳の二基に過ぎないが、この地域の住宅地化に当たり、古墳が築かれた全域が保存されたのは価値がある。残骸もまだらな古墳公園のベンチに座り、在りし日の古代を連想する幸せがある。
6世紀初めに、 庄内川左岸下流に断夫山古墳、 志段味地区(西外)に 盾形周濠を持つ勝手塚古墳が築かれた |
広義の「志段味古墳群」としては、上に述べた”志段味大塚・大久手”地域に加えて、東谷山山上・山麓の古墳群を加える。これら東谷山の古墳群は、4世紀初・中期の古墳時代初期に属する。弥生墳丘墓から草創期の古墳時代(所謂、卑弥呼の時代)を経て、4世紀代の古墳時代初期の前方後円墳体制は全国的な規模で充実している。東谷山古墳群もその一つで、大王墓・柳本行燈山古墳(崇神陵)と相似の構造、墳丘装飾を見る”白鳥塚古墳”まで築かれている。
やや時期を置いて、5世紀に”志段味地区”の帆立貝式古墳群”が現れ、6世紀には名古屋台地に断夫山古墳、味鋺・味美の古墳群が尾張国を造り上げた。尾張の中心は、東部から西部へ、古墳時代の海岸線・甚目寺辺りへ移った。尾張氏の実体が東谷山にあるのか、熱田・名古屋台地にあるのか、味鋺・味美にあるのか、甚目寺から更に伊勢湾沿いに西に伸びるのか、他所者には興味深く・難解であるが、古代によくあるように疑似同族として東海の豪族が「尾張」という名前を一にしたのかも知れない。
上に示した志段味古墳群と似た古墳群が関東(東京)にある。
荏原台古墳群である。4世紀の宝来山古墳を始めとする田園調布古墳群と5世紀の帆立貝式古墳ー野毛大塚古墳と御嶽山古墳ーを含む野毛古墳群よりなる。出土品は世田谷区立郷土資料館と大田区区役所で見ることが出来て、多くの甲鎧・武具・馬具を見ることができる。
歴史の里 しだみ古墳群 大塚・大久手地区 | 東・西大久手古墳は5世紀の残骸 (mouse-over) 大塚3号の残骸の向こうに東谷山 |
志段味大塚古墳は化粧直しされた(造出し側から) (mouse-over) 円形部より(墳頂への階段が設置された) |
3月9日、新型コロナウイルス対策の専門家会議による見解が発表された。「今後1~2週間が感染拡大のスピードをおさえるかどうかの瀬戸際」とし、国内の感染は爆発的でなく一定程度持ちこたえているとの認識があり、(1)換気の悪い密閉空間(2)多くの人が密集(3)近距離での会話や発声 の三条件の重なりを避けることで感染を抑えられると国民に呼びかけた。この三条件は、一見当たり前のようだが、感染の実態を2週間の外出規制により見極めた結果であり、姿・行動・感染力が見えぬ新型ウイルスに対応するスマートな対応である。賢明な国民は、素直にこれを受止め、今しばらく事の成り行きを見守り、行動規制に協力する姿勢を必要とする。
”正しく知る”とは、子供にも老人にでも分り、特別な知識を必要としないマインドだった。日本国民の賢さは、おそらく全面的にこれを受け入れるだろう。他国のような強権的な封鎖や不必要な安心を与える施策でないところに価値がある。ただし、pcr検査が全てではないが、検査数が一向に増えない事情は気掛かりである。通達があまりにも官僚的・事務的過ぎて、無責任なものになっていることに原因があるらしい。
北海道、大阪府の若手知事の素早い施策や和歌山県の独自の検査体制の凛とした実行は、衆目の認めるところである。彼らの行動の基盤には先の三条件を先読みした同じ原理に基づいている。言動に責任と覚悟を感じる。新しく提出された大阪方式と呼ばれるトリアージも、先を読んだ方策と人々を納得させている。
ウイルス学者は”ウイルスとは、奇妙に小さく・生物的かつ物質的で、おかしな「生命体」”とする。ウイルスは自生できず、とりついた細胞の増殖機構を利用するだけの欠点をもつ。この不思議な生命体に対処するには、専門家に従うのが最上の方策である。任された専門家の今一層の良心的な施策を期待する。未知のウイルスへの対策として、現状はまだ初段階である。新型ウイルスの正体をあばき、最善の対処と新薬の開発が急がれる。優秀な生化学者・医事・薬学従事者の多い我国の若手科学者の活躍を期待する。
新型コロナウイルスに対応して種々の規制が敷かれ、経済活動の停止・悪化が見られる。物質文明が異常に発達した現代社会では、経済的観点からの恐怖は人類存続の危機よりも強い刺激をもたらす。感染症のパンデミックが、経済危機のパンデミックにすり替わり始めている。人類の経済・文化危機は時期が来れば取戻せ得るが、人類存続の危機は可逆的であるとは思えない。医事・生化学の挑戦に加えて、政治家を含めた社会・経済学者などの創造的な”新鮮な未来像”を必要としている。
2020.02.21 国難 新型コロナウイルス |
歴史の里 しだみ古墳群 名古屋市守山区大字志段味 左手前 大塚2号 右奥 志段味大塚古墳(右後方に東谷山) |
4~3万年前の日本列島は氷河期にあり、海岸線はユーラシア大陸に接近していた。本州と北海道を隔てる津軽海峡は完全に閉じることはなかったが、北海道北部・宗谷海峡は閉じていてマンモスが往来した。オオツノジカは朝鮮半島から渡って来たと信じられている。我々の祖先である現生人類(ホモサピエンス)は、台湾・沖縄・琉球列島を経ての南ルート、朝鮮半島から、あるいは北からのルートが考えられている。北海道へは北ルートで、本州へは朝鮮半島から北部九州・本州西部への流入が最も可能性が高い。日本の旧石器時代の始まりである。
約12,000年前に氷河期が終り(地質学上の更新世)、現在につながる完新世・縄文時代に入る。海面は120m以上上昇し、列島北辺に暖流・寒流の流れ込みがあり、それにともなう気象条件・自然環境が大きく変化・日本列島の温暖・多湿な風土が定着した。ヒトの定住化を促した縄文時代、朝鮮半島からの水田稲作技術が導入された弥生時代、世界情勢に対応する王権の誕生(古墳時代以降奈良時代まで)を、文化・ヒトの移り変わりから捉えたいと小旅を繰り返してきた。ここ1~2年はむしろ人類の誕生とヒトの移住に関連した日本列島の動きに興味を注いできた。
今年は再び古墳時代(紀元後)を中心に、列島へのヒトの往来を探ってみようとしていた。現日本人の遺伝的特性は弥生渡来人に負うところが多い。次いで、古墳時代中期(謎の4・5世紀、倭の五王の時代)にも、大挙して中国大陸・朝鮮半島から渡来した人々が居た。この時期は、その後の日本国・日本人を決定する重要な時代であるが、よく分っていない事が多い。そんなことを調べていた矢先に、1月半ばから中国大都市・武漢での新型コロナウイルスによる肺炎の流行が報じられた。 春節に大挙来日する中國からのお客さんを控え、日本は大丈夫か?と気になり、予定していた奈良・大和への旅は差し控え、様子を伺っていた。
疫病・ウイルス学の専門家は、その大流行の危険性を当所より連日訴えていた。国会では「サクラを見る会」のやりとりに忙しかった。世間は春節景気の減少を嘆き、「武漢からの帰国を促すチャーター便」を有料にする案もあった。ダイヤモンド・プリンセスなるクルーズ船を首都圏・横浜港に留め置き、ウイルスの行方を見守る対策が後手・後手に廻り、ウイルス学者、疫病学者の心配が現実となった。日々進展・変化する実情に即応する体制が必要となっている。
科学立国・日本の遺伝子操作技術は優れ、卓越した医術・生化学・装置の整備に不足はない。この分野は日進月歩、昨日の技術では忽ちに立ち遅れ、最新の技術・装置の獲得を進めている。民間関連会社、全国の関連研究機関が一つになって事に当たれば、国難を回避できる。それを助ける政治判断と予算確保が必要となっている。
東日本大震災時の原発事故に匹敵する事態が生じている。「正しく怖がる」とは、正しいことを判断できる人の言であり、知識のない市井の人々が理解できるとは思えない。パニックを起こさない為には、言葉で制御する以上に、実質的な動きが大切である。今は、具体的な緊急時対策を必要としている。インフルエンザの予防注射も打ったことのない私が国難に怯えている。新大陸を求めた欧米の歴史は、疫病の蔓延に悩まされた。日本列島の歴史時代にあっても、疫病が蔓延し、弱い立場の市井の人々は祈祷・呪いに頼るしかなかった過去がある。
2020.01.07 令和二年正月 |
1月7日は”人日の節句”、7日粥の日である。町田(東京都)に居住していた頃、丹沢の大山(1,252m)にハイキングして日向薬師(霊山寺宝蔵坊、秦野市)に下ると七草粥が振舞われた。宝蔵坊は修験の寺で、大法会には山伏さんの儀式が催された。丹沢周辺には役ノ行者飛来伝説があり、かつては修験道が盛んであった。
春日井市の東端にある弥勒山(436m)に早朝に登ると、条件が整えば、御嶽山(3,067m、岐阜県)、伊吹山(1,377m、滋賀県)、富山・石川・福井にまたがる白山連峰を同時に見ることができる。白山連峰は濃尾平野にもやる水蒸気のため見れることは稀である。最近は寄る年波と足の衰えで山頂まで辿りつくことは少なく、もっぱら麓の都市緑化植物園周辺の散策にとどまっている。
昨年暮れの早朝に、奇跡的に高蔵寺ニュータウンから白山連峰が見えた。よっぽど大気の状況が良かったのだろう。手持ちの250mmズームでもはっきりと夜明けの雪の峰々が捉えられた。朝日に輝く白山のピーク・御前峰(2,702m)、左になだらかな別山(2,399m)、右手前に岐阜県郡上市の大日ケ岳(1,708m)の雪姿である。小春日和の春日井市緑化植物園では手入れされた花に蝶々が飛来した。新禧(しんき)の瑞祥(ずいしょう)に心が和む正月である。
国内の遺跡探訪を楽しみとして20年近くとなった。最近は旧石器と人類の誕生史に興味を持つ。なかでも、オルドワン文化(ホモハビリス・ホモエレクトス文明)以来、とくにホモサピエンスが全世界に拡散しだした5万年前頃からの旧石器文化は興味深い。日本列島にはその拡散期の初期よりホモサピエンスの痕跡が残る。2万9千年前頃からの姶良火山降灰期を契機として日本列島特有の旧石器製作技術が育った。この頃にはすでに、頭の中に設計図を描き製作に挑む姿を彷彿させる石器が数多く出現する。現代社会の出発点を再認識する。近年進展急な人工知能とゲノム人類学を参照しながら、人類の進化と人社会の繁栄(崩壊?)を学習する。