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日々是好日
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2021.12.27 天平の天然痘大流行の背景

日本人の祖先が日本列島に住み着いたのは、45,000年前~35,000年前とされている。25,000年前頃には鹿児島湾を形造った姶良(あいら)大噴火の降灰が全列島を覆った。日本の後期旧石器時代は、この期を境に着実な進化を見て、12,000年前に氷河期を終え、定住・栽培生活(縄文時代)に入った。
気候・食料など安定していた縄文中期(5~4,000年前)に、列島人口数の最盛期があったとも言われている。縄文後期にかけては温暖化が進むが、一時的には寒冷化の時期もあり決して平坦なものでなかった。土坑墓跡、祭りや土器模様などに見られる呪的な不思議図形は、気候変動、疫病の蔓延などによる負の環境を物語っているようだ。

水稲農業・金属文化が伝搬した弥生時代・古墳時代には、朝鮮半島・ユーラシア大陸とのヒトの往来も活発になった。正式な文献による感染症流行の記録は、敏達・用明・推古期の大陸との交流(仏教伝来と遣隋使)時期に初見し、律令国家成立期の聖武期での遣唐使派遣に伴う天然痘の大流行で定着した。中学生の頃、「青丹よしならの都は咲く花のにほうがごとく今盛りなりー太宰少弐小野老朝臣ー万葉集巻3」と、先人の築いた美しい都を教わったが、実際の天平の奈良の都は、政争と疫病と社会不安に苛まれたものであったらしい。天平の社会を再現するには、”続日本紀”とともに、平城宮跡・長屋王邸跡から見つかる木簡の数々が第一級の資料となる。平城宮跡の発掘調査による試料は奈良文化財研究所(平城宮跡資料館)で見ることができる。

現在のコロナ禍の世の推移を見るにつけ、私は、現代の日本を天平時代の日本の姿と重ねて連想してしまう。日本国の誕生を天武・持統の「壬申の乱」に求める立場では、それに続く”律令国家(奈良の都)の成立”を天壌無窮の神勅を具現化した姿として捉える。その後の貴族社会・武士社会への推移を経て、明治維新で再び王政復古を宣告する。明治維新により、出遅れた西欧的な近代化を取戻したかに錯覚した日本は第二次世界大戦で再び奈落に突き落とされた。現在の日本は、戦後処理の一環として民主主義をかかげるが、暗黙の裡に、古代専制政治を旨とする王政復古(明治維新)を日本人の心として捉えている人々も多い。

コロナ禍と皇位継承問題を内包する現代日本に”天平の世”を感じることも、一理あるようにも思われる。当然の事ながら、現代と”天平の世”では、疫病(とくにウイルス性疾患)に関わる科学技術は大きく異なり、政治を取り巻く民衆の力も格段の差がある。この違いを正当に評価して、次の次代へ繋ぐことが大切なのだろう。ここで取り上げた”天平の世”とは、具0体的には、「壬申の乱(672)から平安遷都(794)までの100年余り」で、その年表を、渡辺晃宏:平城京と木簡の世紀、講談社学術文庫1904、2009.1の巻末年表を抜粋しながら以下に辿ってみる。

年表抜粋;
683年(朱鳥元)天武没・持統称制(→即位) 694年(持統8)藤原京遷都
697年(文武元)軽皇子(文武)即位➡707年没 安閇皇女(元明)即位➡715年(霊亀元)氷高内親王(元正)に譲位 
710年(和銅3)平城京へ遷都 720 日本書記撰進、藤原不比等没
724年(神亀元)首皇子(聖武)に譲位 長屋王を左大臣
729年(天平元)長屋王の変  天平に改元 光明子立后 皇后官職・施薬院の設置
735年(天平7)天然痘流行  737年(天平9)藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)天然痘で相次いで没 天然痘大流行
738年(天平10)安倍内親王立太子 橘諸兄を右大臣
740年(天平12)藤原広嗣の乱 聖武、東国行幸、恭仁京へ遷都 741年国分寺建立詔 742年紫香楽宮行幸 
745年(天平17)紫香楽、恭仁京、平城京 行基を大僧正 光明子(法華寺) 大仏造立開始
749年(天平勝宝元)聖武出家 陸奥国黄金献安倍内親王(孝謙)即位 紫微中台・中宮省設置 藤原仲麻呂を紫微令 大仏鋳造終了、八幡神入京
752年(天平勝宝4)大仏開眼供養会 754年鑑真来日 756年聖武太上天皇没
757年(天平宝宇元)橘奈良麻呂の変 758年孝謙譲位 皇太子大炊王(淳仁)即位 藤原仲麻呂・大保(右大臣)=恵美押勝の登場 
760年(天平宝宇4)恵美押勝を大師(太政大臣) 雄勝城・桃生城完成 光明皇太后没 762年孝謙・淳仁が不和 767年道鏡を少僧都
764年 恵美押勝の乱 道鏡を大臣禅師 淳仁を廃し孝謙重祚(称徳) 765年(天平神護元)道鏡を太政大臣禅師
766年道鏡を法王、藤原永手を左大臣、吉備真備を右大臣   769年不破内親王の称徳呪詛事件
770年(宝亀元)称徳天皇没 道鏡を下野薬師寺へ左遷 皇太子(白壁王)即位・光仁天皇 井上内親王立后→772年廃后 
781年(天応元)皇太子(山部親王)即位・桓武天皇 782年(延暦元)長岡京遷都 785年早良親王謀反の容疑で幽閉され没 785年征夷将軍胆沢城で敗戦
794年(延暦13)征夷副将軍坂上田村麻呂 平安遷都(平安京

以上が、専制君主制で国造りに励んだ”天武・持統の(或いは藤原不比等を加えた)国体”である。この”国体”の復活、王政復古を目論んだ明治維新を尊ぶ気風は根深いが、戦後の日本が目指しているとされる民主主義を基調とした社会とは相似形でない。にも拘らず、「天平の世」と現在のコロナ禍の世が似たように感じるのは間違った妄想で、コロナ禍以後の社会は全く別の、似ても似つかぬ社会になるかも知れない。コロナ禍で弱点をさらけ出した政治・経済・科学のベクトルの向きの不揃いが正しい方向を見つけた時に、新生日本国の将来が見えて来るのだろう。



2021.11.27 一休みした日本のコロナ感染

11月26日のNHKニュースによると、前日新たに確認された新型コロナ感染者数は、北海道18,東京19、神奈川10,埼玉6,千葉8、愛知4,大阪14,兵庫5、福岡3、沖縄3,・・・全国合計121人、空港検疫など8、となっている。この国内感染者数の極端な激少は、世界的な傾向とは一致しない。英国・フランス始め欧州諸国の新規感染者数は相変わらず多く、ワクチン接種完了率が79%のスペインでも感染者数の急上昇が見られ、ポーランド、ハンガリーなど東欧諸国も増加の一途をたどっている。この日本の状況は”新型コロナの不思議”の一つとして注目される。

この特殊性については、種々の説がある。 1.「日本人の遺伝的特性と合致するコロナウイルスの自壊説」、2.「短期間に集中的にワクチン接種が進んだこと」、3.「信頼性が最も高いファイザー社製とモデルナ社製のRNAワクチンの接種が我国では主流であること」、4.「マスク装着を習慣化する国民性」などが挙げられる。更に、5.「五輪を強行した国内事情に恐れをなした国民が、閉じこもり、”テレビ五輪”とした賢明な判断と、流行の最盛時にあって大会終了後早々に帰国した海外参加者のお陰であるとも推察される。「正しく恐れる」が好結果を生んだとも言える。

   
道祖神 (愛知県春日井市白山神社)     ジャンスン (通度寺(トンドサ)韓国)  
 安曇野(長野)に多い双体道祖神   天下大将軍と地下女将軍   

日本国内では古来より、疫病防止・排除を願った”道祖神”が村の境界に設置され、村を守り、地域間交流を制限した知恵があった。今回のコロナ禍においても、地域(県)単位の防御意識は強いものがあった。コロナ禍がパンデミック(世界規模の流行)であることは、島国である日本にとっては有利である。我国では制度的なロックダウンは難しいが、海外に対しては鎖国状態を、国内的には伝統的な県単位のクニ意識で制御する利点がある。
我国では「鳥居」が神社の結界に使われる。道祖神、鳥居などは、日本中の至る所で見られる。次元の異なる対象物を結界し、悪病神や崇高な神を閉じ込めたり祀り上げたりして、その祟りを避ける風習が育った。隣国の韓国では、ジャンスンと呼ばれる同様の村標・標識があり、寺域・墓地の結界などに使われる。

超自然災害(気候変動・大地震・大噴火)、未知の疫病・難病などを科学的に解明するのは容易でなく、莫大な資金・知識・時間を要する。コロナ禍に対しても、確実な対処法が確立するまでは、神頼みではなく過去の経験から得られた「人流・密」を避けるなどの疫病に対しての公衆衛生上の基本姿勢は大切である。

現行のコロナワクチンの持続性は以外に短く、早めのブースター接種が世界の常識となっている。
新しい驚異の変異株(オミクロン株=南アフリカ型)が現れた。感染力が高く(実効再生産数が2)、ワクチンの効果にも問題があるらしい。コロナ禍の感染拡大のスピードは早い。英国・香港・イスラエル・ベルギー・ボツワナ・ドイツ・チェコなどで既に見つかっている。海を渡って第6波が押し寄せようとしている。




2021.10.18 コロナ禍(愛知県)の行方は?

愛知県の新規感染者数の推移  (中日新聞 2021年10月1日)
愛知県での第5波の新規感染者数は、東京(首都圏)に約1週遅れで増大し始めた。

9月末、19都道府県に出されていた緊急事態宣言と8都道府県のまん延防止重点処置が一斉に解除された.。遅ればせながら急激に促進されたワクチン接種状況は、10月16日現在、愛知県で1回目接種が人口の72.8%、2回目接種が64.0%となった。全国的には1回目が74.3%、2回目が65.9%である。10月17日の新規感染者数は、東京都で40人、愛知県で29人と、第5波ピーク時の値に比べ大幅に減少した。この減少要因をワクチンに求めるに異存はないが、世界的な変遷を参照すると、感染者数の変遷は地域、時期、風習、データの信頼性など多くの要因に依っている。

6月11日、菅総理はG7サミットで、東京2020開催を宣言し協力を求めた。
6月17日 菅首相は、五輪観客を上限1万人とする案を提出、6月18日 尾身茂会長他有志が「五輪での感染対策」を提言した。
6月21日以降 緊急事態宣言を沖縄は延長、北海道・東京・愛知・京都・大阪・兵庫・福岡は重点措置に(7/11まで)、岡山・広島は解除、まん延防止等重点措置を埼玉・千葉・神奈川は延長(7/11まで)、岐阜・三重は解除した。
共同通信が6月19・20日に実施した世論調査では、東京五輪・パラリンピック開催で新型コロナウイルスの感染再拡大する不安は、「ある程度」を含めて86.7%に上った。無観客開催40.3%、中止30.8%、観客数を制限して開催が27.2%、であった。
7月8日 東京都感染者数は896名となり、東京に4回目の緊急事態宣言決定(7/12~8/22) 沖縄の緊急事態宣言は延長(8/22まで) 埼玉・千葉・神奈川・大阪は延長決定 北海道・愛知・京都・兵庫・福岡は7月11日で解除した。東京2020の開催は緊急事態宣言下で突入し、基本的にオリンピックは無観客とすると、日本政府・東京都・大会組織委員会・国際五輪委員会(IOC)により最終決定された。

東京オリンピックは、7月23日~8月8日に33競技、東京パラリンピックは8月24日~9月5日に22競技として施行された。新規感染者数は全国的にオリンピック期間中に上昇し、パラリンピック期間中に最大に達した。コロナ禍のない東京オリンピックを心待ちした日本国民は、家に籠って静かにテレビ観戦した。遠来のオリンピック選手達は選手村バブルと競技場の往復となった。1ケ月前から来日し隔離期間を経て終始群馬に籠って合宿し五輪に集中した豪州女子ソフトボールチーム、選手村バブルに籠りニッポンとの触れ合いやトーキョー見物も出来なかった各国選手団は、マスク着用する開催(日本)の習慣とルールを当然のごとく守った。日本のボランティアの方々が彼らを支え、つつましやかなホスピタリティーで交流を図った。大会終了時に記者団を引き連れて「銀ブラ」したバッハ会長は非難の的となった。老人を先行したワクチン効果なのか、新規感染者数の激増の割には死者数は増大せず、棺が山積みされるようなカタストロフィック(破局的)な状況は見られなかったが、軽症(中等症)の患者が続出し「自宅療養」を促す医療崩壊が起こった。

感染症への対策は、古より”1.神仏の加護、2.公衆衛生的観点からの感染防止、3.ワクチンと治療薬の開発”と、段階的に発展して来た。
21世紀の遺伝子工学・生命科学は、その歴史に大きな変革をもたらし、新型コロナウイルスに対して開発されたワクチン、特にmRNAワクチンの有効性は有効率99%と驚嘆に値する。しかしながら、変異型ウイルス全てに万能の保障はなく、万能を期待する「ワクチン神話」はあり得ない。COVID-19の治療に当たって、この病に向き合った医療従事者の仕事振りに敬意を表する一方、「感染者の自宅療養」を促がした医療行政・医事体制には”肌寒さ”を感じた。報道されるホームドクターの活躍に一抹の救いは得たが、第2次世界大戦終末の西部ニューギニア戦線での死の行軍を連想した。武器・食料もなくマラリアの恐怖の中を、軍部により強行された敗残兵の彷徨である。

オリンピック開催期間中増大し続けた感染者数であるが、パラリンピックを迎えるに当たり、幸いにも増加し続けることなく、むしろ減少に転じた。最初に述べたように、現在(10月半ば)では全国的に”コロナ禍は終息”したかのような勢いである。賢明な日本国民は戸惑いながらも行動は緩むが、コロナ禍の今後の行方は一冬超すまで判然としない。抗体カクテル治療薬(細胞へのウイルスの攻撃抑制)の実用化、経口飲み薬(ウイルスの増殖抑制)の開発など、「科学革命の時代」を実現する状況が次々と実現され始めた。政治・経済・社会と国民の意識もそれに相応しいものである必要があろう。



2021.05.07 東京2020オリンピック
春日井市都市緑化植物園の五輪に協賛する花壇

東京2020オリンピックまであと2ケ月余り、7月23日の開会式が控えている。3月25日に福島県をスタートした聖火リレーは、一部地域では無観客、走行制限、走行中止など、マン延防止を踏まえて続行されている。愛知県春日井市では4月5日に、市の中心部・勝川駅周辺で催された。自然豊かな細野町にある都市緑化植物園には、五輪の輪になぞらった花壇が設えられた。

5月5日、東京・大阪・兵庫・京都に”緊急事態宣言”発令下の連休の中日に、札幌市内(北海道)を走るハーフマラソンがプレ五輪として試行された。北海道では”マン延防止等重点措置”を検討中で、競技を終えた翌日に国へ正式要請された。テレビで見る競技風景は何かもの足りなく、もの淋しさだけが残った。ワクチン接種が進み、人々が普段の生活を取戻す気運が進む米国でのオオタニさんの活躍が、はるかに我々の心を和ませてくれるのと対照的だ。新種の変異型コロナウイルスが次々と現れる現状は、世界の潮流に乗り遅れた日本でのオリンピック開催は難しいと言わざるを得ない。

新型コロナウイルスの脅威が「変異株(変異の多様性)とスーパースプレッダー(ウイルス量の多さ)」にあると解釈すれば、日本の感染状況は安全だとは言い切れない。「コロナに打ち勝った証としての五輪」とは程遠い。更に付け加えれば、感染拡大が著しい国からの選手団と感染収束国からの選手団を、同等・偏見なしに受け入れることができるかも疑わしい。”おもてなし”の心は忘れ去られた。疑心暗鬼の世界が生まれれば、世界の人々が集いエールを交換する平和な風景は生まれない。オリンピック精神は何所にあるのかが疑われることになる。

昨年3月末の開催延期決定時と比べると、ワクチンによる一縷の希望はあっても、変異株の拡がり、開催国・日本の感染状況の悪化、全世界的なマン延地域の拡大と、条件は悪化している。当該ウイルスは次第に解明されつつあるが、知識は増えれば増えるほど新しい脅威は増え、正体の解明は遠ざかるのが科学の常である。当初よりCovid-19の収束は早くて3年が必要と言われた。決定的な方策もないままに奇跡的なマン延終息などなく、世界の潮流に取り残された日本にとっては、真摯な反省と再起こそが、今決断すべき方向であろう。
健康的な日々を取戻して、先立って立派に出来上がった施設を活用して、新しいスポーツの場・環境を早急に作り直してほしい。純粋なアスリートは、かつては「出来ないことを前提に考えるよりは、出来るように考えよう」としたが、現在の世界的な感染状況の不均一、ワクチン摂取状況の不公平を見れば、アスリートファーストは開催国として正論とは言えない。


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