熊野古道と熊野三山 2/4(和歌山県・田辺市)

中辺路(滝尻〜近露) 中辺路(発心門〜本宮大社) 本宮大社 大日越(大斎原〜湯峯温泉)
速玉大社・神倉山(ゴトブキ岩) 大門坂・那智大社・那智大滝

本宮大社から大日越(大斎原〜湯峯温泉)


熊野本宮大社では、八咫烏神事(1月)と湯登神事と例大祭の渡御祭(4月)が有名である。
八咫烏(やたがらす)神事は、牛王神符(ごおうしんぷ)を神前に献じて祓い清め、年頭に作られた宝印の押し始めの祭である。湯登(ゆのぼり)神事は例大祭に先駆けて行われ、湯峰温泉で湯垢離・潔斎し、神職、修験者につづき稚児を肩車した父親が「大日越」する。
渡御祭(とぎょさい)は、神輿(みこし)の行列が神様を大斎原にお渡しする。

大斎原(おおゆのはら)は旧本宮大社のあった地である。音無川と熊野川が合流する中州にある。伏拝王子から大斎原に建つ大社殿を眺め、熊野に到着できたことを喜んだのである。大斎原から大日山に登り湯峰王子への道を「大日越(だいにちごえ)」という。

この日のハイライトは、熊野大社参拝と湯登神事の「大日越」をすることである。蟻の熊野詣での往時には、湯峰温泉で遊ぶことを楽しみに熊野詣することもあったという。小栗判官は湯峰温泉で蘇生したとされている。

熊野那智大社の牛王宝印
牛王宝印(ごおうほういん)は、諸寺院が出す神符で、熊野三山では烏文字で版木に図案化されている。本来護符であるが、熊野では、古来より国家攘災の神符として朝廷に献上するのを恒例としていたので、尊ばれ、誓約の起請文として武家社会、後世には廓社会でも使用された。デザイン、烏(八咫烏)の数が、本宮、速玉、那智で少し異なる。

本宮大社 
熊野本宮大社は音無川のほとりに鎮座する。もともとは、音無川と熊野川の合流する大斎原(おおゆのはら)に上・中・下三社が構成され、各社は四社よりなり十二所権現を祀っていたが、明治22年(1889)の大洪水で社殿は流された。現在の地には上四社だけを遷し、残りの中・下の二社は大斎原に石祠で合祀してある。
12:33 本宮大社の大鳥居。 国道168号線に面している。 杉木立の鬱蒼とした参道
12:37 お手水所 12:55 神門。 門内は撮影禁止だが、この正面に家津御子神の社殿(証誠殿)が鈴門(れいもん)の向こうに見える。
神門を入ると、左から第一(西御前)・ニ殿(中御前)、第三殿(証誠殿)、第四殿(若宮)に出会う。主祭神(家都御子大神;けつみこおおかみ)を祀る第三殿は中央に位置するが、規模は第三殿と同じで、相殿である第一・二殿の方が大きくて立派である。
12:48 拝殿の向こうには、那智の夫須美神と新宮の速玉神の合祀された相殿(あいどの)がある。 八咫烏の幡が目立ち、幡の下にテントを張って「ワールドカップ必勝祈願を受け付けている。


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13:23 山村開発センター出発
13:27 大鳥居は平成11年建造のもので、中央に八咫烏のマークが目立つ。 13:35 静かな大斎原。この右手に中・下二社の石祠がある。
13:43 江戸時代の熊野詣は、音無川を歩いて渡り参拝奉幣した。川の水で身を清め、始めて目的地に到達した。音無川は熊野詣の代名詞だった。中辺路に点在した王子も、一つには禊ぎ場であり、幽冥の地の参詣路の特徴が見受けられる。
13:48 大日越の登り口。始めは民家の軒先を通る。 14:08 杉、桧の木立を縫って、どんどん山を登る。
14:10 登り口から月見ケ丘神社までは、623mである。 14:11 石仏が納まっている小屋。
月見ケ丘神社は”神しで”を垂らした注連縄の張られた石塔らしい。 14:15 月見ケ丘神社の境内で一休みして、さらに少し登りの道がつづく。
14:32 鼻欠地蔵を探したが良く分らない。  14:34 鼻欠地蔵の看板はある。
14:49 湯峰温泉が近づくと急坂で、雨の日は滑る。 15:00 湯峯王子に着いた。月見ケ丘神社から967m。
15:12 小栗判官も浸かったという共同浴場「つぼ湯」
湯峰温泉の中心。湯峰温泉は、源泉90℃で、世界遺産に登録されている。 
15:11 湯峰温泉を発見した熊野の国造・大阿刀足尼(おおあとすくね)(4世紀頃)の墓碑。
15:13 ”小栗判官蘇生の地”は湯峰温泉・東光寺。東光寺は天台宗のお寺で、熊野那智で名高い裸形上人の開基である。

15:28 旅館「湯の峯荘」に到着。

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