熊野古道と熊野三山 3/4(和歌山県・田辺市)

中辺路(滝尻〜近露) 中辺路(発心門〜本宮大社) 本宮大社 大日越(大斎原〜湯峯温泉)
速玉大社神倉山(ゴトブキ岩) 大門坂・那智大社・那智大滝


  速玉大社から神倉山(ゴトブキ岩)
熊野の旅の3日目、湯峰温泉から熊野交通バスで熊野川沿いに国道168号線を新宮まで下った。途中、道の駅下河原から熊野速玉大社までの16kmを川舟で下ることもできるが、今回は時間の都合上割愛した。往時は道がなく、川舟(筏)下りが通常で、これがまた苦渋であったようだ。現在に比べて、急流で命懸けであったようだ。「川の参詣道」として世界遺産登録されている。168号線が完成した現在でも、国道は川の曲りにあわせて右・左と大回りする。

新宮には、熊野速玉神社のほかに熊野信仰の根源となる神社が二つある。
一つは神倉神社、二つは阿須賀神社である。いずれも速玉神社の摂社となっている。
今回は、速玉神社参拝と神倉山のゴトブキ岩への登りで往時の熊野信仰に思いを馳せた。

速玉大社 
8:49 湯の峯荘下のバス停より熊野交通バスで新宮へ   10:00 ”権現前”に着く。
10:07 速玉神社への入口 社務所 背後は権現山
速玉神社は、神門(じんもん)内も自由に撮影が許可されていて、鈴門(れいもん)と玉垣内の社殿がじかに拝観できる。左端から結宮(第一殿)、拝殿裏が速玉宮(第二殿)で、つづく三つの鈴門は上三殿(第三殿、第四殿、神倉宮)である。さらに右に二つの鈴門があり、中四社と下四社が合祀されている。神倉宮が祀られているのが速玉大社の起源を物語る。もったいぶってなく、分り易く好感がもてる。
若い神主さんが説明して下さった。
10:42 「千早ふる 熊野の宮のなぎの葉を 変わらぬ千代のためしにぞ祈る 藤原定家」 熊野牛玉印と神木ナギは、熊野権現の象徴である
 
11:05 昭和32年暮れに竣工した熊野神宝舘。千数百余点にのぼる古神宝を有す。江戸深川の材木問屋が奉納した神幸用船も展示されている。
うなぎ屋”で昼食。
12:00新宮駅発の「潮岬行き熊野交通バスで那智へ。
12:31 那智駅着。  →大門坂・那智大社へ


神倉山「ゴトブキ岩」 つぎへ
神倉神社は、速玉大社の元宮で、神倉山のゴトブキ岩に神が宿るとする巨石信仰が、磐坐への熊野大神の降臨へと変貌し、この熊野大神を麓の熊野川沿いの「新しい宮(新宮)」に移したと考えられている。
9:37 この辺りは神倉町である。左に曲るとすぐに神倉神社に。右の道は速玉神社に通じ、昔の神宮寺などが並ぶ。 9:39 千家尊福が組織した出雲大社教会があり、出雲系の幽冥の世界が漂う。
9:39 結界となる朱色の橋。 神倉神社 祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)
神武東征軍(日本書紀)の「熊野神邑に到り、旦天磐盾に登りて」を示す顕彰碑がある。 9:42 ここから538段の石段がつづく。お灯祭りのゴール。
9:48 頼朝寄進の鎌倉時代の自然石の石積み 9:50 中段にある中ノ地蔵堂前の広場 
       9:50 「中ノ地蔵堂」
灯火祭では、この広場で祈願者の松明に点火する。
千穂ケ峯が現代の正式山名(ピーク)である。速玉大社からは「権現山を登る」と言い、神倉大社側では「神倉山」と言う。
9:57 お灯祭りではこの鳥居内に松明を持った白装束の人々が集まり、開門と同時に石段を駆け下る。 山上の小祠
ゴトブキ岩へ磐山を削り付けられた道 10:00 ゴトブキ岩と小祠、玉垣
ゴトブキ岩からの新宮の町遠望。熊野川河口にあるこんもりとした森(社)は、阿須賀神社の神体山である蓬莱山(ほうらいざん;高さ50m)で速玉大社の摂社である。この周辺からは弥生時代の考古遺物も多く出土し、古代原始信仰を物語る。蓬莱山は、古代中国で渤海に浮かぶとされた仙人の住む山で、日本がそれに相当するという。秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて、徐福を遣わしたという。紀伊の沿岸には早くから神仙思想(道教)が入っていた跡がある。

熊野速玉大社では、10月15日に「神馬渡御式」、16日に「御船祭り」が催される。
「神馬渡御式」では神馬(白い馬)を阿須賀神社に遣わし、阿須賀神社の神霊を神馬に移し速玉神社に渡り本殿に移す。つづいて速玉神社の神霊を神馬に乗せて御船島近くの御旅所に出向く。すなわち、阿須賀神社の神が速玉神社の神の留守番をすることになる。御旅所で祭りを行った後に宮司が神霊を速玉神社に戻し速玉神が神馬でお渡りになる式は終了する。
「御船祭」は翌日行われる。結大神の神霊を神輿に移し、白馬に乗った人形(ひとつもの)の先導で御船島の河原に向かい、朱色の神幸用船が諸手船に曳かれて御船島を二周し停止する。ここで諸手船上と御船島上の神官の合図で9艘の船で早船競争が行われる。このあと、神幸用船の神霊は河原・御旅所に帰り祭りは終わる。

神倉神社では2月6日に、白装束に身を固めた上り子が神倉山の石段を駆け下る火の祭り(「お灯祭」)が催される。

本宮大社の御田祭が4月、那智大社の扇神輿と火祭が7月、新宮大社の神馬渡御式と御船祭が10月である事は、”春のお田植え・夏の虫送り・秋の収穫”を奉納する熊野の農業祭である。
10:29 神倉山を下る。

番外;
11:14 徐福公園に着く。
中国・山東半島を出発した徐福船団が日本に到達した事実は確認されていない。熊野には、徐福上陸伝説の他にも、神武東征神話(ゴトブキ岩)と海神(わだつみ)伝説、熊野権現降臨伝説(唐・天台山の王子信の垂迹)、裸形上人渡来(補陀洛山寺)など中国と日本を結ぶ南回りの文化伝達(船の文化)の話が多い。

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