ー美濃・大和を周回 1.0ー
   美濃の古墳巡り  (岐阜県、愛知県)

2010年4月末より5月初めにかけて、美濃・近江・大和・伊勢を周回した。ここでは、「美濃の古墳巡り」について記す
壬申の乱(672)に際し、大海人皇子(天武天皇)は、吉野を発し、伊賀国・伊勢国(鈴鹿・桑名)、美濃国(当伎・不破)に向い、野上行宮に留まった。また、聖武天皇は大仏造立に際し、天平12年(740)に平城宮を発し、同様なコースを一周し、南山城の恭仁宮に入っている。

ヤマト王権が国家として確立していく時期に、時の天皇が常に尾張・美濃・伊勢を意識した行動をとったことは、興味深い。

古代には三関(鈴鹿関、不破関、愛発関)が定められ、三関を境にした西と東の世界が存在した。

東山道は、大化改新(645年)頃より整備され、不破関より大野駅・方県(かたがた:岐阜北部)駅・各務駅・可児駅・土岐駅・坂本駅(中津川)から神坂峠を越えて、信濃阿智駅に至るとされている。美濃国では中山道にほぼ沿っている。古代の駅周辺には、古墳時代初期より古墳が築かれており、その地を支配した豪族(首長)の台頭が想像される。美濃の古墳を巡り、現在の古墳の姿を知る。

下記の古墳・旧跡・資料館を訪ねることにした。「現地に立ち、その風を感じる」を目的としている。ある古墳は荒れるがままに放逐され、ある古墳は開拓の名の下に姿を消し、ある古墳は近代的な技術により再築されている。消失した多くの古墳については、考古学的な調査結果を、資料館で偲ぶことにする。
美濃の初期首長墓は山頂に築かれたものが多い。東之宮古墳、鎧塚古墳、象鼻山古墳、円満寺山古墳などは濃尾平野を見下ろしている。それが、権力誇示か山上他界への思いからかは分らない。美濃地域に限らず、土地の人々は祠を立て祭りを催し古墳を守ってきた。そこに、遥かな祖先を敬う地方特有の美しさ・祈りがある。
Ⅰ.一宮市・犬山市・各務原市・可児市
猫島遺跡 尾張一宮 弥生遺跡、名神下り一宮PA内
青塚古墳 犬山 4c中葉、前方後円墳、120m、矢道長塚と同時代
東之宮古墳 3c末ー4c前、矢道長塚(大垣)と同時期、前方後方墳、72m、三角縁神獣鏡5、方格規矩鏡6など
坊の塚 岐阜 5c前半、前方後円墳、120m
衣装塚 各務原 4c末~5c前半、円墳、52Φ、前方部削平か?
可児郷土歴史館 可児 突線鈕袈裟襷文銅鐸(弥生後期)出土品
東寺山1・2号墳 3c後半ー4世紀前半初、前方後方墳
高倉山古墳 3世紀後半、前方後方墳
長塚古墳 4c後半、前方後円墳 前波古墳群(他に野中、西寺山古墳)、舶載と倭製三角縁神獣鏡
10 川合考古資料館 次郎兵衛1号墳
Ⅱ.関市・岐阜市
11 弥勒寺官衙遺跡群 ムゲツの里、円空館・弥勒寺
12 琴塚古墳 岐阜 5c、前方後円墳、115m、景行天皇の后・五十琴姫命墓の伝承あり
13 柄山古墳 4c後半~5c初、前方後方墳、82m
14 岐阜市歴史博物館 東町田遺跡の情報(方形周溝墓→前方後方墳)
15 鎧塚古墳 4c後半~5c初、(眉山)、前方後円墳、82m、椿井大塚山と同範の三角縁獣文帯四神四獣鏡
Ⅲ.揖斐郡
16 野古墳群 大野町 5c中ー6c前、前方後円墳、乾屋敷・不動塚・モタレ・登越・城塚古墳
17 上磯古墳群 大野町 4c後ー5c前、前方後方墳:北山古墳(83m、舶載内行花文鏡)と南山古墳、亀山古墳は前方後円墳、
Ⅳ.大垣市・養老町・海津市
18 赤坂総合センター 大垣 発掘調査(赤坂古墳群、弥生遺跡)成果の情報
19 昼飯大塚古墳 4c後半、前方後円墳、150m、
20 粉糠山古墳 5c前半、前方後方墳、100m
21 八幡山古墳 5c前半、前方後円墳、80m
22 遊塚古墳跡 5c前半、 (花岡山古墳;4c前半、舶載三角縁神獣鏡)
23 大垣市歴史民俗資料館 美濃国分寺跡
24 矢道長塚古墳 3c末~4c初、前方後円墳、90m、昼飯大塚山より一世代前、舶載三角縁神獣鏡(東博)、(矢道高塚)
25 象鼻山古墳群 養老町 1号墳:3c後半ー4c初、前方後方墳、40m、山上の古墳群
26 円満寺山古墳 海津 4c前半、東之宮古墳(犬山)、矢道長塚古墳(大垣)と同時期、前方後円墳、60m、舶載三角縁神獣鏡2面
(一面は東之宮、昼飯大塚山と同範)、画文帯神獣鏡、直刀、鉄製品など、
参考文献;
1.中井正幸:日本の遺跡21「昼飯大塚古墳」 同成社 2007.5、  2.美濃古墳文化研究会編:「美濃の前期古墳」 教育出版文化協会 1990.3、
3.赤塚次郎:「幻の王国・狗奴国を旅するー卑弥呼に抗った謎の国へ」 風媒社 2009.12  4.白石太一郎:「東国の古墳と古代史」 学生社 2007.9


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