オペレーターの方から別の質問がきた。相変わらず声は雑音を挟んで吐き出される。そちらの内部で火災その他は発生しましたか、どうぞ?
 隔壁ロックのあとを言うなら、それは無い、と日向は答えた。そしてとっさに、次の科白を付け足していた。
 救助まで、一人分ならもつだろうか。せめてそうだ、あと五時間以内にここまで救助の手が届くだろうか。機密性は高い部屋だ、火災さえ収まっていれば救助を待つことが出来ると思う。
 大丈夫です、しっかり、大丈夫ですから。オペレーターは頼もしいと思えるほど力強い声で言った。必ず救かります。あなたの出血の様子は?
 じわじわと、まだ広がっているように見える血溜りから目を逸らし、もう止まってるよ、と日向は簡潔に言った。オーケー、あなた方を信用してる。必ず救けてくれ。ここでおとなしく小犬みたいに待ってるよ。
 ええ、そうしていて下さい。冗談めかした日向の言い方に、オペレーターも明るく返す。必ず救け出します、頑張って下さい。
 ありがとう。
 それは自然に口から漏れた。ありがとう。
 そろそろ本格的に気が遠くなってきていた。じゃあ通信はこれで終わりだ、どうぞ。
 慌てた声で、話し相手になりますよ、とオペレーターは続けた。救助が来るまで、一人よりその方が──…。
 オペレーターの言い分には、悪いが最後まで付き合ってやることが出来なかった。日向は途中で通信を打ち切っていた。力の抜けた腕が膝に落ち、送話器が音を立てて床へ転がった。
 おい。大丈夫だってさ。
 荒い息をつぎ、肩をひねって隣りにある顔をもっとよく見える位置を取る。
 救けてくれるってさ。必ずって、そう言ってたんだ。なあ、なんでこんな時に、オレは顔も知らない奴を信用しなきゃならないんだろうな。自分の命より大事なものを、こんな時に他人任せにしなけりゃならないなんて。
 しかし一度決めてしまうと、心臓を締めつけるようなあの焦燥は消え去った。むしろ何もかもが可笑しいくらいだった。この行路を選んだのが自分だったことも、二人きりでの短い旅を内心は喜んだことも。
 また瞼の裏で反町が罵る。そりゃ無いだろ、日向。俺はこれでも、かなりお前らを甘やかしてやってたんだぜ。
 そう言うなよ反町。日向は返して苦笑した。反省してるよ、だからこれはしっぺ返しをくらったんだ。誰にってそれはきっと、───運命、とかそういう名を持つものに。
 ずっとオレ達は三人だった。物心ついた頃からずっと、三人だけでしか出来ない会話があった。育て親に引き取られてからだって、センターで脅されたように疎遠になったりはしなかった。よっぽど離れたくなかったんだろう。その内に…、お前はちゃんと気付いてたんだろう? オレは自分を持て余してたよ。
 でもまあ、それも悪くはない。悪くはない人生だった。こんな言葉を早々に使うとは思ってもいなかった程度に、オレは結構自分に満足出来てる。欲しかったものを生まれた時から持っていた。そのことが今になってはっきりと判る。
 若島津。
 重くなっていく手を、懸命に伸ばして彼の頬に触れる。暖かい。涙がこぼれるかと思うほど安堵した。気が狂いそうに愛しかった。こんなに、彼を失いたくなかった。
 なのに、自分の一番深い部分で日向は理解している。彼は決して自分を許すまい。これから何をしようとするか彼が知ったら、決して、日向を許しはすまい。
 永遠に失うかもしれない、と日向は思った。今ここで失うことを怖れるあまりに、結果として永遠に失ってしまうのかもしれない、と。
「仕方が、無いんだ」
 無意識に声に出して呟いていた。
「オレのものも、…オレのものじゃ無いものだって、全部犠牲にしたって構わないんだ。そういうふうにしか、出来ないんだ。お前はそういう相手だったんだ」

 


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