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1999年10月の感想

ちょこっとした感想を「日記のフリ」のほうに書くこともあるので、そちらもどうぞ。

19990919991112


地獄でなぜ悪い(C・アルレー) (10/3)
冷静と情熱のあいだ(江國香織・辻仁成) (10/13)
ハサミ男(殊能将之) (10/16)
編集室の床に落ちた顔(C・マケイブ) (10/26)


カトリーヌ・アルレー『地獄でなぜ悪い』創元推理文庫 1979
Catherine Arley,L'ENFER,POURQUOI PAS!,1978

*感想
久しぶりのアルレー病にかかる。

少ない登場人物の中で展開される、見事な心理合戦。本当らしく聞こえるよう、嘘の中に少しの真実を混ぜてみる。隠さねばならないことと、ほのめかしたほうがいいことの見きわめ。敵を欺くにはまず味方から。極限状態では、余裕のあるほうが勝ちなのだ。

幕切れは、あっけなさすぎる気が、しないでもない。けれど、途中の状態で、この後するであろうことは予想がつくと思う。あとはそれが成功するのかどうかを、追って見守るしかない。

被害者には、ただ単に善人の役割を与えない。闇の部分、弱い部分、醜い部分さえも、きちんと暴いて描いてしまう。そこがアルレーの恐ろしくも読ませてしまうところなんだと思う。そして、逆に、加害者側の味付けとして、ちょびっと甘みを加えるのだ。効果的な幕切れのためとはいえ、こちらの気持ちを翻弄させるのがうますぎる。ずるい、とさえ、思ってしまう。

「地獄でなぜ悪い」。そうか、この人が、そういう意味で言う言葉だったのですね。

1999/10/3


江國香織『冷静と情熱のあいだ Rosso』角川書店 1999
辻仁成『冷静と情熱のあいだ Blu』角川書店 1999

*感想
辻仁成のほうの帯には”男と女”、江國香織のほうの帯には、”女と男”。主人公の名前が、順正(仁成を想起させる)と、あおい(香織と母音の並びが同じ。kAOrI)。

連載は、あおい(江國香織)から始まり、交互に行われ、順正(辻仁成)で終わっている。そのまま1冊の本にはならず、別々に出版された。はじめ、どうしてまとめて1冊にしないんだろうと思っていたけれど、題名について考えたり、読み終わってからの気分では、2冊に分けて意味があるようにも思った。

「あいだ」があるからこそ、二人は二人なのだと思う。「あいだ」がなければ、なにもかも一つだ。あいだがあるから、それぞれに思い、行動し、そこに在る、すべてがあるのだと思う。そんなことを考えていると、この本を2つに分けて独立させたのも、悪くないなと思うのだ。

男側、女側と分けたということは、読者からすれば、「物語の」始まりと終わりを(どちら側かで)いったん体験してしまうことになる。片方を読んで、二人の未来を知りつつ、もう片方を読んでみることの意味は、それぞれの思いをより味わうこと、なのかもしれない。みかけは同じ未来でも、それぞれ考えていることが一緒とは限らないのだから。

私は、順正サイドから読んだ。彼は、年がら年中あおいのことを思っているので、私もあおいのことが気になってしまった。彼のようなのを「思い出すのをときどき忘れる」状態というのだろう。

一方、あおいが見せてくれるのは、彼女が何をしたか、そして彼女からみた彼女の周りの人々についての観察。彼女は実に、思ったことを言ってくれないのだ。まさに、彼女も含めた周りの人たちがそう思ったとおりに、私たちにもそう振る舞う。彼女は、ごくごくたまに、順正の名前を出す。なのに、彼女がいつもいつも彼のことを思っているのは、やはりわかってしまうのだ。

それは、辻仁成と江國香織の描き方の違い、と言ってしまったら楽なんだろうけど、それよりは、順正とあおいの違いと思ったほうが楽しいと思う。

1999/10/13


殊能将之『ハサミ男』講談社ノベルス 1999

*感想
後半で、「えっ?」と思ってからは、打ち上げ花火の連発を見ているような気分でうわーうわーと読み進め、次はどんなの? と期待しすぎた挙げ句に、間のびして終わってしまった、というような読後感。また、説明を受けるのは嫌いじゃないはずなのに、それは自分で戻って確かめるからいらないのに、というような、蛇足な感じがしたところも。

ただ、こっちが先にわかっている状況に、警察がわかっている状況が追い付くまでのテンポが、心地好いな、と思った。それに、対決状態になるのが誰と誰なのか、とか、自殺願望を持った殺人者という設定、全体的にコミカルな雰囲気は面白いと思ったんだけど、それだけに、ああ、なんだかものたりない、なんだかもったいない、という気がする。

自殺も、自分を殺すという一種の殺人ではあるけれど、加害者と被害者が一致していて、「成功」すれば、両方ともいなくなってしまう。だから、動機や真相は、わからずじまい。遺書が残っていたとしても、それが真実なのか、確かめるすべはないのだし。でも、それが自殺でなく、加害者が残っている場合だとしても、真実が全て明らかにされるかなんて保証は、やっぱりないと思う。真実なんてさあ…、と、うそぶきたくなっちゃうのだ。

そういう意味では、ハサミ男の動機は何々であったという言及がされないことについては、好きだな、と思った。それは、この物語の中では、ハサミ男は死んでしまった人だと考えられおり、ゆえに、動機(を含めた真実)わからない、ということに沿っているわけで、物語の中で整合性は取れているなあと思うと、面白いな、と。

1999/10/16


キャメロン・マケイブ 熊井ひろ美『編集室の床に落ちた顔』国書刊行会 1999
Cameron McCabe,THE FACE ON THE CUTTING-ROOM FLOOR,1937

*感想
解説を読んでみたら、内容に混乱するのは私だけじゃないようなので、妙に安心する。それが著者のやりたかったことと密接につながっているのはわかるんだけど、すっきり混乱させることって、やはり難しいのだろうか? すっきりは、整理されていることで、混乱って乱すことだから、難しいわなあ。

後半、ここまで真正面から「解説」されちゃうと、確かに面白いし、どうひっくり返してくれるのかという期待もわく。p.348には、正直びっくりした。ここまで言って(やって)しまうんだー、と。

要は某「藪の中」? やりたいことはわかるし、好きなんだけど…、と評価はちょっと低い。卑近な例で言えば、○○という料理は好きだけど、使っている材料が良くないと感じた、というか。

1999/10/26


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