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日記のフリindex

00.0900.11

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g.#20000101


2000年10月

その他

花を摘む少女と虫を殺す少女@中野武蔵野館
硝子のジェネレーション@キネカ大森
樋口一葉「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」『明治の文学 樋口一葉』(筑摩書房)
恩田陸『上と外』(2)(幻冬舎文庫)(13)
中山可穂『深爪』(朝日新聞社)
杉山亮『子どものことを子どもにきく』(新潮社OH!文庫)
樋口一葉「闇桜」『明治の文学 樋口一葉』(筑摩書房)
坪内祐三『古くさいぞ私は』(晶文社)(26)
『星願』@渋谷東急(香港映画祭)
近藤史恵『この島でいちばん高いところ』(祥伝社文庫)


31(火)
ハヤシライスに添えられたラッキョウを一つ食べてみた。「食べられなくはないけど、好んで食べない」ものがいくつかある。ラッキョウもその一つ。「うぇ、やっぱりおいしくない」と食べながら、きっと今、まずそうな顔してるんだろうなあなんて思った。でも、おいしいものは、あまりおいしそうな顔して食べてないかも。もくもくと、いやらしく、むっつりすけべっぽく。何かを食べてるときの自分の顔ってどんなだろう。

「ご自由にどうぞ」と、むいてあってそのまま食べられる柿はもらわず。これも好んで食べない果物。

買った本。
『海外ミステリ・ベスト100』(ハヤカワ文庫)
恩田陸『puzzle』(祥伝社文庫)
近藤史恵『この島でいちばん高いところ』(祥伝社文庫)
小林ケンタロウ『バーンと、うれしいおやつ』(文化出版局)

近藤史恵『この島でいちばん高いところ』(祥伝社文庫)は、帰りの電車だけで読み終わりました。それほど強い刺激じゃないと思うのに、ちょっと呼吸が苦しくなったくらいどきどきした。プロローグのところで、ジャプリゾみたい、って思った箇所があった(結局、全編通してそこだけだったし、自分でもなんでそう思ったのか良くわからない)。読み終えてすぐは、エピローグが蛇足のように感じたんだけど、そこでの殺人に対しての言及によって、私にも物語の中の殺人がかっこ付の”殺人”というふうにだんだん思えてきた。エピローグがあるために、殺人事件とか孤島に残された少女たち、そういう設定・物語”だけ”を描きたかったんじゃなくて、そういうのは他に描きたかったことのための道具? 手段? なのかな、という気がしてきた。

小林ケンタロウ『バーンと、うれしいおやつ』(文化出版局)ったら、フレンチトースト、とろとろのカスタード、キャラメルミルクゼリー、ババナのお菓子! きゃー。もちろんほかにもいろいろ。

ひざ掛け(\980.-)巻いてるくらいじゃ、寒くなってきたよ。こたつ。


30(月)
電車を降りるときに前に立ちふさがって邪魔な人に対して、「すみません」ではなく、「じゃま!」と言う夢を見たい。言った瞬間目が覚めて、及ぶ危害は何もなし。

昨日行った紀の善のあんみつと抹茶ババロアを食べた。あんみつの寒天はぶりぶりで、ぎゅうひは素敵においしいし、餡が上品。抹茶ババロアは、うん、本当だ大人の苦さだ! 抹茶を飲むのと同じくらいの濃さと苦さが再現されてる。添えられた生クリームと餡で食べる。でも、生クリームは甘くない。あんみつも、抹茶ババロアも、ちゃんと甘いのは餡だけなんだね。

自分の手の伸ばせる範囲になんでもはべらせて、つまりは、いつでもなんでも手にとれる用意はあるのに、用意したことで満足して、あるいは疲れて、本当はなにも用意できてないのに半分気付きながら、こたつの中に入ってぼーっとしてる、みかんも食べずに。今ってそういう感じ。なにかを自分の中に取り入れることもできず、せず、なにかを言いたいわけでもなく、あらわしたいわけでもなく。


29(日)
友達と、『星願』@渋谷東急をみに行く。香港映画祭の中の一つ。来ている人は女性が大半でした。

その彼女も言っていたのですが、「人が死ぬ前から泣けた」し、泣き通しで疲れ果てたくらい。はっきり言って洗練からは遠いし、「泣かせようとしてる」と言う人がいても否定できないくらいの演出。でも、本当に泣いてしまったんだから何も文句はない。ストーリーの無骨さや自己犠牲的なところが、妙にいとしいなあと思うのです。

主演のセシリア・チャンは、やっぱりかわいい。リッチー・レンも、役柄に合ってると思う。ちゃんと人柄に目が行く容姿というか(でも、ときどきハンサムに見えたり、イーキン・チェンに見えたりする。キシタニゴロウに似てる)。エリック・ツァンは、『ジェネックス・コップ』にも出てたけど、忘れてはいけない、『ラブソング』にも出てたんでした。なんだかこの人にはいつも泣かされてるなあ。

みおわった後に配られたアンケートを書いたのですが、「一番泣けたところは」には「ありすぎてわからない」と書いて、「感想は」には、「泣き疲れて今は冷静に考えられません」とか書いてしまった。

2001年のお正月第二弾で公開が決定しています(シネマスクエアとうきゅうで)。→01.02.11に再度みました。

『星願』オフィシャルページがまだ稼動してないようなので、あらすじはこちらを。

飯田橋へ移動して、紀の善へ向かう。あんみつや抹茶ババロアに惹かれつつ、お互い玉子ぞうにを選んでしまった。ふわーっとしたかきたまの下には、小さ目の食べやすいお餅が2枚と、かまぼこ、三つ葉など。おつゆも上品でおいしく、身体がとても温まりました。あんみつと抹茶ババロアはおみやげにしました。冷やして明日食べます。ふふふ。

そのまま神楽坂でご飯を食べて過ごす。ご飯を食べ始めたのが早かったせいか、ずいぶん長く一緒にいられたようで、映画がずいぶん昔のことみたいに思えた。


28(土)
当たり前のように、目当ての靴はなくて、靴売場はブーツばっか! もう、ブーツなんて絶対買うもんかと思った。

東急ハンズで、ベトナムコーヒーのコーヒーフィルター(というのか、セット)を売ってて、ステンレス製のためか800円。ピカピカだった。ベトナムコーヒーの豆を見つけたので買う(これは東急ハンズではない)。

アフタヌーンティーに入ったはいいものの、何が飲みたいのか良くわからなくなった。自分の口の中でピンとくる味を思い浮かべながら、結局、アイスミルクカラメル。アイスのミルクカラメルは初めてだ。

また頭が痛くなったので、帰ってきてからすぐに横になったら、こんな時間に起きてしまった。(朝の4:40)


24(火)-27(金)
坪内祐三『古くさいぞ私は』(晶文社)を読み終わり、大岡昇平『事件』(新潮社)を読み始めた。堀江敏幸「変名について」<『子午線を求めて』(思潮社)所収>を眺めてたら、『事件』『加田伶太郎全集』に触れてあって、読みたくなって。

久しぶりに本屋に行ったけど、それほど楽しく感じない。料理の本ばかり眺めて、そして買ってしまう。なんか……、足りてないのかな?

買った本。
小林カツ代・ケンタロウ『カツ代流しあわせごはんケンタロウ流ウマイめし』(講談社)……「お題」で二人が違うメニューを作る趣向。
ケンタロウ『フライパンひとつでうれしい一週間!』(講談社)……まだ買ってないけど来週にでも買う。
小林ケンタロウ『バーンと、うれしいおやつ』(文化出版局)……同上。
「なごみのお茶」(日本放送出版協会)……わりと日本茶に重点が置かれてる。
工藤佳治・兪向紅『中国茶図鑑』(文春新書)……カラー刷なのがいい。

「炭屋ですが、ご飲食も出来ます。」(つまり、23日の記述は間違ってました)の炭屋さんで、教えてもらった友達とお茶して帰る。備長炭や竹に囲まれた、こじんまりしたところ。頼んだ「おやつセット」は、飲物に黒糖蒸しパン+クッキーが添えられたもの。飲物は、炭焼コーヒー、抹茶、ハイビスカスティー、菊花茶があったと思う。出されたお水も備長炭を使ってるのか、おいしい気がする。「炭道庵」

水曜日、いつものようにNさんと会社へ向かっていて、炭屋さんでお茶してきたんです、と説明するために、その前を通ってきた。午後になって、「行ってきたよ。おいしかった」と早速報告を受ける。木曜日は私が電車に乗りはぐれたせいで会えなかったし、金曜日も私が別の場所で仕事だったため、会えなかった。

だめになりそうな牛乳で、杏仁豆腐を作った。でも違う、本当はアイスクリームを作るつもりだった。500ml開けずじまいで、なんとかしなければ! と思って牛乳をたくさん使うものは何だろうと考えたら、アイスクリームだ、と思ったわけ。で、卵と生クリームを買って帰って、おいしそうだったレシピを見たら、牛乳は70ccしか使わない。これじゃ意味ないよ! プリンに路線変更しようかと思ったけど、このあいだたくさん(直径15cm)作りすぎて実はうんざりしてたので、杏仁豆腐にした。そして、アマレットを効かせたシロップ。

だめになりそうな牛乳とだめになりそうな私。全然意味違うけどちょっと似てる。だめになりそう、って、なんだか惹かれる言葉だなあ。それとも、「だめになりそう」ってこと自体に惹かれてるのかな。

「ものがたり」をあまり読みたい気分じゃないのに、頭の片隅で「ものがたり」について考えてもいる。前者の「ものがたり」と後者の「ものがたり」は、少しだけ意味が違う。面倒だし、意味がずれそうなので、説明するのはやめよう。

忙しいのと忙しく過ごすのは違う。

ブーツは買わずにローファーを買いそう。数週間前にパッと気に入ったものがまだずっと心の中にある。でも、もうきっと同じ場所にはない。

TVを消すと静かなので、本当に久しぶりにCDを聴こうと思った。ピアノの音の間に時計のカチコチという音がする。音はあるのに、やっぱり静かだなあと思った。


23(月)
いろいろな夢を見た。一つだけ覚えてるのが、高いところに登ってジャンプして降りるつもりが怖くて飛べなくってどうしようと思っていたところに巨人が通りかかったというもの。そこまでしか覚えてないけど、多分助けを求めたと思う。「ラッキー」と思ったのは覚えてる。夢の中では、巨人が通りかかることを不思議と思わないんだよね。

3日ぶりの外だからといって、それほど気持ち良くはなかった。傘が邪魔で水筒が重い、でも、もっと重いのは勉強が足りてない本類。

お財布の中の所持金3円で会社に行った。こんなにハラハラするのはもういやだ。友達と一緒の帰り道、「炭屋だけどお茶も飲めます」というお店を教えてもらう。

このごろ「実用書」 な私が今日買った本は、『甘味王厳選の[東京・横浜]93店』(双葉社)。枕の下に敷いて眠りたくなるよ。

ところで、江國香織の件でアンケートを送ってくださった、いて座B型のかたへ。メールが戻ってきてしまいます。再度、正しいアドレスをいただけませんか。


22(日)
昨日、「相手のことをあまりに知らないで聞くことは不可能なことだ」って書いたけど、なんか違う気がしてきた。知る/知らないと、(距離が)近い/遠いは違う。ようは、インタビュー相手との適度な距離を取って欲しいということ。


21(土)
TVをつけてチャンネルを変えていたら、優しげなおじさんが出ていて電気の話をしている。番組は、「週間こどもニュース」。現役引退した大学の教授とかかな、子供好きそうだな、と思いながら見ていたら、ノーベル賞を受賞した、白川英樹氏だった。出演者の子供たちが、わーっと驚いたりするたびに、にこにこ嬉しそう。

先週読み終わった杉山亮『子どものことを子どもにきく』(新潮社OH!文庫)。自分の子供が3歳のときから、10歳のときまでの、年に一度のインタビューをまとめたもの。自分には関係ない他人の子供のインタビューなんて、普通、興味を持たない。でも、もしかしたら、「親」と「子」ではなく、「大人」対「子供」のインタビューになっていたら面白いだろうな、と思って買ってみた。

結果から言えば、「大人」対「子供」のインタビューという図式にはなっていないと感じた。ある親とその子供の会話という域を出ていないと思う。インタビューに、著者である親側の解説がついていて、ウルサイ。親バカ的視点も、ちらっと感じてしまった。

インタビューを面白く読ませるって、すごく難しいことだと思う。聞く側と答える側の距離が適切でないとだめなんじゃないかな。両者が親しいと、内輪受けの馴れ合ったもの(だから聞いていてわからない)になる可能性があるだろうし、逆に、相手のことをあまりに知らないで聞くことは不可能なことだし。

そういった点では、上記の本は距離が適切とは思えなかった。

インタビューものといっても、思い出せるほど読んでいないんですが、武藤起一編『シネマでヒーロー』(ちくま文庫)と、溝口譲二『子供たちの時間』(小学館)は印象に残っています。前者は、永瀬正敏、三上博史、豊川悦司、佐野史郎へのインタビュー集。後者は、日本全国の小学6年生に対するインタビュー集。

『明治の文学 樋口一葉』(筑摩書房)から短篇「闇桜」を読む。「 」がなく、地の文と会話の文が混在している文章って、面白いな。どうしてそこで読点が? と感じたりもする。でも、ちゃんとリズムがある。(上)(中)(下)が、それぞれ、春都さんの言葉で言えば(10/16,17)、心理描写/心理説明/心理描写になってると思う。(中)は、まるまる心理説明、なのに全然しつこくない。(下)の最後まで読み終わり、ただ余韻だけが残る。どうしてこう、素晴らしいんだろう。


20(金)
昨日から風邪をひいてしまい、一気に熱が出たのが下がらないので休んでいます。身体の節々が痛いのは、関節痛かな。

一番くやしいのは、今日の社食の「さんま塩焼」を食べられないこと。一週間前から楽しみにしてたのにー。

退屈で静かです。本やビデオやVCDはちょっとつらいけど、文字は打てます。今まで、web日記で「具合悪い」というのを読むと、「どうして具合悪いのに日記書いているんだろう。書いてないで早く寝たほうがいいのに」と思ったことがありましたが、ちょっと考えてみれば、メールのやり取りが多い人は、「具合悪くて返事遅れます」の表明に使えるんですね。私の場合、今なんで書いているかっていうと、退屈だから。本当に寝込むほどだったら何も書けないけど、ちょっと具合悪い程度なら書けるわけだ。

ああ、ヨーグルトが食べたい。森永のあずきプリンしかありません。オハヨーのロイヤルメープルティーというのを飲んでますが、メープルシロップ味がおいしいです。身体も冷えていい感じ。しかし、117kcalもある。

あんかも昨日から動員です。

(ここまで10/20/00 14:58:37)

久しぶりにPC-VANにつなぎ、PCVAN^2という場所を知りました。PC-VANという言葉に感慨(?)を持つ人にはとくに、懐かしかったり大笑いしたりだと思います。「PC-VAN小史」の緻密さには圧倒され、「PC-VAN関連サイト一覧」では、PC-VANで活躍してた人がどこにいるか知ることができます。

そのほか、「PC-VAN奇人・怪人列伝」http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3271/retuden/retuden.html

薬を飲むのをずっと忘れてました。ではおやすみなさい。

10/20/00 23:20:34


18(水)
根津の芋甚というところで、あんみつを食べました。素朴で懐かしい感じのわりあいあっさりした味。こういう味のアイスが近くに売っていて、いつでも食べられたらいいのに。市販のアイスは洋風な味という感じだから。

そのあと、私も含めて5人 で、お酒を飲みながらいろいろ喋りました。

木枯らし一号記念?


17(火)
朝のホームでちゃんとNさんを見つけた。予期してるのにバッタリと会う感じ。「今日は(コンビニに)寄っていくの?」と聞かれたので、「いえ、寄りませんけど、外で待ってます」と答えて、エスカレーターへ。昨日とは逆に、Nさんがすたすた降りていった。コンビニから少し離れたところで、靴の紐を結びなおしていると、すぐに来た。「わ、早かったですね」「3番目だったよ」。なんか、会話だけ並べるとラブラブだなー、でも風景的には仲のいい親子のほのぼの図って感じかなー。

今日の話題。今日は雨が降るだろうか。いい傘が欲しい。軽い折りたたみ傘。いい傘を奮発したのに一度も開いてない。ダイエットしてるの?

アンケートで、最後の星座さんがとうとういらっしゃった! コンプリートだー、わーい。

つきつめて考えれば、一人の人に手紙を書いて、それでその人をどきどきさせられたら本望ってところがある。たとえば、とびっきりのラブレターを書いて、ぐっと気持ちをつかみたいっていう、そういう気持ち。誰のためでもない、その人だけのための時間をさいて、言葉を選んで、届けたいと思う。この日記は、(たぶん)不特定多数に対して書いているものなので、一人だけのために、になりえないのはわかってる。でも、もし、そんな部分・気分が少しでも出ているのだったら、どんなに嬉しいだろう。


16(月)
緑のおばさんに「土曜日どうだった〜?」と聞かれて、「間に合いました〜っ」と、我ながらいい笑顔で答えたなあ。はっはっはっ、すがすがしい朝だ〜。

恵比寿駅のエスカレーターで、「おはようございまーす」と言いながら、Nさんを追い越した。水筒を持ってこなかったので、水を買いに先にコンビニに入った。多分、Nさんも後から来るだろう。ところが、水とWiLLのチョコを持ってレジに並んでいる間、店内を見回してもNさんが見当たらない。あれ〜先に買って行ってしまったかな、と残念に思っていたら、別のレジのところにNさんが並んでいて、きょろきょろしている。あっ、Nさんっ、こっちだよ〜、とテレパシーを送ったら、ちゃんとこっちを向いてくれたので、水とチョコを持ち上げて合図する。先にレジが終わったNさんは、コンビニの外へ出て待っていてくれた。

それを見ていたら、すごく嬉しかったのと、やっぱり先週待っているべきだったなあという後悔がないまぜの気持ちになる。「すみませ〜ん」と駆け寄って、会話しながら会社への道を歩いた。

(沿線が同じなのです。)「お祭りありましたねー」「数年ぶりに行ったよ。休みは何をしていたの?」「土曜日は出勤して、日曜は家にいました」「休みは取れる?」「そうですね……。Nさんはどうですか」「この間休んだときに、会社の保養所に初めて行ったよ」「えっ、Nさんの歳にして初めてですかっ?」と驚く。だって、Nさんは、私の父くらいの歳なのです。

杉山亮『子どものことを子どもにきく』(新潮社OH!文庫)坪内祐三編『明治の文学 森鴎外』(筑摩書房)を買いました。『子どものことを子どもにきく』を、帰りの電車の中から読み始めました。本当は、毎月一冊出る「明治の文学」を、ひとつきで読み終えてみたいんですが、ハードカバーが持ち歩けなくなったこともあって、難しいです。


15(日)
二度寝は良くない。頭が少し重いまま、中山可穂『深爪』(朝日新聞社)を読んだ。

本を読み終わると本当に頭が痛くなっていたので、頭痛薬のチュアブル錠を噛んで寝た。起きてもまだ頭が痛く熱っぽい。熱を計ってみると少し高い。でも、ご飯を作って食べたら頭が痛いのも治って、熱っぽいのもひいたみたい。こういうことが良くある。

『深爪』は、一気に読めるほど先は気になるけど、物語が終われば先は気にならない。そんな納得の気持ちは、余韻からは遠く、物足りなさからきているんだと思う。物語の濃さと同じくらい描写も濃いように見えるんだけど、物足りないと感じるってことは、どこか表面的だと思ってるからなんだろうか。

内面を書くって、内面を"そのまま"書けばいいってことじゃないのかもしれない。何を感じたかがストレートに書かれてるからと言って、それが相手にハッキリ伝わるとは限らないのかもしれない。その人の感じたことがストレートに書かれてるのではなく、その人が何をしたか、どう行動したかが書かれていて、それでその人の感じていることがわかる場合もあるし、それがずんと響くこともある。

読んだ、だけしか書くことがないはずだったのに、パソコンに向かったら書いてた。

いま、NHKのロボットに関する番組をつけながら書いてた。ちゃんと見たり聞いたりしていなかったので、その中で言っていたことなのかもしれないけど、ロボットは、人間にあまりにも近づきすぎてはだめなように思う。ロボットとしてのぎこちなさが残る感じ、それを愛くるしいと思うんじゃないかなあと思った。


14(土)
出勤でした。

なのに、起きたのは、いつもなら電車に乗ってる時間。10分で支度(歯を磨いて、顔を洗って、眉を描いて、着替え)して、コンバースの紐を結んで、階段を駆け下りるっ。家を出たのは、会社が新宿だったときの、「これを逃したら遅刻かも?」という、ギリギリの時間。

学校のある土曜日だから、緑のおばさんがいて、「出勤?」と聞かれたのに「遅刻しそうですーっ」と叫びながら走っていたら、「がんばって〜」と言われてしまった。駅まで歩いて10分弱。ずっと走って、ホームまで駆け上ると、ちょうど電車が来てた。歩いて10分、走って5分かー。

これが乗れたらあとはもう、埼京線がベストな時間で来れば間に合う。ターミナル駅に着いて電光掲示板を見たら、ちょうど来るところ。乗り換えが素晴らしくスムーズで、恵比寿駅に着いたのは、始業15分前だった。

ここからは、普通に歩いて10分かからない。7,8分。走れば5分くらいだろう。安心したら、ひじょーうに、餡ものが食べたくなった。できれば大福がいい、それがだめなら、あんぱんでいい。改札内にあるコンビニで、お茶・あんぱん・バナナクーヘンを手に取る。しかし列が出来ててあせるー。買って改札を出て、また走る。歩道橋まで信号待ちなしで、走ってこられた。

ああもう絶対に遅刻しない、というところまで来た。あとは、この歩道橋を渡って少し。そんな気持ちのところへ、歩道橋脇にあるのが「ヤマザキデイリーストア」であることに気付いた。「あ、食後のアイスがあるところだ」とひらめき、寄ってしまう。プリン味のを買う。

そして、歩道橋を一応駆け登って、少し小走りを続けながら会社に着いた。今日、部にいるのは、私を含めて3人。遅刻しそうになったということを話しながら、「ごめん、アイス食べていいっ?」と断って、アイスをどんどん食べた。あまりビターではないけど、カラメルが本当にかかっている、すごくおいしいプリンアイス。続いて、お茶を飲みながら、あんぱん。なんだかもう、仕事が終わってしまったような気分だよ……。

結局、コンビニに2軒寄りつつ、door to doorで1時間で来られたわけで、そんなことに興奮してた。通常は、1時間15分かかってます。平日は土日より電車の時間がかかるし、今日みたいに走ったりしないし……。それが15分の差なんだなあ。

お昼は3人でにんにく料理を食べたりなんかして、エネルギーは充分すぎるほど充分になりました。

ホットサンドトースターが届いた。結婚式に出席した時のカタログギフトによるもの。コンデンスミルクは、コーヒーや紅茶が置いてあるとこで売っていました。

昨日も書きましたが、日記に関しては「日記鯖」というところにも同じものを置いています。今のところはどちらでもお好きなほうを、というか軽いほうでご覧下さい。読む側から見て変わったのは、更新状況が「ミステリ系更新されてますリンク」のほかに「日記鯖」でも見られるようになったというのと、後者は日記ダイレクトに飛んで読めるってことかな。どう使ってゆくか考えながら、並行使用は続く。なにかご意見・ご感想あれば、上のフォームからどうぞ。


13(金)
昨日と同じ電車に乗ろうと思って家を出た。なのに外へ出ると少し雨が降っていたので、戻らざるをえなかった。5階をのぼるのは疲れるし、時間がかかる。3分縮めるくらいの気持ちで走らないと、どうやら電車には間に合いそうにない。でもなんで走っているのかなあ。走ってしまうんだよ。

結局、昨日よりもいい位置で乗れた。

駅に着くと、下りのエスカレーターのところで、昨日と同じようにNさんに会う。昨日と違うのは、「おはよう」と見つけてもらったことだ。たぶん、降りきったところにあるコンビニで水を買うだろう。案の定、コンビニで水を買っていく、という仕草をするので、待っていようかな、でも逆に気を遣ってしまっては悪いし、と考えるも、結局、初めて会ったときのように、「あ、はい、いってらっしゃい」とかなんとか言って、先に行くことにした。

それでもいくぶんゆっくりめに歩いて、歩道橋にのぼった時に振り返って見下ろしたら、ずいぶん後ろに見える。ああ、これだけ時間の差ができてしまった、待っていたほうが良かったのかなあ、なんだかつまらない、だって私は何のためにあんなに走ったんだろう。

会社に着いてしまって、席にも着いて、3分後くらいにNさんの姿が見えた。「けっこう時間がかかるものですね」と言ったら「今日は一緒に来られなかったよ」と言われた。やっぱり来週は待っていようかなと思った。

こちらをご覧下さい。日記鯖というところにも置いてみました。ただ、日記以外のコンテンツも持ってるので、biglobeからの全面移行は難しいかなあ。当面、並行してみようかと思っていますが……。

本を買いました。恩田陸『上と外』(2)(幻冬舎)吉本ばなな『体は全部知っている』(文藝春秋)『恐るべきさぬきうどん』(新潮OH!文庫)「Zakka Book 72の雑貨の話」(マガジンハウス)。このうち、『上と外』(2)は帰りの電車で詠み終わりました。5巻まとめてばーっと読んだほうが気持ちがいいかもですね。


12(木)
京都生まれ京都育ちの六月さんによると、昨日書いた<関西>c.亀山あるいは金時も、お店によっては「ぜんざい」となっているところもあるそうです。なんて書きながら、関東でいう「ぜんざい」/関西でいう「金時」を食べたことがないのに気付きました。

朝、一本早い私鉄に乗れたので、JRも一本早い。通勤経路が変わってから混雑が一番楽だった気がする。改札で同じ部の人とばったり会い、一緒に会社まで歩いていった。これで二度目。何を話したっけ。

会わないなと思ってたんだよ。一本早く乗れたんです、今日はお水買わないんですか? 昨日飲みきれなかったから。冷蔵庫があるのご存知ですか? え、知らない。給湯室の中にありますよ。何時に出てるの? ○○さんは? 7時5分。 まっすぐ行こう。道路が大きいから信号長いですよね、昨日歩道橋渡っちゃいました。

昨日から、焼いたチーズケーキがむしょうに食べたく、コストを考えて作ることに決めた。ああっ、オーブンの中がすごいことになってるよ! を見るのは幸せだな。ベトナムコーヒーのためのコンデンスミルクは見つからなかった。

火曜日にどうして沈んでたか書こうと思ったけど、これから半月、日記を開けるたびに目に入るといやなので、やっぱりやめた。

クールとホット。ウェットとドライ。ビターとスイート。今日憧れるのは、クールでドライでスイートなやつ。でも、明日もその先もそう思ってるかもしれない。


11(水)
会社帰り、友達と一緒に、駒沢通りを旧山手通りにぶつかるまで歩いてみた。うーん、確かに今はアジア雑貨が流行なんだなあと感じる。そのおかげで、ベトナムコーヒーのセットを見つけました。値段がついてなかったので、聞いてみると、\200.-! まだ使っていません。

三上博史と原田知世が出るので、日テレで始まった『ストレートニュース』をみる。三上博史が久しぶり。昔、この人が売れない歌手役で、西田ひかる(だっけ)がマネージャー役というドラマがあったけど、あれ好きだったなあ。

そういえば、お汁粉とぜんざいは関東と関西で呼び方が違いますね。いまいち頭に入らないのでちょっと整理してみる。参考文献:川口啓明『ちがいのわかる食品小事典』(大月書店)

<関東>
a.御膳汁粉→こしあんをつかう・汁物
b.田舎汁粉→つぶあんをつかう・汁物
c.ぜんざい→汁気を少なくして、練り上げたあんを餅などに載せたもの

これらa,b,cが関西に行くとこう呼び方が変わる。

<関西>
a.汁粉
b.ぜんざい
c.亀山あるいは金時

「ぜんざい」が室町時代に関西で考案されて、江戸時代に関東に伝わったのだそうですが、江戸ではこれを、はじめから「汁粉」と呼んだそうです。それから、江戸の汁粉はこしあんを使ったけど、関西ではつぶあんを使っていたとか。

あ。いま急に思い出した。大福持って帰ってきてたんだ……。今朝、会社に着いたら、机の上に大福がでーんと載ってたんです。


10(火)
不機嫌なのと、気分が沈んでるのって、見た目似てるような気がするんだけど、どうだろう。だから、気分が沈んでいるときは、あまり人に会いたくないです。不機嫌に見えたら相手は嫌な気分になるだろうし、かといって、そう見せまいとしてもなかなか自分で盛り上げられない時もあるし。っていうか、下手。


9(月)
雨があがって外へ出たけど、冷静になってみれば、昨日のゴールデンレトリバーはやっぱり連れていけないものだよね……。家の中で引き連れて歩くしかないなー。コーヒー豆を買ったり、優勝セールのダイエーをのぞいたり。それから、久しぶりに本を買った。

ドストエフスキー『前期短篇集』『後期短篇集』(福武文庫)野上弥生子『真知子』(新潮文庫)原田康子『満月』(新潮文庫)

原田康子『満月』は、朝日新聞社から出たハードカバーを持っていて既読なんですが、表紙をめくったら折り返しのところに写真が載っていて、どうやら映画化していたらしい。全然知らなかった。それも、時任三郎+原田知世。これはイメージに合ってる。物語は、300年前からタイムスリップしてきた侍・小弥太と、高校教師のまりの恋愛もので、じめっとしてないのが良かった。

少しずつ読んでいる樋口一葉は、文語文に慣れないのでゆっくり読んでいます。いまのところ、三つ読みました。「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」

「たけくらべ」。二つの道が一つになることはないと始めからわかっている、そんな環境での、これは恋なの? 環境を飲み込んで、セーブの意識が頭でっかちに出すぎて、表現がひねくれすぎてしまう。意地っ張り。恋心と自分でちゃんと認識する前からセーブしようとしている、そんな感じ。ただ、最後の一段落には、胸がきゅーっとなり、やっぱりそれは恋以外のなにものでもない、って思った。

「にごりえ」。真相がわからないといった点で、読後"に"考えさせられる。読んでいる途中では、今の彼への気持ちを言葉で表明していた(彼にも、読者にも)。けれど、昔の彼への気持ちは、言葉では表明していない。ただ、どこか遠くを見るような、物思いのシーンが描かれているだけだ。その、言葉で表現されなかった部分は、最後の「再会」において、どういう答えとしてあらわれたのか。今でも好きだと思ったのか、もう好きではないと思ったのか。それによって、真相は違ってくるんだろう。でも、物語が終わったいま、それは彼女のみぞ知る。

「十三夜」。まだ三つ目にして、樋口一葉は「対比」がうまいんだなあと強く感じたのがこれ。裕福だけど夫との結婚生活が不幸な女性が、両親のもとへ、夫と離婚したい旨を相談に行った帰りに、昔好きだった人に再会する物語。好きだった人に再会するまでは、「対比」はなにもなく、彼があらわれると同時にあらわれる。それはもう、みごとに。「人生は小説よりも奇なり」と言うけれど、この物語は、その「小説よりも奇」な人生を描いていると思った。


8(日)
女五人(ららさん、Tmiさん、Mneさん、Mmoさん、私)で、『硝子のジェネレーション』(原題:新古惑仔之少年激闘篇)@キネカ大森へ。『欲望の街』(原題:古惑仔)シリーズでの主人公たちの少年時代の話なので、本編をみていたほうが断然面白いと思った(Bさんがクスリを嫌っているのは本編でも関係してくるし、なにより、十三妹(サンドラ・ン)がちらっとでも出てきたり)。17歳の少年が、極道の世界で生きていく覚悟をつけていくという話で、明るくはなかった。ニコラス・ツェーは、現実に実物を見ているより、映画の中でのほうがオーラを感じる。

あ、ジンクスさんもごらんになったんですね(10/7)。Bさんは、今日みんなに教えてもらったんですが、本当の(元?)ヤクザらしいです。兄貴(彼女に暴力ふるってたタイトウのこと?)は、ダニエル・ウーです(『美少年の恋』『ジェネックス・コップ』にも出てるのでみてください!)。それでもやっぱり、ニコラス・ツェーより、サム・リー(サンカイ役)がいいなと思いました。ちなみに、同じ組でありながらBさんと敵対していたワルモノ、カン役の、ン・ジャンユー、私はこの人が結構好きなのです。

お台場へ移動して、またもや映画をみようとしたんだけど、ものすごく混んでいたし、時間も中途半端だったので、ごはん+お茶に。

どっぷり夜が更けたお台場は、認めたくないけど美しい。せいぜい夕方までしかいたことがなかったから、こういう風景を知らなかった。昼間は人工的に見えて、あまり好きな場所ではない。でも、夜のお台場は、人工的なところがあまり感じられなくて、やけにあたたかみがあると思った。照明が黄色味をおびているのや、ホテルの窓の照明がついているのがいいのかもしれない。ホテルって、昼間は人工的だけど、夜は電気がともって人間味を感じるから。

さて、そのお台場で、ゴールデンレトリバーを買ってしまいました。お散歩パピーというもので、水素風船に足がついているため、浮き上がらずに足だけ地に着いている格好になるのです。首輪の紐がついていて、それをもって散歩できます。

以前、池袋でこれを持って歩いている人を見かけて、一見して欲しくて欲しくてしょうがなくって、聞きに行ってしまおうかと思ったくらい欲しくって、でも、結局そんなことはできなくてずっと思ってた。今日、売ってるのを見かけた時には、興奮してしまったよ! やっぱり、念ずれば通ずるんだね。

JRの周遊券の広告、「なぜ、いままで電話なんかでガマンできたんだろう」(だったかなー)というコピーが印象に残ってる。


7(土)
東京国際映画祭で先行上映の『バトル・ロワイアル』は、チケット完売で取れなかった。

早めにスケート場に着きそうだったので、手前にあるコンビニで何か買うことにした。すると、ずっと食べたかったグリコの食後のアイスがある。特濃ミルク(だったかな)を買って、スケート場のロビーで食べた。そうだよー、こういうあっさり系のバニラ味というかミルク味のアイスがずっと食べたかったんだ。これから寒いところに入るのに冷たいもの食べてどうするのだ、と思いつつも、おいしくって嬉しかった。

スケートが終わってからは、高田馬場から原宿までJRで移動して、そこから散歩開始。まっすぐ表参道を歩き、青山通りに出たら左折して、ベルコモンズでも左折。キラー通りをずーっと歩いて国立競技場のあたりまで来て、千駄ヶ谷駅に着いたけど、あと少し歩けば新宿に出られるので、ついでにそのまま歩いてしまった。そんなルート。

表参道では、卒論のアンケートを取っているという早稲田の建築学科の人のアンケートに答えた。ペンがカラーの筆ペンなのが謎。内容は、表参道の露店についてどう思うかというもの。

雰囲気の良さそうなコーヒーのお店があったので入ってみたところ、実際とても良くて、感動した。散歩して良かった。
・コーヒーがおいしい(深煎りのオールドビーンズをネルドリップでいれている)
・ケーキが充実している
・ケーキをひと手間かけて出している
・焼きたてのホットケーキがおいしい
・初めて入ったところなのに、くつろげる雰囲気

コーヒーは、ぼってりした器で出てくるのが嬉しい。熱いものが熱いまま飲めるからです。薄いものだと、熱さが器にも伝わってしまうので、飲みにくいと思う。必ず、手作りのクッキーが添えられるよう。

ホットケーキは、まん丸の焼きたてで、バターと生クリームに、もちろんメープルシロップが添えられてる。生地は、あまりにふかふかで、ふわふわ。自分で作って焼くと、もっとみっしり重い感じになってしまう。まったく、ホットケーキの認識が変わってしまったよ!

ひと手間かけているというのはですね、小さな鍋でなにかを温めているのを見ていたら、バナナの輪切りが載ったタルト(?)の上に、それをスプーンでぬっていたのが見えたのです。ジャムかなにかわからなかったけど、とにかく、ちゃんと温めるっていうのにすごく感動した。

千駄ヶ谷から代々木を抜けて新宿を目指したので、たどり着いたのは、紀伊国屋書店の南店でした。2週間ぶりくらいに本屋で本を見た。でも、あまりじっくり見なくって、何も買わなかった。ただ、私の散歩のバイブル本『東京 山手・下町散歩』(昭文社)が、新しく文字が大きくなって出直していたのを、買いなおしたい気分になった。これは素晴らしい散歩本だと思うので、見てみてください。

>ずーっと会わなければ寂しいなんて思わなくなるかな。。
この一行で思い出した人が一人。でも内緒。なんて誤解されそうなことを書く。「ずーっと”会え”なければ」とはまた状況が違うんだろうなってちょっと思った。


6(金)
会社に着いて、文無しだと気付いた。お財布がない。お昼は社食カードを借りて食べ、来週返すのを忘れないように、「○○さんに\300」と付箋に書いてモニターにペッとはっておいた。昼休みにパステルまで「なめらかシュークリーム」を買って戻ってきた人が、そこのパンフレットをもらってきたので、みんなでそれを見つめながら、あれが食べたいこれが食べたいと勝手に言い合う。みんなで夢見ごこち。せつないので、店の前を通らずに帰ることにした。

なぜ、泣くと疲れるんだろう。

「喜怒哀楽」の中だったら、怒と哀が疲れそうだと思うし。怒るのって、足元から頭へ突き抜ける感覚で、たとえれば頭から噴火そのもの。哀は、その逆で、頭から下へずーんと落ちてゆく感じ。重力をとても感じる感情。喜と楽は、今はちゃんと考えるの面倒だから考えないけど、放射状の光が散るようなイメージ。ぱーっと。

喜怒哀楽のどれであっても、感情が昂ぶったら泣くってことがありえると思う。だったら、感動して泣いたから疲れた、とか、悲しくて泣いたから疲れた、ということは必ずしも言えなくて、泣くという行為そのもので疲れるってことなのかな、やっぱり。

「泣きつかれて寝た」はあるのに、「笑い疲れて寝た」というのは聞いたことがない。笑い疲れることはあっても。

目の前にバンザイしてるコロちゃん。かわいげ。緑は目にやさしいのだ。


5(木)
昨日、山手線じゃなく埼京線に乗るようにして、おまけに一番前から一番後ろに変更してみたら大正解。到着も10分近く早い。もうこれしかない。あとは私鉄に乗る時間と場所の微調整でなんとかなりそう。

その埼京線に乗ったら足元に緑色が。これなんだっけ、指人形の大きさの緑のカエル。胸にはKOROって書いてある。今はもう、次に止まる駅まで身動きできないので、左足とコロちゃん(?)の外側に傘を立てて、少しばかりの防衛をはかる。駅に着き、人が降りてゆくとき、さっと拾い上げた。会社まで持ってって、シャーペンのおしりにつけようかと思ってたのに、鞄の中に入れたまま家まで持って帰ってきてしまった。うむー、どーもくんよりかわいいなー。

香港在住のXIさんが帰省、約1年ぶりにお会いしました。感覚的な言葉がぽんぽん出てきて、聞いていて気持ちよかった。

少し酔っていた時間があったんですけど、そういうときに出る言葉って、「本番」って感じがします。あることについて練習して練習して、それを披露する場に出たのと似てる。それまで身体や頭で覚えてたものが、ばーっとどこかへ行ってしまって、別の部分があらわれる。でも、練習したその内容は、ちゃんとそこに生きて、ある。それは練習していたときの内容そのままじゃなくて、もっとこなれてぺったんこで、敷き詰められた状態になっていて、自分の中からとりのぞけない。酔ってるときは、自分であって自分ではない、そしてその逆も正しい。とにかく、試されるときです。なんつって、酔ってた自分を正当化してみました。

とはいえ、本当に酔ったときの私は、人の言うことがなにもかもおかしくってゲラゲラ笑ってばかりで、かつ、ものすごく喋る。「なんでそんなにおかしいこと言うんだろう」と思って笑いが止まらなかったり、「牛の肉の部類」についてレクチャーしたり、「人殺してないのに人殺したって言われた人の気持ちがわかった」(酔ってないつもりなのに酔ったと言われたから)、なんて言ってた記憶がある。でもたぶん、そういうことはもうない。


4(水)
『TJ KAGAWA』(タウン情報かがわ)を毎月購読してる。そこでの連載「ゲリラうどん通ごっこ」をまとめた『恐るべきさぬきうどん』(ホットカプセル)、これ、文庫になるんですね。10月10日創刊の「新潮OH! 文庫」の第1回配本50点の中に入ってたー。4巻まで出てるので、ずっと文庫に入るんだろうねー。似た本がありましたが、こっちが本家本元です。あと、『さぬきうどん全店制覇攻略本』(ホットカプセル)の2も出ます。

ところで、'98年から書いている「3年日記」(紙とペン)、1998年9月30日の記述。

くもりのち雨
ふつうに(わりに?)忙しかった。
仏語またがんばる
国勢調査、明日とりにこられるので
記入。あんがいめんどくさい。
毎日雨。いいかげんウンザリ

なんで5年に一度のはずの国勢調査が1998年に? 全然記憶ない。


3(火)
有隣堂の近くまで行って時間切れ。それでも待ち合わせに遅れてしまった。

もっちーに『ケイゾク』の残りを全部貸してもらう。ものすごく切り立ての髪を、「伸びましたね」と言われた。秋なので夏よりは短く切らないのかもしれないね。自分の髪が短いことはもちろん知ってるけど、少し伸びると「もう伸びたよね……」と思う。短さに麻痺してる。そのくせ、時々、なんでこんなに短いんだ! とも思う。

電車の混みがきついのは、乗換えにも改札に出るにもベストな位置に乗っているからなんだろう。あんまりしんどいので、明日はわざと反対の端から乗り降りしてみようと思う。混んだ電車に乗るよりは、少しくらい早起きしたほうがマシだし、ホームの端から端へ歩くくらいいい運動と思えば。

社食は復活したけど、ごはんが今までの40円から80円ですよ。おにぎり持っていっておかずだけ食べようかな、とか、いろいろ考えている。昨日から設置されると思ってた自販機はまだ。アテにしていた昨日は、のどが渇いてしかたがなかった。というわけで、今日からまた水筒復活。


2(月)
2週間近く本屋に行っていないんじゃないかな。

会社でシュークリームをもらったので、家に持って帰ってきて食べた。持って帰ってきたお菓子を、家族が帰ってきてから分けて食べようと思う時、そういう自分に"愛"を感じる。"愛"か"ひとりじめ"か、ときどき葛藤してた。勝負は五分五分といったところ。


1(日)
『花を摘む少女と虫を殺す少女』@中野武蔵野館の先行オールナイトに行って来ました。夜中の0時開演でしたが、矢崎仁司監督のトークショー+3時間56分の上映+休憩+予告上映会というメニューで、映画館を出たのは朝の5時半。きちんと電車が動いていてびっくり。山手線混んでいてお酒くさい。

一緒に行った二夜さんは、前回の『三月のライオン』を同じ中野武蔵野館にみに行ったことがあるそう。70席あまりの客席は満席。若い人が多い。

矢崎監督の話し方は、いろいろ話したいことがあるんだけど、よどみなくいかなくて、ぽつぽつ、といった雰囲気で、なんだか素敵な人だなあと思った。監督はバレエが好きで、ロンドンにいた頃にみた、シルビー・ギエムの「ジゼル」をみていいなあと思って脚本を書き始めたのだそうです。だから、この映画は、「ジゼル」の第一幕が下敷きになっています。あとは、こんな話をしていました。

「映画を理解しようとしてみなくていいと思う。なにかを感じてくれれば、それでいい。自分の映画もそういうふうにみてほしい。だから、途中でトイレに行ったり、ラーメン食べに行ったり、寝てしまってても、全然かまわない。途中抜けてても、わからなくなるような内容ではないです」
「映画はまだ創世記といってもいいくらい歴史の浅い芸術なんだから、1時間半や2時間がちょうどいい(映画の)時間だと決めつけずにいてほしい」

映画は、『100年前』の主演女優募集映像と、尊敬していた故人に贈る「with love for」という映像ののち、始まった。4時間のわりには、そう長く感じなかったという印象。身体は疲れたけど。

思ったこと。
・観終わってすぐの今は、チラシにある「愛する"男性"(ひと)よりも大事にしたい"女性"(ともだち)がいる。」というコピーが合ってないような気がしている。
・まったく、あの二股男のどこが魅力なのだろう。第一、服の趣味が悪すぎる!
・人間、ショックを受けたときには、笑いが出てしまうものなのかも。
・自分の尿を飲むという「尿健康法」。トイレのシーンで必ず自分の尿を飲むシーンがあったのに、あるときそれを普通に流したんだよね。あ、これはもう本当にだめなんだ、と思った。もう"循環"をやめたのね。
・すわ死姦か!? とドキドキしたシーンがあったけど、一転して哀しく思えてきた。
・未来、自分が全てを忘れてしまうという恐怖のために、なにかあればカメラに記録している男。
・しかし、その写真の一枚が、ある意味引き金、遠因。
・川越美和の手を叩くシーン、般若の顔に見えた。かつて、アイドルだった人だよね、体当たりだなー。でもなぜ川越美和。
・最後30分がすごい。ただし、緊張だけでなく、弛緩もあって、それがちょっとダレ気味。

公開時には、R15指定になるそうです。「今夜のは、R25くらいでいく」と言っていたから、完全無修正版ってことだったのかもしれません。

:..

朝、映画の感想を書いてから、3時間くらい寝て、お昼頃起き出し、ハーゲンダッツのコーヒー味を食べ、男子マラソンを見終わってから、隣の駅まで探し物をしに出かけた。

昨日、ご飯を食べたあとに、なんだか不思議な雰囲気のカフェに行ったら、ベトナムコーヒーというのがあり、頼んだのです。ガラスのコップにコンデンスミルクが入っています。コップの上には、アルミ製のコーヒーフィルターが載っており、フィルターの中にはコーヒーの粉が入っている。蓋もついている。そして、熱湯入りのポット。これが一式。いれかたは、お湯をコーヒーの粉の上に注ぎ、蓋をしてむらして落ちたら飲む、という、ごくシンプルなもの。でも、コンデンスミルクのほうが重いので、きれいに二層に分かれるのです。それがきれい。一杯目は二層に分かれたまま飲んで、二杯目は、かきまぜて飲みました。甘くておいしかった。

そのベトナムコーヒーのセットがいいなあと思ったので、確か隣駅の雑貨屋にあったはずだ、と出向いたものの、売り切れでした。

『ケイゾク』の第5話、第6話を、やっとみました。なんだか素直な気持ちで楽しめた。


30(土)
今夜は帰りません。オールナイトの映画をみに行きます。


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