日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g.#20010101
2001年2月
読・観・聴・その他
古処誠二『UNKWOWN』
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『アトラス−迷宮のボルヘス』
『ユリイカ』@テアトル新宿
フレッド・カサック『殺人交叉点』
糸井重里『豆炭とパソコン』
『星願』@シネマスクエアとうきゅう
ビデオ『D.O.A』
『リトル・ダンサー』@シネスイッチ銀座
倉阪鬼一郎『赤い額縁』
恩田陸『上と外』(4)
ビデオ『シェイディー・グローヴ』
コンドルス『OVER
THE RAINBOW』@シアターアプル
リービ英雄『日本語を書く部屋』
芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行』(8)
吉野朔実『ジュリエットの卵』(3)
堀江敏幸サイン会@新宿紀伊國屋本店
寺門琢己『かわいいからだ』
『わすれな草
半支煙』@テアトル池袋
27(火)
『わすれな草
半支煙』@テアトル池袋をみに行った。20分くらい前に映画館に着いてもロビーは静か。スターバックスで買った、カフェラテ+チョコレートチャンクマフィンで少しお腹をふくらせておく。あせらずともド真ん中でみられて、嬉しいような、張り合いがないような。
物語が中途半端で薄味な仕上げに思えた。柱となるべきエピソードが柱になっていない。
冒頭のテレサ・テンの針飛びレコードが記憶の欠落めいていいなとか、ミステリアスなスー・チー万歳とか、煙草なしの画面がないのではないかというくらいの使い方も良かったし、使っている音楽も良いし、俳優陣は豪華。そういう部分部分はいいのにも関わらず、映画全体としてはぼやけてしまっているというのが残念だった。
26(月)
大安なので雛人形を出すことにした。朝に、お内裏さまとお雛さまだけ、帰ってきてから続きを出した。雛人形は1年に1度のものだけど、出しやすいところにしまってある。1年が巡ってくるのは早いから、その1年に1度がおっくうにならないためにも。
寺門琢己『かわいいからだ』メディアファクトリー,2000 を買い、一気に読み終えた。身体と精神はつながってるということを、改めて教えられた。骨盤がその要となっていて、2週間周期でゆっくり開いたり閉じたりするという。その動きが身体全体に影響を与えるのと当時に、精神的にも影響を与えている。つまり、何もする気がない、ただのんびりしたい、内に向く時期と、エネルギーがみなぎって活動的な外に向く時期とがある。偏頭痛に関しても触れられていて、ハタと思い当たることあり。読み返すであろう本でした。
25(日)
日曜日は散歩の日。
24(土)
いきなり気温が下がってる。なのにスケートへ行く。自分のことを気分屋だと思っていたけど上には上がいるかもと思った。私の場合、気分屋だと自覚してるときは同時に自己嫌悪感もすごい。それにかまわず構ってくれる人のことをすごーく感謝して大好きだと思ったりする。やっぱり気分屋。今日の気分屋さんの姿を見て、自分の姿と重ねつつ、でも何も声を掛けなかった。自分を見ているようで、そんなのほっといたらいいんだ、って意地悪を思ってた。
軽く食べたあと、堀江敏幸サイン会@新宿紀伊國屋本店へ向かう。2000/6/17のジュンク堂でのトークセッションに行ったときのように、年配の男性比率が高い。並んでいる列が前のほうに移動して、そろそろという頃になると、注射を待っているときのようにどきどきしてきた。ちょっとのぼせて顔がほてってくる。ほどなく自分の番が来て、あ、万年筆だと思ってるうちに、「ありがとうございます」と、あのまんまの風貌と声でこちらに顔を向けてくださり、終了。それにしても、新宿高野のクリームメロンパンの列のほうが長かった気がする。ちぇ。
頭痛の予感がしたけど、春の服を見て歩いた。どうしよう、似合わないのばかり……。ひらひらも、ラメも、パステルカラーも、見ている分はかわいくても自分が着るのは無理です。以前よく「グンゼパンツが似合う感じ」と言われたのが思い出される。私にはパンツ一丁しか残されてないのかと悲しくなってきた。
結局、予定外だった靴を買う。一目ぼれだったからいいのだ。服にも靴にも直感が必要。
頭痛がひどいので帰る。最近、温度差が頭痛を引き起こすような気がしてきた。ほてった顔・のぼせた頭のままで暑い店内を歩き回り、外に出たらおでこに冷たい風。そういうのが。
23(金)
『明治の文学 第6巻 尾崎紅葉』筑摩書房,2001、恩田陸『MAZE』双葉社,2001
を買う。グレゴリイ・ベイトソン『精神と自然』佐藤良明訳,新思索社,2001
を読み始めてみる。
22(木)
外を歩くと背中がぽかぽかあたたかくって、気持ちいいったらない。人生万歳って思った。
芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行』(8)講談社・アフタヌーンKC,2001、吉野朔実『ジュリエットの卵』(3)小学館文庫,2001 を買って読んだ。『ジュリエットの卵』、3巻になればもっと面白くなるかと思ってたけど、深く苦くなってしまった。『ヨコハマ買い出し紀行』、アルファさんて樹のようだ。せつなくなる。でも何度も読み返してしまう。
「インテル Pocket PC Camera」を買いました。軽い軽い、おもちゃっぽい。気楽そうでいい。
21(水)
漠然とした不安より、明確な不安を選んだ。不安が明確になれば、カッコ付きの「不安」になる。いくらかは楽になれる。
リービ英雄『日本語を書く部屋』岩波書店,2001 を読み終わった。言語・言葉について書くことも、言語・言葉によらなければならないという難しさを思う。言語・言葉をもったヒトの宿命だわなー。なんちて。
20(火)
現像に出したフィルムができあがってきた。夏の花や秋の柿が写ってて、半年近くほっといたことがわかりました。このあいだ行ったトルコ東京モスクの天井を1枚撮ったらフィルムがやっと終わったのです。フィルムをかえて撮りましたが、これまた36枚撮りで半分くらい残ってる。
19(月)
頭痛がひどくて休んだ。でも、薬を2錠飲んで少し眠ったら良くなった。食欲がなく、やる気もない。天気がすごくいいのは知ってた。
眠っている間に夢を見た。電話しようと思って受話器を上げたら、ちょうど向こうからかかってきた電話を受ける形になってしまい、「ナカジマさんはいらっしゃいますか」と聞かれた。「ナカジマさんはここにはいませんけど、電話番号を知ってますので少々お待ちください」と答え、メモ帳を持ってきた。ところが、その番号を言おうとするのに、何度も何度も言い間違えてしまう。番号を口にしたとたん番号が変わったのを発見するような、あるいは言ったとたん言い間違いに気付くような、なんだか番号と目の間に連絡がうまくできてない。「すみません、間違えました」と、数字の読み上げを何度も繰り返してるうちに、向こうも私もだんだん無言になる。しばらく黙っていよう、と何も言わぬままそのままにして電話から離れた。自分では一度起きた気分になってから、もう一度目をつぶってみると、電話が向こうのほうに見えて、受話器も置かれてなかったので、相手はまだ待っているのだと思った。面倒だったので目を覚ますことにした。
電話が鳴った。「はい」と出たら、「……モリヤマさん、のお宅でしょうか?」「いえ、違いますが」「コバヤシさんでもない?」「…はい」「失礼しました、切ってください」。変な電話。
ここの記事を読んで。「インテル Pocket PC Camera」かー。1万前後のデジカメならば買ってみたい気もしている。とはいえ、写真を撮るよりカメラを眺めるのが好きというのが正しい。
うーん、休むべきじゃなかったかもしれない。無自覚だった下向き気分が自覚をおびてきちゃった。スピード減速中、あるいはすでに停滞。
18(日)
コンドルズ『OVER
THE RAINBOW』@シアターアプルをみにいった。楽日。満席。コンテンポラリーダンス+寸劇?
ベタだけど、スマートな笑い。会場の雰囲気も良かった。とてもさわやかだったので、今後も応援したくなりました。
ところで、『散歩の達人』を読んでいて、ほしいなあと思ってたものをwebで発見。『散歩の助っ人』。これからどんどん活用しよう。
問い掛ける文章か…。なにをどう問い掛ければいいのかな!
17(土)
午後、待ち合わせて小石川後楽園へ行く。一番奥に小さな梅林があって、梅が少しだけ咲いていた。いい香りもした。水道橋経由で神保町まで歩き、茶房李白でお茶をする。着いたのが5:40頃で、店主に「6:30閉店ですけどよろしいですか」とたずねられた。はい、と答えて座らせてもらう。それから先、あとから来た客には「もう閉店です」と断りをいれていて、実質最後の客になってしまった。6:10頃、席を立つと、「せかしてしまったようで申し訳ありません」と言われる。李白でそんなこと、初めて言われた。頑固そうな店主なので意外なのです。
刹那的でなにが悪いとか(このとき多分少し酔っていた)、もてたいねえとか、隙をつくるにはとか。
16(金)
生チョコレートを買った。家に持って帰る途中、荷物の整理をしようとして袋から取り出そうとしたとき、箱が冷たいのがわかって、その温度が気に入った。ちょうどいい冷たさ。家に着くまでに、お店で保たれていた冷たさから離れていってしまうのがいやで、気付かずにいたほうが良かったかもと思う。でもやっぱり違うな、冷たくて気持ちよかった。“'Tis
better to have loved and lost Than never to have loved at all.”
冷蔵庫の温度より室温のほうがその冷たさに近いような気がしたので、冷蔵庫には入れず、そのままにしておいた。知らないまま過ぎてったのと、あったものが失われてゆくこと?保てるものと保てないもの?
15(木)
会社に着いて少しして、Nさんがグレゴリー・ベイトソン『精神と自然』佐藤良明訳,新思索社,2001
を持ってきてくれた。同じくベイトソンの『精神の生態学』佐藤良明訳,2000が少し前に復刊していて『精神と自然』も改訂版が出たんですね、という話を覚えててくれたようです。
堀江敏幸『熊の敷石』講談社,2001 は読み終わったらしく、「まだ全然読んでないの?」と聞かれた。「熊の敷石ってなんだろうなあって思ったけど、読み終わるとわかるんだよね。言わないけど」。
『ポケット詩集』童話屋,1998/岡真理『記憶/物語』岩波書店,2000/『おうちでカフェ』NHK出版 を買った。
童話屋から2/Eに「小さな学問の書」シリーズが創刊される予定で、第一回が『日本国憲法』と『あたらしい憲法の話』。その話の流れから、童話屋からは『ポケット詩集』っていう小さな文庫本サイズの詩集が出てるんだよ、と聞いて。岡真理『記憶/物語』は、先月読んだのは図書館から借りたものだったので、手元に置きたくなり。『おうちでカフェ』は、見たらおいしそうだったので。
リービ英雄『日本語を書く部屋』岩波書店,2001 を読み始めた。静かだなあ。家に帰ってきてから、吉野朔実『眠れない夜には星を数えて』大和書房,1996を読んだ。旅をしてる途中に連れの動物4種類(サル、馬、牛、ライオン)をどの順番で捨てるか、って質問が出てた。なつかしい。
それにしても、今日買った『ポケット詩集』の中の、高橋睦郎「鳩」って詩に強烈ノックアウトされました。これ以上足せないし、ここから引けない、完璧形って感じ。その完璧さだけに目がいかないで、美しい情景が頭の中にぱーっと浮かぶ。完璧ゆえのくずせない美しさが、情景にも影響を与えてる。
14(水)
最近買った本。NHK趣味悠々『中国茶の愉しみ』日本放送出版協会,2001/クロワッサン特別編集『体のツボの大地図帖』マガジンハウス,2000/天藤真『星を拾う男たち』創元推理文庫,2001/堀江敏幸『熊の敷石』講談社,2001/森村泰昌『美術の解剖学講義』ちくま学芸文庫,2001/恩田陸『上と外』(4)幻冬舎文庫,2000
最近読み終わった本。倉阪鬼一郎『赤い額縁』幻冬舎,1998。読みにくいよーと言われてたけど、全然。普通に面白く興味を持って読み進むも、どこかが微妙に変。真面目な顔をして冗談を言われてるみたい。頭の中にクエスチョンが浮かび、「え?」ともう一度文章を読み返す。おかしなことはなにも書いてない、書いてないけど、やっぱり変。そのままペースに乗せられて、どんどん読んでいたのに、あと少しで中断したのがまずかった。再開したときには、ペースに乗れなくなっていたー。とにかく、変わってた。
恩田陸『上と外』(4)幻冬舎文庫,2001。とうとう4巻目。再来月の5巻で最後、でもあまり盛り上がってない。読んでしまうけど少し惰性。
以上、現実的な話から片付けました。
家を出ると雪っぽいものがひらひら舞っていて、傘が必要だったら困るなあと思いつつも、今朝は遅刻が許されないので、そのまま歩く。外を眺められるときには外を眺め、降り具合を確認してると、新宿ではかなり細かい雪がたくさん舞っている。駅に着いてNさんに走り寄ってから、「雪が降ってますね!」と言って改札を出たら、それが全然降ってない。まったく! どこにも!
チョコレートをいつ渡そうか、タイミングを見計らいながら歩く。渡すために手袋を外す。後ろには人がいてなかなか渡せない。歩道橋でやっと人と距離を取れたので、「Nさん」と言いながら、パッと差し出した。「え。うそ!」と言われてしまった。まいった。なんだか一気に照れてしまった。
ビデオ『シェイディー・グローヴ』(青山真治監督)をみた。人の気持ちも男女の仲も、当事者しかわからない。展開が読めそうで読めず、不思議な雰囲気で好み。セリフ棒読みでもまあよいかな。
13(火)
ビデオを借りるとき、カードを忘れたのですが、と伝えると、身分を証明するものを、と言われた。当たり前といえば当たり前だった。社員証じゃだめかな、と頭で思ってたのに、一番手前にあった銀行カードを見せてしまい、「法的なものでないと……」とやっぱり言われる。運転免許証を持っていないし、保険証は年中持ち歩いていないし。「う〜ん」とうなっていたら、「では、お名前と生年月日を」ということになり、加えて口頭で電話番号を伝えて、借りられることになった。
無線従事者免許4級、俗に言うアマチュア無線4級を持っている。自動車免許は自分には向いてないと思ったので、何か法的な証明になるものをと思って取ったんだけど、一度取ったら更新されないから写真は昔のままだし、なんだかパウチははがれてきてるし、そもそもこんなのを見せたら「これは使えません」て言われそうで結局一度も使ってない。
鉢植えのチューリップは、おおかた芽が出揃った。植えたほとんどの芽が出てる。放任主義で強く育てたのが良かったようだ、なんて。でも、親指の長さくらいしかない。まだ2月だからいいのか……。
月曜日の習い事は今日にずらしてもらい、一日早く「先生、バレンタインのチョコです」と渡す。こういう直接的な言い方しかできないのが、私がロマンチストじゃない証拠だなあ。相手が相手だからしょうがないか。「俺もまだ男だって認められたってことだな! 神棚に飾ってこよう」と、67歳の先生は言った。帰りに、りんごを2ついただいた。
帰り際、物騒な世の中とか鍵の安全性について話していて、「……殺されちゃうのはかなわないよな。俺は先はもう長くないけど、まだ死にたくないしな。あなたにもう少し教えたいし。進歩が見えると張り合いがあるからね」。
待たれたり見送られるのはときにせつなくて苦手だと思った。待つほう見送るほうのがいい。
無印のデジカメ。\9,800.-。
12(月)
『リトル・ダンサー』@シネスイッチ銀座のために、早起きをして出かけた。朝一は、10:10〜の回。映画館に到着したのが9:10くらいで7,8番目。外で待っているのはつらい寒さだったけど、9:30に開場してくれて、客席に座って始まるのを待つことができた。
年齢層がかなり高い。映画が始まってすぐに、ちょっとしたことで隣の人が笑うことに気付く。いや、隣の人だけじゃなくて、かなり多くの人の反応が強いの。こまった。どうしてそんなにおかしいんだろう、どうしてそこで笑うんだ、変だよその反応……と、なんだか気になってたまらなくなってきた。
映画を映画館でみるときには、そういう周りの反応とか状態とか空気感のようなものも一緒に体験すると思うので、その雰囲気が自分に合わないと、なんだか映画に集中できなくなってしまう。それがわがままだともわかってるんだけど。
それはともかく、映画自体はなかなか良かった。ラストのいさぎよい終わりかたが、あっけなくも見事。途中、親子の情に泣いてしまった場面があったり、ほかには、父親からは「男らしく」と言われてバレエを反対されている男の子が、踊っているところを見られて、いったん止めたあと、すごく力強く再び踊り始めるシーンとか、まっすぐな道をこちらに向かって踊りながら歩いてくるシーンとか、そのときの曲がまた良くて、じんとする。踊ってるときの気持ちを聞かれたときの、答えのセリフもいいし。
「25歳のビリー役をしたアダム・クーパーの」。後姿が素晴らしい。肩甲骨が天使の羽みたいなんだよ!
ちなみに、立見で座布団が出ますが、2階席に集中するので、早めに並んで席を余裕で取れる人は1階席のほうが落ち着いて見られるかもしれないです。
プランタン銀座に寄って、一応貴腐ワインチョコを見てこようとしたら、完売。日本酒センターが見つからないし。早々に帰ってきて、なんだか疲れたので昼寝した。久しぶりの昼寝の目覚めは、さわやかだった。
11(日)
3人で待ち合わせ、お昼を食べたあと、『星願』@シネマスクエアとうきゅうへ向かった。少しは列が出来ていて張り合いがあると思ったのに、席についてみればスカスカ。
前に一度みているにも関わらず、オータム(セシリア・チャン)が屋根裏であるものを見つけたあたりから、だらだら泣き続けていた。最初みたときに泣いた映画でも、2度目には冷静になって泣かないことのほうが多いのに、なんでだか。
とにかく純粋な映画です。ベタすぎてだめかなあ、でも、香港映画と意識せずにみられる映画だし、混んでないので、ぜひどうぞとおすすめしたい。
伏線がきれいに決まってるし、オニオン(リッチー・レン)の無骨さがいいし、オータム(セシリア・チャン)は可憐。ただ、CGについては、rさんは「わりときれいで良かった」と言ってたけど、tさんと私は「ちょっと不満! もうちょっとなんとかしてくれーい」という意見。
そこから少し歩いて、少し前からスフレを食べられるようになったお店へ行く。みるみるうちにしぼんでいってしまう、はかなげなお菓子。あつあつなのに急いで食べなくてはいけない。
そして2人はイーキン・チェンのコンサートに行ってしまいました。
そのまままっすぐ帰るのがつまらなくて、一つ手前の駅で降りて寄り道をする。ビデオを借りて帰ることにした。『D.O.A』(三池崇史監督)と『シェイディー・グローヴ』(青山真治監督)にした。
『D.O.A』は、ある2人に強くすすめられて手帳にメモまでしておいたもの。始まってすぐに目を覆うものを探したよう。うわー、ぎゃー、こわいよー、と言いながら腕で隠してほとんどわけわからず。これじゃあみつづけられないよー、と困り果てる。どうして2人はこんなすごいのをすすめたんだ、とっくに限界超えてるよ、こういうのが本当にだめなんだってことをわかってもらわないとだめだ、とぐるぐる思いながら、みたとは言えないみかたで、最後の対決までがんばる。
で。
最後の最後で、どうして2人が私にこれをみせたかったのか、ようやく納得がいった。いわゆる『恐怖奇形人間』テイストってわけね! なんだこりゃああーっ。大爆笑するしかない。
宮城物産展で買った、シュークリームと生どら焼きはおいしかった。シュークリームは、ゴマシューとショコラシュー。シュー皮は、ちょっと固め、かといってぱりっとしているわけではなく、パンのような感じ。クリームがすごくおいしい。生どら焼きは、抹茶、ずんだ、カフェオレ、ゴマの4種類があって、抹茶にした。中身のクリームは、生クリーム+抹茶で、抹茶の苦さが効いている。
ところで、「淡い緑色の紙に緑のペンで書かれた小説を読んで、“どうしてこんな物語を書けるんだろう!”と感動した」夢をみました。あいにく、内容をまったく覚えていません。すごくいい話だーという記憶だけがあるなんてっ。
10(土)
午前中、隣駅のスターバックスで軽く食べる。年末にたまったスタンプカードの景品について連絡をもらっていなかったのでその旨を伝えたら、マグカップをくれました。
代々木上原から徒歩3分にある、トルコ東京モスクに行ってみた。参考にしたのは、ここ。東京モスク公式ページは、まだ作成中のようです。
駅を出て、まっすぐ線路沿いを歩いてゆくと、そのうち右手に尖塔が見えてきて、近づくにつれてどきどきしてきた。新しいだけあって、さすがにきれいでぴかぴかしてる。外の階段をのぼり礼拝堂に入ることができます。土足厳禁。女性は髪をスカーフなどで覆わないといけませんが、礼拝堂に用意があるのでそれを借りて中に入ります。ちょうどお祈りの真っ最中で、ろうろうとした唱えの文句が聞こえる。しばらく後ろのほうに座ったまま、じーっとおとなしくしてた。
ふかふかの絨毯、ステンドグラス、丸い天井、祈りの声、香り、青、光、自分のかぶってるスカーフ。うーん、トルコだ。でもここは日本。
眺めているだけで満足だった内部の美しさも、トルコ人の人たちがいなくなってみると、今なら撮れるぞという気持ちから記録として残しておきたくなってきた。しばらくぶりに持ってきたCONTAX Tで写真を撮る。ステンドグラスがあちこちにあるとはいえ、案外明るさはなく、レンズは開放にしないとだめだった。
待ち合わせのプランタン銀座に少し遅刻。時間があればチョコを見ようかと思うも、外から見た内部の混み具合に恐れをなして言い出せず。アンジェリーナの前に行列ができていたもよう。もちろん、行列はそこだけじゃあるまい。
3人で『リトル・ダンサー』をみる予定だったので、30分くらい前にシネスイッチ銀座の前に行くと、「お立見でーす。次回は7:30でーす」。……連休中に再チャレンジするつもり。
いま、すごく行きたいところ。養老天命反転地。
9(金)
『ジパングあさ6』を見てたら、バレンタインの人気チョコベスト3@プランタン銀座というのをやっていて、1位は貴腐ワインのチョコレート。すごくおいしそうでした。2500円もしたけど。人にあげるより自分で買って楽しむべきですね!
昼はまたもや九十九ラーメンに行き、今回は九十九とんこつラーメン(\650.-)。食べなれていないラーメンですが、おいしいものはおいしいって感じられる。この付近の、一風堂、香月、恵比寿ラーメンなどを食べた人も九十九がいいという話で、部内では人気のお店です。塩派、かつ、まだ2つしか行ったことない私は、いまのところ、山頭火の塩ラーメンが大好きです。
月曜日の習い事は、祝日の場合、翌日に振り替えてもらっている。今度の月曜日が祝日だってことをすっかり忘れていて、ああ先生に電話しないとなあと思いながら帰ってきたら、留守電が入ってる。先生からで、「月曜日どうしますか。帰ってきたら連絡ください」というものだった。何度かかけても留守電のメッセージが流れるので、FAXを送ることにした。「よい連休をお過ごしください!」なんつって。
というわけで、少し前にとうとうFAX付・留守電付の電話にしました。FAXの送信第一号は今日でしたが、受信第一号はこのあいだの月曜日、家に帰ってくると、留守電とFAXで「××銀行から連絡が入って落し物だということです。連絡ください」というのが会社から入ってた。それでした。
8(木)
まったく朝は忙しい。せいぜい7分という時間で、堀江敏幸の話や、映画『ユリイカ』の話を展開させていく。もう少し理論整然と説明したいのにあせって空回り気味、時間がいつも足りないんだよ。こんなにちゃんと会話が成り立つのなら、年齢差関係なく結婚する人の気持ちもわかる。
でも、たしか今年で定年なので、こうしていられるのもあと数ヶ月です。会えなくなっても手紙でやりとりしようかな……なんて勝手に考えてたりする。なにがそんなに楽しいのかわからないけど、いまのところ朝は楽しい。
これは恋じゃないのにまるで恋みたいだなあ、と少し思う。どうして恋じゃないのかは自分でよーくわかるけど、それを説明するのは難しい。一つには、楽しい気分だけがあるから恋じゃない。
糸井重里『豆炭とパソコン』世界文化社,2000 を読み終わった。自分の実母(80代)にある日いきなりiMACを送り、いろいろ体験してもらおうという企画で、糸井重里のページで連載されていたもの。当の本人はパソコンを触ったことがないのだから、自分でその様子を報告できないわけで、レッスンの様子は教師役である人によって書かれている。じかでない、つまり、体験談を人の口から語られたってことで、その分薄まってしまった感じ。それよりも、糸井重里による「楽しく上達するということ」「変わっていくもの、変わらないもの」の章のほうを面白く読んだ。イラストが、カレルチャペック紅茶店の山田詩子さん。
亀井秀雄『明治文学史』岩波書店,2000 を買った。リービ英雄『日本語を書く部屋』岩波書店,2001 も気になってる。ヒデオ&岩波つながり(?)
橋口譲二『17歳の軌跡』文藝春秋,2000が手元にありますが、これは……相当時間がかかってしまいそうです。内山さんの感想を読んで、読みたくなったもの。『子どもたちの時間』小学館,1999が素晴らしかったせいもあります。
『ブラックボード』@テアトル池袋
7(水)
雨が雪になって少し積もりかけている。窓を開けて見下ろすと、街灯の光の中の雪がきれい。雪は白いものなのに、暗闇の中より白い光の中でのが見えやすいのはどうして。そんなの、ものは、暗闇では何も見えず、光のあるところでしか見えないってあたりまえのことじゃんね。だめだなあ。
『AIR』というゲームを始めた。18禁らしいんですけど、まだ全然そういうのが出てこない。いわゆるエロゲーといっても、程度はいろいろってこと? でも18禁だよ、期待しちゃうじゃないですか!
6(火)
なんかこう、いつもより鞄が軽い気がする。腕時計をしてくるのを忘れた。それはしょうがない。でも、定期も鍵も忘れてないし、ハンカチもあるぞ。会社に着いてから社内持ち歩き袋に入れ替えると、ますます軽いと思う。あ、お財布を移し忘れた。えーっと……。ない。忘れたのはお財布か!
けど、お財布の中に10円しか入ってないときのほうが、ドキドキすると思う。お財布自体忘れたってのは、ないものはないのだ、といういさぎよさがあっていいんだよ。
目からは、まばたきするたびに油(?)が飛んでいるようなことを前に聞いたことがある。眼鏡の左のレンズの黒目にあたるところが、ちょくちょく汚れる。右は、ほとんどそんなことない。左のほうが目が悪いから? 生きてるって不気味。
不気味と不思議って似てる。「bUkImI」と「fUshIgI」。母音がUIIだからか。
電車の中で、でっかい声で電話してる若い男子。うるさい。「明日、○○なんだよね〜。サイアク」「もう、不快で……」。どうしてそうピタリと私の気持ちを代弁するか。
3月4日、京セラCONTAX T3発売だそうですが、T2の後継機なら、黒ラバーは残しておけばよかったのにー。キラキラしくてのっぺりした感じがあまり好みではない。ただですね、ただ……、TとT2が、ゾナー38mm/f2.8なのに比べて、T3は、ゾナー35mm/f2.8なのが、う〜ん、ちょっとそそられるう。
参考:T(上)とT2(下)
5(月)
うん、フレッド・カサック『殺人交叉点』平岡敦訳,創元推理文庫,2000は、思ったとおり、そういう目でずっと読んでいてもちゃんと面白かった。気付いていた点は、「訳者あとがき」に書かれていることと同じでした。怪しいと思った点などはこんな。反転させます。穴ぼこだらけになってしまった。
・pp.57-58。プールにいる人たちと合流。ベルナールとシュザンヌの名前は出ている。が、ジャックとクローディの両方とも名前が出ていない。だから、犯人がジャックでない可能が残っている。
・セリニャンの職業設定が逆に怪しい。
・翻訳者がすごーく苦労して訳しているのではと思って読んでいると、会話文でますますそう確信。
・p.118男が肩に手をかけようとしたところ。男性が男性に対してあまりしなさそうな気がして、なんとなく。
・原作は仏語。そのトリックを使うのであれば、Il (=He)あるいはElle(=She)を使うような文章にしないはずだ。その点で見ていると、うまい具合に「私」視点で描かれているし、Il, Elleを使わないような文章にしている、というのが訳語を読んでいても感じられる。性別による単語の語尾変化の問題は、他にもあるとはいえ、注意していれば避けられなくはない。そういう書き方ができそうだ。
「殺人交叉点」のあとに「連鎖反応」というのも収められてますが、こちらはブラックユーモアが効いてて面白いな。「連鎖反応」ってすごくうまいタイトルだと思った。物語を読み終わってタイトルを見たときに、ああなるほどとつながるタイトルじゃないとだめだよねー。
4(日)
3人で、新宿みつばち→『EUREKA
ユリイカ』@テアトル新宿→台湾の麺→お茶というルートで遊ぶ。
バスジャック事件の生き残りの3人(運転手と兄妹2人)が共同生活を始めていくというもの。意外にも、3時間37分は長すぎることはなかった。海外紙が書くように「ほとんどなにも起きてない」だろうか? それは逆説的な言い方? というより、起きているのに起きていないようにみえる静けさがあると思った。
映像がいい。凝ってるなーと思わせる構図もさることながら、「クロマティックB&W(ブラック&ホワイト)」という手法で撮影された色彩が美しかった。モノト−ンなのに色が見えるということらしい。最後、梢の発話のあとに画面が色づくんだけど、不思議と鮮烈さはない。ぼわ、と浮き出たような感じだった。それまでの「クロマティックB&W」にそれだけ色を感じていたということかも。
「人のために生きてみよう」と思うんだったら即刻病院に行ってほしいね。国生さゆりっていいねえ、深みのある美しさがあった。
台湾の麺が食べられるお店は歌舞伎町(?)のあたりのちょっと怪しい一角にある。数ある中から、トマト入り牛肉麺にした。美味。
お茶をしてるとき、生まれて初めて煙草を吸わせてもらった。
・緊張して手に汗かいた
・全然さまにならない
・灰を落とすのが難しい
・げほげほと、ひどくむせることはなかった
・煙が口先どまりになる、けど、吐いて白い煙が出ると嬉しい
面白かった!
3(土)
1月にとうとう一度も滑らなかったスケートに行く。このまま行かないと、ずるずるやめてしまいそうだったので。行って滑れば楽しいけど、はりきりすぎて疲れた。スケートしている時には、「ひゃー」とか「わー」とか独り言が多い。「あー、だめだ」なんてつぶやいたりして表情豊かなのだ。というより、「大騒ぎしてておかしい!」って一緒に滑ってる子に笑われちゃって気付いたんだよ、独り言が多いって。
2:30に品川駅東海道線ホーム一番前で待つ。10分待っても2人とも来ないので、なにか間違えたと思い電話をすると「どこにいるんですか〜」。「東海道線ホームだよー」「えー8番線にいますー」「じゃあ行くー」と、階段をのぼって、今いる12番線から8番線へ向かうと、それが「臨時ホーム」なんだよ!
臨時ホーム……。階段おりると、歩けば歩くほど電車も人も誰もいないし。これ絶対おかしいよ……、とまた電話をする。「どこの駅にいるのーっ」「東京駅ですよ!」「えーっ、私いま品川だよー」「すぐ向かいます!待っててください!」。で、やっと会えたよー。大笑いして再会したよ。
桜木町で降りて、散歩をする。海を眺めて歩いたり、最後には水上バスに乗ったり。横浜は道が広くて歩きやすいから混んでいる感じがしない。
4人目と合流して、焼肉とコーヒー。節分新年会でした。ちなみに最終電車だったよ。土日には注意だな。
あ。あのコート買っても怒らないでね! ベージュにしとくし。
フレッド・カサック『殺人交叉点』平岡敦訳,創元推理文庫,2000 を読んでいるけど、トリックがわかりました。たぶん、いや、間違いなく当たってると思う。犯人は、男性ではなく女性ですね? 殺している最中からプールで合流のところでそう思った。フランス語で書かれたことを考慮に入れても充分成り立つトリックだ。その確証のもとに読み進めてる。面白いのでどっちでもいいかな。
2(金)
昨日読み終わった『アトラス−迷宮のボルヘス』から好きな箇所を引用しておく。
「砂漠」
ピラミッドから三、四百メートルほど離れた場所で、わたしは屈みこんで一握りの砂をつかんだ。少しばかり遠くに移動して静かにそれをこぼし、小声で呟いた。「わたしはサハラ砂漠の姿を変えようとしている」。それはごく些細な出来事であったが、この気の利かない言葉も正鵠を射ており、これを口にするために自分の全生涯は必要とされたのだ、とわたしは思った。あの瞬間の記憶は、わたしのエジプト滞在でもっとも重みのあるものの一つであった。(p.88)
髪を切りに行くと、日本酒を軽く一杯すすめられた。雪月花って言ってたのですが、ここのこのお酒のことかな。おいしーい。いやー、私、ワインより日本酒のほうが好きだと思った。ワインを飲むと大抵の場合くしゃみが出るし。ところが、先日家で飲んだ「おたる初しぼり」(おたるワイン)は、くしゃみが出ない分私にぴったりだったのか、しこたま酔いました。何年ぶりか!てくらいのちゃんとした酔い方で……。わけもなくただただ陽気。その節は失礼しました。
『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』。残酷だね。恋が恋心がそれらがさせる振る舞いが。
PC-VAN^2(PCVANユーザー総合連絡サイト)。
こういうふうに自分のページを持つ前から、パソコン通信PC-VANで文章を書いていました。見つかりにくいところを探して一人で勝手に占拠して書いてたり、なんとなく集まった人たちでひっそり書き連ねたり。そのPC-VANも、1/31で終了しました。自分の書いたメッセージは、自分の手元に落とさなかったので、PC-VANとともになくなります。栄えていた時、衰退していくさま、その最後までを、見届けるとは思ってなかった。文章を書くようになったのはPC-VANにつなぐようになったからで、書くことについてPC-VANから教わった気がします。PC-VANで過ごした時間も密度も、インターネットでのそれをまだこしていません。華やかに散れなかったPC-VAN、それもまたVANらしくていいよ。
1(木)
目覚ましを止めた記憶もなく、それでも見事にぎりぎりリミットの時間で目がさめた。そんな朝には悠長にニュースを見てる時間はないから、家に帰ってくるまで世の中のことを知らずにいるわけで、なんとなく心もとない。
2/9発売のちくま学芸文庫、森村泰昌『美術の解剖学講義』、2/21発売のちくま新書で、保坂和志『世界を肯定する哲学』、木村晋介『遺言状を書いてみる』、面白そう。
古処誠二『UNKWOWN』講談社ノベルス,2000 を読み終わる。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『アトラス−迷宮のボルヘス』鼓宗訳,現代思潮新社,2000 も読み終わった。
盲目の人、ボルヘスの旅行記で、同行した奥さんの写真も多数おさめられている。その中の1枚、遠近感のすごい塔の写真を眺めて思う。ボルヘスは人生の途中で失明した人だけど、生まれてからずっと目が見えなかった人が途中で見えるようになってこの写真を見たときに、遠近感を感じるんだろうか。二次元の写真で三次元を感じるのは、私の目が見えるからなんだろうか。遠近感は目に見える人が獲得していくものなんだろうか。
「気球の旅」の章で、気球というものを初めて発見したような気分になった。そうだ、世の中には気球という移動手段があったんだ。機体やガラスにさえぎられることなく、高いところの空気を感じられる乗り物。いいなあ死ぬまでに経験してみたいよ。
縁なしではないこの眼鏡をかけていると、横の視力がさえぎられる。横で誰が何をしているのか目に入りにくいので気が散らないし、誰かが近寄ってきても直前までわからない。それがなんだかとても楽なんだなあ。正しくは下の視界もさえぎられるけど、下には誰もいないし。境目があるだけ。
31(水)
お昼は九十九ラーメンで、まるきゅうラーメンを食べる。味噌ラーメンにモツァレラチーズのトッピングが載ったもの。麺を食べているときはあまり感じないけれど、スープを飲むと濃い味を実感する。味噌味とチーズが合うなんて不思議。
東京に出張中のYさんと、ご飯+お茶。この間会った時には半そでだったはずなので、約半年ぶりくらい。お互い煙草を吸わないのに煙草の話をした。Yさんが煙草を吸ってみた時の話を聞いたら、吸ってみたくなっちゃったよ(むせなかったらしいので)。今度誰かお願いします。Yさんは禁煙してみたいんだそうです(吸わないのに……)。あと、ひげを伸ばしてみたいんだって!(女性なのに)
いま、「ご飯」と書くときに迷ったんだけど、夕御飯と晩御飯て違うの? 食べるときの時間?
30(火)
岡真理『記憶/物語』(岩波書店)を読み終わる。
論を展開するのに小説や映画も題材に持ってきている。バルザック「アデュー」、クライスト「チリの地震」。映画だったら、『プライベート・ライアン』『シンドラーのリスト』(スピルバーグの「リアル表現」について)、是枝監督の『ワンダフルライフ』(記憶を伝えるときの不安など)。『ワンダフルライフ』(感想)に、あそこまで触れたのだったら、「選ばなかった人」に対しての言及も欲しかった。その存在で、片手落ちを免れていると思ってるんだけどな。
後半、「〜ではないだろうか」の語尾が目につきすぎるようになったことや、終わり方に華やかさがないなあ、という感想を持ったけど、刺激的であったことに変わりはない。
ただ、そこに書かれていた「刺激的」な内容は、うすうすとは感じていたことではあったから、それを切り取って「ほら」と見せられたことのほうが、「刺激的」だったんだろう。私が「刺激的」と感じるときは、素材そのものより、その調理の仕方に魅力を感じているってことのようだ。
自分が本の中に生活してるような気分を味わった本だった。久しぶりに。普段、本を読んでいるときは、もっと本と私の間に距離があって、保たれているのに。読み終わって目を上げれば、やっぱり日常だ、なんにも変わってないよ、って強く思う反面、読んだことの記憶が「出来事」として残っている、不思議な気分。内容を記憶として覚えているのではなく、その中を生きた感じ。出来事と自分がくっついてしまっているから、だから、この感覚を説明するのが難しい。
『記憶/物語』を読むことは、その中に書かれていたことをそのまま体験することだ。
いまごろから、あん入り餅なんて食べたら太るかなー。でももう焼いている。こしあん派。でもちょっと眠い。
29(月)
がんばって、ぐいぐい押したんだけど、電車が混雑しすぎてて乗り切れず、はじかれちゃったよ。そんなので乗れないなんて悔しいよ。誰かのコートに口紅つけちゃった気がする。まずい。それはそうと、月曜の朝にNさんと会えなかったってのは大きなマイナスだ。
「CUT」に窪塚洋介とニコラス・ツェーが載ってるから買ってください! と言われたので、素直に買った。最初、『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』で窪塚洋介を見たときに、ニコラス・ツェーと目が似てるって思ったけど、どうだろう。動いているとやっぱり似ていると思うんだけど。
岡真理『記憶/物語』(岩波書店)はますます刺激的に読んでいる。出会うべくして出会った本だー、って思うことがときどきある。そんな感じ。こういう本は説明したくないんだよね。他の人にも読んで欲しいけど、説明したくない。だって、本文を読むより素敵に説明することなんて、不可能だとわかってるので。