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日記のフリindex

02.0302.05

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0204.htm#20020401


2002年4月

その他
園子温『自転車吐息』
杉井ギサブロー『銀河鉄道の夜』
黒澤明『姿三四郎』
ピーター・ブロッセン/ドルカディン・ターマン『ステイト・オブ・ドッグス』@ユーロスペース
ジョン・キャメロン・ミッチェル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』@シネマライズ
柴山努『ドラえもん のび太と鉄人兵団』
西牧秀夫『ドラえもん のび太の大魔境』
ジャック・リヴェット『彼女たちの舞台』@東京日仏学院
トニー・ビル『忘れられない人』
市川崑『黒い十人の女』
安野モヨコ『美人画報』
高浜寛『イエローバックス』
クァク・キョンテク『友へ チング』@新宿武蔵野館
クロード・ソーテ『ギャルソン』
D・W・グリフィス『散り行く花』
ジャン・ルノワール『黄金の馬車』
D・W・グリフィス『東への道』
黒木和雄『竜馬暗殺』
キャロル・リード『第三の男』@東京国立近代美術館フィルムセンター
アレハンドロ・アメナバール『アザーズ』@池袋 ロサ会館
アンリ・ベルヌイユ『過去をもつ愛情』@東京国立近代美術館フィルムセンター
チャン・イーモウ『初恋のきた道』


4/30(火)
連休明けに来なさいと言われた病院へ来週行けないので今日行ってきた。良くなってた! ので手術はなしだー。「これに懲りて今度は半年後必ず来るように」と言われて一件落着。

チャン・イーモウ『初恋のきた道』(中=米・2000)

目に見えない恋心というものを見てわかるように表現してみせている。それも純粋培養状態で。チャン・ツィイーが先生を見つめるその距離が絶妙! と思ったシーンもあったんだけど、彼女の視線の方向が出来すぎのような気がしないでもない。夫が死んで子供に言う言葉が、たとえば「一日だけでもいいから先生をやって欲しかった」という子供の心配をしているようでいて子供より夫のほうが大事的な心情が見えて、それほど恋心が続くっていうのは美しいことかもしれないけれど、愚痴っぽく感じてしまったのは否めない。それに応えちゃう子供っていうのも、そりゃあ物語としてはまとまりがいいし、これまた美しいけれど予定調和的すぎる。

『あの子を探して』(中国・1999)感想)のときと同じようにチャン・イーモウをくえない人だなと思った。ジャン・ルノワールとは違って嫌いスレスレのくえなささ。


4/29(月)
7人でパニーニの会。食べて飲んで喋って笑う、そして歩く、眺める。ほどよい緊張と緩い時間。頭と身体をまんべんなく使った一日。

ボンベイサファイアを常備しておきたい。


4/28(日)
アンリ・ベルヌイユ『過去をもつ愛情』(仏・1954)@東京国立近代美術館フィルムセンター。ファドの調べが素敵。フランソワーズ・アルヌールの魅力にくらくらだあ。童顔だけどふとしたときはやっぱり大人の顔した女。からだつきも色っぽい。後半の心理戦は高度すぎて私だったらゲーム降りてるかもしれない。

フィルムセンターの客層は年齢が高く全体として質がとても良いけれど、昨日も今日も上映中にお喋りする人たちがいた。昨日はおばさん2人組が「いま撃たれたの?」だって。もうあきれたの通り越して笑いそう。ぶあははは。

夕方から久しぶりの友達とお茶・ご飯・お茶。苗字と同じ名前の焼酎があったので飲んでみた。隣に座ると何故近いのだろう。

乗り継ぎ電車を待つ間にホームから見える月。丸くてなお嬉しくなる。待つことが退屈にも無駄にも思わなくなる瞬間。


4/27(土)
黒木和雄『竜馬暗殺』(日・1974)。原田芳雄と石橋蓮司の組み合わせが素晴らしすぎて、よだれが出そうだった。あと中川梨絵! ファム・ファタルというより危険な女神、か。田村正毅の撮影はこの目で見られるより多くのことを私に見せてくれる。登場人物の目に濃く影が落ちたときでも、そこに眼光を見出してしまうような撮りかた。そしてガリガリな硬さ一歩手前の色、この内容にはこの硬さでなきゃ。

私がみたことのある田村正毅の撮影は青山真治『シェイディー・グローヴ』『EUREKA』『月の砂漠』佐藤真『SELF AND OTHERS』

キャロル・リード『第三の男』(英・1949)@東京国立近代美術館フィルムセンター。音楽が見事に映画の一部になっていると実感。四国分割統治下のウィーンという設定。モノクロームだからこそいきる光と影(とくに影)のつくる形。ときどき斜めになる構図。アリダ・ヴァリの憂いのあるうるんだ瞳と気の強さの対比。木の葉の落ち具合まで素晴らしいラスト。それでも、オーソン・ウェルズの登場シーンをみた瞬間が一番印象的だったのは認めざるを得ない。映画館でみるべき映画だとも思った。

最後に池袋のロサ会館でアレハンドロ・アメナバール『アザーズ』(米=仏=スペイン・2001)。ゴシック・ホラー。こういうのならみられます、血が出ないから。私に2つ「転換」をもたらした映画。前半は、ニコール・キッドマンのテンションの高さが状況説明のとんとん拍子さと相まって好印象なんだけど、途中から高いままのテンションに疲れてきてしまった。しかし後になればそれも伏線だったのかと思えるオチ。1つめの「視点の転換」。内容的には某映画(私は未見だけどオチだけ知ってる映画)を思い出すことになるんだろうなあ。映画を映画館でみる楽しさには大画面ということもあるけれど、音響的な楽しさもあるのだと気付かされた。これが2つめの転換。音響設備のととのった映画館でみて楽しめる映画と思う。

私もみたことがないのです。阪東妻三郎が田村高廣・正和・亮の父親だってのも最近知りました。「明治の文学」で樋口一葉の作品をいくつか読んだときこれは現代語訳にすべきじゃないと思いました。情緒が消えちゃう。


4/26(金)
23日に「ルノワールって、くえない人だ」って書いたけど、文章だからそう書いたのであって、心の中じゃあ「ったくくえねぇやつだな!」と叫んでる。「くえない人だ」じゃあ穏やかすぎる、だって本当にくえねぇんだもの。かーっ。そういうくえなささってたまらない魅力だ。04/26/02 00:57:55

ここひと月で買った本を書いてみます。今すぐ読みたくて買った感じではないなあ……。

たなかれいこ『穀物ごはん』雄鶏社,2002……ひと月くらい前から玄米食べてます。押し麦混ぜたりして。
『明治の文学第2巻 河竹黙阿弥』筑摩書房,2002……このシリーズは揃えてるので。
『明治の文学第9巻 徳田秋声』筑摩書房,2002
志村忠夫『いやでも物理が面白くなる』講談社ブルーバックス,2001
……「いやでも」って言い方はいやだけど。
ERIO#25「野菜派宣言」NHK出版,2002……いつもより薄い。
プラネタリーブックス#3「科学的愉快をめぐって」工作舎,1979……このあいだ届いたもの。
プラネタリーブックス#11「気談」工作舎,1979
堀江敏幸『ゼラニウム』朝日新聞社,2002
……堀江敏幸だから。
堀江敏幸『本の音』晶文社,2002
『必読書150』太田出版,2002
……これを手にするまで奥泉光が近畿大学の助教授になっていたとは知りませんでした。
ソログープ『かくれんぼ』岩波文庫……近藤史恵さんの日記(4/18)を読んで。
「relax for GIRLS #02」マガジンハウス,2001……#01がもう一冊必要になったのでそれを発注したついでにと。

新文芸坐での阪妻映画祭(5/18〜6/14)。みるとしたら『決闘 高田の馬場』『無法松の一生』『鍔鳴浪人』『続鍔鳴浪人』『王将』『おぼろ駕籠』かな…。なにをみようか考えるのは楽しいけど、5つみると6000円かー。月形龍之介が出るものが3つありました。『無法松の一生』『狼火は上海に揚る』『おぼろ駕籠』

オールナイトの5/11がすごい。みられる人をうらやましく思う。


4/25(木)
「○○さん、紅茶きのこってなあに?」「はっ?」。よくよく聞いたら昨日の緑茶きな粉のことだった。パステルで20日からパステラが登場したので買ってみた。一つ480円。しっとりカスタード味のカステラです。

土曜日「マイ・ウェイ」に泣いたとはいえどんな歌詞だったか正確に覚えていない。なんとなくのイメージを思い浮かべて泣いたんだ。歌詞を知りたくて検索してみたけど見つけられなかった。

電車の中で『王家の紋章』、それも文庫版じゃないやつをカバーなしで読んでいる若きサラリーマンを見た。今何巻まで出てるんだろう。そこ覚えてる。その女の人、メンフィスのことをあまりに若い王様なんで一目ぼれするんだよ。でもやっぱりイズミール王子が好きだな。イズミールはトルコの都市。

弘兼憲史シネマ劇場 黄昏流星群『星のレストラン』『同窓会星団』」で、『星のレストラン』の出演者には石橋蓮司と鳥羽潤、その組み合わせに少し惹かれる。少し前のNHKで放映していた漫才学校を舞台にした物語に鳥羽潤が出ていて、涼しげな目がいいなあ好きな顔だなあと思った。おじ(い)さん好きの私にしては珍しく。

しし座で特技が日舞か。

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D・W・グリフィス『東への道』(米・1920)

やっと見つけた働き口に少し慣れたころ、井戸に水を汲みに行く場面が好き。穏やかな風と景色、あたたかに映る家へ目をやるアンナ(リリアン・ギッシュ)。彼女を裏切った男と再会する直前の不安な静けさであるとわかってはいても。いや、わかっているからこそあの穏やかさが引き立っている。氷上シーンは思った以上にギリギリでハラハラ。うわ! と思わず声を出してしまった。サンダーソンの馬鹿げた“申し出”は心底あきれさせるに充分なセリフで、ある意味素晴らしい。


4/24(水)
伊勢丹で「緑茶きな粉」を買おうと思ったらフェアは明日からだった。玉屋でいちご豆大福を買う。いちご大福の元祖はここだそうです。豆がミソだと思った。

黒木和雄『竜馬暗殺』(日・1974)D・W・グリフィス『東への道』(米・1920)を借りる。『竜馬暗殺』は原田芳雄、石橋蓮司に松田優作、おまけに桃井かおりだよ、楽しみ。『東への道』は、このあいだみた『散り行く花』と同じくリチャード・バーセルメスとリリアン・ギッシュのコンビ。

どこでもドアが欲しかった一日は0時で終わらなくて今の時間までのびました。


4/23(火)
2ヶ月ぶりに髪を切りに行った。伸ばしたかったんだけど格好が悪くなってきたのであきらめて。K島さんに「伸びたねえ」といつものように言われたときに、思い切って「あの、もう少し長くした髪型って無理でしょうか…」と言ってみた。「伸ばしたいの? 伸ばす? できるよ」「え、できるんですか。だってこんなクセ毛ですよ!」「頑張ればできるよ。オレが頑張れば。でも○○(私のこと)、我慢できるかなあ。我慢できる?」「できます! でも前、長くしたいと言ったら“オレはすすめないけどね”って言ってたじゃないですか」「いや〜、お客様のご希望を叶えるのが美容師ってもんでしょう〜。……そっか〜、○○、伸ばしたくなったかあ〜……生意気!」

K島さんの口から「ボブにできるよ」という言葉が! 私は何も希望を言ってないよ! なんで憧れを知ってるの! 興奮!!

というわけで軽く揃えた程度にしてくれた。これでも世間的には充分短い。髪の毛を乾かしてくれた男の子が「短いですね」と言うので「いつもはもっと短く切ってもらうんです」と答えたら「え!」と驚かれるくらい。

切ったら一週間くらい落ち込むのも今回はなさそう。でも、この髪型じゃなくなったら私らしくないような、少し落ち着かない妙な気分もある。コンプレックスではあっても、自分からなくなってしまうと寂しいものなのかもしれない。いつもいつも自分にはりついていて逃れられなかったものだからこそ尚更。

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ジャン・ルノワール『黄金の馬車』(仏=伊・1953)

ああ、迷路めいてつながった部屋部屋の扉を開けたり閉めたりしながら場面が展開してゆくさまはやっぱりうまい。ラストの起爆力がすごい! と幸せを感じてたらふいにメタな世界に連れてかれた。舞台と人生どこが境目? その答えは出ないままカミーラは舞台にたたずむ。

ルノワールって、くえない人だ。


4/22(月)
「ぴあ」を買って気付いたのが、佐野元春『SOMEDAY』再発売(“コレクターズエディション”)のニュース。ボーナスディスクがいい。8曲入りで、「シュガータイム」「マンハッタンブリッヂにたたずんで」そして「ワンダーランド」まで入ってる! 「シュガータイム」の囁き声には子供心にぐっときたものです。「マンハッタンブリッヂにたたずんで」『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』に収録されてますが、もともと『SOMEDAY』用だったらしい(このあいだ日記で引用した)。「ワンダーランド」は、ソニーのウォークマンのCFソングでCD化初。“walkman red and black”とコーラスが入るんだよね、懐かしい。5/22発売。

少し前まで好きなタイプはピーター・歌丸・いかりや長介だったんですが、ピーターとは全般的な友達になりたいし、歌丸とは茶飲み友達、いかりや長介はいまいちになってきたので、今後は「好きなタイプは石橋蓮司」にしようと思います。原田芳雄もいいですね。チアン・ウェン『鬼が来た!』はみられるか不安だけど、予告で見ただけでも香川照之の素晴らしさを感じて気になる。ところで、石橋蓮司、原田芳雄、香川照之の3人が共演した映画があります。黒木和雄『スリ』(日・2000)感想)。3人の魅力をまとめて見られます。


4/21(日)
クロード・ソーテ『ギャルソン』(仏・1983)。ギャルソンの職業としてのあれこれが見られると思ってたんだけど、結局この映画の中で主人公の職業がギャルソンである理由がわかんないまま終わった。ギャルソンだって恋をするっていうよりは、あちこちに恋を投げすぎてるこの男の職業はそういえばギャルソンなのだ、って感じ。

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D・W・グリフィス『散り行く花』(米・1919)。父親に虐待されている娘が彼女に恋した青年とつかの間の安らぎを得るも結局は……という悲劇。

サイレントだからみられた気がする。少なくとも、暴力の音、叫び声、醜い罵りを聞かずにいられたから。サイレントでなかったら、目が閉じられないならばせめて耳をふさぎたい、そう思ったに違いない。

リリアン・ギッシュが父親の前に出るときの手・指の落ち着かなさにこちらまで落ち着かなくなる。

青年が父親を殺めてしまうのに痛ましさを感じたのは、人の殴り合いでさえ耐えられなかったのに、という冒頭のエピソードを思い出すからだ。彼が持っていたピストル、刀。それらは彼が「なにか」に対処するために持っていたものなんだろう。でも、暴力を嫌う彼がどうしてピストルや刀を? いつ手に入れて、いつから持っていようと思ったのかはわからない。けれど、そんなことを考えると彼の「あきらめ」を見た気がしてさらに気持ちが沈む。

淀川長治「DVD Classic Film Collection」の一つ。このシリーズは映画が始まる前に淀川さんが出てきて筋をぜーんぶ喋ってくれちゃう……。ウリなのはわかるけど、いきなりこれで始まるのはやっぱりキツい。映画をみおわったあとに選択できるほうがありがたいなあ。

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工作舎から本が届く。

図書館のリサイクル図書に沼田允茂『やさしい論理学』あすなろ書房,1979 というのが置いてあったので持って帰ってきた。小中学生向けに書いたと思われる内容。まえがきを読んで、ぐっときた。ほろ苦い気持ちになる。自分の魅力をわかっている人がそれをひけらかすのに魅力は感じないけれど、自分の欠点を知っている人がそれについて冷静に分析をくだす姿は美しい、とでも言いましょうか。

不意うちで、自分が弱ってることを知る。じゃないな、弱ってるのかもと意識する、程度。馬鹿げた贅沢。

今もまだ雨が降ってる。家に帰ってきてしまうと本当に外出したのかなと思うくらい外の雨は遠い。


4/20(土)
名前を呼んでくれない。肩を叩かれるだけ。数学の教科書を全部やれという。記号と図形がびっしり。←夢を見たのを忘れないようにメモしておいたんだけど……。

クァク・キョンテク『友へ チング』(韓国・2001)@新宿武蔵野館をみにいきました。

R-15だったので暴力シーンがすごいんだろうと覚悟してたけど、案の定すごっぽくて、いつものように勘を働かせて逃げ切った。平たく言ってしまうとヤクザもの+男の友情もの。映像の色づかいもいいし、韓国の“あの頃”を思い出させるキーワードのつかいかたがうまいと思った。私にはピンとこない単語ではあっても、その場に生き、そのときを生きてきた人たちには“あの頃”をリアルを感じるものになるだろうと想像できる。

それにしても、ジュンソク役ユ・オソンはなんて素晴らしいんだろう。哀切さを漂わせる存在感。彼を見るだけでも価値があると思った。「マイ・ウェイ」(!)を熱唱する彼を真正面から映す場面では彼の子分同様涙がにじんでしまった。日本のおじさんたちのカラオケ定番ソングと言われる(今も?)「マイ・ウェイ」は、彼の立場・環境を知りながら聴くとこんなにしみる歌だったのかと。ドンス(チャン・ドンゴン)とギリギリの対話をしているときの刻々と変わる目の表情にも惹きつけられたし、ジュンソクとサンテク(ソ・テファ)の鉄格子越しの早口めいた会話、ああできるのが親旧(チング)なんだ! って思って泣いた。

仁義と友情の板ばさみになりながらも、彼は自分のやり方でもってそれらを共に成立させたのだと思う。彼の「マイ・ウェイ」。

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新宿TSUTAYAに行きルノワールの棚に『ピクニック』(仏・1936)を見つけられなかったので店員さんにたずねると「それはビデオ化していません」。とても残念。ジャン・ルノワール『黄金の馬車』(仏=伊・1953)D・W・グリフィス『散り行く花』(米・1919)を借りることにし、レジに持っていったら順番がさっきたずねた店員さんに当たり、なんとなく照れてしまう。「シャンプーの試供品お付けしますか?」と聞かれたので、「は、お願いします」と答えると、「2つ入れておきましょう」とサービスしてくれたんだけど、ふと、私のモテってこれくらいがせいぜいなんだろうなあなんて思った。っていうかこれをモテと思うのが変。


4/19(金)
そういえばトップページに飛んで大ザッパ論というのが見えたときpoさんのことを思い出してました。それはなぜかというと、いつもページに飛ぶたびに(今は違うけど)ザッパの写真が目に飛び込んできたからです。ビデオになっていないので映画館でかかったら石井輝男『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(日・1969)をみてください。ザッパが出てきます(ていうか土方巽)。

もちーが言われてるのかと思った。にしてもドキドキする言葉だなあ。言いたくもあり言われたくもありだ。


4/18(木)
横に並んで進む自転車の荷台に乗ってる女の子同士が手をつないでいて、自転車の揺らぎで手が離れそうになるのを楽しんでいるようでありながら絶対に離そうとはしない。自転車を支える二人の女性の背中にそれぞれ赤ちゃんが見えたとき左右対称の美しさは完成した。

安野モヨコ『美人画報』講談社,1999。とにかく本が読めなくて借りたままでいたのをやっと読めました。……もっと早く読めばよかったよ! 続いて『美人画報ハイパー』2001に入りましたが2年の間にすごいことになってたんだなあ。例えるならば理論編と実践編、あるいは使用前使用後? 『美人画報』読んでいる間は美人になりたいと素直に思ったけど、『ハイパー』を読み進めたら意気消沈しそうな予感もする。はぁ……。

工作舎で僅少本を注文したら、どことなく機械的ではない「注文承りましたメール」が届いた。配達日時の変更のお願いにもすぐさま返事をいただいて、「21日(日)の午前着への変更承りました。お楽しみに。」と書いてあった。「お楽しみに」だって! 素敵。感動。

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高浜寛『イエローバックス 高浜寛短編集』青林堂,2002高浜寛webページ

濃淡の陰影が絵画のよう。多くの作品での最後の言葉の置き方が強くはないが的確で、それ以外にはありえない表現だと思わせる。

「最後の女たち」を読んで歳を取ったらこういうおばあさんになりたいと思った。だからやっぱり50か60で煙草を吸い始めるぞ。賞で佳作(このレベルで佳作なの?)を取ったという「モン・サン・ミッシェル」が一番好き。「失って“初めて”知る」の深みあるバリエーション。心までもが無口になる。苦しい、と思ったら泣いていた。少しだけうちのめされた。なにに、だろう。この作品が好きだということに?


4/16(火)
昨晩のパゾリーニ『奇跡の丘』は録画失敗。今晩もこの風じゃダメだ。

市川崑『黒い十人の女』(日・1961)

映像も物語もモダンすぎて混乱してる。公開当時でもモダンだったんだろうけど、今みてもモダンとしか言いようがない。ああ、「モダン」って三度も言ってしまってるよ……。後半の展開は行動としてはわかりやすいのに思想として語られると深いなあ。山本富士子と岸恵子のツーショットが贅沢。美しいって素晴らしい。船越英二のアッパレなへなちょこぶりが美貌の女優たちの輝きに負けてない。


4/15(月)
パッと目が覚めて時計を見たら朝の5時半で、なぜかしら父のことを思い出した。父とは深い話をしたことがないな。このままちゃんとした話もせずに人生終わっていいんだろうか。父は何を考えていて娘たちのことをどう思ってるんだろう。本も読まず映画を観たり音楽を聴くわけでもなくまったく無趣味な人で面白おかしいTV番組が好きで悲しいものは嫌い。いつもただ静かに座っていて喋らない。長いトルコ行きを死ぬときは死ぬのだからと母をなだめて許してくれた。母にだけ愚痴ったり本音を言ったりしているみたい。涙を見たことがない。私はいつも父の前では道化役で、男の子が欲しかったのを知っているから男の子ぽくサバサバとした口調でやりとりをしようとする。毒舌吐いて笑わせたいと思っている。今の今まで怒られたことがたった一度きり。それも私からすると、たった一度らしくないことで叱られたなあという記憶。父を見ていると思う。黙っているのにどうして愛は伝わるのだろう感じるのだろう、と。ああ昨晩みた映画の中のクリスチャン・スレーターもそうだった。父と娘が深い話をするとしたら何についてなんだろう。私は照れてしまってやっぱり道化ぽく振舞うしかなさそ うな気がする。

こんな個人的でつまらない話、でも書きたくなったので書いた。推敲なしでこのままいきます。


4/14(日)
隣駅のTSUTAYAにビデオを返却し、今日まで半額だったため3本借りる。家に帰って昼寝してたらTSUTAYAから落し物ですと電話あり。「TSUTAYA○○店アルバイトの誰々と申しますが…」て言ってた。500円分のクーポン券をカード出した時に落としたみたい。

BSデジタルonlineNHK-BSの映画の番組ガイド 今週、パゾリーニ特集がある。なにもみたことがないので興味あり。

トニー・ビル『忘れられない人』(米・1993)

心のありかなんて誰も知らない。心は心臓に宿るから心臓を失えば君への思いも失われてしまう? そんなことはないよ。だけど、目の前にしてドキドキする、せつなくて痛む、そんなふうに心と心臓が連動していると感じたことがあるから完全には否定できない。そうかもしれない、と言い直そう。

雨の日の訪問。「生きてるのがつらくなったときこれを聞く。すると雨が止む」。最後の自分の死が近いと気付いてたようなプレゼントにほろり。

..

疲れて眠り眠り疲れて起きては疲れまた眠り。眠ってるとその間は楽。


4/13(土)
一番最初に買った眼鏡のフレーム調整をしに行ったら30分かかってもうまく調整がきかなくて、映画に間に合わなくなりそうだったのでまた来ますと中断した。次に行ってもまたこの繰り返しなのかと思うと気が重い。かといって、買ったところじゃないとだめなんだろうし。結局、残り2つの眼鏡でのローテーションが続きそう。メンテナンスのうまさも大事だなあと実感。

東京日仏学院ジャック・リヴェット特集をやっていたので『彼女たちの舞台』(仏=スイス・1988)をみに行った。この間みた『恋ごころ』(2001・伊=独=仏)感想)と同様に演劇要素が効果的に使われているんだけど途中でかなり気持ちよく眠ってしまった。とはいえ160分が退屈だったかというとそういうわけではなく。細かいところまで伏線が張り巡らされた緻密な構成で、眠ったりなんてしてたらもったいないと思った。

劇中劇と日常の行ったり来たりを眺めているうちに、劇を演じている人たちがそこから離れて日常に戻っているときでさえ、それが演劇の続きのように思える瞬間がところどころに生じてきて、ちょっとした酩酊感を得る。そういうところがとても好き。幕切れは唐突なくらい辛く、それがまたクール。

その後、吉井さん谷口さんキムラさんと会いました。このごろ吉井さんと一緒だと粗相が多いです。3つのお菓子のうち1つを落としたり、お菓子にお茶を注いでしまったり、鼻息でペーパータオルの入ってた袋を飛ばしたり、そして今日は日本酒をこぼしました。日本酒の焦げた匂いかがなかったんだけど、どんなん? それにつけても野菜バンザイ。


4/12(金)
柴山努『ドラえもん のび太と鉄人兵団』(日・1986)

敵の頭脳を改造して味方側につけるところに少しだけ違和感あり。でも、しずかちゃんがリルルを助けて世話をするあたりからそんなことは忘れて心にスイッチが入った。

ドラえもんやのび太たちも戦ってたけど、しずかちゃんも闘ってたさー。ロボット二体を乗せてワープ繰り返して行ったことない世界へたった一人で行くなんて。

「ときどき理屈に合わないことするのが人間なのよ」。しずかちゃんと一緒に泣きました。リルルが消えたあとしずかちゃんがみんなと合流したときに、その場面を遠景で映すのがいいなあ。エンドロールと一緒に流れる歌「わたしが不思議」を聴いてたら、まただらだらと涙がこぼれた。

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西牧秀夫『ドラえもん のび太の大魔境』(日・1982)

10人の外国人の謎も面白かったけど、義理堅くて涙もろいジャイアンがなんともいい!


4/11(木)
「雨が降り出しました」という山手線のアナウンスにひどく情緒を感じた。

ざーざーという降る音とぽたぽたという溜まって落ちる音の両方が聞こえて雨が降っていることに気付く。落ちる雨の音にリズムはあるけど眠くはならない。降る雨の音は考えごとを誘う。考えごとと言っても、ぼーっとした思いがぼんやり始まってだらだら続くといったほうが正しい。

雨が降ってるのに気付くのと同じくらいふとしたきっかけで去来するという感じなのかも。


4/9(火)
2日の血液検査の結果と状況をみせに再び病院へ行ってきました。状況は変わらずじまいだったんだけど、進むときは1週間で進むそうなので、それがないだけ良いみたい。とりあえず一ヵ月後また行くことに。この状況がなくなる可能性と、さらに進む可能性が半々。なくなれば手術なし、進めば手術ってことで、しばらくは様子見みたいです。だけど2年前のときよりも悪いところが早く見つかったし自分の状況も良くわかったので安心の気持ちが先に立つ。なにより気が楽になった。あーほっとした!!!

「いつでも切るからね〜」という先生に「絶対切らないようにする!」と答え、看護婦さんに「お祈りしてますね」なんて言われながら退室。

『ドラえもん のび太と鉄人兵団』『ドラえもん のび太の大魔境』を借りてきた。人気なんだなあ、軒並み貸し出し中であせったよ。


4/8(月)
月曜の習い事。自分のだめさ加減にくやしくて泣きそうになり声が震えてしまったのを先生に知られつつも必死にこらえた。自分が悪いんだし先生も困る。しばらくしたらまた目を見て話せるようになった。そしていつものように笑い合う。かくして授業は30分オーバー。ひがのびた。早く明日になってそして無事に終わるといい。


4/7(日)
ピーター・ブロッセン/ドルカディン・ターマン『ステイト・オブ・ドッグス』(モンゴル=ベルギー・1998)@ユーロスペース

モンゴルでは、犬は死んだら人間になると言われているらしい。バッサルという犬が死んだ。しかし、過去のつらい記憶から彼は人間になることにためらいを覚えている。彼の肉体が滅びゆくまでの間、魂は時空をさまよい、その事実を受け入れてゆく。

という物語ですが、魅力に乏しかった。モンゴルの言葉は韓国語っぽいなあとか、使われている音楽はアジアと中東の混ざった感じだなあとか、そんな周辺の感想ばかりを連ねるしかない。バッサルが死んで彼の視点=カメラになったと思ったら、途中でまたバッサルを第三者として映したりもする、その視点のバラバラさ加減が好きではなかった。

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ジョン・キャメロン・ミッチェル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(米・2001)@シネマライズ

ヘドウィグ、なんて美しい。境界線、あるいはそびえ立つ壁に、たたずむというよりは足を踏ん張って立っていたヘドウィグが、壁をこわしてやわらかに地面に降り立つまで、そんなふうに思った。

物語自体は画面の派手さに比べるとシンプル。深みがない部分は、歌やヘドウィグの存在感に助けられた感じ。とにかく、歌というものの力を思い知った。「愛の起源」の歌はベタでいいし、初めてカツラをつけたときの歌と場面にぐっときて涙ぐみそうにまでなった。

どうでもいいけど、セリフならば「一緒に呼吸して」がいいよ。

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それにしても曽利文彦『ピンポン』の予告編にはやられました。窪塚洋介に興味ないけど、ARATAの眼鏡姿がたまらない。サム・リーまで出ているし。原作・松本大洋で、脚本・宮藤官九郎。売れ線だなあ。あと、フィリップ・ガレル『孤高』(仏・1974)という“映画ではない”と謳っていた音のない映画の予告も良かった。

渋谷で映画を2つはしごというのに疲れ切ってしまい早々に帰宅。夕方から一眠り。

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おかしなことに微妙にダウナー。うーん、らしくない。こんなこと書かないようにしよう…。04/08/02 20:56:45


4/6(土)
今月は休みます云々とスケートの先生にFAXを入れて、かわりに映画をみるつもりで外に出たけれど一駅乗ったところで渋谷の雑踏を歩くのが急にいやになって引き返してきてしまった。

トルコ風アイス」なるものを見つけて買って帰る。

トルコのアイスはドンドルマ(dondurma)といって、サーレップという蘭科の植物の根から採った粉を材料にして作ります。とても弾力がある食感で、おまけにのびる。おじさんが両手を大きく広げてのばしてみせるパフォーマンスをしながら売ってたりする。夏においしいアイラン(ヨーグルト+水+塩)に対して、冬の飲物はこのサーレップを溶かしたサーレップ(牛乳+砂糖+サーレップ)です。あと、飲んだことないけどボザとか。

黒澤明『姿三四郎』(日・1943)

対戦相手(志村喬)の娘とは知らず出会い、下駄の鼻緒を挿げ替える場面で、三四郎の閉じた傘を映してから娘の開いた傘に転換する場面がとても好き。そして、離れた場所から二人の姿を見守るように映す場面も。

志村喬との試合が行なわれる場で、観客たちは手にした紙(?)でしきりにあおぐ。物理的に暑いのと精神的な熱気を、そして扇いでいない人たちからは静かな落ち着きを感じた。いよいよ試合が始まる時になれば誰もが扇ぐのを止める。そんな対比が美しい。


4/5(金)
時系列もそうだし横にもいなかったよジャイアンのび太

ところで、逆の立場(?)になるけどこれを読むとほっとする。

「あたし人間はだいたい四人に一人は好きになれないもん。三人に一人だと言ってもいいすぎじゃないかもしれないし、環境によっては二人に一人だって嫌いになれるわよ。石川君は面倒くさがって何でも曖昧にすまそうとするから、二人に一人嫌いになるなんて面倒なことしないでしょうけど、あたしはきちんとしないと気がすまないから、ちゃんと嫌う手間も惜しまないのよ。世の中、共感の余地のない人が多いのよ。」保坂和志『猫に時間の流れる』pp.75-76

この文章は過去の日記の中に「コメント」として埋め込んだ記憶があったのでソースを見ながら探したんだけど、「コメント」ってそのとき表では書きにくいことを裏で書いていたってことが多いから面白い。全部表に出してみたくなった。


4/4(木)
生まれて初めて嬉し泣きしそうになる。嬉し泣きってかみしめる感じだ。

杉井ギサブロー『銀河鉄道の夜』(日・1985)。猫を擬人化したアニメーションで描いている。

セリフに出てこないジョバンニの気持ちを味わうには物足りなさが残った。みおわって原作を読み返してみたけど文章で味わうほうを選んでしまうかも。会話部分だけじゃなく、地の文もとても素敵だから。

それから、好きな言葉の一つである「僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸(さいはひ)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまはない」がすっぽり抜けていたのであれっと思ってたら最後に独白という形で使われていた。それもアリかなと思いつつ、ジョバンニがそう言って、「うん。僕だってさうだ。」とカムパネルラが答えるのが好きだったので少し残念な気もする。

賛美歌306番、細野晴臣の音楽、そしてエンドロールで流れる常田富士男による「春と修羅 序」の朗読はとてもいい。

夜空と猫は寄り添う。


4/3(水)
道路をはさんでおばちゃん二人が会話をしてた。向かう方向が違うのに出会ってしまったんだろうね。私が通る間に車が2台通る。視界がさえぎられようが会話の間があこうが全然気にしてなさそうなのが良い。歩道の脇には別のおばちゃんが疲れたのかひとやすみ。カメラがあったら撮っていたかもしれない不思議と絵になる構図。

ナチュラルハウスで「黒糖入り胡麻きな粉」を買った。白胡麻のと黒胡麻のがある。温めた牛乳に溶かして飲んでいる。びみょう〜な甘さとゴマゴマ感がおいしい!

園子温『自転車吐息』(日・1990)

映画とはなんなのか説明できない。でも、みはじめてすぐに「これは映画だああっ」と思わずにはいられなかった。

史郎と圭太の自転車に対して、方子の足。自転車はペダルを漕ぐことしかできないけれど、足は歩いたり走ったりスキップしたりつまづいたりできる。前を向きながら後ろ向きに歩いたりだってできる。移動する=前進してゆくときの、バリエーションと力強さを足に感じた。でも、なにを使ってもどんな進みかたであってもいいんだ。

先が見えない運命らしき道筋にも似た白線。かぼそくても蛇行していても、白線が描かれているならば、たどってゆけばいい。たどってゆくしかない。透明ランナーが見えたように、その白線が見えているのならば。そしてその白線が何で描かれていようとも。


4/2(火)
半年に一度は来なさいと言われてた先生のところへ行ってきた。手術した付近に別の感覚が起きてたし診察券を見たら1年以上も行ってなかった。

「まずは久しぶりだから診察とあとさいけつね」。診察中、「手術あと全然ないじゃん! もう一度切るか!」と予想通りの発言をされたあと、「だいたいさあ〜、こんな1年ぶりに来たりすると大抵悪いこと言われると思わない?」と前置きされ本題。予感通りよくない兆しが〜。「あ〜、確かにこのあたりがなんとなく重くて痛いんです」と言うと「そうそう良くわかるね、そのあたり。そういうのの8,9割はおさまるけど、とりあえず様子見。1週間後また来て」「どれくらい前からなんですか。半年前に来ていたらわかったんですか」「1ヶ月でそうなることもあるし、1週間でなることもある。1ヶ月に一度診察というのも大変だし、まあ半年に一度診察してればもし悪性でもなんとかなるくらいのペース」だって。ダメ押しに「来ない罰だよ、罰!」なんて指差しされながら言われたよ、ちぇっ。

さいけつする注射室に入って深いため息をつきながら看護婦さんの目を見て微笑むと、もう一瞬にして気持ちが通じるわけよ(優しくして光線?)。「大丈夫? 横になってやる?」。あ、ちょっと素敵かも。と思ったんだけど恐怖感を取り除くためじゃなくてどうやら「倒れられても支えられないから」らしく、それじゃあ意味がなわけで、「いえ、一度も倒れたことないから大丈夫です…」と辞退。「倒れないけど苦手なんです」「みんな苦手よ〜。じゃあまず深呼吸して〜。過呼吸になっても困るし」。ああこの先もずっとこういう場面のたびにこういう会話をしてゆくんだろうか。「どうして慣れないんでしょう……」「苦手なものは慣れないわよう〜。あ、針を細いのに替えてあげましょう。太いのを用意してたけどやめにして」。

うわああっ、針ってオーダーできるんですか?

というわけで、ささってきた針は今まで経験したことのないような、ほんとにかすかな痛みでした。その分時間がほんの少し長め? でも今後さいけつされる時に「針細いのでお願いします」なんて言えるわけないよなあ…。っていうか針うんぬんじゃなくて腕が伸びないんだよ!

今日のいいこと
・仙台 こだまのどら焼きをいただく。カフェ味を選ぶ。おいしすぎる。
・先生に会えた。来週も。
・さいけつが細い針。
・目当てのビデオを借りられた。園子温『自転車吐息』。DVDは借りられてた。ほかに借りたのは黒澤明『姿三四郎』杉井ギサブロー『銀河鉄道の夜』
・シュークリームとエクレアを買った。

..

昨晩は月がきれいだったのだろうか。


4/1(月)
月曜の習い事先生に「今日はどうしちゃったんだよ!」って言われるくらいボケ炸裂で、この江戸っ子の先生と本気で漫才組めそうな気がしてきた。なかばやけの入った反射で答えることがどうしてだかボケになってしまう。

堀江敏幸『回送電車』を拾い読みして少し笑う。

階下からピアノの音が聞こえることがある。


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