back to top page

日記のフリindex

02.0102.03

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0202.htm#20020201


2002年2月

その他

スティーブン・ソダーバーグ『エリン・ブロコビッチ』
「チェコアニメ特集:イジィ・バルタ」@パルテノン多摩
リンゴ・ラム『友は風の彼方に』
ピーター・チャン『ラヴソング』

水野晴郎『シベリア超特急3』
水野晴郎『シベリア超特急2』
チャン・イーモウ『あの子を探して』
アキ・カウリスマキ『罪と罰』@ユーロスペース
『菅原伝授手習鑑』「昼の部」@歌舞伎座
フランシス・フォード・コッポラ『地獄の黙示録 特別完全版』
長澤雅彦『ココニイルコト』
ハル・ハートリー『ハル・ハートリー短篇集』
吉本ばなな「ムーンライト・シャドウ」
ロン・ハワード『スプラッシュ』
チェーホフ「かき」「たわむれ」
ビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』
オタール・イオセリアーニ『素敵な歌と舟はゆく』
冬野さほ『ポケットの中の君』『twinkle』
国木田独歩「星」「初恋」
小沢健二『Eclectic』


2/28(木)
日がいいので、朝、雛人形を出す。お内裏様とお雛様のみとりあえず。毎年もっと早く出すべきなのにと申し訳なく思う。

『Eclectic』は、朝の満員電車の中で聴くにはあまりにもそぐわない。聴いて楽しくなったりトリップできるわけでもなく、ただふむぅ〜と微妙にけだるくなる。むさむさした電車内とのギャップが激しすぎる。夜の帰りの電車で聴くと少し大人な気分になるのがわりと良い。なんやかんや言って少し中毒かかってる。

今月が28日で終わることに短さを感じない。

一ヶ月の終わりの日になにも書かずにいるのがいやで、いられなくて、書いている。というより眠くない。眠れないのではなく、ただ、眠くない。


2/27(水)
小沢健二の「麝香」が頭の中をぐるぐる回る。

冴西さんと神楽坂Floor!へ。日本酒Fu.を飲みながら3品でお腹いっぱい。それでも、フランスの緑茶やベトナムの烏龍茶と、なると金時。甘く煮たさつまいもの羊羹のような味わい。

お店の人に「夏いらしたときに日傘をお忘れではなかったですか?」とたずねられた。私のではないからあとは……。ただ、確信がないので持ち帰ることはせず、連絡してみたらビンゴ。夏の忘れ物を取りに行きましょう吉井さん。


2/26(火)
お昼一緒に食べている人に「きょう髪切ってきますから! 覚悟しといてくださいよ!」とわけのわからない捨てゼリフを残して髪を切りに行きました。

髪を切った帰り道には電車の窓にうつる自分の姿を見ないようにして帰るんですけど、ふとしたときに真正面から見た私は手術してくれた先生そっくり!(の気がする) 丸眼鏡がいけないんだ! 先生に会いたくなっちゃったなあ。というより延ばし延ばしにしてる検診に行かなくちゃいけない。が、こんな風貌で先生の前に現れたら何を言われるかわかったもんじゃない。

..

小沢健二『Eclectic』TOCT-24711

まるで一枚の織物のよう。12曲はそれぞれが織りあう縦糸と横糸だ。一つだけを引っ張り出すことができない。

歌唱法というのか、発声法というのか……、こんなに変わるものなの? 歌詞を見てエッと驚き、予想しながら聴いた曲にそれでもやはり驚いた。大人になってしまったんだね。しまったという言い方はおかしいか……。でも、少年の姿はどこにもない。

22日に買った「Tokyo Walker」の写真を見て彼の風貌に憂い・抑制・翳りを感じた空気をこのアルバムも纏っている。あるいは重苦しい熱病のような想い。うかされたまま書き連ねた長い長いラブレター。いったいどんな恋愛をしたんですか? そう聞いてみたくなる。

「今夜はブギーバック」のこのアルバムの中での馴染み具合を知ったときの嬉しさと驚きは、昔から変わらないなにかを見た気にさせてくれたけど、違う、このアルバムの中では「今夜はブギーバック/あの大きな心」なんだ。曲を聴いていくうちに「変わらずあるもの」と「確実に変わったもの」の両方がぐっと胸にせまってきて、たまらなくなった。なんだろうこの煌きは。

使用する人称の変化。もう“君”ではなく“あなた”。「めかしこんで行ったパーティー」で「目が逢えば」「最高に感じた」“君”はいない。「大通りを上」り「南へ行く高速道路」をともに下るのは“あなた”。一度きり登場する「君」は過去の思い出としてのそれ。

小沢健二cd(s) listを更新。ちょっと適当なつくり。


2/25(月)
あらゆる点で人より足りてないような気がする今日この頃。経験、努力、そして特にじっくりものを考える時間が決定的に足りてないままここまで来てしまった。


2/24(日)
昨日買った漫画は冬野さほ『ポケットの中の君』集英社 マーガレットコミックス,1993/『twinkle』マガジンハウス,1997。コマについてゆくのが難しい。情報量が多くはないのに多く見えるとでもいうのかえらく独特な描きかた(?)で、読むのに時間がかかった。

表題作「ポケットの中の君」。つれない彼に仔猫のようについてゆく彼女の目はいつも伏目がちで睫が淡く影をつくってる。100回ドアをノックしたら1回くらいは気付いてくれるかもしれない、それほどのつれなさ。しかし、その1回は二人にとって確実に必要かつ重要だ。会えない間に彼女が送り続けた手紙で引き出しがいっぱいになってしまったという一見文句めいた彼の発言はしかし手紙は捨てずに引き出しの中にあるということを同時にバラしてることに、たぶん“二人とも気付いていない”。そして、自分がいないときに相手が贈り物に気付くようにする……、そんなやり方しかできない人は確かに存在する。彼と会ったとき彼女がどういう状態であるか彼女自身が書いている内容、それはとても正しい。会うって、会ってるって、そういうことなんだと私も思う。

「夢の方がいいよ。」タイトルと最初の絵が素敵! と、今日一日じゅう寝ていた私は強く思った。夜は嫌な夢を、昼間はいちご色の夢を見た。

..

火曜も木曜も大きな本屋に行ってぐるぐる回っても読みたいものが見つからなかったし家にある本にも惹かれない。はずだったのが、ぐだぐだ寝たり起きたりしている合間に本棚の1冊が目にとまる。国木田独歩『武蔵野』岩波文庫。短篇集なので、なにか短いやつないかしらん……とぱらぱらめくっていたら4ページで終わるものあり。「星」。はあ〜、あまりに美しくて涙が浮かぶ。文章ってものはそこだけ抜き出してもあまり意味がないのだと知りつつ3つほど。

かくて日曜日の夕暮れ、詩人外より帰り来たりて、しばしが間庭の中をあなたこなたと歩み、清き声にて歌うは楽しき恋の歌ならめ。この詩人の身うちには年わかき血温かく環(めぐ)りて、冬の夜寒も物の数ならず、何事も楽しくかつ悲しく、悲しくかつ楽し、自ら詩作り、自ら歌い、自ら泣きて楽しめり。(p.98)
夜はいよいよふけ、大空と地と次第に相近づけり。星一つ一つ梢に下り、梢の露一つ一つ空に帰らんとす。(p.99)
君は恋を望みたもうか、はた自由を願いたもうかと問うに、自由の血は恋、恋の翼は自由なれば、われその一を欠く事を願わずと答う、(p.100)

もひとつ短い「初恋」。読み終わったときに題名を見てすんなりつながる小説が大好きなんだけど、あまりお目にかかったことがない。これはそういう小説。最後1行のいさぎよさ。4ページの中に恋の描写はわずか2行。しかし、この題名はどうしたって「初恋」しかありえない。


2/23(土)
耳鼻科へ行き1時間立って待つ。頭痛の薬は忘れた頃に効いていた。下北沢に行きつきまさで日本茶を飲みながらまったりし、おもちゃ箱みたいなヴィレッジ・バンガードで呼ばれた漫画を2冊買う。小さな丸眼鏡は視界が断然狭い。

nさんGAKUさんと飲み。「思いあまる」についての深い考察。


2/22(金)
小沢健二の記事が載っている「Tokyo Walker」を買った。風貌が大人になっている! 憂い・抑制・翳りさえ感じるほどに。KENJI OZAWA OFFICIAL WEB SITE

あたたかいのと光がやわらかいのとで世界はハチミツ色、そんな素晴らしい夕方。電車でぼーっと座って周りを眺めていたらみんなもぼーっとしてて、ああもう終点まで乗っていたい動きたくない降りたくない帰りたくないや……。天気と時間の一致に季節が加わったからこその限定的な状態。冬が冬を忘れ始めてる。春になってしまえばこのぬるいあたたかさは当たり前になってしまうんだろうから。

ヴィム・ヴェンダース『都会のアリス』(独・1974)をみてたらいい感じに眠くなってしまったので素直にうたたねすることに。布団は眠りにいく場所だけど、こたつって眠くなったのをそのまま受け止めてくれる場所なんだよな。


2/21(木)
どこかで桜が咲いているんじゃないかと思った。

オタール・イオセリアーニ『素敵な歌と舟はゆく』(フランス=スイス=イタリア・1999)@シネセゾン渋谷。一言。不思議。屋敷(?)内での人物入り乱れの展開が、ジャン・ルノワール『ゲームの規則』を少し思い出させた。ふとした印象だけ。全体の雰囲気はぜんぜん違うし。

終電間近の電車で座れたのでまったりして帰る。隣の男の子に軽くもたれかかられる。……学習の必要性。


2/20(水)
ポストが近づいてきたので鞄からハガキを出し少しだけ眺める。まだ新しくてぴかぴかしたポスト。ハガキを差し入れたとき、押し返されるほど中身がいっぱいなのがわかった。いつ、どのポストに入れるときでも、たいていそう。その思いのほかぎっしりとした感触はとても素敵。

頼んでいた本が届いた。山田稔編『チェーホフ 短篇と手紙』神西清・池田健太郎・原卓也訳 みすず書房,2001。山田稔氏による「チェーホフの距離」と、短篇2つ「かき」「たわむれ」を読む。「チェーホフの距離」では彼が他人との付き合いにおいて取っていた距離の問題に触れている。「たわむれ」の残酷さがいいね、まさしく「距離」だ。最初書いたときにはラストを違えていたそうです。

ビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』(スペイン・1972)。静謐。横断歩道で待っているときや歩道橋の上で、一歩踏み出すと死んじゃうんだな……ということに改めて気付いたような作品。


2/19(火)
いつものカフェでいつものように眠くなり久しぶりに本屋をのぞくも何にも呼ばれずバーゲン品の中に昨日なくした手袋と同じものを見つけて買った。

ロン・ハワード『スプラッシュ』(米・1984)

トム・ハンクスと、人魚のダリル・ハンナ。もう地上では呼吸できない。彼女がいなければ。水の中で彼女と一緒だから泳ぎも呼吸もできる! って感じ。愛だ〜。人魚の愛情表現過多な感じがなぜか許せてしまう。


2/18(月)
いやなことと嬉しいことが交互に起きた日。それでも後半は挽回してるから、一日の終わりはいい感じに閉じてゆくのかもしれないなあ。

しかし、手袋をなくしたのはかなりのショック。まだあまり使っていなかったし、物をなくしたり落としたりがあまりないので余計に。数日前には小銭入れをなくしてしまい、それもかなりの打撃でした……。

届くということについて考える毎日。“考える”なんて嘘、届くことを“実感”している毎日です。


2/17(日)
ハル・ハートリー『ハル・ハートリー短篇集』「サバイビング・デザイアー」「セオリー・オヴ・アチーヴメント」「アンビション」。演劇をみているような映画だったなあ。映画的と演劇的がどう違うのか説明するのは難しい。

吉本ばなな「ムーンライト・シャドウ」を、何度読んだか知れないけど今日もまた読む。吉本ばなな作品で何度も読んでいるのはこれのみ。

昨日は春の陽気今日が曇りでよかった。昼寝は好きだけど生きている実感は得られない。


2/16(土)
「スフレはせつない。家では食べられないから。……作らなければ」と言ったら爆笑されてしまった。

正しくは、「スフレは出来たらその場で食べなきゃいけないお菓子だから、持ち帰ることができなくて店で食べるしかない。せつない」と言いたかったのだ! 「作らなければ」と言ったとたんオチのようになってしまった。

思い描いていたような眼鏡を手頃な値段で見つけた。メタルフレームで小さくて丸眼鏡っぽいのと、同じくメタルで紫の楕円。丸眼鏡のほうはレンズの内外の見え方の境目を気にしなければすごくいい。もう一つのほうは、紫の色が顔色を明るく見せるのがいいな、と。


2/15(金)
真砂なす数なき星の其の中に吾に向ひて光る星あり

正岡子規。土屋文明編『子規歌集』岩波文庫というのを買ったのです。

ああ〜眠すぎる。


2/14(木)
昨日の『地獄の黙示録 特別完全版』の観客はおじさんが多かった。一組バカップルがいて映画の途中でピピピと音がしたり挙句の果てに電話がかかってきたりしてたっけ。

一晩おいてみてもなにかしら考えてしまう映画だった。途中だれるところもあるんだけど、構成のしかたからみると、ベトナム戦争そのもの、あるいはベトナム戦争の構造を描ききったと断定したいくらいのすごさ。アメリカがベトナムに勝てなかったということ、理由、無意味さ、とにかくあの戦争をハッキリ突きつけてる。

ヘリで一気に着いちゃだめなんです。それでは断絶がある。川という連続的なもの(つながっているもの)を這うようにのぼり、矛盾と狂気が徐々に精神にしみこんでいく過程をみせなければならない。どこからおかしくなっているのか、わからなくするためにも。

川をのぼるにつれて、登場する者はどこかしら弱くなってゆく。“支配者”ではなく“敗者”へ移ろっていくように。しかし、(矛盾する書き方になるけれど)果たして狂気は増しているのか? そもそもなにに対する狂気なのか? いったいなにを狂気とみなすのか? カーツ大佐へたどりつくとそれがわからなくなってくるのだ。

カーツ大佐が神のように王のように崇められているって? 違う、洞窟の奥に逃げ込み、追い詰められていたんだ。まともだったからこそ弱者・敗者としてしか存在できなくなってしまい、殺してくれる誰かを待ちつづけていたんだと思う。思想を言葉で語りすぎとも思えたけれど、表現のわかりやすさを取るならばいたしかたない。彼の魂は狂っているのだろうか、誰が正気で誰が狂気か、そんなことはもうわからない……。ウィラード大尉がカーツ大佐を殺した時、私はただ心の中で「ああ地獄だ」ってつぶやいただけ。そしてその直後、カーツ大佐も「地獄だ」とつぶやき息絶えた

..

長澤雅彦『ココニイルコト』(日・2001)

ああ関西弁の天使だ。心の中でしとしと泣いてしまうような静かな味わいのある愛しい映画。真中瞳のかたくなさ(かたさ)も、堺雅人の(裏打ちされた)「ま、ええんとちゃいますか」も、ものすごく良い。大阪弁にゆっくりとしたテンポを感じたなんて初めてかもしれない。“星座”の発見と部屋を引き継ぐエピソードがたまらなかった。

もう一度言うけど真中瞳のかたくなさがいいんだよ!

..

自分用に買おうと思ったヴァローナの板チョコ売り切れ! 甘かったなあ。生チョコとトリュフしか残ってなかった〜(あと製菓用ありますなんて言われたけど……)。板チョコ〜。


2/13(水)
スピッツ『名前をつけてやる』。行き帰りでかなり聴くことができた。聴いていたとき、歌そのものや歌詞そのものとは全然関係ないところでハッと気付いたことがあって、少しの間ぼーっとしてしまった。歌に気持ちが打たれたことに打たれた反射的な気持ちとでもいうのか。ああもっとつきつめてじっくり自分の心と向き合いたい。

夜は雪だというので映画をみて雪踏んで帰ろう! というもくろみからフランシス・フォード・コッポラ『地獄の黙示録 特別完全版』をみて帰ることにした。

みおわって映画館出ても雪なんて全然。

思ったよりは冷静に眺めつつも、ところどころで「うわーどうにかなりそうー」と感じたりもした。冷静さなんて、ただの麻痺状態だったのかもしれない。難解ではなかったけれど自分の気持ちの整理が付いていなくてうまく言葉にならない。ただ、「地獄だ…」って心の中でつぶやいた直後に、映画の中でも「地獄だ」って言ってた……。


2/12(火)
お昼にサーモンフライに挑戦したのがいけなかったのか、お腹が重いよ。でも、少しずつでもきちんと食べるようにしないと、というわけで夜は豆乳で炊いたお粥。

『地獄の黙示録 特別完全版』が気になるも、平日にどっぷり3時間半はきつそうだし、休日つぶれるのもなんだし。でもたしか2月いっぱいだし。って書いておけば少しは自分を押せるし。

スピッツ『名前をつけてやる』をボリューム消してMDに落とし、明日の楽しみにとっておく。

相手と自分の「瞬間」が一致する「瞬間」だったなんて。だからこそぐっときたのかな。そういう印象に残る瞬間ってカメラで写したように映像で残っているから不思議。


2/11(月)
初めての歌舞伎。『菅原伝授手習鑑』@歌舞伎座の「昼の部」を三階A席から。イヤホンガイドを借りてみましたが物語はあまりよくわからないながら飽きずにみることができました。回り舞台やら、水をあらわす水色の布の下にちゃんと穴が空いているとか、牛だと思ったら人間だった! とか、奇抜な色使いの衣装、それらを見ているだけで充分楽しかった。幕の内弁当を予約して食べるのもわくわくしたし。お弁当はちゃんと平らげた。それも一番に。

女4人でかしましくマリアージュフレールでお茶してから帰宅。ここではお菓子を食べきれず。


2/10(日)
やっぱりスピッツを聴きたくなり『隼』をMDに落としてから外出。音楽がしみているときって、絶対身体になにかしらの変化が起きているに違いない。聴きながら移動するのはいいな。待ってる間もさみしくない。

軽くて細かな雪が少しのあいだ降っていた。

吉井さんと中国茶を飲みながら「やっぱり眠くなるね」なんて話していたら2時間も経っていて、山頭火でラーメンを食べてからアンテナでまたもやお茶して、青山へ散歩してスパイラルでカードを買う。昨日もそうだったけど食欲のないときに友達と一緒にいるとちゃんと食べられるので感謝しています。吉井さんの日記がとても丁寧で詳しいです。もちろん愛です。


2/9(土)
チャン・イーモウ『あの子を探して』(中国・1999)

TVの前で探している理由をたずねられた彼女の心の中は、口に出す直前まで「お金」だったのだと思う。でも、口をついて出た言葉は、それとは異なってた。口をついて出た言葉が本当の気持ちになってしまった瞬間を見た。「探す」ことに没頭した挙句「お金」という目的が薄れ、「探し出すこと」が目的そのもの、真実になった瞬間。

にしても、中国山村の教育の状況や、あの歌を耳にしてしまうと、この映画には「感動もの」ではない複雑な思惑が見え隠れしてる気がする。そう思うと、ラストの「その後」は余計、特に後半は余計だと思った気持ちも薄れ、むしろあれくらいの大げさな「おとぎ話的大団円」が合っているのかもしれないと思い始めてきた。

友達と待ち合わせて、特集上映 アキ・カウリスマキ@ユーロスペース『罪と罰』(フィンランド・1983)をみにいった。原作の詳細を忘れてしまっているので比較できないんだけど、原作では“希望”すら感じたラストが映画ではきっぱりとした孤独しか感じず。それとも原作を忘れすぎているのかも。

映画のあとはドトールで軽く食べてアプレミディ(だっけ?)でお茶して珈琲館でもう一回お茶して。ここ数日間って24時間が24時間機能している。今までが薄すぎたのかもしれないけれど。


2/8(金)
2kg減。もうちょっと顔に影響が出ないものかな!

水野晴郎『シベリア超特急3』の有料試写会に行ってきた。出演者の舞台挨拶があり宇津井健や三田佳子を見ることもできたけど、続く『シベリア超特急3』『シベリア超特急2』は、みながら全然別のことを考えていてちっとも楽しんでなかった気がする。『シベリア超特急2』は、どんでん返しバージョンで今度発売されるDVDにも入っているらしい。すっごいウケてたけど……、『オープン・ユア・アイズ』あるいは『バニラ・スカイ』風とでも言っておきましょうか。

今はなんだか本か漫画を読みたい。ハードカバーでチェーホフの短篇集が出てたのでそれが少し気になっている。そろそろ映画の嵐は収まってゆくんだろうか。とはいえ明日も映画をみにいきます。

ある朝いきなり頭に浮かんだ歌は「あなたの右のこめかみの険しさが好きよ。分別と堪えきれぬ少年が争ってる」。大江千里。でもしかし、ああなんだかスピッツが聴きたくなってきた。

2/27発売の小沢健二『Eclectic』が待ち遠しくもすこし怖い。


2/7(木)
「恋は愛らしい花であり、友情は甘い果実である」。99.7.13の日記より。


2/6(水)
雨の日、傘のない後輩と一緒に会社を出て信号待ちをしていたとき、「私も入れてください」とちょっと不思議な雰囲気の女の人に話し掛けられた。「いやです」とも言えないので不自然な格好で歩くことになったけど、折りたたみの小さな傘は3人分の雨はよけられなくてあまり意味がない。左に曲がると「曲がるの? まっすぐ行けたのに……」と言われちゃうし、一人ごと言ってるし、傘なんて別にどうでもいい感じでぴったりくっついて歩いているだけなんだもの。よくわからないまま駅にたどりついてその人と別れると、後輩は「私も確かに傘がなくて一緒に入れてくださいって言ってずうずうしかったけど、あの人もなんだかすごい…」とゲラゲラ笑い転げてたけど、私は「でもちょっと怖かった。一緒でよかった」と言ったのでした。

髪に色を入れに行き、椅子に座って目の前に置いてあったのが沼田元気『水玉の幻想』青山出版社,2001。真ん中に穴が開いているところは稲垣足穂『人間人形時代』工作舎,1975にそっくり。『水玉の幻想』は、1ページ1ページが写真でそのページの端に古今東西の格言やことわざが載せてある。面白いのをいくつか覚えて帰ろうとしたけど忘れてしまった。髪をいじってもらっている間、おねえさんと「わ。○○ですって〜」なんてコメントしあいながら過ごした。

それが終わってアフリカの写真集を持ってこられ、次には「これ読んだことある? 泣けるよ〜」と佐野洋子『100万回生きたねこ』講談社,1977と、もう1冊、橋口譲二『疾走』(だったかな…)。『100万回生きたねこ』は最初と最後は知ってるけど途中を知らない。橋口譲二の写真集があるのに驚いて、「この人の写真いいですよね、好きなんです」と言うと、「あ、知ってるの? ほんとー」と、意外なところで盛り上がったりした。

『100万回生きたねこ』は構成はすごくシンプルだけどその深さに参って泣きそうになる。橋口譲二の写真集は時間切れでほとんど見られなかった。

実は笑っちゃうくらい食欲がなくて、はかってみたら約1.5kg減。ジョエル・コーエン『赤ちゃん泥棒』(米・1987)チャン・イーモウ『あの子を探して』(中国・1999)を借りてきたものの。


2/5(火)
深田恭子のキョトン顔はかわいい。それにつけても抱きしめたら気持ちよさそうな人だ。宗教社会学の本なんて頭に入りっこないさ!


2/4(月)
昨晩から今日にかけて一気読みした一冊は、ハチミツのような小説だった。そして、長い長いプロローグのような。

深田恭子が出ていた日韓共同のTVドラマをつけながら本を読もうとしたけど本は開いたところから次のページへ移っただけで、結局深田恭子の顔ばっかり眺めるはめに。

実はもっちーへ出したこのあいだのメールには最後に「なんだか会いたくなっちゃった」って一度書いて消してしまってた。でも今日のメールは……。


2/3(日)
リンゴ・ラム『友は風の彼方に』(香港・1986)

チョウ・ユンファとダニー・リー。ジョン・ウー『狼 男たちの挽歌・最終章』(香港・1989)と同じコンビです。

囮捜査員であるチョウ・ユンファと組織団のダニー・リー。芽生えてしまった友情の処理の仕方がいかにも香港映画。そこに甘さも救いもなかった。二人の友情と逃亡が叶うことを願ってしまった点で映画がうわて、私の負けなのかもしれない。

..

ピーター・チャン『ラヴソング』(香港・1996)

久しぶりにみてみた。これから香港映画を意識してみようと決めて最初にみた映画だったと思います。1986年から1995年までの約10年間の男女二人の軌跡が丁寧に描かれている。ふとした転換の瞬間を描くのもうまい。狭っ! というのが強く伝わる部屋でのラブシーンへの入りかたなんて、その瞬間にドキドキしっぱなしだし、レイキウ(マギー・チャン)がボス(エリック・ツァン)に別れに告げに行ったにもかかわらず……の場面で「情」というものの存在を見事に描いていた点も見逃せない。後半の主役二人のすれ違いぶりには(わかっていても)もどかしくてジタバタすること必至。

オープニングはちゃんとみておくこと。オープニングとラストの美しい呼応に弱いです。

香港映画で“普通におすすめできる”これより上質の恋愛ものを知らない。ヨン・ファン『美少年の恋』(香港・1998)感想1感想2感想3)は万人にすすめられないし、世間の評判もあまり良くないみたい。

..

やまじえびね『LOVE MY LIFE』祥伝社,2001。女性同士の恋愛です。とても繊細な内容でした。片方が考えて疑問に思ったことを相手が「それはね」ってさらっと即答して対話が深まる。まっすぐさと聡明さが結びついたようなお互いの関係がものすごく素敵。一話完結ながら少しずつ動いていく物語の、その到達点には未来があった。


2/2(土)
真面目にスケートへ。一度自分の滑っている姿を見てみたい。かなりみっともないんだろうなあ。スケートは、やっている間ほかのことを考えずにいられる数少ないことの一つだけど、集中できるから一番好きってわけでもなく趣味というわけでもなく、その逆に好きだから趣味であり集中できるというわけではないみたい。嫌いなこと片付けなければならないことにしょうがなくとりかかったら意外と没頭できて終わって達成感を感じるのは爽快。

その後、友達と「チェコアニメ特集」@パルテノン多摩へ。「(距離あるのに)酔狂だよね」と言われてしまった。イジィ・バルタ『最後の盗み』(チェコ・1987)をどうしてもみてみたくて。みたのは以下の7作品。どの作品にも虚無と退廃が漂っていると感じた。

「謎かけと飴玉」(チェコ・1978)……謎解きは、考えて解くのではなく想像をふくらますことで解くことを改めて知る。

「プロジェクト」(チェコ・1981)……幾何学的な構築を早回しで見るのって美しいと思った。画一な部屋が並ぶマンションに近づいてみれば個性が見えるし、遠く望めばただの箱。画一の中の中の個性を再び大きな画一で閉じ込めてしまったところに虚無感を感じた。

「手袋の失われた世界」(チェコ・1982)……生きている手の動きになまめかしいと感じることはあったけれど、手袋のほうがよりなまめかしいと思ってしまったなんて。

「最後の盗み」(チェコ・1987)……(以下に)

「見捨てられたクラブ」(チェコ・1989)……マネキンたちの“平凡な”日常。ときどきマネキンあることを忘れてた。

「ゴーレム・パイロット版」(チェコ・1996)……あれ? おぼえてない!!!

「セルフポートレート」(チェコ・1988)……イジィ・バルタ、パヴェル・コウツキー、シュヴァンクマイエルら3人の監督の、自分の作品と自分自身をみせる、まさに自己紹介。

「最後の盗み」は5万枚のモノクロフィルムに1コマずつ彩色したというもので、この世のものとは思えない幻想的な雰囲気が出てた。なんなのこの色は! って感じ。美しすぎて怖かった。泥棒がベッドに縛り付けられて屋敷の人たちが医者の格好して登場してから先が怖くてみられず、下を向いて耐えているあいだ手に汗かきまくり。「あの先みられなかった」と言うと「良く勘働くねー、確かにだめかも。吸血鬼だったよ」と教えてくれた。

神楽坂へ出て、本格焼酎が飲めるお店へ。強いんだけど飲みやすい。おまけに酔わない(気がする)。

月がぼんやり。


2/1(金)
スティーブン・ソダーバーグ『エリン・ブロコビッチ』(米・2000)

ジュリア・ロバーツが生き生きしてて良い。足で魅せ、足で地道に積み重ね。最初は、自分の売り込みって大抵オーバーなんだよなーって思ってたけど、自分から仕事を見つけて地道にコツコツ形にしていったエリン・ブロコビッチを尊敬してしまった。派手に裁判の様子なんて見せない点が知的な作りだなあ。


31(木)
あの迫力をもう一度味わっておきたくて、帰り、突発的にゲイリー・トゥルーズデイル&カーク・ワイズ『美女と野獣』@東京アイマックスシアターへ寄ることにした。映画も明日の2/1までですが、東京アイマックスシアター自体が明日で閉館してしまうのです。明日の最終回には全員にバラの花1本が配られるそうです。「中央から後方のほうが良くご覧になれまーす」と係員の人が言ってたけど、みづらくてもまた一番前の中央で。前に人の頭のないのがいいよ。やっぱり胸が震えた。「小鳥」と「図書室」とどっちが好きかというとやっぱり「小鳥」のほうなんだなあ。

結果が出たとたん駅名にゲ〜。確かに以前やったのと結果が違う(駅名もなにも)。当たってないと思う。歯浮くし。

28日にお芝居をご一緒したMneさんが漫画を貸してくれた。やまじえびね『LOVE MY LIFE』祥伝社,2001。女性同士の恋愛みたいです。「どうしたんですか?」と聞くと、「朝日新聞の夕刊に時々漫画評が載っていて、それを見て」と言われました。表紙に並んでいる二人の女性の右側の人と私の髪型似てる。でも左側の髪型に憧れるなあ。


29(火)
会社へ行く道には大きく2つあって、1つは横断歩道を使いもう1つは歩道橋を渡る。信号に間に合うように走ったり急ぎ足になっていることが多く、これが生活にも「あせり」を生じさせている原因のような気がしていたので、年末に読んだ整体の本の中の「あせっていると思ったときは信号を一つ待つくらいの気持ちで(意訳)」と書かれていたのを良く良く思い出すようにしている。今朝は、歩道橋を渡りたい気分になってていた時、ちょうど信号の赤で足止めをくい歩道橋を選ぶことができた。

歩道橋は見上げるのもそこから見下ろすのも好きな建造物で、そういえば電話をかけてくるときにはいつも歩道橋からだった友達がいた。あ、いま犬が通った、とか、私に言ったのではないこんにちはが聞こえたりして会話が臨場感と多重性をおびる。携帯電話の携帯らしさが良い方向に効いた会話。

会社でお茶を飲むために今日からマイカップを持っていくことにした。気に入っているのに使っていないカップがもったいない。コーヒーよりジュースより今は緑茶が飲みたい。入院中(食事に出るお茶はほうじ茶のみでほうじ茶嫌いになってしまった)に使っていたアフタヌーンティーの茶コシ付青い鳥カップ。栗の風味のついた緑茶を飲む。

ドナルド・ペトリ『デンジャラス・ビューティー』(米・2000)

まずは減点から。もっと面白くなりそうなのに、いまいち手を抜いているのかツメが甘いのか盛り上がりに欠ける。準備期間が2日間というのはきっちり仕込めないからもったいない。素も残っている面白さはあるけれど、変身後と素のコントラストが弱いから。他にもミスコン軽蔑してたのがあの程度で案外あっさり翻ったりとか。でも、強くてガサツなだけの人が、強くてきれいにもなってちょっと違う世界を体験してみましたおまけにハッピー! っていう気楽さがいいです。強くて美しいって羨ましい。全体的には期待通り楽しかった。

..

2,3日前に見た夢。プールにかなりな高さの巨大な梯子(ジャングルジムの簡素系?)がかかっていて、人々がそこに登って座って本を読んでいる。私もちょっと無理してプールに張り出したところに出たはいいけれど、戻れなくなってしまったことに気付いて怖くなり、後ろを振り返って戻れなくなっちゃいましたと言うと女の子が無言で私のことを押した。落とされたと意識したときからどんどんスローモーションで下に落ちていって、水面ギリギリのところに来たときには水の表面がきらきらとした光のトゲのようになっていて、痛いのかと思ったら全然痛くなくて水に入ったか入らないかわからないまま目が覚めました。

森淳一『Laundry ランドリー』@シネ・アミューズの予告は映像と歌だけで文字は映るけれどセリフを喋っていなかった。砂浜にねっころがる、その図に青春を感じる。自分がもうしそうにないことをしているのをみると、青春って思う。その無防備さ。


back to top page

日記のフリ index

02.0102.03