トルコ日記33


4/4(水) 晴れ ブルサ

9:00AMに着くと思っていたのに、ブルサに着いたのは、11:00AMすぎ。さて・・・ ずーっとバスの中だったのが、4:30頃休憩したあと9:00頃まで止まらなかったのでお腹がペコペコになった。やっと止まったところで、久しぶりに食べる。

注文して席に座っていると、運転手さんたちが自分たちと一緒にってことでお皿を持っていってしまった。キョフテとか少しもらったりして、少し話をしたりして。いい人たちだった。いつ出発か、と聞くと私次第とか言われた。トイレに行くか? と言うので、うん、と言うと案内してくれた。中にはおばあさんたちがいて、私に話しかけてくれるんだけど、何言ってるかわからないの。でも、向こうはにこにこしてるから、私もにこにこして。まだ、自分の分のお金払ってなかったから、ロカンタへ戻ると、タマーム(O.K.)と言われ、運転手さんが払ってくれちゃったらしい。おまけにバスにはもうみんな乗り込んでいる。運転手さんに「テシェキュレデリム」(ありがとう)と言うと、アフィエットオースン(意味忘れた)と言われた。

バスの中では割と眠れたかな。前のおじさんは、いびきかいたりするけど、でも。バスがブルサに着き、運転手さんとお別れ。大きなオトガルなんで、迷ってしまう。とにかくタクシー乗り場を探そうとする。中にいったん入るが??? ポルタカルスユ(オレンジジュース)を売ってたから、久しぶりに。800TL。私ってメガネをかけてると、日本人に見えないのかな? イングリジェ? アルマン?(ドイツ人) ディヤルバクルのタクシーの運ちゃんには、アフガニスタンとか言われた。へ?? という感じだ。

タクシーでウルジャミイと言って向かう。見慣れた風景画目に飛び込んでくると、何とも言えず懐かしい気持ちだ。泣いてしまうかも、とも思う。ウルジャミイが見えてきた。2000TLのメーターだったので、止めてもらって降りた。

荷物が重いのをのろいながら、それでも一生懸命駆けて行こうとする。「i」、一番最初に見えたのは女の人だった。そしてハサン。"Nasi'lsi'ni'z?"(=How are you?) とたずねられ、固い握手をかわした。そのあと、もうお昼だったので、一緒に行った。あの劇場の中の。1500TLをまた払ってもらってしまった。1500TLのことをオンベシュユズ?(オンベシュ=15、ユズ=100)と言うと、「ビン」ベシュユズ(ビン=1000、ベシュユズ=500)と言い直された。笑われた。確かに正しいとか言われたんだけど、そういう言い方はしないんでしょ?と言うと、でも正しい、とか言われて。

お昼を食べていると、ウムハンたちが来た。ウムハンは、前よりきれいになっちゃって。私にほっぺたくっつけあう挨拶をしてくれた。お昼ののち、ハサンとウムハンと私とで散歩。ウルジャミイ近くの屋外カフェで、チャイを飲む。ウムハンは、家族で私のことを心配してたらしい。でも、TELの仕方がわからなかったから、彼女のとこにTELしなかったの。

さて、1:00PMになり、ハサンさんがホテルを教えてくれた。私をゲストとして無料だという。疲れてるようだから、17:30PMまで寝てなさい。17:30にホテルに迎えにゆくから、という。そして、ホテルへ。紹介文を渡してもらい、ホテルへ着いて渡すと、わかってくれたようで部屋に案内してくれた。暖かい部屋だ。17:00PMまでひとねむり。17:30PM少しすぎにホテルへハサン、ウムハン、女の人、そのボーイフレンド? がやってきた。5人でイェシルテュルベの方へ歩いていき、そこから坂を昇って公園らしきところまで行った。カフェでチャイ1杯で2時間くらいねばり、バッグギャモンをやった。やり方は大体わかったんだけど・・・。面白いけど難しい。

8:30PM頃にはお開き。9:00PM頃ハサンさんと2人でホテルへ戻ってきた。ハサンさんはバッグギャモンをやっている。私はそれを見ている。あーあーずーっとこうしていたいなぁーって思う。ホテルへ戻る道もハサンさんは話をしないので、しかたなく私が少し話す。4/12が誕生日('60)。どうしてハサンさんこそ話をしないのと言うと聞いているほうが楽しいからと言う。

まともな食事はお昼だけだったのに、チャイたくさん飲んだからか、少しお腹が痛い。11:00PMすぎに部屋に戻った。ハサンさんはまだ残っていたようだ。写真を撮った。ホテルの人たち感じが良い。

眠る前、イイアクシャムラル(夜言うさよなら)とかイイゲジェレル(おやすみ)とかグッドナイトって口々に言われた。そうそう、先月ブルサへ来た時の写真を撮ってもらった男の人にも会ったんだよ。アフメットさんと言います。

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