記事No | : 1525 |
タイトル | : Re^4: ゴキブリには冷蔵庫の裏が |
投稿日 | : 2012/05/18(Fri) 10:44:47 |
投稿者 | : 桃青 |
> 沼津に末○聖徒イエスキリスト教会沼津支部があるので、今度の日曜日にチョットと行ってこようかな。
> 「私は、競争が大好きですし、何事も自己責任だと考えてます。
> それに英会話も習ってみたいので入会できますでしょうか?
> 勿論、教会への奉仕に全力を尽くし、献金は必ず納めさせて頂だきます。」
>
「Oh!素晴らしい!
アナタは用意されたひと。ゴールデンです!金人デース♪」
と、大歓迎されることでしょう。
「来週バプティスマできるよう、早速レッスンしましょう。
レッスンは6回です。毎日すれば、間に合いまーす!」
と、次の週には、某M教会員となった修業者さん。
> ○文字さんみたいな超活発会員になっちゃって、桃青さんと激しいバトルをすることになるかもしれませんよ。(笑)
ちょとだけ、
某M教会員になった修業者さんとやりとりしてみたいような気がしないでもないですが・・・。(笑)
まあ、真剣に神やイエスキリストを求めておられるかたには、お勧めできない宗教団体ですが、
「競争が好き」というかたや、どんな状況にあっても「攻撃は最大の防御なり。」と、眼の前の相手を攻撃することしか思いつかないかたには、居心地が良いところかもしれません。
でもね。
そういう「勝たねばならない。」しか教えないところで、居心地よくあるには、常に自分が相手より優位な立場でいる必要があるのですよ。
ですから、会員は互いに上から目線。
人間、どんなことでもそれを拠りどころとして「自分のほうが上だ。」と思うことはできますからね。
例えば、病気自慢。苦労自慢。と言いますが、
時には病気や不幸でさえ優越感に結びつくこともある。
ですから「勝たねばならない。」しか教えないところの方々が自慢のオンパレードになるのは当然です。
「勝たねばならない。」とは、相手よりは勝ってないと存在価値はないんだよ。と言っているのと同じですから。
そうやって相手より優位な立場になって、「自己責任だから負けた者に手を差し伸べる必要は全くないのであるが、この自分は善を知っているので、負けてる相手を見捨てずに施しを与えているのだ!」というところに至福の悦びを感じている。
いや、そういう悦びを感じたいから、がむしゃらに相手より優位な立場になろうとするのかも?
同じ目線で、同じ人間として一緒に問題を解決して行こう。という教えではないのです。
まず、相手に勝つ。
そして、負けた相手を自分よりは劣位に置いたままに、施しをする。
これが、「勝たねばならない教」が自画自賛する「某M教の優しさ」の本質なのです。
自分をなんとなく優位の人間と思っているかたばかりですから、
修業者さんも、教会員となって、聖餐会やら証会とやらに参加されると、「イエスキリストの御名において」話される馬鹿馬鹿しい自慢にならないような自慢話を延々と聞く事になりますよー。
うーん。他では到底口に出して言えないような、どうでもいい自慢話を公衆の面前で堂堂と話せるってことも魅力なのかも。
「学生のころフライドチキンが食べたくて、でもカネが足りなくて、神に祈ったら、眼の前に小銭が落ちていて買うことができた。
これぞ御霊のみちびきである。」
という話を教会の最高指導者が公式の機関紙で書くくらいですからね。
そんな話、S学会のI先生でも「聖○新聞」に書かないでしょ。たぶん。いや、書いているかな?(笑)