記事No | : 1536 |
タイトル | : 宗教は社会を変える力となるのか。 |
投稿日 | : 2012/05/31(Thu) 10:18:52 |
投稿者 | : 桃青 |
知人の掲示板で、某M教のあるかたが、
「宗教は個人に癒しを与える力はあるが、社会を変える力を持たない。」
と、書かれたのに対して、私は
「宗教には社会を変える力がある。」
と、反論しました。
S学会の決め台詞は、日蓮聖人の「心、土」の教えを踏まえて、
「あなたが変われば周りが変わる。」
「個人が変われば、社会が変わる。」
であるが、日蓮門下でなくても、仏教を基礎から学んだものなら、
個人の意識が社会を造っているのであるから、宗教が社会を変える力となることも確かにある、と思うだろう。
その方は、高校生のころに「某M教会こそ、良い社会をつくる教えだ。」と、情熱に燃えて入信されたということだったので、
某M教の実情に直面して宗教というものに失望されたのかもしれない。
が、その某M教会自体、某M教らしい意識を持った人々が集まって、某M教らしい独特の場、すなわち社会を作っているでしょう。
その某教教らしい独特の場を作っているものは、そこに集まる人々の意識を左右していう某M教という宗教なのではないですか?
と、指摘したが、
「いかにもバカが考えそうなことだ!」と罵倒された。
重ねて
「言いたいことがよく伝わらなかったのでしょうか?」
と、尋ねたら
「あなたがバカだということがよく伝わりました。」
と、返答が来た。
うーん・・・。
私に「あのかたは、私に似ている。仏教的な考えの持ち主だ。」と、告げたかたよ!
どこが仏教的な思考の持ち主?
身近な例をあげての「心、土」も伝わらないではないじゃあーりませんか。(笑)
マータイさんだって、「国を変えるのは国民の意識です。」と言ったのに。
そのかたは、その後もしばしば「宗教は、個人に癒しを与えるもの。社会を変える力はない。」
と、書かれたが、それを目にする度に、
「某M教はね。」
と、心の中でつぶやくことにした。
でも、某M教会という集団(社会)は、傍みればやっぱり某M教らしい匂いがする。
その匂いの元は、やっぱり、某M教の教えであろう。