記事No | : 1690 |
タイトル | : 耐え忍ぶ |
投稿日 | : 2012/10/06(Sat) 12:43:17 |
投稿者 | : 桃青 |
某M教の「耐え忍ぶ」は、
我(正、義)>彼(邪悪、義なし)
という構造の上に成り立っている。
相手に対して非がない私が、相手の理不尽を耐えている。
例えば、「小公女」のセーラが、周囲の意地悪にただひたすらじっと耐えている。
みたいなものですね。
「小公女」は、当時の少女たちを啓蒙教育するために書かれたようですが、同時代に、某M教が出ていますので、「耐え忍ぶ」も似たような構造なのでしょう。
こういう構造での「耐え忍ぶ」は、危険です。
自身の内部にある、不満や怒りの正体を見つめることなく、ただひたすら未消化なままに不満や怒りを抑え込んでいる。
くるりとひっくり変えて、いつ何時「抹消しろ!」に、変わるかもしれない。
日本の俗諺にも「堪忍袋の緒が切れる。」といいますが、
某M教では、対処法として「耐え忍びなさい」と同時に「抹消しなさい。」とも教えますから、ね。
私は、ずいぶん昔、統一教会からの奪還に同行したことがあります。
その時に対応に出てきた、教会の指導者の頬笑みと猫撫で声の薄気味悪さを、今も覚えています。
ヤクザの頬笑みも怖い(経験済み)ある種の精神病者の頬笑みも怖い(経験済み)ですが、宗教に嵌ったひとの頬笑みもまた独特の怖さがあります。
宗教のひとの頬笑みに感じるあの怖さはなんだろう?
不満や怒りを未消化のままに貯め込んで、微笑むからだろうか?