記事No | : 1731 |
タイトル | : 「ファミリー」へのこだわり |
投稿日 | : 2012/11/09(Fri) 16:59:14 |
投稿者 | : 桃青 |
尼崎の事件。
図にしなければ、説明できない義理の関係で複雑に入り組んだ関係。
かのひとの一家も、またそうであった。
ほんの少しの手がかりから、養子、姻戚としてつなぎとめられた複雑な一族。
兄弟姉妹であると同時に、伯父伯母であり、従兄であり。養子であり養女であり。
その中央に女王蜂のように君臨する女帝。
という構図は今回の事件に似ている。
女帝が事あるごとに家族会議を招集するところ、複数の人間で恫喝に赴くところ。
そっくりといってよいほど似ている。
ただ、こちらの女帝には気の弱さと同時にどこか抜けているところがあったので、事件の女帝とは、違うタイプだと言えるかもしれない。
しかし、あまりに似ているので、驚くと同時に、世の中には事件性は低くても、そういう一族が形成されること自体は、報道でコメンテーターが大仰に「複雑ですねー!!」と、驚いてみせるほど特異なことでもないだろうと思われる。
普通のものなら、結婚とか養子とかするのには、それなりに身構えるものであるが、そこに居あわせているというだけで、ごく自然に、「じゃ、いっそ結婚したら?」とか「養女になればいいじゃない?」と、いう具合にファミリーが形成されて行くのは、ボーダーレスのレスたるところから来ているのではないかと思う。
養子とか、親戚とか、根底に「性」を介在させた関係でなければ、その関係に安心できない。というところもボーダーラインらしいところではないか、とも思う。