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記事No : 2141
タイトル 欲令衆
投稿日: 2013/07/06(Sat) 09:29:12
投稿者桃青

『欲令衆』
「諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。」

日蓮宗では、この欲令衆をよく読む。
勤行の毎回読むといっても過言ではない。
此処に書かれていることからは、困りごとの解決を「仏に任せなさい。」という発想は生まれようがない、と思うのですが・・・。

師匠が存命のころは、諸氏から語られる法座の体験談も「仏智をいただいて、こうこうして、解決しました。」
確かに、仏智の内容も解決方法も???というものもありましたが、それでも常に「仏智」ということが日々の暮らしの念頭にあったのではなかったか?
たしかに当時も「仏様にお任せし、ひたすら御題目を唱えたら、望み通りになりました。」という御話もなされましたが、どちらかというと、田舎のオバサンたちも皆さん口を開けば「仏智」「ぶっち」と言っていた。
最近、気がついたら「仏に任せて、御題目を唱えたら、自分の思い通りになりました。」と、いう話しばかりになっている。

ひろさちやさんは、

「仏教は慈悲、キリスト教は愛の宗教と言われるが、仏教は智慧の宗教です。」

と、解説していましたが、せっかく欲令衆を毎日読みながら、
仏の智慧(般若の智慧)が、念頭から消えて行くのは残念を通り越して心配です。


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