記事No | : 2150 |
タイトル | : いずこも同じ |
投稿日 | : 2013/07/10(Wed) 12:20:13 |
投稿者 | : 桃青 |
「信仰していたらこんなに良いことがあった。」という話しがどこでも飛び交う。
そういう点では、某M教の証会でも、日蓮宗の座談会でも変わりはない。
日頃、「信仰していたら良いことがあった。」という話しばかりしているので、「信仰していても、認知症になった!」と大騒ぎするのであろう。
「信仰していたのに、何故、認知症になったのだ?!」
↓
「これは、仏のおさとしなのだ。」
↓
「わざと辛い眼に合わせることによって、良いものを得させるという方便なのだ。」
「そのような方便を使うかたは、仏、菩薩なのだ。」
表現は違っても、このような、思考の流れは、どこの宗教にでもみられる。
人間の考えることは、そうそう変わらないものなのですね。
心理学では、耐えがたい出来ごとに遭遇した場合、
驚き→悲しみ→怒り、そして、受容が起きる。
と、説明している。
宗教は、最後の受容を形作る働きをするのだろう。