宗教掲示板ももばやし
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[記事リスト] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

記事No : 2221
タイトル 差別戒名の烙印
投稿日: 2013/08/19(Mon) 00:21:08
投稿者たかやなぎさん

 死者の戒名にまで差別があるのか、仏教にも差別があるのか?

 それは歴然とあった。否、現にある。その典型を、各宗派、各地の「差別戒名・墓石・墓誌」に見ることができる。
 差別戒名とは、一口に言えば死者の生前の社会的身分、家柄、職業などを意図的に戒名に組み入れたものである。それをしたのが、人間外の人間として、釈尊の教えを説き、人間の平等を説く、僧侶である。差別がいかに深刻なものであるかを物語る例証であるとともに、宗教(仏教)の欺瞞性を表現するものでもある。

 特に長野県では差別戒名の種類が多く、「畜」「賤」「ト」「草」「朴」「僕」「非」「革」「鞍」「似」「皮」「栴陀羅」「婢」「隷」などの文字が使われ、なかには「穢」という字の入った墓石もあり、「庭男」と書かれた戒名もあった。

 このような 差別戒(法)名を定式化し、その後の手引書の元になったのが、中世に書かれた『貞観政要格式目』で、ここには中世の被差別身分の人びとへの差別戒(法)名のつけ方について詳細に言及されている。 
 言うまでもなく、近世の幕藩体制によって全国に敷かれた寺檀制度の下でも、「畜」「奴」「僕」など、死後においても被差男別部落の人びとを侮辱し、冒涜する文字を戒(法)名につける行為が平然と、いずれの宗派においても行われていた。
 近代になり「解放令」がだされた1871(明治4)年以後にも、例えば1872(明治5)年に「浄岳栴陀羅男」、1873(明治6)年には「浮沈僕男」、1885(明治18)年の「鉄関革門」などと、差別戒名が刻まれている。特筆すべきは、「ト生非男」「ト妙革女」などと、差別文字をつらねて差別を繰り返し、強調しているものがあることである。
 
 戦後の差別戒名
 驚くべきことに差別戒名は、戦後になってもまだつけられていた。 以下はその一例である。
1945(昭和20)年−−「釋尼栴陀」(真宗大谷派)・鹿児島県
1947(昭和22)年−−「早世梅芳革門」(宗派不明)・長野県
1979(昭和54)年−−「吟丁禅定門内下男」「妙隻禅定門内下女」(曹洞宗)・埼玉県
1980(昭和55)年−−墓誌に革女などの差別戒名(曹洞宗)・長野県

  また、被差別部落の人びとだけを別にした別冊の『過去帳』も多くあった。例えば長野県のある寺院では1960年代まで続けられており、埼玉県では1980年に新たに建立された墓誌に依然として「革門・革女」の14霊に差別戒名が刻まれていたのである。

  前近代から刻まれ続けてきた差別戒(法)名は、単に過去の差別の一事例を示す証としてではなく、浄穢「穢れ観」とも関わりながら、宗教界の差別体質を根源から問いかけているのである。深刻なのは、こうした墓石や寺院の過去帳が結婚や就職などの身元調査に悪用されていた事実である。

 いやいやひどいもんだ。たかやなぎさんの祖先は秩父であって、あのへんは今でも被差別部落があり、昔は夜に歩くと生きて帰れなかったらしい。


- 関連一覧ツリー (▼ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 返信フォーム (この記事に返信する場合は下記フォームから投稿して下さい)
おなまえ
Eメール
subject 入力禁止
Title 入力禁止
Theme 入力禁止
タイトル
URL 入力禁止
URL
メッセージ   手動改行 強制改行 図表モード
メッセージには上記と同じURLを書き込まないで下さい
削除キー (英数字で8文字以内)
  プレビュー

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー