記事No | : 2223 |
タイトル | : 歴史から学ぶということ。 |
投稿日 | : 2013/08/20(Tue) 10:11:49 |
投稿者 | : 桃青 |
> 死者の戒名にまで差別があるのか、仏教にも差別があるのか?
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「四姓平等」を説かれた釈尊から始まった仏教は差別の正当性を説いてはおりません。
しかし、本来どの宗教よりも「平等」を説き、差別に敏感なはずの仏教を学びながら、たかやなぎさんが御紹介いただいたようなことになってしまったのは、何故なのでしょうね。
私はね、その「何故」を考察することこそが、私たち後世の者がこうした歴史を学ぶ意味だと思うのですよ。
被害者として加害者を糾弾するのでもなく、糾弾される加害者として、「自分の知らないところで起きたことをいつまで謝罪を要求されなければならないのだ。先祖の蒙った不利益の補償をいつまで貰おうというのだ。いい加減こっちが被害者だ。」というのでもなく。
これは、今起きている過去にあった差別、被差別、侵略、被侵略、の史実全般に向き合う時、私は、いつもそう思われてならないのですがどうでしょうか?
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> いやいやひどいもんだ。たかやなぎさんの祖先は秩父であって、あのへんは今でも被差別部落があり、昔は夜に歩くと生きて帰れなかったらしい。
そう!これ、これですよー。
たかやなぎさんをしてこう書かせてしまう何かが、部落民の差別を連鎖的に正当化していったのではないか、と、思うのですが??