記事No | : 2386 |
タイトル | : Re^4: サンダカンの海・・・父と母 |
投稿日 | : 2015/10/22(Thu) 12:13:14 |
投稿者 | : 桃青 |
父と母が結婚したころ、父は農協に勤めていた。
そのまま、真面目に農協に勤めていたら、父にはキャリアもあり、家もよいほうだったので、順調に出世して行ったのではないかと思う。
同じ農協に勤めていた父の弟は、その後農協の組合長になり、後に地域の農協が統合された時も統合された農協の初代の長になり、自民党から県議にも出るというように活躍し、何かの勲章をもらって夫婦で皇居にも行ったようだ。
父もまた真面目に勤めていれば、叔父ほどではなくても、それなりの地位を農協で得ていたのではないかと思う。
しかし、父は真面目に勤めることにあきたらず、職を辞めて事業を起こした。
母が「一番大切にあの世まで持って行きたい。」と言った思い出は、
父がまだ事業を起こそうという野望を持たず、定刻になれば妻子の待つ家に戻り、両親兄弟、若妻と幼い子供と、和気藹々と夕餉を囲んでいた日々のことだろう。家族の間で様々な小さい衝突はあっても、母はこのまま、穏やかな日々が続くと信じていたに違いない。
農協を辞めて事業を起こす、と言い出した父に母は勿論、父の両親、兄弟、母の兄弟も驚き、こぞって反対し、計画を断念するように、説得したという。
「曽祖父の山っ気が出たのだ。」と、周囲は嘆いたが、曽祖父は亜炭で一儲けをたくらんで失敗し、家産を大いに傾けたひとである。
その息子である祖父の真面目な頑張りで、なんとか持ち直したものの、「構えに相違して、内情はこんなにも苦しいのか」と、新婚の母を驚かせたような状態だったらしい。
周囲が「きっと失敗するから。」と、必死に反対するには、曽祖父の失敗だけではなく、父が立てた事業計画自体にも周囲が心配するだけの理由もあったのだが、父は押し切って事業を始め、一年も経たないうちに行き詰まり、債権者が家に押しかけて来るようになったという。
父はこのころ、31〜32歳。
母はおカネの工面に走り回る苦労の日々だったようだが、父もまた失意やら、母や周囲から責められるやら、で、さぞ面白く無く、心も経済も苦しい日々であったろうと思う。
父は、母より2歳年下の女性と付き合い始め、家へ殆ど帰らなくなった。