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かさぶた(2004GW・北大東島)その1

燐鉱石の貯蔵庫痕

トロンプルイユ(2004GW・南大東島)】の続編です。

南大東島から僅か8kmほど北に、北大東島がある。
ニューギニア付近から浮き沈みしながら移動してきたと言う島の生い立ち、
周囲を丘に囲まれて中央部だけが凹んでいる島の地形、
明治時代までは無人島で、サトウキビの栽培地として開拓された歴史、
3箇所の港には防波堤が無く、クレーン宙吊りでの乗下船・・・・・
いずれも南大東島と同じなのだ。
面積は1/3ほどだったりするので、なんだか南大東島の縮小コピーみたいな気がして
「わざわざ行く必要も無いかな・・・」
などと思ったりもしたのだけれど・・・・・・
「せっかく近くまで来たのだから、寄らなければソンだ。いずれ改めて来るんじゃタイヘンだし」
なんて程度の考えで、北大東島にも訪れる事にしたのだった。


南大東島から北大東島に渡るのに、我が家が選んだのは飛行機だった。
船だって1時間程度の航路なので、何も慌てる必要の無い我が家はソレでも良かったのだ。
しかし南北大東島の間を結ぶ独立した航路は存在しなく、4日に1便の那覇からの船が南北大東島を行ったり来たりするだけなので、それが我が家の日程には合わなかったのだ。
従って、わざわざ贅沢をする為に飛行機を選んだ訳ではない。
参考までに、船の運航は以下のパターンである。

一日目:那覇(17:00)・・・・船中泊
二日目:・・・・・(7:00)北大東島(8:30)・・・・・・(9:30)南大東島(16:00)・・・・・(17:00)北大東島
三日目:北大東島(14:00)・・・・・(15:00)南大東島(16:00)・・・・・船中泊
四日目:・・・・・(7:30)那覇
*その時々によって、南北大東島が逆になる。要確認。

しかし、カネにモノを言わせて飛行機に乗っても、南北間を毎日行き来できる訳ではない。
1日に1便だけ那覇から飛んでくる飛行機は、
「那覇→南大東島→北大東島→那覇」又は「那覇→北大東島→南大東島→那覇」
の2パターンのうちの1つを、基本的に日替わりで繰り返す。
従って南から北、あるいは北から南への移動は2日に1便と言う事になり、もちろん日帰りも出来ない。
南北朝鮮の行き来に比べるのはオオゲサすぎるけれど、コチラの南北間だってそれなりに厳しいのだ。

南大東島


我が家が南大東島から乗り込んだのは、那覇から飛んできた39人乗りのデハビラント機。
我々が北大東島で降りてしまった後、そのまま那覇まで行く便と言う事になる。
南北大東島間だけを利用する客は少ないと思われるのだけれど、那覇から北大東島に行く客、南大東島から那覇に行く客も乗り合わせているので、なかなかの混雑なのだ。
機内の一番前の席は昔の国鉄急行列車みたいな4人向かい合わせになっていて、その中でも一番ミジメな
『進行方向逆向きの通路側の席』に、ポンタが座らされているのが見えた。
ポンタというのは、南大東島で同宿となってしまった、『自称・旅の達人』なのだ。
達人の割には言ってる事はデタラメで、その場の空気が読めない一方的なノーガキを聞いているだけで、なんだかムカムカしてくるのだから始末に終えない。

機内中ほどの我々の席までは声は届かないけれど、ひたすらポンタのクチがパクパク動いているのが見えた。
恐らく、例によって
「西表島?何度も行ったよ。コレよりも小さな飛行機でオドロいたものさ」
なんてシッタカブリまくっているのだろうか。
同席の3人の不幸を哀れみながらも、それは近々に我が身に降りかかってくるかもしれないのだ。
なにしろ北大東島には宿が2軒しかなく、やはり北大東島を目指すらしいポンタと、再び同宿になってしまう確率は50%もあるのだ。


南北大東島の空港は、どちらも島の東側の海岸沿いで、両者の滑走路は殆ど一直線上にある。
両者の距離は10Kmも無いので、
「ピューンと離陸して、そのまま真っ直ぐ進んでピューンと着陸しちゃうのだろうか」
なんて考えると、ソレも楽しみではないか。
一般的に離着陸は風上に向かうのが理想なのだそうで、状況によって離着陸方向は変わる。
両島には同じ方向に風が吹くであろうから、「真っ直ぐピューン」か、「大回りの『C』の字型」か、いずれかの飛行になるハズだ。

我々の乗った飛行機は南に向かって離陸し、この時点でアッサリと「真っ直ぐピューン」はダメになった。
ワタクシは朱蘭さまに、この風向きと離着陸の関係を説明し、
「北大東島には、北側から着陸するのだよ」
などとノーガキをタレているうちに・・・・・
飛行機はグングンと高度をあげ、いったん北大東島を通り過ぎると大きくUターンして、滑走路の北側から着陸した。

ノーガキどおりの結果となり、少なくともポンタ化を免れた事に満足したワタクシは、
「ほぉら、北側から着陸したろ?」
などと増長してエバり、別のタイプのポンタと化してしまった。
さらに
「風向き次第じゃ、真っ直ぐにピューンだったのだよ」
などとポンタ度を増してしまったワタクシに対し、朱蘭さまは冷ややかだった。
「真っ直ぐはムリなんじゃないの?いったん高度をあげて姿勢を安定させないと着陸出来ないかも」
ううむ。
ソレは説得力があるかもしれない。
ワタクシは、もうそれ以上のノーガキを口に出来なかった。

ちなみに・・・・・
北大東島からの帰りに乗った南大東島経由の那覇行きは、離陸後にロクに高度を上げないまま、この「真っ直ぐピューン」をやってしまったのだ。
北大東島発が15分ほど遅れていたので、ソレを少しでも取り戻す為の強行的な飛行だったのだろうか。
それとも、アタリマエの飛行なのだろうか。
いずれにしても・・・・・
余計な事を言って、純正ポンタにならなくて良かった。

南とソックリな、北大東空港


南大東空港とソックリな北大東空港のターミナルビルの中は、とにかくゴッタガエした状態となった。
これは那覇まで行く客も一旦飛行機から降ろされた為で、そんな雑踏の中、宿のオネェサンが我々ににじり寄って来た。
「お疲れ様です。外に停めてあるマイクロバスにお乗りください。宿の名前が書いてありますから」
曖昧にうなずきながら、思わずポンタの姿を目で追う。
おおっ!
ヤツは、もう一つの宿の名前が書かれたライトバンの後に立ち、勝手に他の客を仕切りながら荷物を積み込んでいやがる。
ラッキー!!助かった!!

我々の宿のマイクロバスには、他には若いオニィチャンだけが乗ってきた。
あの4人向かい合わせ席で、不幸にもポンタの隣に座っていたオニィチャンだ。
「機内じゃタイヘンだったでしょ?」
などと話し掛けてみると、ソレだけで通じてしまった。
「ちょっとの時間でしたから。でも、何なんすか?あの人」
「プププププ。で、何か言ってた?」
「ええ。沖縄の島はアチコチ行っていて、北大東島で殆ど制覇だって言うんですよ」
「うんうん。それで?」
「ボクは宮古島になら行った事があるって言ったら、ソレは鹿児島県だって言うんすよ。有り得ないっすよね?」
「ププププププ!」
恐るべし!ポンタ!
離着陸の方向がウンヌン程度のノーガキでは、まだまだヤツの領域には及ぶまい。



島の西側にある宿を目指して、マイクロバスは島を縦断する形で走る。
その車窓からの眺めは、南大東島とはフンイキが異なる風景だった。
幕(ハグ)と呼ばれる島の周囲を取り巻く丘と、それに囲まれた幕下(ハグシタ)と呼ばれる大平原とのメリハリがキッチリと利いていた南大東島とは異なり、コチラの幕下(ハグシタ)は真っ平ではなく起伏が激しいのだ。
また、幕(ハグ)はコチラの島のほうがイビツにブ厚く、二重になっているようにも感じられる。
南大東島が十勝平野の眺めならば、北大東島は同じ北海道でも美瑛の眺めと言ったところだろうか。

宿は西側の幕(ハグ)の上にあった。
なんとも広大な敷地の中に、真新しいコンクリ打ちっぱなしの近代的な建物がデーンと構えていて、このような離島の宿としてはリッパすぎ、
「いったいココはどこなんだ」
などとウロたえてしまう程だった。
しかし決して高額なリゾートホテルではなく、宿泊費は妙に安いのだ。
「果して、コレで営業が成り立つのだろうか」
そんな疑問にはモットモな理由があって・・・・・・・
なるほど、ココの経営は第3セクターなのだそうだ。
何が「なるほど」かは、あえて言う必要も無いだろう。

幕(ハグ)の上に建つ灯台


日没までの間、宿の周辺を散策する事にした。
中途半端にヒマだから、テキトーにブラブラする訳ではない。
翌日の為の偵察行動なのだ。
送迎のマイクロバスの窓から眺めた限り、この島には南大東島の在所集落のような繁華街らしきモノは見当たらず、島で一番開けているはずの西港周辺でさえ、一軒の飲食店さえ見当たらなかったのだ。
ソレをキッチリと押えておかなければ、昼飯を食いっぱぐれる事になる。

幕(ハグ)の上にある宿から、幕下方向に坂を下りて見ると、ほどなく村役場やら学校やらが見えた。
どうやらこのあたりが島の官庁街とも呼ぶべきフンイキで、駐在所や消防所もあるのだけれど、営業している気配がある飲食店は見当たらない。
とりあえずAコープを発見したので、食糧の補給基地は確保できた。
しかし、食料が確保出来たとしても・・・・・・・
明日の島巡りは、なかなか困難が予想される、いや、ほぼ確定しているのだ。


北大東島も、南大東島と同様に、バスもタクシーも存在しないのだ。
宿にはレンタバイクやレンタサイクルはある。
しかも、この島は南大東島に比べて起伏が激しいので、電動式のレンタサイクルまで用意されている大サービスなのだけれど・・・・
いずれにしても、我が家はソレを使えないのだ。
自慢の山岳用オコチャマ背負子は、オコチャマを乗せた時の重心が高く、2人乗りは極めてキケンがアブナい。
そこで、宿にあるというレンタカーを借りるツモリだった。
まだ我々が南大東島にいた時点で、北大東島のレンタカーを予約しようとデンワをしたら、
「レンタカー? そのようなモノはございません。はい」
などと答えが返ってきて、おもいっきりタマげてしまった。

「えっ?ガイドブックには、有ると書いてあるのですが・・・・」
「そうですか・・・・・実は、以前は貸していたんです」
「なんだ、辞めちゃったんですか」
「ええ。やはり、イロイロと問題があるという事になりまして・・・」

どうやら以前は、母島式のヤミレンタカーとして、宿のクルマを貸し出していたらしい。
さすがに公的資金の入った第3セクターの宿なだけに、違法な事は辞めたのだろう。

「小さなコドモもいて、レンタサイクルじゃムリなんですよう」
「困りましたねぇ・・・・・それじゃ、何とか考えてはみますけれど・・・・」

その時、このヤリトリを南大東島の宿の色黒オッチャンに話すと・・・・
「ああ、そうだろう。アッチはウチと違ってレンタカー業の登録してないからなぁ」
「そうなんですか。考えてみるって言ってましたけれど、ヨソのレンタカーでも手配してくれるんすかねぇ」
「ヨソ? アッチの島にはレンタカー業者なんか一つも無い。」
「じゃあ、ダメじゃないですか!」
「大丈夫だよ。行けば何とかなる」
「何とかなるって、どういう事ですか?」
「宿のクルマを借りられるって事だよ。まあ、デンワだからね。一応、貸せないって言うさ」
「な・なるへそぉ!!いわゆる、オモテムキってヤツですね!」
「そうそう。行けば貸してくれっから」

しかし・・・・
北大東空港で送迎バスに乗った途端、その淡い期待は裏切られた。
「お客様でしたよね?レンタカーのお問い合わせを頂いたのは」
「は、はぁ」
「クルマをお貸しできなくてスミマセン。宿まで、寄り道していくつか観光ポイントをお見せ致しますので、ソレでご容赦くださいね」
南大東島の色黒オッチャンの口車に乗って、なまじっか期待していただけに・・・・
マイクロバスを運転するオネェチャンのフワァンとしたジャブの先制攻撃がモロにカウンターに入り、反撃する事も出来ずにヒザから崩れ落ちてしまったのだ。

残された移動手段は、南大東島でも威力を発揮した、親から貰った二本の足しかない。
オコチャマだって、その時は十二分に期待に答えてくれたのだけれど・・・・・・
明日の予報は『雨』なのだ。
それを困難と言わずに何て言う。

ダイトウオオコーモリのハリボテ付き

宿の中の豪華な食堂で、値段の割には豪華な晩飯を食う。
広々としたレストラン風の食堂は寂しいほどにガラガラで、
我々3人、送迎バスで一緒だった宮古島帰りのニィチャン、
そして他は地元のバァチャンみたいなのと、作業員風のオッチャン二人連れ。
それで全員なのだ。

その地元バァチャンと作業員風は、食べ終わると現金で清算して出て行った。
そうか、ココは宿泊者用の食堂としてだけでなく、一般向けのレストランとしても営業しているのだろうか。
係りのオネェチャンに聞くと大当たりで、昼飯時も営業しているとの事だった。
それならば、ココに戻って来さえすれば、昼メシを食いっぱぐれる事は無い。
それが判った事はアリガタイのだけれど・・・・・
現金清算しなかったのは、我々3人と宮古島くんだけ。
こ・この広大な設備に、宿泊者は4人だけかい!
そりゃ静かでアリガタイやら申し訳無いやら

ああ、離島の第3セクターに幸あらん事を。


離島っぽくない、豪華な安宿
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