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秘境列島(2005GW・トカラ列島)その2

西之浜港(口之島)

異文化バトルロイヤル【諏訪之瀬島

爆睡中に口之島、そしてまだまだトロトロしているうちに中之島に寄港した『フェリーとしま』は、平島に向かっている最中だった。
通路にはゴザまで登場している満員の船室で、これだけ爆睡できたのはアリガタい事だ。
この船は、事前予約していても、実際に乗船券を購入した順番に席(と言ってもザコ寝スペース)を割り当てられる。
従って、ギリギリにキップを買った連中は、哀れにもゴザで寝る事になる。
それに対して我が家は、19時の窓口オープンに一番乗りだったので、比較的良いポジションを得る事が出来た。
しかも、無料で乗っているオコチャマにまで1人分の割り当てを貰えたので、かなりスペースに余裕があったのだ。

哀れなゴザ席(フェリーとしま)

「まもなく平島に到着いたします」
朝寝坊したワタクシにとっては実質的に始めての寄港なので、ついついデッキに見に行く。
荒れた航海ではなかったけれど、船が陸地に着くというのは何だかホッとするものだ。
それは陸上生物であるニンゲンとしての本能がドーノコーノ・・・・・・・・
なんてリクツをヌキにして、なんだか好きなシュチュエーションなのだから仕方が無い。
列島各駅停車であるこの船は、そんな楽しみを何度もサービスしてくれる。
その平島は、名前に反した急峻な島だった。
港付近には集落らしきモノは無く、ツヅラ折れに山を越えていく道が急斜面にヘバりついているのみ。
島の玄関口である港から、中心部まで至るであろうメインストリートとも言うべき道でさえ、妙にか細くて頼りないのだ。
「そうか。トカラとは、こういう島々なのか」
などと妙に納得しているうちに、船はアッサリと港を離れ、なんだか暗雲に包まれている諏訪之瀬島にヘサキを向けた。

切石港(諏訪之瀬島)の、フェリーターミナル?


ドヤドヤと降り立った諏訪之瀬島の岸壁は、スコールのような激しい雨に晒されていた。
何人ものオバチャン達がにニジリ寄ってきて、
「ホレ、とりあえずアソコに入りなさい」
手に手に持った傘を下船した人々に差し出すと、岸壁にポツンと置いてあるホッタテのプレハブ小屋を指し示した。
フェリーターミナルなどというリッパなモノは無く・・・・・・
いや、このホッタテ小屋がフェリーターミナルなのだろうか・・・・・
とにかく、この激しい雨を防げる唯一の場所である、スシ詰めの小屋に避難するしかない。
そんな間にも、船のクレーンは慌しくコンテナの積み降ろしを行い、岸壁側の係員達はテキパキとそれをサポートしている。
統一されていない作業着・ヘルメット姿の係員達は、船からタラップを外し終え、ロープを解き、そして船を見送ると、
「はいっ、民宿●×のお客さんは、そのクルマにどうぞ」
客を宿泊先ごとに振り分け、そして各々のクルマに客を積み込んでは港を後にした。
これは、港湾作業の係員が、宿への送迎サービスまでやっている訳ではない。
民宿のオッチャン達が、港湾作業をやっていたのだ。
いや、民宿のオッチャンだけではなく、島に住む成人男性は、全員がこの作業を行う義務があるらしい。
トカラ列島を結ぶこの村営のフェリーは、採算度外視の大赤字路線だとの事。
そんな状態だから島ごとに専属職員など置ける訳も無く、全てが島民自身のシゴトであり、これは諏訪之瀬島だけではなく、トカラ列島の全ての島がそうだというのだ。
なかなかタイヘンな現状ではあるけれど、今は極めてマシなのだそうだ。
船が着岸できる岸壁が出来るまでは、沖合いに停泊した船と島とを小船で結ぶハシケ作業が島民の義務であり、コレはまさに命がけの作業。
人口の減少に伴い、ハシケ作業を行える成人男性の数が足りなくなってしまった臥蛇島は、自治体の勧告で無人島になってしまった現実もある。
「おまたせ。じゃ、行こうか」
我々の泊まる民宿のオッチャンは、被ったままのヘルメットからボタボタと雫を垂らしながら、なんとも優しい笑顔を投げかけた。

島民による港湾作業(諏訪之瀬島切石港)

「いらっしゃい。ちょっと待って。荷物はタタミの上に置かないで!」
民宿のオバチャンは、出迎えの挨拶もソコソコに、我々にそんな指示を与えた。
その理由は、火山灰対策。
日本で最も活動的な活火山の一つである、この島の火山・御岳。
その日常的な降灰により、そうでもしなけりゃ、いくら掃除しても手におえないそうなのだ。
「あいにくの天気になったわねぇ」
「ええ、まあ」
「残念だけど、この天気じゃ温泉はムリだって。オトォサンが言ってたわ」
「そうですか・・・・・」
ううむ。それは確かに残念だ。
船でしか行けず、キワメツケの秘境の露天風呂だという作地温泉は、この島を訪れた最大の目的でもあったのだ。
唯一の救いは、わざわざ磯靴を買わなかった事だけしかない。
「向かいの部屋のマエダさんは今回で3回目なんだけど、今度も温泉はダメだったのよ」
オバチャンは我が家へのナグサメのツモリなのか、そんなに甘くない事を知らしめる為なのか、上目遣いで苦笑いを浮かべた。

雨の中の悪あがき。宿の裏山へ(諏訪之瀬島)

それでも我が家は、島を探検しなければならない。
雨の止み間を縫って、近くの小高い丘まで偵察に行く。
テッペンにはNTTの巨大パラボラがあり、そういうモノを建てる場所だけの事はあって、確かに眺めが良い。
しかし島のシンボルとも言うべき御岳は、スッポリと雨雲に隠されていた。
その御岳の山頂から半径2Km以内は、火山活動の影響で立ち入り禁止となっている。
なにしろ噴火による全島避難の歴史まで持ち、とにかく厳しい自然環境なのだ。
そんな訳で、諏訪之瀬島はトカラ列島で2番目に大きな島ながらも、島の南端の一角以外は、道路すら通っていない。
あとは手付かずの密林、溶岩地帯、そして砂漠。
この丘から見渡せる空間だけが、この島でのニンゲンの生活範囲なのだ。
だからと言って、このあたりが住居密集地帯になっているかと言えば、全くそんな事は無い。
なにしろ、島全体で30世帯余りしか住んでいないものだから、
「ココは島でも、最もヘンピな集落ですよ」
などと言われても信じてしまうほど、とにかく閑散とした島なのだ。

雨雲に覆われた御岳(諏訪之瀬島)

ヒルメシを食いに宿に戻ると、用意されていたのはカレーライスで、思わず笑ってしまう。
それは、ヘンなカレーだった訳では無い。
フェリーの中に「ご自由にお読みください」と置かれていた、とある作家のトカラ列島のルポを思い出してしまったのだ。
少し前の時代のルポではあるけれど、それによると、
「トカラの民宿は、サービス業という認識が無い。特にメシは最悪。」
なのだそうだ。
それは作家の意見ではなく、作家に同行した村の役人の嘆きとして書かれていた。
役人は、その理由を
「好きで民宿を始めた訳では無く、自治体に依頼されて仕方なくやっているので、向上心が無い。」
「観光客はほとんど来ないので、そういう客の扱いに慣れていない。」
などと説明していて、特に
「島ならではの新鮮な海の幸の食事を期待しても、冷凍肉やらハンバーグなんかが出てくる。」
事に対する考察が面白い。
「島民にとって魚介類などというのはアタリマエすぎるオカズであり、大切なお客様だからこそ、自分達にとっては貴重な肉やらハンバーグを出した。」
と言うのだ。
「まあ、民宿も考え方が変わってきましたから。今はそんな事はありませんよ。期待してください」
役人に促されて、その作家が泊まった宿の晩飯は・・・・・・
なんとカレーライスだったというオチなのだ。
つい笑った理由はそれだけの事で、ヒルメシにカレーは全くノンプロブレムだし、とても美味しいカレーだった。

切石港フェリーターミナル?と、オサカナのクルマ)

再び雨が強くなった午後、部屋でウダウダしている我々の所に、オバチャンがやってきた。
「温泉には行けないし、こんな雨だし。クルマで島内巡りする? 行くなら、オトォサンを叩き起こして来るから」
なんだかオッチャンには申し訳無いけれど、ぜひともお願いする事にする。
「ちょっと待ってね」
オッチャンは、庭先のドラム缶からクルマにガソリンを入れる。
この島だけでなく、トカラにはガソリンスタンドが一軒もないのだそうだ。
島民はガソリンをドラム缶で買い、自分で給油するとの事。
クルマやバイクでトカラを訪れる観光客は、満タンで上陸しないとメンドクサい事になる。
我が家、そしてマエダさんを乗せ、オッチャンは1BOXカーを走らせた。
「何も無い島だけど。まずは飛行場にでも行くか」
ほどなく着いたのは、滑走路だけの飛行場だった。
「むかし、ヤマハがこの島をリゾート化する計画があってね。その時に作られた飛行場さ」
これこそ、ワタクシに硫黄島と諏訪之瀬島とを混同させてくれた飛行場の正体だ。
「今でも現役なんですか?」
「たまぁにセスナなんかが着陸するけどねぇ。今は管制官も誰もいないから、事故が起きたりする。この前も自家用機が落ちたなぁ」
「そりゃアブナイっすねぇ」
「うん。滑走路はヤギだらけだからね。」
滑走路をノンビリと走るオッチャンのクルマを、確かに草陰からヤギが覗いていたりする。

元浦港(諏訪之瀬島)

そして次に着いたのは、飛行場のすぐ下の元浦港だった。
我々が上陸したのはメインの切石港で、コチラはサブの港だとの事なのだけれど・・・・・・
人口僅か80人足らずのこの島に、港が2つに飛行場まであるのだから大したモノだ。
あまりにも透明すぎる海は、母島の北港跡を思い出す。
しかしコチラは、サブとは言っても現役の港なのだ。
そんな港から、2組の夫婦がオッチャンの1BOXカーに乗ってきた。
民宿で一緒にカレーライスを食べた、福井県から来たと言う御一行様だ。
「いやぁ、ココまで歩いてきたけれど、さすがに帰りはツラそうだから。助かった」
旅好き、島好きの御一行さまで、ヒルメシの時も持参の島酒なんかを振舞ってくれた陽気な人々なのだ。
結果的に同宿者を全員乗せた1BOXカーは、なんだかバスツアーのような雰囲気で、妙な盛り上がりとなった。
「ココがウチの牧場。野生のヤギを捕まえて共同で飼ってるんだ」
牛、ニワトリ、そしてヤギ。
どこの農村にでもフツーにいる3種の神器のような家畜だけの牧場を、なんだか貴重な観光スポットにでも遭遇したような気分で眺める。
その理由は、後にオッチャンが
「コレが、島でたった一つの自動販売機」
と紹介してくれたコーラの販売機の前で、思わず記念撮影してしまったのと同じだ。
この島に、そういったモノが存在する事自体がオドロキである事を、我々は既に思い知っていたのだ。

元・野生のヤギ     諏訪之瀬島で唯一の自動販売機 

宿に戻る途中の集落で、オッチャンが一軒の家を指し示した。
「アレが詩人のセンセーの家」
それは何の変哲も無い家でしかない。
しかし、この辺境の島を、社会問題に巻き込むキッカケにもなったセンセーの家なのだ。
世の中がヒッピーブームに沸きかえった、今となってはイニシエの時代。
都会生活に別れを告げたヒッピー達が、次々とこの島にやってきて、自給自足の生活を始めたというのだ。
島民にとっては、怪しげな音楽を流し、怪しげな香を炊き、そして不可思議な生活スタイルを貫くヒッピー達。
近年で言えば、オウム騒動に似た物があったのだろうか、島民は彼らをバンヤンと呼んで一線を引いた。
しかし、結果的には彼らが島を救う事になった。
過疎化が進み、島で人が生活する為の最低限の労働力の確保が危ぶまれ、
「臥蛇島の次に無人化するのは諏訪之瀬島」
などと囁かれる中、そのバンヤン達が貴重な戦力になったというのだ。
やがて彼らは次第に島の生活に同化し、リーダー格であったセンセーも、トビウオ漁の傍らに詩を発表する異色の詩人となったのだそうだ。
しかし、そのまま平和に、島民との同化が進んだ訳ではない。
キッカケは、ヤマハリゾートの進出だった。
そのリゾートは、全島民の人数をも超える従業員が必要な構想で、それは「島の活性化」「島民の雇用」「豊な生活」に繋がる、降って沸いた夢の計画だったらしい。
リゾートの建設が始り、島は賛否両論に二分しての大騒ぎになり・・・・・
全面的に反対運動をしたのが、都会生活に縁を切ったバンヤン達だったそうだ。
そしてヤマハは撤退した。
「アイツら(バンヤン)のせいで、島の希望がスッ飛んだ」
「確かに我々は反対したけれど、我々にそんな(大企業を撤退させるような)力は無い。別の問題だ」
なんだかハッキリしないワダカマリを残し・・・・
とにかくヤマハは、諏訪之瀬島から消えた。

ヤマハリゾートの残骸

ヤマハが島に残した物・・・・・・・
ヤギだらけの飛行場。
今でも現役の発電所。
そして、次々と取り壊されたリゾート施設の中で、唯一残った平屋建てのホテルの残骸。
施錠されていない一室に、思わず潜入を試みると・・・
ううっ、キョーレツなカビ臭さ!
そして怪しげな鳥の墓場を思わせる、崩壊した羽根布団ベットの断末魔の姿。
その凄惨な光景は、なんとも言えない無念感と、ちょっとやりすぎちゃった後の苦笑いとが交錯して見えた。
人と火山との壮絶な戦い、新旧の文化のささやかな冷戦、そして大資本の攻勢・・・・・
この島の歴史において、明らかに敗北したのは、一番近代的な資本主義文明だったのだ。

ココがメイン廊下だったらしい  こうなったらバケモノ屋敷


宿に戻った夕方のひととき。
宿のオバチャンと島のオカミサンの立ち話に加わった福井チームの1人が、話の流れから、オカミサンと共通の知人がいる事に気がついた。
「へぇ、意外だなぁ。ココで●○さんの名前を聞くなんて」
お互いの若かりし頃の、旅先関係の知人らしい。
「アラ、この人(オカミサン)は元ヒッピーだから、そういう事もあるかもね」
宿のオバチャンのツッコミに、オカミサンを含めてみんなが屈託なく笑う。
そんな光景に、今やヤマハ騒動のワダカマリも、遠い昔の物語のように思えた。


乙姫の洞窟の入り口  洞窟の中より


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