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秘境列島(2005GW・トカラ列島)その3

いざ、中之島へ(諏訪之瀬島 切石港)

物憂げな盟主 【中之島

諏訪之瀬島で同宿だったマエダさんと共に乗船した鹿児島行きのフェリーは、昨日通過したばかりの平島に寄港し、そしてトカラ最大の島である中之島に向かっていた。
マエダさんはそのまま鹿児島に戻り、我が家は次の中之島で下船するのだ。
島巡りをするのであれば、フツーなら島伝いに順序良く渡り歩くほうが、なんだか気分が盛り上がってきて好ましい。
しかし、そのような方法では、次の島に渡るのに何日も船を待たなければならない事になる。
なにしろ、1隻のフェリーが週に2回の折り返し運転をしているだけなのだ。
そんな訳で、数日間で複数の島に上陸しようとすれば、列島内を南に北に行ったり来たりする事になる。
当然ながら、そのような行動をしているのは我が家だけではない。
我が家と入れ違いに諏訪之瀬島で下船した人々の中にも、そしてこの船内にも、行きのフェリーで見かけた顔がいくつもあった。


トカラの島々の港は、島の規模の割には妙に岸壁がリッパな気がする。
しかし、この中之島は
「おいおい、ヨソと一緒にするなよ!」
とでも言いたげに、島自体もデーンと構えて見えた。
確かに乗下船客の数も他の島とはカンロクが違うものの、それでもホッタテ小屋がポツンと建っているだけなのは諏訪之瀬島と変わらない。
それなりに人がゴッタガエシている中、我が家が予約した民宿のクルマを見つけた。
迎えに来たのはオネェサンで、従って港湾作業を待つ事無く出発となった。
一緒にクルマに乗せられたのは、まるで夜逃げのようにバカデカい荷物を担いだ夫婦だった。
確か諏訪之瀬島から一緒に乗船したハズで、その奥さんのほうはスラリとした長身で妙にカッコよく、豊田組・びわみわ嬢を連想させた。
聞けば、荷物の正体はダイビング機材。
ダイビングショップの無い島でも潜れるようにと、タンクも含めていっさいがっさい自力で担いでいるとの事で、相当なベテランダイバーらしい。
そんな我々を乗せて走る民宿のオネェサンは、
「アタシ、まだ運転暦3日目なんですよ」
などとノタマい、コチラは相当な初心者らしい。
オネェサンは、都会にヨメに出た民宿のムスメで、このGWにダンナやコドモを連れての里帰りなのだそうだ。

もちろん無事に宿に着き、用意されていた仕出し弁当のヒルメシを食ったら、さっそく探検に出かける。
島の中央部にある『十島村歴史民族資料館』を目指すのだ。
そこには、あの『ボゼ』がいる。
本来は悪石島の仮面神であるボゼをココで見られることが判ったので、諏訪之瀬島の代わりに悪石島は予選落ちしたのだ。
もちろんココでは仮面が展示されているだけで、ボゼマラを振りかざして女性を追っかけたりはしない。
しかし、あの異形なイデタチを一目拝まなくては、トカラならではの急所を外す事になってしまう。
「おばちゃん、じゃ、行ってきますね」
「アラ、どこに行くの?」
民宿のオカミサンは、年齢の差はあるけれど、あの出迎えのオネェサンと同じ顔で聞いてきた。
「民族資料館です」
「ええっ?歩いていくの?」
「そのツモリですけど・・・・」
「ちょっと待って。デンワするから」
何の電話かと思ったら・・・・・・・
なんと、事前に電話しなければ、資料館は開いていないというのだ。
資料館まではココから徒歩1時間以上。
知らずに行っていたらタイヘンな事になった。
「今から開けてくれるって。それからクルマで迎えに来るように頼んどいたから」
おおっ、なんとも頼もしい。

ほどなくやってきた、係りのオニィチャンのクルマで資料館を目指す。
この島は南北に山があり、それに挟まれた中央部は標高200mほどの広い台地状になっていて、そこには資料館の他に、なんと天文台まである。
クルマが台地へ登るクネクネ道を登るうちにあたりは霧に包まれ、いや、雲の中に入ったらしい。
途中で、シトシトと纏わりつく霧雨の中を歩く二人連れを拾い、そして資料館に到着。
「ちょっと待っててくださいね」
ガチャガチャと資料館のカギを開ける、係りのオニィチャン。
宿のオカミサンがデンワをしてくれなければ、我が家はもちろん、便乗の二人連れもココで路頭に迷っていた事になる。
「はいどうぞ。ソコのノートに名前を書いて下さいね」
せわしなくアチコチの展示物の照明を灯してまわる係りのオニィチャンの姿は・・・・・・・
おおっ!!
放映が始まった観光案内ビデオに登場する『資料館の館長』、まさにその人ではないか!
そうか、係りのオニィチャンだとばかり思っていた館長さまが、自ら迎えに来てくれたとはアリガタい事だ。
しかし、それだけでは無かった。
村が募集した『天文台所長』に応募し、都会での教職者の地位を捨てて島にやって来たという御仁なのだ。
そして天文台の所長様だけでなく、この資料館、更に、トカラ馬牧場までキリモリしているのだというからエラすぎる。
特に、ドシロートから始めたトカラ馬の世話などは、涙なくしては語れない苦労があったそうだ。
そのトカラ馬というのは、イマドキの馬よりかなり小ぶりな日本古来種の馬で、学術的に貴重な存在なのだそうだ。
他にも木曽馬とか、アチコチに『○○馬』なる古来種の一団がいるけれど、それらは
「ちょっとくらいイイじゃない。アタシの過去はヒ・ミ・ツ!」
なんて感じで外来種と混血していて、ホントにホントの純潔を守っているのはトカラ馬だけなのだそうだ。
はげしく意味が違うけれど、イマドキのオネェチャンは、トカラ馬を見習わなければバチが当たるに違いない。
(トカラ馬の現状に関しては、ページ下の【2007/5/30 追記】をご参照ください)

係りのオニィチャン改め館長さまは、もともとは教職者だったからなのか、その巧妙な語り口が見学者を魅了する。
ワタクシにとってはアリガタミも何もよく判らないツボでさえ
「ほほぉ・・・」
などと感心させられてジックリと見てしまうほど、面白おかしく説明してくれるのだ。
我々よりもあとから資料館にやって来た6人を加え、おそらく普段より多い見学者を前に、いつもより余計にハリキっているのかもしれない。
「さて・・・・・・」
館長さまは、観衆をジラすような間をあけ・・・・・・
「じゃあ、ボゼの所に行きますか」
などと呟くように告げると、
(アンタら、コレが一番見たかったんでしょ?)
とでも言いたげな笑みを浮かべた。
十島村民族資料館(中之島)のボゼ

そしてボゼは、ブキミな様相で我々を出迎えてくれた。
もちろんニンゲンは入っていなくて、マネキン状に突っ立っているだけながら、とにかくブキミなのだ。
まるでイニシエの浅草あたりのお化け屋敷のように、アタマの部分だけがぶら下がっているヤツまである。
よくよく見ると、裏地の新聞紙が見え隠れしたりしているのがご愛嬌・・・・・・
いや、それだからこそ、島民による手作りの神様である証明なのだ。
我が家の弱虫コゾーは、予想通りにビビリまくり、
「やだぁ、怖いよう」
アリガタがるべきボゼ様から逃げようとしやがる。
ココロ優しいオトォチャンは、そんなコゾーをトッ捕まえて抱きかかえ、
「ダメだよ。ほぉら、よく見なきゃ」
なんて事を言いながら、コゾーをボゼにすり寄せる。
「ふぎゃぁ!!」
コゾーは、ナマハゲに怯える古き良き時代のコドモのように立ち振る舞って、他の観衆の期待に答え・・・・・・
そんなこんなのうちに、一通りの見学は終わった。

ボゼも、コレで面目躍如?

「ありがとうございました」
「いえいえ。ホントはもっとイロイロと説明したいんだけど、喋り始めたら止まらなくなっちゃうタチなんで・・・」
我が家のコゾーにも、礼を言わさなければなるまい。
「ホラっ、館長さんにお礼を言いなさい」
「はい。ボゼのセンセー、ありがとうございました。」
よほどボゼが印象に残ったのか、コゾーは館長に対してそんな言い方をした。
「ボ・ボゼの先生ぃぃ?」
館長は、すこしタジロぎながら、
「マイッタなぁ。子供たちからは『オモシロ先生』とか呼ばれるけど。う〜ん、ボゼの先生かぁ」
あまりマイッていなさそうな笑顔を浮かべた。

新たな見学者が訪れてきた為、ボゼのセンセーに帰りのクルマを辞退し、台地の上の一本道を歩く。
あたりは霧に覆われ、すぐ脇のトカラ牧場には馬の姿が見えない。
ほどなく下りのクネクネ道になり、いくつかのコーナーを曲がったあたりを境目に霧は消えうせ、クッキリと視界が開けた。
「ほぉら、雲の中から出たんだよ」
「くも?」
オコチャマは、何だか訳が判らないまま、道端の背の高い草のカタマリを見つけるたびに
「あっ、ボゼがいた」
などとくり返しホザいた。

車道が開通する前の、ジャングル道の跡

いったん宿に戻り、晩飯の前に温泉に向かう。
この島には2つの共同浴場の温泉があり、位置的にはどう見たって『北温泉』『南温泉』なのに、なぜか『西温泉』『東温泉』という名前なのだ。
それぞれに泉質が異なり、西が硫黄泉、東が食塩泉だそうだ。
我々の宿に近いほうの東温泉に行ってみる。
その温泉は、海沿いの道路と防波堤の間に埋もれているような形状で、よくよく見ないと判りにくいホッタテ小屋だった。
なんだかヒミツ基地の入り口のような階段を下りて小屋に入ると、脱衣場と浴室が一体となった古風な作りでなんだか楽しい。
湯船に浸かりながら風景が望める訳ではないけれど、とにかくキモチがいいのだ。

夕方に2時間ばかり設けられた島民専用タイムを外した時間帯でも、当然ながら島の人も入ってきた。
「こんばんは。どぉ? この温泉は。」
明らかにヨソモノである我々に対しても、気軽に声を掛けてくれる。
「いいですね。気に入りました。」
コチラもにこやかに答えながら・・・・・
そんなひとなつっこい人々だからこそ、すこし気分になる事がある。
500mも離れていない東・西2つの温泉は、島民の地域対立から別々に作ったのだと、前出の作家のルポに書かれていたのだ。
それによると、この島への入植元やその経緯などから、3つどもえの派閥争いなのだそうだ。
もちろん、湯船に浸かりながらソレを住民に聞くようなヤボな事をするツモリはない。
しかし気になる。
なにしろココは、全島で200人にも満たない、しかも海に閉ざされた島。
「アタシ、山田さんの奥さんが嫌いだから、隣の商店街でオカズを買うわ」
なんて訳にはいかないのだ。
そういえば、この島の商店も、まったく同じようなナンデモ屋が2軒あった。

現在は鹿児島市内にある十島村役場は、以前はこの島にあったそうだ。
人口や面積、そして立場的にもトカラ列島の中心的存在である事は疑いの余地がない中之島。
だからこそ、島民に累々と培われた優越的な感情は、その内部にも向けられ・・・・・・
そしてヘンなワダカマリとして残ったとでも言うのだろうか。
繰り返すけれど、それは少し前の時代のルポであり、そんな状態がいまだに続いているのかは判らない。
いずれにしても、そういうオドロオドロしい事は、観光客ごときが気にするべきではないのかもしれない。
細い階段を登って外に出ると、しばらく止んでいた雨が再び降ってきた。
それは
「余計な事に口を挟むな」
とでも言いたげな、まるでココから追い出そうとするような雨足だった。


怪しげな東温泉 

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【2007/5/30 追記】

貴重な在来種の馬で、鹿児島県の天然記念物でもあるトカラ馬。
十島村の公式サイトを見ても、中之島の見所として真っ先に紹介されています。
『 』内は、同サイトからの引用です。
『西洋種の影響を受けていない小型の在来種で、鹿児島県の天然記念物にも指定されています。
明治30年ごろ喜界島から宝島に移入され、戦後になりトカラ馬と呼ばれるようになりました。』
また、同サイトには、こんな記述もあります。
『現在、トカラ列島でも中之島だけに、約11頭のみ大切に飼育されている。』
ノドカに草をはむトカラ馬の姿・・・
ああ、なんてシヤワセそうな光景だろう・・・
ワタクシも、そのように思いました。

そんな中之島のトカラ馬ですが・・・
島の人が大切にしているにも関わらず、なぜ減り続けてしまうのでしょうか。
(一時は27頭だった馬は、この春に生まれたばかりの子馬を含めても、今や9頭だそうです。)
毎年のように生まれてくる子馬が、なぜ成長する事無く、島の土に帰ってしまうのでしょうか。
この現状は、どうしても回避できない結果だったのでしょうか。
そして、今後はどうなっていくのでしょうか。
中之島のトカラ馬は、本当に幸せなのでしょうか。

通りすがっただけのワタクシが、全てを見たようなノーガキをたれても仕方ありません。
中之島在住のtokaraumaさんのブログをご覧頂き、ぜひ、その実態を知って頂ければと思います。
トカラ列島トカラうま!