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秘境列島(2005GW・トカラ列島)その4

中之島

中之島は、この日も朝からドンヨリとした空模様だった。
天気予報どおりだとは言え、トカラに来てからマトモな晴天には一度も恵まれていない。
ダイビングに向かう朱蘭さま、そしてベテランダイバーびわみわ風夫妻を送り出した直後、ついにポツポツと降り出してきやがった。
だからといって、このまま宿でウダウダしている訳にも行かず、オコチャマにカッパを着せて出発の準備なのだ。
目指すのは、島の南端の『セリ岬』。
岬周辺は牛の放牧地になっているらしい。
ガイドブックの写真を見ると、
牧草地帯を軽快に突き抜ける直線道路の先に白亜の灯台、そしてその背後にはどこまでも続く紺碧の海・・・・
お約束のようにコギレイすぎる光景が映し出されているのだ。
ううん、なかなか良いではないか。
もちろん、それは写真のようなブッ飛び級の晴天に恵まれてこその光景で、ソレを期待できないのは明らかだ。
しかし、行くしか無い。
だいたい、
「ココに行かなければバチがあたりますよぉ。おヨメに行けませんよぉ!」
なんて飛びぬけた観光スポットが無い場合は、「テッペン」か「先っちょ」に行ってみるのが無難なのだ。
この島の場合の「テッペン」は標高979mの御岳で、8合目までは車道もある。
しかし、この天気では「テッペン」を目指しても雲の中だろうし、そしたらやっぱり「先っちょ」のセリ岬だろう。
そんなセリ岬までは、ココから徒歩3時間ほどかかるらしい。
そしてソコまでは、集落も何も無い道を行く事になる。
しかしダイジョーブ。
宿に弁当を作ってもらったし、飲み物も大量に持った。
集落が無いと言ったって、まさか人外大魔境を進む訳ではあるまいし、あとはオコチャマの体力勝負なのだ。

中之島のジャングル道の跡

「どこに行くのぉ?」
民宿の母屋から顔を出したのは、小学生のオニィチャン。
あの里帰り・初心者送迎オネェチャンのコドモで、昨日は我が家のオコチャマとも少し遊んでくれたのだ。
「あのね、おとぉしゃんとタンケンに行くの」
「探検? へぇ・・・」
小学生のオニィチャンからはそれ以上の尋問を受けることも無く、トボトボと海沿いの道を南下する我が父子。
少なくとも、万が一の時はオニィチャンの証言によって捜索隊が出動する事が期待できるかもしれない。
そんなオニィチャンの姿が見えなくなる頃・・・・・・
道は大きく山側に折れ曲がり、急な登り坂になった。
島の西岸にある宿から南端のセリ岬までの道は、地図上では島を半時計回りに続くシーサイドラインに見える。
しかしよくよく見ると、その間は殆どが断崖絶壁となっていて、従って道は山の中腹をクネクネと進むのだ。
だとすれば、延々とアップダウンの繰り返しとなりそうで、なかなか手ごわそうだ。
「おとぉしゃん、つかれた」
早くも来やがった、そのセリフ。
「ダメ。まだまだ」
だいたいオコチャマというヤツは、ホントに疲れたというよりも、歩き飽きてくるとクダクダ言うモノなのだ。
「おとぉしゃん、休みたい」
「もうすこし。ホラッ、あの向こうに見える、牛さんのオウチのところで休もうか」
無人の牛小屋の軒先を借りてジュースなんかを与えると、案の定、ケロっと歩き始める。

葉っぱ踏みゲームとか、木の実蹴りゲームとか、我ながら涙ぐましい努力でオコチャマの気を紛らしながら、とにかく前進するものの・・・・・
歩けども歩けども全く景色が変わらない林間の道なだけに、やっぱりオコチャマは飽きてくる。
「おとぉしゃん、つかれた」
「じゃあ、この坂のテッペンまで行ったら休もうか」
しかし、なかなかテッペンが登場しない。
次々と現れるコーナーを曲がるたび、そこには再び登り坂が続いているのだ。
ううむ。アップダウンどころか、緩急おりまぜてのアップアップではないか。
そして遂に・・・・・
「おとぉしゃん、もうオウチ帰る!」
出発してから1時間半ほどで、2001年式の歩行マシンは完全に動きを止めた。

ココロなしか、雨足も強くなってきた。
残念だけれど仕方が無い。
でも、仕方が無いけれど残念だ。
それほどまでにセリ岬に辿り着きたかった訳では無く、そのセリ岬のちょっと手前の入江まで、ぜひとも行ってみたかったのだ。
その入江の名前は、なんと『東京湾』。
宿にあった地図に、そう記載されていた。
もちろん勝手に書かれた身内・親族・御交友関係者に向けた地図ではなく、然るべきカイシャがキチンと発行している地図なのだ。
東京から激しく場違いなこの場所で、なんでそんなケッタイな名前が付けられているのか、この目で確認したかったというのに。
「わかったわかった。じゃあ帰ろうね」
「うん。オウチ帰ろう」
帰るとなったら急に元気になるなんてのが、こういったケースのトラディショナルなスタイルなのだろうが・・・・・
オコチャマはマジでヘタバってしまったらしく、マトモに歩きやしない。
今まで、こういったケースでは幾度となく活躍したオンブ用背負子は、今回は持ってきていない。
なにしろ、もうすぐ4歳になるコイツには、もうソレは小さすぎるのだ。
「ええいっ。とにかく歩けぇ」
戦意喪失した敗残兵の撤退は哀れなもので、
「ガンバレガンバレ。ホラッ、だんだん海の音が近付いてきたぢゃないかぁ」
叱咤激励も空しく響く、いざるような牛歩を積み重ねての帰還だった。
そんなオコチャマが元気を取り戻したのは・・・・・
雨のそぼ降る民宿のワビサビ部屋で、ムダに持ち歩いただけの結果となった弁当を、父子2人でしみじみと食い終わった後だった。

なお、我が父子が撤退した道は、その先で道が完全に崩落していて、徒歩であっても通行不能だった事が後に判明した。

敗残兵の休息

オコチャマは爆睡し、オトォチャンは雨にヤラれて壊れてしまった携帯をいじくり回して過ごしていた遅い午後に、朱蘭さまが戻ってきた。
今日はファンダイブ(船から潜る)ではなく、島の東岸の七ツ山海水浴場という所からのビーチダイブ(海岸から泳いで潜る)だったらしい。
「ソコの海岸にキャンプ場があったんだけど、なんだかヒサンなのよ!」
お互いにテントを担いでのツーリングライダーだった我々夫婦は、キャンプ場なるモノもピンからキリまで見てきている。
そんな朱蘭さまが「ヒサン」と言うのだから、果してその実態が気になる。
「設備が整っている」というウワサながらも、いわゆる「こなれてしまった」状態だったらしい。
その状態は見ていないので、それ以上の事はワタクシには判らない。

宿のオカミサンがクルマを借してくれることになった。
「アンタたち、どこまで行くの?」
「セリ岬まで行ってみようかと・・・」
「アラ、アタシタチも行ってきたばかりだけど、霧で真っ白!! 何も見えないわよ」
オカミサンは、送迎ネェチャンの子供達を連れ、いましがた戻ってきたばかりなのだと言った。
いいのよいいのよ、霧なんて。
なにしろ、オカミサンにも朱蘭さまにもヒミツだけれど、ホントに行きたいところは・・・・・
性懲りもなく、東京湾なのだ。

クネクネ坂を登り、ボゼのセンセーの資料館を過ぎると、そこからは未知の道だった。
霧に包まれた台地の上の直線路は幻想的で、なにやら富良野あたりを走っているようだ。
ほどなく『御池』のカンバンが現れる。
別名「底なし池」と呼ばれ、島では貴重な観光スポットの一つだそうだ。
しかしあまり時間が無いし、ホントに「底なし」なワケもあり得ないので通過する。
やがて台地から東海岸に下りるクネクネ道となり、下りきった所に七ツ山海水浴場がある。
「ヒサン」の実態も気になるけれど、やはりココも通過する。
クドいけれど、すでにココロは東京湾なのだ。

中之島の先っちょ、セリ岬

唐突に視界が開け、灯台が見えてきた。
どうやらセリ岬に到着したのだ。
さすがにココを通過するのは挙動不審なので、灯台への直線路に左折する。
オカミサンの言うほどに霧は無く、そこには、
「牧草地帯を脱輪に怯えながらトロ走りする直線道路の先に雨にくすんだ灯台、そしてその背後にはどこまでもドンヨリとした鉛色の空」
があった。
雨の中、不機嫌そうにノタつきまわる牛。
一歩クルマから降りれば、たちまちオチョコになる安物オリタタミ傘。
いいのだいいのだ。
「さささ、灯台も見たし、行こうか行こうか」
「行こうって、どこに?」
そりは決っているではないか!!

直線道路からフツーの道に出て、来た道とは反対側に向かう。
「だからぁ、どこに行くのよ!」
「いいからいいから」
崩落によって長い間クルマが通っていないからなのか、道に張り出した木の枝に擦られながら進む事しばし・・・・
ほどなく、地図で確認したのと同じ地形が現れた。
見た目では入江とは判らないようなダランとしたヘッコミに、すぐ沖に岩だけの小島が浮かんでいる。
道は絶壁の上であり、遠巻きにしか望めないとは言え、確かにココが東京湾なのだ。
「ねえ、ココはどこなの?」
朱蘭さまが、少しイラダチの表情を浮かべた。
「聞いて驚くな!! 東京湾だ!」
「どこが?」
その名を示す看板も無く、当然その名の由来をしたためた記述も無く、言われなければ湾にさえも見えない。
ここに来たからといって、それが我が家の明るい未来に繋がる訳も無い。
しかし、全く意味も無く、ワタクシは1人で達成感を味わっていた。
「それでもココは、東京湾なのだ」

マボロシの、中之島・東京湾

宿への帰り道、今日は西温泉に入る事にする。
やはり同じような防波堤に隠されたホッタテ小屋で、コチラのほうが階段が表に向いている分だけヒミツ基地度は低い。
浴室の中も似たようなイメージで、
「どうだい? この温泉は」
なんて、やっぱり地元の人が親しげに声を掛けてくれたりする。
しかし、「西側に潜入した東側のスパイ」になった心境で、なんだか落ち着かなかったりもするのだ。

西温泉

バンメシは、びわみわ風夫妻と我が家とで食卓を囲み、とうぜんながらダイビング談義となった。
一緒に潜ったメンバーの中に、2人連れの姉妹がいたらしい。
GWの休みを利用して北海道からやってきた妹、そして姉はこの中之島に勤務しているのだそうだ。
どちらも姉妹の出身地とは無関係で、それぞれの希望で今の地に身を置いているというのだ。
なんとも頼もしきオジョーサン方ではあるけれど、それを許すオトォサンもスバラシい。
「どうしても離島で暮らしてみたかった。どうせ暮らすなら、やっぱりトカラでしょう」
姉は、そんなふうに言っていたと聞いた。
同じように離島での生活を夢見るワカモノは少なくは無いらしい。
それを実現させた姉の、果してその後がどうなるのかが気になる。
家庭がどうの、老後がどうの、などという人生設計の意味で言っている訳ではない。
彼女は、諏訪之瀬島のバンヤンと同じ道を選択した訳では無く、おそらくは期間限定の体験のツモリなのだろう。
しかし、よりによって彼女はトカラを選んでしまったのだ。
離島としての『トカラ』を経験してしまった以上、もうそれを上回る場所を日本では見つけられないに違いない。


さらば中之島


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