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秘境列島(2005GW・トカラ列島)その5
珊瑚は踊る 【宝島】
早朝の中之島港から乗り込んだ船は、奄美大島の名瀬まで行く便だった。
その船はもちろん「フェリーとしま」で、もう顔も覚えてしまった船員達に出迎えられ、そして僅か2日間ながらも馴染み親しんだ人々に見送られる。
やはりこの便に乗るびわみわ風夫妻の荷物がバカデカかった為に、送迎ネェチャンのダンナ様まで出動し、2台のクルマで港まで運んでくれたのだ。
船員に会釈しながら船に乗り込み、我々の荷物を船室まで運んでくれたダンナ様は、なんだか古くからのトカラの人のように思えて頼もしかった。
そしてイイオトコでもあるダンナ様の本業は、首都圏でのバスの運転手さんなのだそうだ。
岸壁には、ボゼのセンセーの姿も見えた。
もちろん思いつきで見送りに来ているのではなく、比較的軽い作業ながらも、キチンと港湾作業を行っている。
センセーの手の空くのを待ってから、お別れの挨拶のついでに聞いてみた。
「センセー、セリ岬の横の入江、なんで東京湾って名前なんですか?」
「う〜ん、なんでだろう。こんど、島の人に聞いてみるよ」
すっかりと島に溶け込んでいるように見えたボゼのセンセーが、「島の人に」という言い方をしたのが妙に可笑しく・・・・・
そしてそれは、東西2つに分かれた温泉のヒミツともリンクしてみえた。
3度目の平島を過ぎ、そして懐かしの諏訪之瀬島が近付いてくる。
オコチャマを連れてデッキまで眺めに行くと、その岸壁の上に、我々が泊まった民宿のクルマが見えた。
「ホラ、オサカナのクルマが見えるぞ」
後部ガラスに魚のステッカーが張ってあるそのクルマを、オコチャマはそう呼んでいたのだ。
諏訪之瀬島、もしくはその民宿がよほど気に入っていたのだろうか、
「あっ、おりる! おりる!」
オコチャマは思いがけない事を叫んだ。
「ダメ。まだ降りないよ。タカラジマってとこまで行くんだから」
オコチャマは聞く耳を持たず、遂には半泣きになった。
「おとぉしゃぁん、はやくオニモツ持ってきてぇ!」
こうなったら、なかなか手がつけられない。
しかし、アッサリと機嫌を直すキッカケが訪れてくれた。
「よぉ、ボーヤ。元気だったか?」
諏訪之瀬島から、あの福井チームが乗り込んできたのだ。
「あ、おじしゃん、おばしゃん、こんにちわぁ」
「こんにちは。どうだった? 中之島はオモシロかったかい?」
「いやあ、天気が悪くて、イロイロと往生しましたよ。で、諏訪之瀬はどうでした?」
これはもちろん、オトォシャンのセリフなのだ。念のため。
「うん。コッチもイマイチだった。結局、作地温泉には行けなかったよ」
ううむ。
福井チームは、この島に6泊もしていたのだ。
それでも行けない作地温泉の手強さに、「磯靴を買わなくて正解だった」なんてことを、改めてシミジミと思った。
元祖・ボゼの島である悪石島に着く頃には、空はすっかりと晴れ渡ってきた。
こういう日の船旅は極めて気分がく、デッキに出てビール片手にボンヤリと港の光景を眺める。
この島でも、岸壁を舞台にした別れと出会いとが繰り広げられていた。
そして、男衆にまじり、左右に束ねた髪をヘルメットから覗かせてテキパキと働いている、1人の女性の姿が印象的だった。
「ううむ。船は島と島を結ぶだけの、単なる交通手段ではない。人の心や、時として運命さえも結びつけてしまうのだ」
ホロ酔いのイキオイで、なんだか判ったようなノーガキをヌカしていていたら・・・・・・・
うげげげげ!!
けっして見てはいけない姿が目に飛び込んできた。
あのビンボーくさい、コブトリのオッサンヅラは・・・・・・・
いつのまに、どこから乗ってきたのだろうか、それは間違い無くポンタだった。
デッキにたたずみ、人待ち顔でキョロキョロしていやがる。
ポンタというのは、南大東島で遭遇し、そして北大東島で撃退に成功した、『自称・旅の達人』なのだ。
達人の割には言ってる事はデタラメで、その場の空気が読めない、元祖ノーガキ野郎。
例によって、誰かを捕まえて
「大東島? ソコでボクが見た大東犬はね、世界的にもキチョーな品種の犬なんだよね」
なんてシッタカブリたくてウズウズしているオーラが、全身からにじみ出ている。
しかし、こんな辺境の航路で遭遇するとは、なんたる偶然なのだ。
コイツの行先が宝島じゃない事を、心から祈るしかない。
「まもなく、小宝島に到着します」
トカラ列島の有人島の中では、悪石島と小宝島との距離が最も離れている。
それは実際の距離だけの問題では無く、この2つの島を境に、トカラ列島は大いにイメージが異なる事を、後に知る事になる。
悪石島までは「海に浮かんだ火山」といった印象だったのに対し、小宝島はサンゴの島ではないか。
そして、明らかに海の色が違う。
これまでの黒々とした、なんだかブ厚さを感じる海ではなく、思わず笑いたくなるような南国っぽい淡いブルーなのだ。
なんだか、伊豆諸島からいきなり沖縄までワープしてしまったような気分にもなる。
この島で下船する、びわみわ風夫妻を見送りにデッキに出れば・・・・・・
おおっ!
アリガタい事に、イソイソと身支度をしているポンタの姿も見えた。
相変わらずの疲れきったD51不況型バックを肩にかけ、そして例によって大きな紙袋を手に、ヨタヨタとタラップを渡るポンタ。
びわみわ風夫妻、申し訳無いけれどヤツの事は任せた。
そんな小宝島では、この船で初めてバイクが下船していく光景を見た。
荷物満載のオフ車で、明らかに旅のライダーである事には間違い無いだろう。
トカラの中でもあまりにも小さすぎるこの島の、いったいどこを走るのだろうかと思いつつも・・・・
そういう旅を、たしか自分でもしていた事を懐かしく思い出したりする。
この船はフェリーであり、幾つかの島ではクルマが乗下船しているのも見掛けたのだけれど・・・・
なんとこのバイクは、クルマ用のタラップを使わせてもらえずに、荷物ごとクレーンで宙吊りにされての下船だったのには驚いた。
いつの日か、このワタクシが再びライダーとして島を訪れる事があったとしても、高級オン車で来るのは考え直さなければならない。
昼過ぎに、やはりサンゴに囲まれた宝島に到着。
大きな防波堤も無い入江の港で、背後のコンクリートの土手はコテコテとナゾの幾何学模様に塗りたくられ、とにかく明るいイメージなのだ。
「はいっ、おまちしておりました」
出迎えのオバチャンも、これまでの島の「キゼンとしたオカミサン」といったイメージと異なり、まるで添乗員のような業務口調&業務スマイルでニジリ寄ってきた。
そんな
「とにかくニコニコしてなきゃ損!」
といった雰囲気に感化され・・・・・・・・
これから名瀬に向かう船のデッキから手をふってくれている福井チームに対しても、おもわずコチラも必要以上にバカ笑えんでしまうのだ。
クルマは、トカラで初めて遭遇した『住宅街』と表現してもマチガイとは言えない家並みを走り抜ける。
そして到着した民宿も、これまたリッパなたたずまいである事に驚く。
「さあ、すぐに昼ゴハンにしましょうね」
これまでの民宿とは全く客層も異なり、ワカモノでごったがえす食堂に案内されてみれば、なんと出てきたのはソーキそば。
ううむ、これまた沖縄っぽさに浸らされてしまった。
「明日の朝の船で帰るんでしょ? そりゃ忙しいなぁ。じゃあ、あとで島を案内してあげよう」
おおっ!
宿のおっちゃん、サービス満点だぞぉ!
オール徒歩移動を覚悟していたのに、アリガタい事にクルマでの島内観光もゲット出来てしまった。
「3時半に出発だよ」
オッチャンと約束し、それまでの間は島を散策してみる事に。
なにしろ天気もよく、少し歩けば汗ばむ程なのだ。
細い路地をウロウロし、なんとスーパーを発見した。
このような本格的な店を見たのはトカラでは初めてで、しかもトカラTシャツなど、オミヤゲまで売っている。
中之島、諏訪之瀬島とは明らかに違うハッテンぶりに、なんだか「トカラ列島のドン詰まり」というイメージは崩れ・・・・・
うっかり乗り過ごして奄美大島まで来てしまったような錯覚さえ覚える。
もっとも、中之島や諏訪之瀬島の次に来たからこそハッテンしているように感じるだけで、奄美大島から来たらやはり辺境の島に見えるのかもしれない。
だいいち、奄美大島には行った事が無いので、この比較自体が無意味なのでやめる。
スーパーから港に向かう坂を下れば、そこが『イギリス坂』。
島に上陸して牛をドロボーしたイギリス船員と、島に常駐していた島津藩の役人とが銃撃戦を演じた史実があり、その舞台がココだったというのだ。
この事件が小説『宝島』のモチーフになったとの説もあり、しかし、だからといって何の変哲も無い坂である事には変わりが無い。
そんなイキサツが書いてある看板でもなければ、誰も知らずに通り過ぎてしまうことだろう。
しかし、ココにはその看板どころか、リッパすぎる石碑まであるのだ。
ううむ、まるで観光地ではないか。
海沿いの道をブラブラ歩いてるいちに到着した大篭海水浴場は、またしてもリッパな観光地だった。
わざわざ陸地をえぐって作られた人工の入江で、粉々になったサンゴのカケラながらも、ウツクシい砂浜に仕立てられているのだ。
さらにキャンプ場まで併設されていて、コギレイなレストハウスまである。
「こんにちはぁ」
サワヤカな挨拶を交わしたキャンパー達は、なんと水着姿。
ううむ、やっぱりココは沖縄ではないか。
中之島あたりのジャングルをホッツキ歩いている時には想像すらしていなかったシュチュエーションであり、当然ながら水着など持ってきていない。
しかし、ただただ口をアングリさせて見ているだけでは余りにも勿体無く・・・・・・・・・・
我が家を代表して、オコチャマをスッポンポンにして海で遊ばせるのが精一杯のワルアガキだった。
あくまでも、個人的・短期滞在的なイメージであり、それぞれの島に滞在中の天候の差もデカいだろう。
しかし、それを差し引いても、このトカラの二面性はオドロキなのだ。
「堪えて忍んで島民生活」風の、なんだか陰気な北部。
「笑顔で暮らそう珊瑚礁」なんて感じの、ノーテンキな南部。
深い考え無しに行先を決めたにも関われず、両方を体験できた事は、なんともアリガタい結果ではないか。
特に、昼過ぎに到着し、翌早朝に出発する予定だった宝島は、実質半日だけの滞在を大いに満足させてくれた。
何も、他の島よりも開けているとか、それどころか観光地化されているとか、そんな事に満足したわけでは無い。
思いもよらずに遭遇した南国チックな雰囲気に、見事に浮き足立たされてしまったのかもしれない。
しかし、この時点でそのように考えたのは、まだまだハヤトチリだった。
この島のノーテンキさにはまだまだ続きがあることを、この後のオッチャンの観光案内が思い知らせてくれたのだ。