Topぺーじ 五十野惇TV               五十野惇の 制作あとがき
    新日本紀行「奥日向」(担当ディレクター五十野惇) コメント       

現在「新日本紀行」は、当時の取材地をふたたび訪れ、
当時と現在の映像を対比しながら、その地域の風土や暮らしを見つめなおす番組として、
4K8Kテレビで
放送されております。

新日本紀行「奥日向」(担当ディレクター五十野惇) コメント 
昭和44(1969)年2月放送
奥日向の谷間の部落では、まだ、ほのかな明かりが灯っています。
家まで引いた岩清水の清らかな冷たさが奥深い山の生活を感じさせます。
山仕事をする松下さんの家では、朝も暗い4時半にその日が始まります。
そして、またこの一家はランプの灯る頃、山から学校から帰ってくるのです。
奥日向にはこうした部落が幾つかあるのです。

暗い谷あいを抜けて三々五々集まってきた山の子供たちが学校へ向かいます。
氷点下4℃、子供達の身にこたえます。
奥日向では、10キロ以上の山坂を2時間3時間歩いて登校する子供達がたくさんいます。
一昨年、日の影中学校の中川てるこさんは、
小学校から中学校まで歩いた距離がなんと地球一周と同じ長さ。
しかも皆勤ということで表彰されました。
宮崎県の西、九州の屋根と言われる奥日向の日の出は
東京に比べて40分も遅く、冬は7時になってようやく明るくなります。
子供達の通学する道々には、四季折々の自然が広がっています。
夏は、やまめが群れ泳いでいる小川のほとりを歩き、
秋は舌がとろけそうなあけびや野いちごを食べながら通います。
そして冬は、野うさぎやタヌキに出会うことさえもあります。
子供達は来る日も来る日もいくつもの谷を下り、山を越えていくのです。

山の人は実によく働きます。
昔からこの土地の人々は夜明け前から起きて今年は一枚、
来年は一枚と天井の水を求めて上に上に土地をおこしていきました。
この地方ではだんだん畑を、峠にある田、つまり峠田と呼んでいます。
村人達は、峠田にわずかな米を作り、傾斜地に芋を這わせ、
トウモロコシを植えて暮らしています。

ところが、この平和な村を脅かす者がいます。イノシシが出て、
農家が苦心して作った作物を食い荒らすのです。
去年の被害額は一億円にも達し、収入の少ない山の人達にとっては、
深刻な問題になっています。
たまりかねた村では、腕利きの猟師に頼んでイノシシ退治に懸命です。
落ち葉で埋まった獣道は、猟師だけが知っている険しい道です。
イノシシは夜行性動物で、昼間は谷間にひそんでいます。
イノシシを発見しました。イノシシが一瞬、草むらの中で動きます。

奥日向の山の急斜面では、黙々と働いている人もいます。
切り立った山では、雑木で山道を組み、
そりの形をしたきんまで運びださなくてはなりません。
西米良村、おがさ部落の黒木さんはこの仕事を16年続けています。
危険な上に、大変な力仕事なので、山仕事をする人が減っています。
ここでは山で仕事をしている人を山師と言います。
山師は、味噌、醤油、お米などを親方から前借して、
それが何百年も続いた山師の普通の生活なのです。
危険な作業にもかかわらず、山師の生活は楽ではありません。

山に生きるつらさを乗り越えてきたのは、
平家落人の伝説を語り続けてきた誇りがあるからでしょうか。
源氏に敗れた平家の落人は、この奥日向に身を隠したと伝えられています。
鶴富姫は、平家の公達の姫君だと信じられています。
源氏の追っての大将、那須の大八郎は静かに暮らす落人の心にうたれました。
大八郎は、討伐をやめ、ここで平和な暮らしを送ろうと決意するのです。
そして、鶴富姫と永久を誓うことになります。
やがて、都からの命令により二人の間は引き裂かれ、物語は悲恋に終わります。

平家の流れをくんでいるという誇りと憧れは今でもひっそりと息づいています。
それは、このあたりのほとんどの民家がこの鶴富姫屋敷に、
似せて作ってあることからも伺うことができます。

冷えつける深夜、米を見ることさえもできなかった
山国の暮らしをそのまま伝える悲しいせんりつがあります。
今は、ひえつきぶしだけが残っていて、大臼には真っ白い餅だけが残っています。
祭りに帰ってきた若者も、昔ながらのひえつきぶしを歌いながら、
故郷の気分をかみ締めています。

人間を寄せ付けない険しい谷は、
一方ではダム建設に最も良い条件を備え付けています。
奥日向には幾つかの水力発電所があって
九州の電力センターとして重要な役割を果たしています。
中でも上椎葉ダムは、日本で最初にできたアーチ式ダムとして知られています。
今は亡き、吉川英治さんが、奥日向への愛着から、日向椎葉湖と名づけました。
山の風や雪は、送電線に思わぬ事故を起こしかねません。
もし、故障で送電がストップすれば、南九州全体が麻痺してしまいます。
送電線の補修作業は、一刻も休むことはできないのです。
人に知られない山奥で、危険と対決しながら働く人々、
この人達によって町の産業も生活も支えられているのです。

電源開発は、様々な恩恵をもたらしました。
財政の貧弱な村にとって、ダムの固定資産税は貴重な収入源です。
椎葉中学校の寄宿舎も、その税収によって建てられました。
椎葉中学校は400人以上が入れる日本一の寄宿舎です。
30キロも離れた所に住む子供たちが、
みんなここに集まって一緒に勉強しています。
寄宿舎では、3年生を送り出すお別れ会が近づいてきました。
この3年間、ともに暮らしてきた仲間たちは、
まもなく山を降りて、高校や会社で新しい生活を始めるのです。
今年の卒業生は、就職組が40%で、そのほとんどは、愛知、大阪方面で働きます。
山で育った素朴さ、粘り強さが職場でも大変歓迎されています。
寄宿舎での団体生活が、社会に出ても大変役立つことでしょう。

椎葉村のとなり、諸塚村にある七つ山小学校では、
学校が、パンを作る設備を持っています。
へき地の学校では、パンを求めるのが非常に困難です。
しかし、子供たちの体位向上を思う親たちの切なる願いから、
先生と村人が、わずかな金を持ち寄って、2年前、70万円のパン工場を作ったのです。
この新しい設備で、農家の主婦でも、おいしいパンを作れます。
パン給食が始まってから、お昼休みの時間、
どの教室からも明るい生き生きした声が聞かれるようになりました。
この地方に、「ばっかり食」という言葉があります。
山国の生活では、そこに取れるものばかり食べるので、この言葉が生まれたのです。
パン給食をすることで、なんとか栄養の偏りを防ごうというわけです。
一日も早く、給食の成果が表れるようにと、父兄も先生も楽しみにしています。
先生や親たちの願いのこもった温かいパンが、
きっと、子供たちの体や心を健やかに育ててゆくことでしょう。

部落に通ずる林道の工事が始まりました。
山の上にある椎葉村、よかりうち部落への道が、麓まで来ています。
その道を通って、山の人が長い間望んでいた町のものが入ってきます。
村の生活もだんだん町に近づいてゆきます。
最近では、カラーテレビさえ求める家が目立ってきています。
山の人達には、常に時代に遅れまいとする強い気持ちがあります。

しかし、山の生活は、医療や教育の問題に必ずしも行政の光はあたっていません。
ともすれば、昔からの因習に頼って、生活を切り抜けようとしている人もいます。
奥日向には、拝み屋さんといわれる人達が、
部落の生活に深いつながりを持っています。
このかくしょうさんには2000世帯の信者がいます。
病気やうせ者、商売の相談から受験の相談まで、神様のお告げを伝えています。
神様から人間に立ち返った後は、世間話に花が咲きます。
それが、閉ざされた生活を送る村の人々にとっては楽しみでもあるのです。

高千穂町あさかべ部落で、夜神楽の前触れとして、
鬼を追い払う、鬼の目はしらかしが行われます。
竹が勢いよくはじければ、その年は豊作になると昔から伝えられてきました。
この地方では、昔から冷害や虫の害に悩まされてきました。
それを払いのけようとする村人の切実な願いが、鬼の目はしらかしとなったのです。
畑の鬼も、心の憂さも一気に払いのける竹の音は、
やがて始まる夜神楽の高まりへ人々の心を誘うのです。

その夜、五ヶ瀬町部落の神楽宿、甲斐さんの家は、部落中の人で溢れていました。
神代の昔から伝わるという夜神楽は、奥日向地方の何よりの自慢です。
単調な生活を打ち破る1年に一度のお祭りです。
夜神楽は、村人が遠い昔から、親から子へ、子から孫へとその伝統を守ってきたものです。
普段はつつましく暮らしていた人々が、この夜だけは、
ありったけのご馳走を食べ、大いに飲んで、一夜を明かすのです。
夜神楽が一気に高まると、さすがにここは岩戸神楽の故郷、
神話の国であることを思わせます。

神々が天上に返った朝、山は再び元の静けさに戻ります。
そして、地上では、またこの1年、山の人達と自然とが解け合った暮らしが続けられていくのです。


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