……というわけでこの作品では、作中の人物も読者も騙される
作中のトリック、読者だけが騙される
叙述トリック、そして作中の人物だけが騙されている(ことに読者が気づかない)いわゆる
“逆叙述トリック”(*8)が組み合わされているのですが、ややわかりづらいところがあるかとも思われるので、補足説明をしておきます。
| 自己紹介 | 夕食 | 事件発生 |
読者の認識 | 赤川和美(女) 田名部優紀(男) | 黒糖焼酎にこだわる田名部優紀(男) 髪に飴煮がついた赤川和美(女) | 殺されたのは赤川和美(女) |
作中の事実 | 田名部優紀(女) 赤川和美(男) | 黒糖焼酎にこだわる田名部優紀(女) 髪に飴煮がついた赤川和美(男) | 殺されたのは赤川和美(男) |
作中人物の 認識 | 赤川和美(女) 田名部優紀(男) | 黒糖焼酎にこだわる赤川和美(女) 髪に飴煮がついた田名部優紀(男) | 殺されたのは田名部優紀(男) |
まず序盤の自己紹介の際に、田名部優紀(女)と赤川和美(男)が入れ替えた名前を名乗ることで、作中の人物たちは解決に至るまで一貫して二人を“
赤川和美(女)”と“
田名部優紀(男)”だと誤認しています。またこの場面では、
地の文に二人の名前が記されていないため、読者も自己紹介をそのまま受け入れるしかなく、作中の人物と同様に〈
赤川和美(女)〉と〈
田名部優紀(男)〉だと誤認することになります。
その後、夕食の場面以降は地の文でそれぞれの名前が正しく示されているものの、同時にそれぞれの
性別を誤認させる――〈赤川和美(
女)〉と田名部優紀(
男)〉――叙述トリックが仕掛けられています。実のところ、(主に赤川和美(男)が
“髪が肩まで伸びていた”
(文庫版234頁)ことによる)叙述トリック自体は決して強力ではない上に、真相を暗示するヒントも用意されている
(*9)のですが、先の自己紹介でのトリック、ひいては貴族探偵や愛香の誤認
(*10)と
相互に補強し合う形になっているのが巧妙。
そして事件が発生したところで、地の文で〈赤川和美が殺された〉ことを知らされている読者は、それを知らされているがゆえに、作中の人物たちの
異なる認識――“
田名部優紀が殺された”と誤認していること――に気づかず、愛香が
“あなたが田名部さんを殺したんですね”
(文庫版282頁/単行本205頁)と貴族探偵を問い詰めるところで驚かされる、という“逆叙述トリック”が成立することになります。
*16: この段階で、田名部優紀と赤川和美に面識があることを視聴者に匂わせておいてもいいかもしれません。
*17:
“赤川さんが田名部さんの部屋に入るのが見えた”
(264頁)という香苗の証言が問題――重要な証言なので、“赤川和美”(田名部優紀)に確認する場面を映さないのは不自然――ですが、上の(
*16)に書いたようにすれば、香苗の証言は削っても大丈夫ではないでしょうか。
*18: 作中では“赤川和美は
女性だから犯人ではない”ということですが、視聴者にとっては――被害者が
田名部優紀(女)だと思い込んでいる限り――〈赤川和美は
男性だから犯人ではない〉ということで矛盾は生じません。
*19: もちろん、
“あなたが田名部さんを殺したんですね”
(文庫版282頁/単行本205頁)の代わりです。
*20: 実のところ、この作品での――
『貴族探偵』の
(以下伏せ字)「こうもり」もそうですが(ここまで)――
“逆叙述トリック”は、普通に書けばアンフェアになりやすい仕掛け(人物入れ替わり)を読者に対してフェアにするための手法(地の文で事実を示す)による、一種の
“副産物”であるようにも思われます。