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貴族探偵対女探偵/麻耶雄嵩

2013年発表 (集英社文庫 ま20-4(集英社))/(集英社)
 現在、一時的に単行本が手元にないため、一部の引用箇所については文庫版の頁のみ記載していますが、ご了承ください。
 そこで結論として言えるのは、偽の解決が生まれる原因 (すなわち多重解決のテクニック) は、@証拠事実の取捨選択の誤り、A証拠事実それ自体の誤り、そしてB証拠事実の解釈 (推論) の誤りの3点 ――その中でも特に@とB――に集約される、ということである。(後略)
  (真田啓介氏「書斎の死体/「毒入りチョコレート事件」論」より)

 本書では、女探偵・高徳愛香の“誤った解決”――しかもすべて貴族探偵が犯人だとするもの*1――の後に、貴族探偵の使用人による“正しい解決”が示される、“多重解決”の趣向が採用されています。“多重解決”については、上に引用した真田啓介氏による“偽の解決が生まれる原因”の優れた分類があるので、それを参考にしながらそれぞれの作品での推理を検討してみます。

*1: この趣向のために、愛香の推理が全体的にやや強引になっている感もありますが。

*
「白きを見れば」
 愛香は、まず梁に残った凶器の痕から背の低い平野紗知を除外した後、現場に残された足跡の様子から犯行時に停電が起きたことを導き出し、アリバイのあった多田朱美と妙見千明を除外しています。さらに、紗知のコートのボタンを盗む機会がなかった*2ことから、畦野智一郎を除外しています。ここまでの愛香の推理には、ひとまず破綻はないように思われます。

 ここで愛香は、残った“亀井”――貴族探偵が犯人だと断定し、犯人が凶器を入手する際に物置小屋のシャッターを右手だけで開けた理由を、犯人――貴族探偵が左手を怪我していたためだと推理としているのですが、前者はともかく後者については素人目にも無理があります。絆創膏を貼った程度の“枝に引っかかれ”(文庫版41頁/単行本33頁)た傷で、“左手の人差し指にくるくると彼女の髪を巻きつけて”(文庫版40頁/単行本32頁)いるくらいならば、シャッターを開けるのにも特に支障はないはずです。ということで、後に貴族探偵の執事・山本にも指摘されているこの点は【B証拠事実の解釈 (推論) の誤り】といえますが、“多重解決”の趣向のためとはいえ、いささか難のありすぎる推理だと思います。

 一方、山本はシャッターに残された手の痕について、犯人がを持っていたために左手が使えなかったとしていますが、これまた納得しがたい推理といわざるを得ません。というのも、他のものならまだしも傘であれば、一時的に頭に乗せるなどして差したまま両手を使うことは可能で、がたついて重いシャッターを開く際にはそうするのが自然だと考えられるからです。傘を積極的に示唆する手がかりは見当たらない上に、その解釈によって貴族探偵が容疑者から外れたことを踏まえれば、それを目的とした恣意的な“推理”ということなのかもしれませんが……。

 というわけで、シャッターの手の痕はおいておく(!)として、犯行計画を立てた人物として盲点に入っていた被害者自身――笹部恭介を拾い上げた山本の推理は、(それが正しいかどうかはさておき)鮮やかであることは間違いないですし、(一応は)“犯人不在”の状況を打破するためにはどこかをひっくり返さなければならないわけで、その点では納得のできるものです。

 そこから先の山本の推理――具体的には“それは、笹部様が誰を殺そうとしていたか、を考えれば明白です。”(文庫版61頁/単行本49頁)の後が、単行本と文庫版で異なるものになっています。
 単行本では“笹部様は平野様に罪を被せようとしました。そのことから平野様を殺すつもりはなかったのが解ります。”(単行本49頁)と、コートのボタンの“偽装”を根拠として紗知を除外していましたが、それが偽装だとされた根拠は“(梁に残った凶器の痕から)紗知が犯人ではない”ことだったわけですから、この部分の推理自体が循環論法に陥っていると同時に、“凶器の痕を残した人物が犯人”という前提が崩壊していることが見落とされているのが大きな難点です。
 それに対して文庫版では、序盤に“紗知はマイスリッパらしく、ひとり甲に花柄があしらわれてる。”(文庫版16頁)と手がかりが追加された上で、“もし誘った相手が平野様なら、疚しいところのない平野様は当然ご自分のスリッパを履いていったはずです。しかし血がついていたのは来客用のスリッパでした。”(文庫版61頁)*3と、凶器の痕によらず紗知を容疑者から除外する推理に修正され、単行本での問題がしっかりと解消されています。

*2: 細かいところですが、コートのボタンが盗まれたのが夕方だったとする推理はなかなかよくできていると思います。
*3: ちなみに、“来客用のスリッパ”、すなわち貴族探偵の“布製のスリッパ”(文庫版29頁/単行本22頁)の裏に“血痕が認められた”(文庫版28頁/単行本22頁)のは、犯人が犯行時に使ったと考えるのが妥当ですから、“ビニール製のスリッパがいくつも並んでいた”(文庫版16頁/単行本12頁)スリッパ立てには、“実は布製のスリッパも一足だけ置いてあった”ということでしょう。

「色に出でにけり」
 重要な手がかりとなるのは、水色のタオルで絞殺された被害者を白いタオルで首吊りさせたという、タオルの食い違い。これについて愛香は、犯人が時間をおいて二度にわたって現場に入ったためにタオルを間違えたと解釈し、アリバイをもとに貴族探偵が犯人だとしていますが、この解釈はいくら何でも無理筋。たとえタオルの色を覚えていなくても、首吊りの偽装をしたことを自分で忘れていない限り、まずタオルが外れて落ちたことを想定してそれを探すはずですし、探しても見つからなかった、あるいは別の(白い)タオルと間違えたということも考えにくいものがあります*4

 それに対して、貴族探偵の料理人・高橋が指摘しているように、一度目と二度目が別人だったとする解釈の方が明らかに説得力があります。さらにいえば、前述のように“落ちたタオルと間違えて未使用のタオルを使った”とは考えにくいことを踏まえると、(高橋はそこまで言及していないものの)白いタオルを使ったのは首吊りの偽装がまだ施されていないという認識に基づくもの、と考えるのが自然ではないでしょうか。いずれにしても、愛香の推理は【B証拠事実の解釈 (推論) の誤り】によるものということになるのですが、“貴族探偵が犯人”という(誤った)解決を導き出させるために、愛香が無理のある解釈を強いられているという印象が拭えません。

 さて、一度目と二度目が別人、すなわち共犯だったということになれば、確実に容疑を免れている人物こそが疑わしい、という高橋の推理は妥当。ここで、犯人の工作によるアリバイの確実性が検討されているのが周到なところで、携帯電話にのみ着目することで、強固なアリバイを持つ玉村豊が犯人だと指摘されているのには納得です。さらに、アリバイによらず容疑を免れている人物――腕を骨折して犯行が不可能な玉村示津子が共犯者として用意されているところもよくできています*5

 その共犯関係を補強する犯行の動機が、犯人が奪った被害者の手帳に記された、姓名判断の文字そのものに表れていた(はず)というのも鮮やか。もっとも、“礼人様は旧字で書くと禮人となります。”(文庫版149頁/単行本105頁)という高橋の台詞はおかしなもので、本来ならどのような字なのかを他の登場人物に伝える時点で、その意味があからさまになってしまうはずですが……。

*4: 白いタオルがもともとどこに、どのように置かれていたのかはわかりませんが、外れて落ちたタオルと間違えるような場所に落ちていたはずはないでしょう。
*5: とはいえ、こちらのレビューで言及されているように、絞殺が不可能なのにタオルを結ぶことができるというのは、いささか無理があるように思われます。

「むべ山風を」
 この作品で愛香は、〈手がかり1〉被害者が下座の側に着いていたこと、〈手がかり2〉ティーバッグがプラスチック用の袋に捨てられていたこと、〈手がかり3〉水を張った容器に沈められたカップ――からそれぞれ、〈解釈1〉犯人は被害者より目上の人物である、〈解釈2〉紅茶を淹れた犯人はゴミの分別を知らない人物である、〈解釈3〉犯人はカップに対応する学部生の男女と男の来客のいずれかである――と解釈を引き出し、すべての条件に唯一当てはまる貴族探偵が犯人だと結論づけています。

 しかし貴族探偵自身が指摘しているように、上下関係を重んじる被害者が目上の人物に紅茶を淹れさせるとは考えられず、明らかに誤った解決といわざるを得ません。この誤りは、〈手がかり2〉から“紅茶を淹れた犯人は被害者より目上の人物ではない”という解釈を引き出し損ねた、【B証拠事実の解釈 (推論) の誤り】によるもので、〈手がかり1〉に関しては被害者の性格を根拠にする一方で〈手がかり2〉についてはそれを考慮しなかったという一貫性のなさが、どうにもお粗末な印象を与えているのは否めないところです。

 貴族探偵のメイド・田中も指摘しているように、手がかりから引き出される解釈が不可避の矛盾――ただし、作中で田中が“上座とシンクのティーカップの矛盾”(文庫版206頁/単行本149頁)としているのは正しくは“上座とティーバッグの矛盾”のはず*6――を生じるならば、ひとまず手がかり自体を疑うのが筋。ここで、〈手がかり2〉のティーバッグについては愛香が検討している(文庫版203頁)ように偽装とは考えにくいので、〈手がかり1〉の上座が犯人による偽装ということになります。実際には〈手がかり3〉も犯人による偽装に起因するもので、それも含めて【A証拠事実それ自体の誤り】もまた誤った解決の一因となっています。

 田中による謎解きの手順で巧妙なのは、被害者を移動させた偽装よりも先にティーカップの偽装について説明してある点で、“ティーカップをシンクに入れたのが犯人以外の人物である”という推理を予め示しておくことで、“犯人のカップがシンクにある”という前提が取り払われ、(被害者の移動に伴って浮上してくる)“現場で割れたカップが被害者ではなく犯人のもの”という推理をすんなりと受け入れやすくなっている感があります。

 というわけで、犯人――“熊本組”の男子大学院生・原木一昭に直結する手がかり(割れたカップ)を、愛香は推理の際に考慮することができなかったのですから、他の原因によって生じた推理の誤りの結果としての、【@証拠事実の取捨選択の誤り】ということになるでしょう。

 作中で、もう一つのカップ(被害者が実際に使っていた方のカップ)がどうなったのか、まったく説明されずに物語が終わっているのはいかがなものかと思いますが、被害者のカップは普通に若竹色のラインだったと考えられるので、断水が始まる前に犯人が洗った――したがって犯行も断水より前――ということでしょう。

*6: 愛香が推理したように、黒いラインのティーカップを使う“男の来客”には被害者にとって目上の人物も含まれるのですから、上座/下座と矛盾するとはいえません。

「幣もとりあへず」
 被害者の髪の毛に付着したままの飴煮から、入浴直後の犯行とする推理、また“いづな様”が混浴を嫌うことから、犯人が被害者と同性の人物とする推理は、いずれも妥当といっていいでしょう。問題となるのが電話のメモで、その筆跡と“被害者が名乗っていた名前”から、愛香は被害者が12時15分まで生きていたと推理し、その結果、有戸秀司と金谷沢広成のアリバイが成立することになるため、残った男性である貴族探偵を犯人と結論づけています(奥館の鍵を持っていた女将が共犯)。

 それに対して貴族探偵の運転手・佐藤は、田名部優紀*7と赤川和美の名前の入れ替えを指摘した上で、電話のメモが被害者ではなく本物の田名部優紀によるものであることから、アリバイがなくなる有戸秀司を犯人だとしています。結局のところ、電話のメモは犯人特定に直結する手がかりではなかったわけで、愛香の推理は【@証拠事実の取捨選択の誤り】ともいえるかもしれませんが、入れ替わりは愛香をはじめ他の登場人物が関知し得るものではなく、入手できた情報を普通に解釈する限りは誤りのない推理といえるので、むしろ被害者の身元情報の誤り――【A証拠事実それ自体の誤り】によるものというべきでしょう。

 ……というわけでこの作品では、作中の人物も読者も騙される作中のトリック、読者だけが騙される叙述トリック、そして作中の人物だけが騙されている(ことに読者が気づかない)いわゆる“逆叙述トリック”*8が組み合わされているのですが、ややわかりづらいところがあるかとも思われるので、補足説明をしておきます。

自己紹介夕食事件発生
読者の認識赤川和美(女)
田名部優紀(男)
黒糖焼酎にこだわる田名部優紀(
髪に飴煮がついた赤川和美(
殺されたのは赤川和美(
作中の事実田名部優紀(女)
赤川和美(男)
黒糖焼酎にこだわる田名部優紀(女)
髪に飴煮がついた赤川和美(男)
殺されたのは赤川和美(男)
作中人物の
認識
赤川和美(女)
田名部優紀(男)
黒糖焼酎にこだわる赤川和美(女)
髪に飴煮がついた田名部優紀(男)
殺されたのは田名部優紀(男)

 まず序盤の自己紹介の際に、田名部優紀(女)と赤川和美(男)が入れ替えた名前を名乗ることで、作中の人物たちは解決に至るまで一貫して二人を“赤川和美(女)”と“田名部優紀(男)”だと誤認しています。またこの場面では、地の文に二人の名前が記されていないため、読者も自己紹介をそのまま受け入れるしかなく、作中の人物と同様に〈赤川和美(女)〉と〈田名部優紀(男)〉だと誤認することになります。
 その後、夕食の場面以降は地の文でそれぞれの名前が正しく示されているものの、同時にそれぞれの性別を誤認させる――〈赤川和美()〉と田名部優紀()〉――叙述トリックが仕掛けられています。実のところ、(主に赤川和美(男)が“髪が肩まで伸びていた”(文庫版234頁)ことによる)叙述トリック自体は決して強力ではない上に、真相を暗示するヒントも用意されている*9のですが、先の自己紹介でのトリック、ひいては貴族探偵や愛香の誤認*10相互に補強し合う形になっているのが巧妙。
 そして事件が発生したところで、地の文で〈赤川和美が殺された〉ことを知らされている読者は、それを知らされているがゆえに、作中の人物たちの異なる認識――“田名部優紀が殺された”と誤認していること――に気づかず、愛香が“あなたが田名部さんを殺したんですね”(文庫版282頁/単行本205頁)と貴族探偵を問い詰めるところで驚かされる、という“逆叙述トリック”が成立することになります。

 地の文で示された被害者の正しい名前は、“逆叙述トリック”の一部というだけでなく、読者が事件の真相を推理するための重要な手がかりとなっています。推理の端緒となるのは、“電話のメモが見つかるまで愛香が誰を疑っていたか”で、“該当する時間(注:12時過ぎ)にトイレに行ってアリバイがなく”(文庫版273頁/単行本199頁)に当てはまるのは有戸秀司*11ただ一人です。そして、その有戸が被害者と同性の人物”(文庫版273頁/単行本199頁)とされている*12ことから、被害者・赤川和美は男性であり、別の名前*13を名乗っていることがわかります。そうすると、その名前の熨斗袋と筆跡が一致した電話のメモは被害者のものではないということになり、有戸秀司のアリバイは崩れます。

 このように、読者に対してはフェアに書かれているのですが、作中の人物は地の文を読むことができず、被害者が赤川和美であることを確認できないため、作中では少々怪しい推理が展開されています。作者の巧妙なごまかし*14によって目立たなくなっている感がありますが、佐藤の推理はいきなり田名部優紀と赤川和美の取り違えを指摘するところから始まり、そこに至る根拠が示されない(愛香の推理を否定する根拠もない)まま。この推理の飛躍――と同時に、登場人物たちが根拠を欠いた推理にたやすく丸め込まれていること――は大いに気になるところです。

 実のところ、作中の人物は田名部優紀と赤川和美のどちらに対しても初対面で、身元の特定につながる予備知識も一切ないので、“入れ替わり”を作中の人物が論理的に解明すること――作中の人物が推理するための手がかりを用意することはほとんど不可能に近いのですが、あくまでも“貴族探偵が犯人ではない”という前提に立つ限りは、有戸のアリバイのみが問題となるわけですから、電話のメモが被害者のものではなく、したがって被害者は(メモと筆跡が一致する熨斗袋の)田名部優紀ではない、と推理を進めることはできるはずです。もっとも、この推理はそれこそ“私情”*15を基盤にしたものといわざるを得ないので、採用しがたいところがあったのかもしれませんが……。

 つまるところ、“有戸のアリバイが崩せなければ犯人不在”のような状況であれば、もう少し納得しやすい推理ができたわけで、“貴族探偵を犯人とする多重解決”という趣向のせいで推理が怪しくなってしまっているのは、本末転倒ではないかと思われてならないところです。

*7: 単行本では“田名部優”という名前だったのが、文庫版で変更されています。
*8: 必要であれば、拙文「叙述トリック分類#[H]逆叙述トリック」をご参照ください。
*9: 女好きで男は眼中にない様子(文庫版229頁〜231頁)の有戸秀司が、食事中に田名部優紀に親しく話しかけている(文庫版238頁〜239頁)ことが、田名部優紀が女性であることを暗示しています(女性客にも人気があって”(文庫版238頁)という言葉もヒントといえるかもしれません)。
*10: 貴族探偵が田名部優紀について“あの頬骨の張った若者かい?”(文庫版247頁)“その色男が”(文庫版249頁)といった言葉を口にし、愛香もそれを受け入れている場面を参照。
*11: “十二時過ぎに秀司がトイレに行く”(文庫版268頁)
*12: 死体が全裸で発見されているのもポイントで、愛香が被害者の性別を誤認している可能性はありません。
*13: “いづな様”への熨斗袋に本名を記さなければならないことから、“抜け道”として考えられるのは、自己紹介の際に“赤川和美”と名乗った女性との名前の入れ替えしかない――ということに思い至れば、赤川和美が“田名部優紀”を名乗ったことまで推理可能です(愛香の友人・平野紗知と貴族探偵の恋人・下北香苗は別人である可能性はなく、有戸秀司と金谷沢広成は“女性の名前を名乗った男性”に該当しない上に、自己紹介の場面で地の文に名前が記されています)。
*14: “犯人は被害者と同性である”(文庫版280頁)という前提のまま、愛香が有戸と金谷沢の二人についてだけアリバイを検討し、“女将が浴場に入るのは無理”(文庫版281頁)という金谷沢の言葉に同意した上で、男性である貴族探偵を犯人として告発し、さらに“あなたが田名部さんを殺したんですね”(文庫版282頁/単行本205頁)と問い詰める――という手順を通じて、“訓練された”読者であれば“入れ替わり”の仕掛けに自力で思い至ることができるため、佐藤の指摘を(突然のサプライズではなく)“既知の事実”として受け取りやすくなるように思われます。最後の“田名部”の名前を出してのダメ押しなどは、愛香の推理の中で不可欠とは考えられないので、実際にそのような狙いがあるのではないでしょうか。
*15: 文庫版276頁/単行本201頁の愛香と貴族探偵のやり取りを参照。

*

 ところで、2017年4月から『貴族探偵』のドラマが放映されることになったわけですが(→「貴族探偵 | オフィシャルページ - フジテレビ」)、本書で最も映像化が困難なのは、叙述トリック/逆叙述トリックが仕掛けられたこの「幣もとりあへず」でしょう。そこで、どのような形で映像化できそうか、少し考えてみます。

 この作品に仕掛けられているトリックは上述のとおりで、これを忠実に映像で再現しようとすると、最も重要なのは事件が発生した際に、[A]視聴者の目から死体の性別を隠しつつ、[B]被害者の名前を視聴者だけに明かす、というところでしょう。しかし、[A]は後頭部などのアップだけで(死体は全裸なのでどのみち頭部周辺しかテレビで映せないでしょうし)何とかごまかすことができるかもしれませんが、[B]の方は――例えば(被害者の顔を映すことなく)この場面で(のみ)テロップを出して名前を表示する、というのはいかにも不自然で、どう考えても露見してしまうのではないでしょうか。

 そこで思いついたのが、視聴者には田名部優紀(女)と赤川和美(男)であることを明かしておいて、事件発生時には上の[A]と同じ手で、赤川和美(男)ではなく田名部優紀)が殺された〉と視聴者に見せかける、というトリックです。これならば、登場人物が“田名部優紀が殺された”と明言できるので、顔を映さなくても上の場合よりごまかしやすいと思われます。
 冒頭では、田名部優紀と赤川和美以外の人々が先に宿を訪れて自己紹介しつつ、熨斗袋を映して全員の名前を視聴者に示しておいて、田名部優紀と赤川和美の二人は遅れて宿に向かうところを映しながら*16テロップで正しい名前を表示して自己紹介はカット。そこからいきなり夕食の場面にすれば、事件発生までは意外と何とかなるかもしれません。もちろん、事件発生直前の愛香と貴族探偵の会話は、大幅に改変する必要がある――“あの頬骨の張った若者かい?”(文庫版247頁)のような登場人物の誤認を匂わせる台詞や、動機の背景となる有畑しずるの自殺の原因など――でしょうが……。
 難しいのは事件発生以降で、田名部優紀(女)の存在/赤川和美(男)の不在を徹底して隠す必要があるのが大きなネックですが、事情聴取の映像は紗知と香苗くらいにとどめておいて、あとは愛香が残りの人々から得た情報を整理するようにすれば、“赤川和美”(田名部優紀)の事情聴取の場面は省略できそうです*17し、推理の場面は愛香・貴族探偵・佐藤をクローズアップすればごまかせるような気が……。
 推理の手順は小説そのままでもよさそうですが、“犯人は被害者と同性”から有戸と金谷沢だけのアリバイを検討すると(映像では説明にやや時間がかかることもあって)“容疑者が男性”であることが目立ってしまうきらいがあるので、先に全員のアリバイを検討しておいてから、“アリバイのない“赤川和美”も犯人ではない、なぜなら犯人は被害者と同性*18だから”という形に持っていけば、ぎりぎりまで被害者の性別を伏せてサプライズをより強調できると思います。すなわち、“女将が浴場に入るのは無理”(文庫版281頁)で視聴者に違和感を抱かせ、男性である貴族探偵を告発して畳みかけ、さらに“あなたがを殺したんですね”*19と止めを刺す――その過程で(事件発生以降は初めて)田名部優紀(女)を映すようにする、というのはどうでしょうか。

 ……まあ、色々と難しいところもあるので、叙述トリック/逆叙述トリックを完全に放棄してそのまま映像化――視聴者の得られる情報は登場人物(愛香ら)と同じ――するのが無難ではあるかもしれませんし、その場合は『貴族探偵』(以下伏せ字)「こうもり」(そっくりさんか一人二役が必要な上、どちらにしても仕掛けが露見しやすい)に比べると難しくない(ここまで)とも思われるのですが、問題は、視聴者に正しい情報が与えられないため、“入れ替わり”がどう考えても視聴者が納得しがたいものになることです。
 小説では、読者に知らされている〈被害者は赤川和美〉という事実が、(推理の手がかりであると同時に)“入れ替わり”を読者に納得させる伏線となっている*20のですが、そのまま映像化すると伏線は皆無となりますし、本来であれば“説得”の役割を果たすべき佐藤の推理も、根拠を欠いているためにそれ単独では説得力を生じることができません。
 最終的には田名部優紀自身に事実を確認すれば済むとしても、せめて上述のように“貴族探偵が犯人ではない”という前提から推理を出発させるなりしなければ(あるいは、そうしたとしても)、推理の危うさが露呈してアンフェア感が強くなってしまうのではないでしょうか。

*16: この段階で、田名部優紀と赤川和美に面識があることを視聴者に匂わせておいてもいいかもしれません。
*17: “赤川さんが田名部さんの部屋に入るのが見えた”(264頁)という香苗の証言が問題――重要な証言なので、“赤川和美”(田名部優紀)に確認する場面を映さないのは不自然――ですが、上の(*16)に書いたようにすれば、香苗の証言は削っても大丈夫ではないでしょうか。
*18: 作中では“赤川和美は女性だから犯人ではない”ということですが、視聴者にとっては――被害者が田名部優紀(女)だと思い込んでいる限り――〈赤川和美は男性だから犯人ではない〉ということで矛盾は生じません。
*19: もちろん、“あなたが田名部さんを殺したんですね”(文庫版282頁/単行本205頁)の代わりです。
*20: 実のところ、この作品での――『貴族探偵』(以下伏せ字)「こうもり」もそうですが(ここまで)――“逆叙述トリック”は、普通に書けばアンフェアになりやすい仕掛け(人物入れ替わり)を読者に対してフェアにするための手法(地の文で事実を示す)による、一種の“副産物”であるようにも思われます。

「なほあまりある」
 愛香はまず、有岡葉子の死体が発見された現場に残った痕跡から、その部屋に貴族探偵がいたことを明らかにしています。その手がかりとして、「白きを見れば」で他人が使ったスリッパを履こうとしなかったこと(文庫版29頁/単行本22頁)「むべ山風を」でのコッタボス(文庫版182頁/単行本130頁〜131頁)、そして「幣もとりあへず」での自前の携帯灰皿(文庫版245頁/単行本178頁)といった具合に、前の作品での出来事が使われている*20のが、連作のまとめならではの面白いところです。

 かくして愛香は、一旦は貴族探偵を犯人だと名指ししています。しかしこれは、指紋が拭き取られたにもかかわらずコッタボスの痕跡がそのまま残されているという事実や、バラの花瓶に関する手がかりを考慮に入れていないもので、主に【@証拠事実の取捨選択の誤り】による解決の誤りといえるでしょう。もっとも、この作品での愛香の推理はここでとどまらずに“正しい解決”へと向かっていき、“多重解決”というよりも推理の途中経過という形になっている*22ので、本書の他の作品と比べるとかなり無理のない印象です。

 バラが入れ替えられたという推理は比較的早い段階で示されていますし、そこから部屋のすり替えに思い至るのはさほど難しくないようにも思いますが、それにしては事件発生以降も部屋と人が食い違っている様子がないのがくせもの。貴族探偵が訪れた時だけ部屋の主が入れ替わっていたという綱渡りのような真相が秀逸ですし、“部屋を訪れた貴族探偵は犯人ではない”ことまで明らかになって初めて浮かび上がってくるところもよくできています。そこから先の犯人特定までは一本道ですが、これまでの事件を通じて愛香が知り得た貴族探偵の性格が、手がかりとして使われているのも面白いところです。

 愛香を雇ったのが貴族探偵その人であり、愛香は使用人代わりだったという最後のオチは、当初から見え見えの感がありますし、一見意味深な“彼女は私の所有物{もの}だから”(文庫版328頁/単行本242頁)という台詞でも露骨に示唆されています。が、連作のまとめとして予定調和的な、うまい結末であることは間違いないでしょう。

*21: 残る「色に出でにけり」は、バラの展示会の話(文庫版104頁/単行本99頁)が後の推理で使われています。
*22: 三津田信三の〈刀城言耶シリーズ〉における“一人多重解決”に近いものがあります。

2013.10.25読了
2017.02.23文庫版読了 (2017.02.26改稿)

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