ミステリ&SF感想vol.181

2010.08.27

七花、時跳び! Time-Travel at the After School  久住四季

2010年発表 (電撃文庫 く6-11)

[紹介]
 かわいい後輩の七花が、突然タイムトラベラーになってしまった――僕こと柊和泉と後輩・七花蓮の部員二名からなる弱小部〈未来研究会〉。その新入部員勧誘のためにチラシを配っていた僕の上に、部室で受付をしているはずの七花が突然落ちてきて……「七花、時跳び!」
 タイムトラベルでやりたいことを思いついた僕は、七花とともに一年前へ。それは僕と七花が初めて会った頃だった……「未来研誕生」
 誰かに食べられてしまった冷蔵庫の中のケーキ。食べられる前に取り戻すことはできるのか……「三時のおやつはどこにある?」
 気がつくと雪の中、そして一緒にタイムトラベルしたはずの七花はなぜか見当たらない。そのまま未来の七花と会うことになった僕は……「ウィンター・タイムマシン・ロックス」

[感想]
 デビュー作『トリックスターズ』を皮切りに、ファンタジー要素を取り入れたミステリを発表してきた久住四季の最新作は、タイムトラベルによる騒動*1を基本コメディタッチで描いたもので、ミステリからSFへ、さらにはシリアスからコミカルへの路線変更は、旧作のファンとしては少々戸惑いを覚えるのも事実ですが、これはこれで十分に楽しめる作品に仕上がっていると思います。

 物語の主役は、退屈な日常を送る高校生・柊和泉とその後輩・七花蓮のコンビ。七花がなぜか突然身に着けてしまったタイムトラベル能力を使って、柊がこれ幸いと退屈しのぎに様々な“実験”を試みる、見方によってはひどい話(苦笑)で、理不尽な先輩に振り回されながらも懸命に応えようとする七花のけなげな姿が目を引きます。もっとも、騒動のとばっちりを食うのは柊も例外ではない――というか、悪戯の矛先が遠慮なく(過去の)柊自身にも向けられているのが笑いを誘います。

 ある程度独立した四つのエピソードが組み合わされた構成は、連作短編のようでもある一方で、しっかりと起承転結に対応しているという印象。特に、最初のエピソードで七花のタイムトラベル能力が紹介された後、SFではおなじみのタイムパラドックスという概念の提示、続いてタイムパラドックスの具体的な実体験、そして最後に過去と未来のあり方について一つの解釈が示されるという具合に、順次テーマが進んでいくのが面白いところで、その点で本書はタイムトラベルSF入門*2に打ってつけといえるでしょう。

 個々のエピソードの中ではやはり、限定品のケーキをマクガフィンにした壮絶なまでのドタバタ――何とかして過去を変える試みが描かれた「三時のおやつはどこにある?」や、柊と七花のある意味で意外な(?)未来の一端が明かされる「ウィンター・タイムマシン・ロックス」が印象的。また、前述のように後者のエピソードの中で示される“一つの解釈”が、意図的かどうかは定かではないものの、ある種の“トリック”によって成立している*3のが非常に興味深いところです。

 タイムトラベルものだけに、“現在”を中心としつつ“過去”や“未来”の一部が描かれるのはもちろんですが、語り手・柊の視点でそれら切り取られた“過去”や“未来”と“現在”とが対比されることで、時間の経過とともに形を変えていく柊と七花の関係――その描かれない部分までもが読者の頭にくっきりと浮かび上がるのがうまいところ。ミステリ色がほとんどないために少々物足りなく感じられるのも確かですが、それでも青春SFの佳作といっていいのではないでしょうか。

*1: このテーマについては、やはり『ミステリクロノ』シリーズからの派生というのが考えられるところで、つまりは“著者はかつて『ミステリクロノ』という時間を操作するSFミステリのシリーズを書いてまして、そちらは残念ながら3巻までで打ち切りとなってしまったみたいですが”「『七花、時跳び!―Time-Travel at the After School 』(久住四季/電撃文庫) - 三軒茶屋 別館」より)ということなのでしょうか。
*2: タイムトラベルSFにしては珍しくというべきか、主人公の柊が後先考えずに(?)いきなり“実験”を試みてしまうのも、タイムトラベルSFにあまりなじみのない読者に対する“入門書”としての狙いに基づくもののように思われます。
*3: 作中で示されている解釈(259頁6行~7行参照)は、(以下、一部伏せ字)“決まっている”出来事を知っている未来の『僕』に視点を変えれば成立しない(そうでなければ“僕”に対する指示も必要ない)わけで、語り手の“僕”に視点を限定することで“『変わった』かどうかがわからない”ことと“決まっている”ことを混同させるトリックによるものといえるでしょう。(ここまで)

2010.05.13読了  [久住四季]

丸太町ルヴォワール  円居 挽

ネタバレ感想 2009年発表 (講談社BOX)

[紹介]
 中学三年生の春休みに祖父殺しの嫌疑をかけられてしまった城坂論語。一旦はうやむやに葬り去られた事件だったが、それから三年を経て私的裁判〈双龍会〉に持ち出されることになり、論語は〈御贖〉――事件の被告として、検事役の〈黄龍師〉と弁護士役の〈青龍師〉とが丁々発止の応酬を繰り広げる“法廷”に臨む。自らの容疑を晴らすためではなく、事件当日に屋敷の一室で二人きり、スリリングで濃密な時間を過ごした正体不明の女性〈ルージュ〉と再会する、ただそれだけのために……。

[感想]
 京大ミステリ研出身の作者・円居挽のデビュー作で、それぞれに印象深い登場人物たちによるキャラクター小説風の味わいの中、祖父殺しの嫌疑をかけられた少年を被告とした逆転に次ぐ逆転の法廷劇を大きな見せ場としながらも、物語の主軸はあくまでも一風変わった“ボーイ・ミーツ・ガール”に置かれた、異色すぎるラブストーリーといったところでしょうか。

 物語はまず、主役である城坂論語が語っていく事件当日の出来事から始まりますが、その「第一章」だけでもかなりの満腹感が。そのほとんどが論語と〈ルージュ〉二人きりの会話に費やされているわけですが、気の利いた(ように思える)台詞の応酬を続けながら互いの状況を探り合い、意外な情報が明らかにされていく、ひたすら密度の濃い“対決”からは目が離せません。結局ここでの勝負は〈ルージュ〉に軍配が上がるわけですが、しかし論語は三年の雌伏を経て、〈ルージュ〉との再会の機会を求めて私的裁判〈双龍会〉に臨むことになります。

 その〈双龍会〉は、裁判の形をとった一種の伝統芸能であり、〈龍師〉にとって勝敗はもとより人気も重要となるため、大向こうをうならせる“決め台詞”や“決め技”といった外連が存分に盛り込まれているのが大きな特徴*1。そしてまた、真実の究明よりもむしろ“いかに相手を論破するか”に重きが置かれ、弁護側の〈青龍師〉も検察側の〈黄龍師〉も手段を選ばない――証拠のでっち上げまで含めて“何でもあり”――ところなど、一般的な法廷ものとは一線を画しています。

 〈青龍師〉と〈黄龍師〉が互いにトリックを仕掛け合い、また相手のトリックを暴き合う〈双龍会〉が、どちらかといえばコン・ゲームに近いものであるため、taipeimonochromeさんがご指摘のように*2、法廷での“どんでん返し”は本格ミステリ的なそれとは一味違ったものになっていますが、双方が窮地からの形勢逆転を繰り返してどちらに転ぶか予断を許さない勝負は、〈青龍〉側と〈黄龍〉側との個人的なライバル意識も絡んで実に魅力的です。

 とはいえ、コン・ゲーム風の展開ばかりでなく終盤の謎解きもしっかりしているのは確かなところで、特に“ある手がかり”の扱いとそこから引き出される解釈が秀逸です。そして殺人事件の真相解明の延長線上にある、〈ルージュ〉の正体をめぐる“どんでん返し”はまさに圧巻。またそれだけに、最後に用意されている静かで叙情的な結末の余韻が、一層際立っている感があります。少々不遜な表現かもしれませんが、読者をあの手この手で楽しませようという作者のサービス精神がうれしい傑作です。

*1: このあたりの過剰ともいえる外連味は、好みの分かれるところでもあるかもしれませんが……。
*2: “そうした何でもアリ的な前提があるゆえ、ここで展開されるどんでん返しの魅力は、本格ミステリの謎解きのそれというよりは、もっと別の何かのような気もしてくるわけで、――そうしたところからロートルの本格ミステリ読みが本作に一般的なイメージでのどんでん返しを期待するとちょっと違うんじゃないノ、という印象を抱いてしまうような気もします。”「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » 丸太町ルヴォワール / 円居 挽」より)

2010.05.22読了  [円居 挽]
【関連】 『烏丸ルヴォワール』 『今出川ルヴォワール』 『河原町ルヴォワール』

[映]アムリタ  野﨑まど

ネタバレ感想 2009年発表 (メディアワークス文庫 の1-1)

[紹介]
 “私の事を愛していますか?”――芸大の映画学科・役者コースの僕、二見遭一は、誘われて自主制作映画に参加することになった。監督をつとめるのは、天才と噂される一年生・最原最早{さいはらもはや}。彼女の描いた絵コンテを読み始めた二見はすぐさま引き込まれ、丸二日以上にわたってとりつかれたようにコンテを読み続けてしまった。監督兼相手役の最原さんは、対面してみると何ともつかみどころのない性格だったが、撮影担当の画素さんや音響担当の兼森さんとともに制作を進めていくうちに、二見は最原さんの“天才”に圧倒されていく。そして、ついに完成した映画『月の海』の試写が行われたのだが……。

[感想]
 第16回電撃小説大賞〈メディアワークス文庫賞〉を受賞した、作者のデビュー作。新設されたメディアワークス文庫のコンセプト*1に沿った、ライトノベルと一般文芸の中間的な作品――もう少し詳しくいえば、ライトノベルのスタイルを自覚的に利用した“メタ・ライトノベル”――であり、(雰囲気はだいぶ違うものの)すでに発表されている第2作『舞面真面とお面の女』と同様のライトノベル風ミステリといったところでしょうか。

 本書の主人公は役者志望の芸大生・二見遭一で、目次にも「絵コンテ」「撮影」「編集」「試写」……とあるように、映画制作の過程が物語の骨格となっています。完成に至るまでの作業は大まかに説明されているものの、あくまでも少人数のサークルによる自主制作だということもあって、作業はさしたるトラブルもなく比較的淡々と進んでいく印象。とはいえ、それぞれに映画好きなスタッフたちが愉快な掛け合いや時に熱い議論なども交えながら協力して一つの作品を作り上げていく様子は、やはり楽しそうではあります。

 そしてその中で力が注がれているのは、監督・最原最早の“天才”をいかに表現するか。頭の中にある完成形に向かって一直線に進んでいくような作業にも一端は表れているとはいえ、その“天才”を決定づける“凄い映画”*2そのものを直接読者に示すことができないのが苦しいところではありますが、絵コンテをはじめ完成途上の“素材”に対する受け手の“異常な”反応などを介して、常人には理解不能な凄さ間接的に読者に伝えようとする手法は、なかなか巧妙といえるのではないでしょうか*3

 映画制作の過程を描いた青春小説から、一転してミステリ/サスペンスの様相を呈していく中盤以降の展開もまた興味深いところ。何が“謎”なのかはいわぬが花でしょうが、そこには確かに“手がかり”があり、“推理”があり、そして“解決”があるといった具合に、堂々たるミステリの風格を漂わせています。さらには、ミステリの“あるテーマ”へとつながる強烈なサプライズまで用意されているのが秀逸。ややアンフェア気味ともいえますが、ライトノベルのスタイルをうまく利用することでネタを成立させている(節がある)のがうまいところです。

 当初の雰囲気からがらりと姿を変える物語は、あるいは好みの分かれるところかもしれませんが、やはりこのインパクトには一読の価値があるといえるでしょう。また、一見しただけでは手に取られにくいところがあるようにも思われますが、特にミステリファンにおすすめしたい作品です。

*1: 「メディアワークス文庫 - Wikipedia」などを参照。
*2: 作中ではある人物が、“天才監督はね、凄い映画を作る人だよ。過程なんてどうでもいい。フィルムが何よりも凄いんだ。どう凄いのか誰にも説明できない。だから誰にも真似できない。でも絶対的で凄絶で唯一で無二の映画。”(18頁~19頁)と“天才監督”を定義しています。
*3: このあたりの手法は、山田正紀『神狩り』における“神”の扱いなどにも通じるところがあるように思われ、興味深く感じられます。

 なお、本書に関しては、秋月耕太さんとtwitterを介して(ダイレクトメッセージを含めて)意見交換させていただきました。あらためて感謝いたします。

2010.05.26読了  [野﨑まど]

貴族探偵  麻耶雄嵩

ネタバレ感想 2010年発表 (集英社)

[紹介と感想]
 “どうしてこの私が推理などという面倒なことをしなければならないんだ。雑事は使用人に任せておけばいいんだよ”――使用人を従えて事件解決に臨む、さる由緒ある家柄の若者、人呼んで“貴族探偵”を主役とした連作短編集です。
 『名探偵 木更津悠也』などでも探偵役とワトソン役との関係に揺さぶりを加えていた麻耶雄嵩ですが、“『物語を終わらせる』のが探偵の使命、と云う考えを突き詰めた結果出来たのが貴族探偵。”*1ということで、推理/謎解きは“所有物”たる使用人にすべて任せてしまうという、一種の“彼岸”にまで達してしまった異色の探偵像には苦笑を禁じ得ません。
 とはいえ、ミステリとして非常によくできた作品集であるのは確かで、トリックよりもロジックに重きが置かれていることでさほど派手な印象はないものの、いかにも作者らしい凝った企みは間違いなく一読の価値があるでしょう。

「ウィーンの森の物語」
 山荘にて大きな取引を目前に控えた会社社長が、手首を切って自殺した――という状況を作り出すため、糸を使い鍵を被害者のポケットに戻して見事に密室を構成した犯人だったが、回収しようとした糸が途中で切れて現場に残ってしまうというアクシデントが発生する。その顛末は、果たしていかに……?
 密室を構成している最中に予期せぬアクシデントが発生する発端が実に効果的。自殺に見せかける計画が破綻したところまでが読者に知らされる結果、そこから先の展開はまったく予断を許さないものになっています。陳腐で扱いにくい密室トリックをいわば“踏み台”にして、面白い状況が作り出されているのが見事です*2

「トリッチ・トラッチ・ポルカ」
 頭と腕を切断された身元不明の女性の死体が発見されるが、やがてその頭と腕、さらに被害者の持ち物を河原に埋めるところを目撃された男が、容疑者として浮上する。だが、被害者に恐喝されていたという男には確固たるアリバイがあったのだ。何とかアリバイを崩そうとする刑事の前に現れたのは……。
 非常にユニークなトリックもさることながら、よく考えてみるとアリバイものとしてはかなり異例の構図となっているところ、そしてそれをしっかりと成立させているところに驚嘆させられます。「ウィーンの森の物語」の密室に続き、アリバイをひねくれた形で扱ってみた、といった感じの快作。

「こうもり」
 老舗旅館を訪れた女子大生の二人組・紀子と絵美は、そこで思いがけず人気作家の大杉道雄と堂島尚樹に出会った。大杉の妻とその妹夫妻ら一行と交流を深める二人だったが、ふとしたきっかけで彼らの間に横たわる愛憎を垣間見ることになってしまう。やがて事件が発生するが、その犯人は……?
 この作品にも使い古されたトリックが盛り込まれていますが、別のトリックを巧みに組み合わせることで新鮮な驚きが生み出されているのが非常に秀逸で、本書の中でもベストの作品といっていいように思います。

「加速度円舞曲」
 友人の急病で海外旅行が中止となり、向かった恋人の別荘には浮気相手が。さらに帰りの山道では、落石を避けようとして車がガードレールに衝突――散々な目に遭った美咲だったが、通りかかった貴族探偵の車に同乗し、石が落ちてきた別荘を訪ねてみると、担当している作家・厄神の死体が……。
 “泣きっ面に蜂”な導入部の果てに殺人事件が用意され、そこでは貴族探偵(の使用人)の存在が“渡りに舟”となり、謎解きは“風が吹けば桶屋が儲かる”――の逆というか。現在の“結果”から過去の“初期状態”を再現していく、怒濤のロジックが圧巻です。そして貴族探偵自身はいつものように“果報は寝て待て”。

「春の声」
 戦前は伯爵の位にあった桜川家では、当主の鷹亮が孫娘・弥生の婿候補に選んだ三人の男たちが、弥生の歓心を買おうと競っていた。弥生の相談役として滞在中の従姉妹・皐月に対して、鷹亮が招いた貴族探偵は婿候補を“三匹の子豚”にたとえてみせるが、やがて“狼”が現れたかのように……。
 最終話にきてついに、貴族探偵本来の居場所ともいえる上流階級の邸が舞台に。婿選びというアナクロニズムな状況から、ある種不条理な様相の事件に発展していくのが面白いところですが、これも鮮やかなロジックによる謎解きと、そこで示されるひねりを加えた真相が実に見事です。

*1: 「麻耶雄嵩読書会 に参加してきました - はてな使ったら負けだと思っている」より。
*2: ちなみに、この作品(初出は「小説すばる」2001年2月号)より後に発表された、北山猛邦「密室から黒猫を取り出す方法」『密室から黒猫を取り出す方法』収録)でも、同様の手法が採用されています。

2010.05.30読了  [麻耶雄嵩]
【関連】 『貴族探偵対女探偵』

悪魔パズル Puzzle for Fiends  パトリック・クェンティン

1946年発表 (水野 恵訳 論創海外ミステリ91)

[紹介]
 演劇プロデューサーのピーター・ダルースは、妻で女優のアイリスを空港で見送って帰宅する途中、強盗に襲われてしまう――目覚めてみるとそこは見知らぬ部屋で、記憶を喪失して自分が誰かもわからないまま、右腕と左脚をギプスで固定されてベッドに横たわっていた。やがて次々に現れた美女たち――“母”のマーサ、“妻”のセレナ、そして“妹”のマーニーに、ゴーディ・フレンドという自分の名前と二週間前に交通事故に遭ったことを教えられるが、どうも何かがおかしい。なぜ彼女たちは、自分に奇妙な詩を暗唱させようとするのか、そして自分を厳重に監視しているかのような気配を漂わせているのか……?

[感想]
 数年前に邦訳されて好評を博した『悪女パズル』に続く、ピーターとアイリスのダルース夫妻を探偵役とする〈パズル・シリーズ〉の第五作……ではあるものの、妻のアイリスは「プロローグ」「エピローグ」のごくわずかな出番しかない上に、単独で主役をつとめる夫のピーターは自身の記憶を、つまりは“ピーター・ダルースとしてのアイデンティティ”を失ったまま物語が進んでいくという、シリーズ中でも異色の作品といえます。

 「プロローグ」後の物語本篇は、記憶を失った主人公が目覚める場面から始まりますが、交通事故で手足を骨折しているという理由で、特に序盤は主人公がほとんどベッドに固定された状態。外部の様子がさっぱりわからないまま閉じ込められた“見知らぬ部屋”は、書き割りのようにどこか作り物めいた印象を与え、そこに次々と“家族”たちが訪れては妙に親切な態度で世話を焼く姿も、(主人公に向けた)芝居を見せられている感覚を強めています。

 実際のところ本書では、記憶喪失ものとしては珍しく“記憶を失った主人公が何者なのか”が最初から読者に明かされている*1ため、読者が知る事実と食い違う“家族”たちの振る舞いが芝居であることは明らか。結果として、主人公を捕らえようとする“罠”が読者にのみはっきり見えている*2ことで、記憶を失った主人公の不安を読者が共有するような記憶喪失ものの定番とは、一味違ったサスペンスに仕上がっているのが面白いところです。

 一方で、主人公を騙そうとする“家族”の狙い、ひいては主人公に見えないところも含めて“何が起こっているのか”が、読者にとっての最大の謎として物語を引っ張っていきます。記憶を失った主人公を惑わす“家族”――とりわけいずれをとっても魅力的な悪女たち*3は容易に企みの底を見せることなく、窮地から脱するべくわずかな手がかりをもとに企みを見抜こうとする主人公の奮闘は非常にスリリングで、作者の手腕が存分に発揮されている感があります。

 “パズル”という題名のイメージとは裏腹に、本格ミステリらしいしっかりした謎解きがみられないのは個人的に少々期待はずれですし、終盤までくるとある程度の部分が見えてくるためにサプライズもさほどではありませんが、ひねりを加えた展開の末に用意されている結末はなかなかのもの。そして、主人公――ピーター・ダルースがついに妻のアイリスと再会を果たす「エピローグ」の感慨の中に、何とも微妙な気配が潜ませてあるのが印象的です。

*1: 物語本篇の中では明示されていないものの、「プロローグ」からの流れをみれば明らかですし、本書の帯に至っては“記憶喪失のダルース監禁される”とはっきり記されています。
*2: “志村、後ろ、後ろー!”という感じです。
*3: 横井司氏による解説でも指摘されているように、“悪女パズル”という邦題は、前作『悪女パズル』『Puzzle for Wantons』)よりも本書の方にこそぴったりです。

2010.07.18読了  [パトリック・クェンティン]
【関連】 『迷走パズル』 『俳優パズル』 『人形パズル』 『悪女パズル』 『巡礼者パズル』 『死への疾走』 『女郎蜘蛛』