「貴族探偵」はいかに改造されたか?
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2017.10.03 by SAKATAM |
ドラマ「貴族探偵:第4話」と、原作「幣もとりあへず」(及び「白きを見れば」・「色に出でにけり」・「むべ山風を」)(いずれも『貴族探偵対女探偵』収録)のネタバレがありますので、未読・未視聴の方はご注意ください。 |
第4話 「幣もとりあへず」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
放送日:2017年5月8日 ○あらすじ
ライブ後に自殺したアイドル・有畑しずる。その原因となったらしい田名部優という人物を探してほしいと、しずるのファンたちが高徳愛香のもとに押しかけるが、復讐に力は貸せないと愛香は断る。その後、ファンたちと入れ違いで事務所を訪れた玉村依子の誘いに興味を惹かれ、愛香はパワースポットとして話題の温泉に行くことになった。 ○登場人物・舞台・事件の概要
原作での有畑しずるは女子大生ネットアイドル(?)で、物語中盤、“田名部優”の名前がきっかけで自殺のニュースを思い出した女探偵・高徳愛香が貴族探偵に話を振る形で、名前のみ登場しています。一方ドラマは、地下アイドル・有畑しずるがステージを終えた直後に飛び降り自殺するショッキングな場面から始まり、さらにしずるのファンが愛香に田名部優を探すように迫る一幕が続くことで、事件の背景となる事情が視聴者に伝わりやすくなるよう演出してあります。 原作では友人・平野紗知の付き添いとして浜梨館へ赴く愛香ですが、ドラマでは紗知がドラマ第1話「白きを見れば」と同じように、準レギュラーの玉村依子に変更されています。また“いづな様”の儀式のメンバーに、原作には存在しない“マル貴”の鼻形警部補が参加しているのが目を引くところで、孤立した舞台であっても複数のレギュラーによる安心感がありますし、警察関係者の存在としても大きいでしょう。 で、レギュラーといえば貴族探偵の使用人たちですが、前半は使用人不在という(ドラマとしては)異例の状況です。事件が発生してから駆けつけるのは原作も同様なのですが、常に三人揃って登場する使用人たちが一人も登場しないということで、原作の「なほあまりある」(『貴族探偵対女探偵』)に近いような印象を与えます(*2)。その状況にあって、どうにかして(!)籐椅子まで携えていち早く現場に駆けつけるシュピーゲルの活躍が見逃せません。また、恒例のメイド・田中による捜査情報のまとめ(*3)も、シュピーゲルが届けたタブレット端末を介して愛香らに伝えられます。 そして、原作では土砂崩れを乗り越えて現場にたどり着いた運転手・佐藤ですが、ドラマでは立石連山を(一日がかりのところを)4時間で走破して浜梨館に到着し、独力で吊り橋を引き上げて架け直す超人的な働きぶりをみせた後、そのまま原作と同じく“推理当番”をつとめて鮮やかに事件の謎を解くなど、今回の(影の?)主役といっても過言ではないでしょう。 *
原作の舞台となる浜梨館(の別館)は、表館と奥館が渡廊下で結ばれた構造で、儀式の参加者が奥館にとどまり、愛香と貴族探偵、女将が表館に戻ります。原作の表館がドラマでは本館、奥館が奥の間となっていますが、登場人物の配置や間の扉が施錠される点は同じです。浜梨館の来歴は原作でもドラマでも似たようなもので、近年“いづな様”の湯が乏しくなっているという設定も原作にあるのですが、ドラマではそれを巧みにふくらませて“偽の動機”を作り出してあるのがお見事です。 *
事件についてはまず、発見された死体の状態が原作とドラマで大きく異なっています。原作では入浴の順序の問題もあって、被害者の死体は浴場に隣接する小部屋に隠されていたのに対して、ドラマでは最後に入浴した被害者の死体は、湯船から脱衣所の方へ引きずられた姿で発見され、さらに脱衣所には被害者のスマホが落ちています。また、原作では被害者の髪に付いた飴煮が手がかりとなっていますが、ドラマでは飴煮の手がかりはなくなっています。 事件前後の状況は、前述の入浴の順序や具体的な時刻など、細かい部分で違いがあります。特にドラマでは、被害者の死亡推定時刻の間、鼻形が中心となって儀式の参加者たちが集まって歓談(?)していた(*4)ために、関係者の大半のアリバイが成立することになり、原作よりもだいぶシンプルな状況となっています。 さらに事件発生後、原作では豪雨による土砂崩れで本館と奥館が孤立しますが、ドラマでは浜梨館の側から人為的に吊り橋が落とされた上に、儀式の参加者たちの財布が盗まれる事件が発生しているのが大きな違いです。
*1: 文庫化に際して“田名部優紀”に変更されていますが、ここでは“田名部優”で統一しておきます。
*2: 予告などで“使用人不在”が大々的に打ち出されていたことを考えれば、「なほあまりある」のドラマ化(ドラマ第10・11話)で使用人が登場するよう改変されるのは、十分に予想できることだったのではないでしょうか。 *3: 余談ですが、捜査情報のまとめで使われている関係者の顔写真は、着ている服などからみて事件発生前後に現場で(例えば鼻形が)撮影したものではなく、別途入手されたもの……というのはいつもの通りなのですが、今回に限ってはこれではダメ。顔写真を入手できたということは、まず間違いなくトリックが露見しているはずだからで、そうするとまとめがこのようになることもあり得ません。やはりここは、メイド・田中による似顔絵の出番だったのではないでしょうか。 *4: メイド・田中のまとめによれば、大富豪あり、貴族探偵をめぐる喧嘩あり、さらに鼻形が三回も酒をこぼすなど、なかなか愉快な時間だったようです。 ○原作のトリックと解決
事件に関する主な出来事は、左のタイムテーブルのようになっています。入浴時間は別として、相部屋の下北香苗と平野紗知、そして金谷沢広成と有戸秀司は、それぞれトイレに行った時間以外はアリバイが成立します。 愛香はまず、浴場に入ってきた犯人を被害者が不審に思わなかったこと、そして“いづな様”が混浴を嫌うことから、犯人は被害者と同性の人物と推理し、さらに被害者の髪の毛に夕食時の飴煮が付着したままだったことから、被害者が入浴した直後の犯行と推理しています。しかし、そこで発見された電話のメモの筆跡から、愛香は被害者が12時から12時15分まで電話していたと推理し、それによってアリバイが成立する人物を除外します。そして奥館内部に容疑者がいなくなったことから、(奥館の鍵を持っている女将を共犯として)貴族探偵が“犯人”と指摘します。
「2」の最後に地の文で
〈犯人は被害者と同性〉という条件から また、タイムテーブルにしてみると一目瞭然ですが、赤川和美が〈入浴した直後の犯行〉であれば、赤川和美は11時過ぎに殺害されているはずで、犯行時刻から外れている12時から12時15分までの電話がアリバイを左右することも、またそもそも電話が被害者によるものだと判断されることも、本来ならばあり得ません。
そのあたりに気づかなかったとしても、運転手・佐藤の推理より先に読者が自力で真相に思い至るための(*6)最後の“ダメ押し”として、愛香の *
ということで原作には、(犯人ではない)登場人物による作中でのトリック〈名前の入れ替えトリック〉と、作中の人物が認識できない(“作者―読者”間の)メタレベルでのトリック〈叙述トリック+逆叙述トリック〉という、二種類のトリックが仕掛けられています。
なぜこのようなややこしいことをする必要があるのかといえば――麻耶雄嵩のことですから、トリックの可能性を模索した結果ということもあるでしょうが――作中の〈名前の入れ替えトリック〉が、読者に対してフェアに書くのが困難だからでしょう。
田名部優と赤川和美を、作中で名乗った嘘の名前で(特に三人称の(*10))地の文に表記すると、アンフェアの典型である“地の文の嘘”になってしまいますし、それを避けるために「1」のように そこで、地の文には堂々と正しい名前を記しながらも、作中の人物が二人の名前を取り違えて認識していることを隠蔽する〈逆叙述トリック〉が採用され、さらにそれを成立させるための補助的なトリックとして、二人の性別に関する〈叙述トリック〉が仕掛けられているのです(*11)。 *
さて、貴族探偵を“犯人”と指摘した愛香の推理に対して、運転手・佐藤の推理ではまず赤川和美と田名部優の名前の入れ替えが明かされ、その結果として電話の主が被害者ではないことが明らかになり、アリバイが崩れた有戸秀司が犯人という結論に至っています……が、推理の結論はいいとしても、その出発点として何の根拠もなしにいきなり名前の入れ替えを断言しているのが難点です。読者には地の文の記述で、“被害者が赤川和美である”ことが知らされているためにすんなり納得してしまいがちですが、作中の人物にとっては何も手がかりがないので、これを推理するのは不可能なはずです。 しいていえば、あくまでも“貴族探偵が犯人ではない”という前提に立つ限り、犯人不在の状況を打破するためには有戸秀司のアリバイを崩すよりほかないので、そこから電話のメモが被害者によるものではない――被害者は田名部優ではない(*12)、と仮定を進めることはできるでしょう。そうだとすれば、電話の時間帯(の少なくとも一部)にアリバイがある相部屋の四人は電話をかけることができないのですから、電話をかけることができた“赤川和美”こそが本物の田名部優である、という結論に至ることができます(*13)。もっとも、“貴族探偵犯人説”を否定する具体的な材料が何も見当たらない以上、佐藤が実際にこのような推理で名前の入れ替えに思い至ったとすれば、それは私情の産物といわざるを得ないので、それゆえに作者はその推理を作中に盛り込むことをあきらめた、ということかもしれません。 実際のところ、“偽物”を見抜くためには“本物”に関する予備知識が不可欠であるわけで、“有畑しずるの元恋人”という以外に本物の田名部優の個人情報が皆無に近い状態――これはトリックを成立させるためにやむを得ません――では、推理のための手がかりを用意するのがほぼ不可能なのは確かです(*14)。また、地の文で被害者の正しい名前が明かされているので、読者にとっては十分にフェアといってもいいでしょう。しかしそれでもなお、作中で真相を導き出すために存在すべき推理が欠落しているのは、何ともいただけないところです。
*5: その前にも
“女将が浴場に入るのは無理”という金谷沢広成の指摘があり、女性が除外されていることがわかります。 *6: ここで読者が“名前の入れ替え”に気づくことで、後に運転手・佐藤が暴露(推理ではない)する〈名前の入れ替えトリック〉を“既知の事実”として受け取りやすくなり、推理の欠如が気にならなくなる――という効果を狙ったものではないかと考えられます。 *7: この種のトリックを使った某作品が発表された2004年頃に、ネット上で誰かが命名していたような記憶がありますが、定かではありません。 *8: 愛香が動機を考慮せずに推理するスタイルのため、“田名部優”が殺害されたにもかかわらず、田名部優と有畑しずるの関係が説明されないところも巧妙です。 *9: これは読者からみても同様で、(男性であろうが女性であろうが)赤川和美と性別が逆の田名部優は早々に容疑者から外れるので、推理の中で名前が出ないことも不自然ではなくなっています。 *10: 語り手の主観を介した一人称であれば、地の文に“嘘”があっても作中人物の誤認なので、必ずしもアンフェアとはいえない……ように思いますが、これは意見の分かれるところかもしれません。 *11: 田名部優と赤川和美を同性にしておけば、性別の〈叙述トリック〉は不要になるのではないか、と考える向きもあるかもしれませんが、そうなると“赤川和美”(田名部優)が〈犯人は被害者と同性〉の条件に当てはまることになる上に、実際には電話をかけていたのでアリバイが成立せず、大本命の容疑者となるので、愛香の推理の中で名前を挙げざるを得なくなります。 *12: 電話のメモが、有戸秀司がアリバイ工作のために熨斗袋の筆跡をまねて書いた“偽の手がかり”であれば、被害者が本物の田名部優である可能性も否定できない――というところまで考えてみましたが、12時過ぎまで部屋にいた有戸秀司は電話をかけることができないので、“偽の手がかり”の可能性は否定できます。 *13: 下北香苗が証言している田名部優と赤川和美の関係も、傍証となり得るでしょう。 *14: 被害者が所持しているであろう身分証や、熨斗袋と比較できる筆跡が確認できるものがあれば、被害者の身元を特定することはもちろん可能ですが、それでは“推理”にならないので難しい――と、原作を読んだ時には考えていたのですが、まさかドラマであのような使い方をしてくるとは思いもよりませんでした。脱帽です。 ○事前に考えたトリックの改変案後述するように、小説の叙述トリックを忠実に映像化することは一般的に困難なので、ドラマ化の報を受けた時点で、この作品のトリックの映像化に向けた改変を検討してみました。 原作の叙述トリック/逆叙述トリックを忠実に再現しようとした場合、最も重要となるのは死体発見の場面で、作中では“田名部優(男)が殺された”とされるところを、視聴者には“赤川和美(女)が殺された”と思わせる必要があるのですから、[A.視聴者の目から死体の性別を隠す]と同時に、[B.被害者の正しい名前を視聴者だけに明かす]、そして[C.登場人物たちが被害者の名前を出さない]、ということになります。が、どれもそれぞれになかなか難しいところがあります。
そこで、少しは楽になるように考えてみたのが、視聴者には二人の名前と性別を正しく知らせて――田名部優紀(女)と赤川和美(男)であることを明かしておいて、事件発生時には上の[A.]と同じやり方で、赤川和美(男)が殺されたのを、視聴者には〈田名部優紀(女)が殺された〉と見せかける、というトリックです。これならば、上の[B.]と[C.]が不要になる――というよりもむしろ、登場人物たちが“田名部優が殺された”と明言することで視聴者の誤認を補強することができるので、あとは[A.]だけを何とかすればいいことになります。 冒頭では、田名部優と赤川和美が浜梨館に到着する前に、熨斗袋を映して二人の名前を視聴者に示しておいて、二人が遅れて宿に向かう場面の映像でそれぞれ正しい名前のテロップを出し、到着後の自己紹介はカットしていきなり夕食の場面にすれば、事件発生まではおおよそ何とかなりそうにも思います。難しいのは事件発生以降で、運転手・佐藤が名前の入れ替えを明かすまでは、映像で田名部優(女)の存在/赤川和美(男)の不在を徹底して隠しておかなければならないので、事情聴取や愛香による推理の最中は田名部優(女)が映らないようにするのはもちろんのこと、むやみに他の容疑者たちを映して“一人(赤川和美(男))足りない”ことに気づかれたりしないように注意が必要でしょう。 ……というようなことをドラマ放映開始前に考えていたのですが、ドラマ第1話「白きを見れば」を視聴してみると、メイド・田中による捜査情報のまとめが便利に使えることに気づきました。すなわち、事件後の事情聴取を大幅に省略できる上に、顔写真の代わりに田中の下手すぎる似顔絵(失礼)を使えば(*16)、田名部優と赤川和美の容貌がどちらとも判別できないようにごまかせるのではないかと。 もちろん、細かいところで大幅な改変が必要になりますし、死体発見の場面の映像はやはり苦しいところがあるのですが、大筋ではそれなりにうまくいきそうな案ではないかと(今でも)思います。
*15: 被害者の名前だけではいくら何でもおかしいので、事件の経過の一つとしてテロップを出す方がごまかしやすいでしょう。
*16: 前述のように、顔写真が入手できた時点で名前の入れ替えが露見する――田名部優の顔写真として見つかるのは、“田名部優を名乗った男(赤川和美)”ではなく“赤川和美を名乗った女(田名部優)”の写真になる――はずなので、今回のまとめでは関係者の顔写真は使えない、と考えていました。 ○ドラマのトリックと解決ドラマ第3話放映終了後の第4話の予告では、はっきり男性とわかる死体が映されていたので、ドラマでは叙述トリック/逆叙述トリックが再現されない可能性が高くなりましたが、もしかすると使用人たちによる再現ビデオからの抜粋ではないか、とも疑っていました(苦笑)。 実際に第4話が始まってみると、“赤川和美”と名乗る女性と“田名部優”と名乗る男性が、それぞれ名前と年齢のテロップ付き(これについては後述)で登場し、さらに死体発見の場面では、被害者が“田名部優と名乗った男性”であることが視聴者にもはっきりと示されます。この時点で、視聴者と登場人物との間に認識のずれはなく、原作の叙述トリック/逆叙述トリックを放棄して“そのまま”映像化――視聴者の得られる情報は登場人物(愛香ら)と同じ――する手法が採用されたことがわかります。 そもそも叙述トリックとは、受け手(読者/視聴者)に伝えられる情報を制限することで、先入観に基づく誤認を生じるトリックといえます。しかるに、小説に比べると映像で伝えられる情報量は格段に多いため、映像と叙述トリックは根本的に相性が悪いといっても過言ではない(*17)わけで、前述のトリック改変案でも[A.視聴者の目から死体の性別を隠す]部分などに、映像において不都合な情報を制限することの難しさが表れているのではないでしょうか。 もちろん、映像での叙述トリックが不可能というわけではない、というのはいくつかの例を考えてみれば明らかですが、映像には映像向きの叙述トリック――典型的には、このドラマ「貴族探偵」での愛香の師匠・喜多見切子の登場(過去エピソードの第7話以外)のような例――があるのは確かでしょう。そう考えると、小説の叙述トリックで映像に向かないものを、無理にそのまま映像に置き換えようとするのは効果的ではない、ととらえるべきかもしれません。 ということで、映像での叙述トリックの困難性を念頭に置くと、ドラマの内容は無理のない映像化で妥当といってもいいでしょう。ただしこの場合、“被害者が赤川和美である”という正しい情報が読者に与えられる原作と違って、視聴者が“名前の入れ替え”を推理するための手がかりが不十分となり、真相を受け入れがたくなってしまう恐れがあるのですが、その部分にもしっかりと配慮を――というよりも、原作以上に推理に力を入れた改変が施されているのが秀逸です。 *
原作の飴煮の手がかり、ひいては〈入浴直後の犯行〉という条件はありませんが、愛香が〈犯人は被害者と同性〉という条件を挙げるのは原作と同様。ここで、ドラマでは叙述トリック/逆叙述トリックが仕掛けられていないので、男性でトイレに行った有戸秀司が容疑者とはっきり名指しされることになりますが、電話のメモによって有戸秀司のアリバイも成立。そしてクローズドサークル内に犯人が不在となった結果、愛香が奥の間の外に犯人を求め、鍵を持っている女将(浜梨久仁子)に着目するところまで、原作とほぼ同じになっています。しかしここから先の推理に、原作とドラマの愛香の探偵としての違いがはっきり表れているように思います。 ドラマでの愛香の推理では、鍵を持っている女将・浜梨久仁子が“犯人”で、儀式で温泉の水を飲んで“偽物”と気づいた温泉マニアの被害者に恐喝されたための犯行とされています。内側から鍵を開けて外に出た被害者を殺害した後、誰もが寝静まった後に奥の間の浴室へ死体を運び込んだものの、死後硬直で不自然な姿勢になったために浴室から引きずり出し、“いづな様”のたたりに見せかけた――というのは、いささか苦しいところもないではないですが、被害者が最後に入浴するよう変更されたことがうまく生かされていますし、何より原作にもある設定から“偽の動機”を作り出してあるのが巧妙。そしてその動機の扱いこそが、原作の愛香との大きな違いです。 原作『貴族探偵対女探偵』では、(最終話「なほあまりある」を除いて)毎回貴族探偵を“犯人”とする趣向ゆえに、愛香は“消去法一本槍”で動機などは度外視した推理を展開していますが、それに対してドラマでは、消去法の後で動機にも言及しているドラマ第1話「白きを見れば」を皮切りに、ドラマ第2話「加速度円舞曲」とドラマ第3話「トリッチ・トラッチ・ポルカ」でも動機を考慮して推理しているところが、原作と大きく異なっています。これは、ミステリマニアではない一般の視聴者を意識した部分もあるように思いますが、特にドラマ第3話は(原作「トリッチ・トラッチ・ポルカ」からして)容疑者が限定されていないため、そもそも消去法が使えない状況にあるわけで、そこに愛香を登場させるためには“消去法一本槍”では無理、ということでしょう。 この第4話でも、原作であくまでも動機を度外視して(*18)、〈犯人は被害者と同性〉の条件と奥館に入る手段から“貴族探偵と女将の共犯説”をひねり出した(*19)のに対して、愛香は(明言されていないものの、おそらくは)動機がないことで貴族探偵を容疑者から除外すると同時に、被害者の温泉調査ノートから動機を組み立てて“女将単独犯説”に確信を抱いています。かくして、愛香の指摘する“犯人”が原作から変更されることになっていますが、原作『貴族探偵対女探偵』での“愛香が毎回貴族探偵を“犯人”と推理する”趣向はすでにドラマ第2話と第3話で没になっていることもありますし、原作既読者も納得しやすい改変ではないでしょうか。 さて、愛香が“犯人”と指摘した浜梨久仁子ですが、死亡推定時刻に酒席をともにしていた貴族探偵が証人となってアリバイが成立する、シンプルで鮮やかな大逆転が用意されています(*20)。原作では、運転手・佐藤による解決の手順をみてもわかるように、地の文の記述以外に愛香の推理を否定できる材料がなかったわけですが、ドラマでは愛香の推理が“女将単独犯説”に改変されたことで、貴族探偵と女将とのアヴァンチュール(?)によるアリバイが成立している――“貴族探偵と女将の共犯説”のままでは、“共犯”同士のアリバイは認められない――ところがよくできています。 *
愛香の推理が否定されたところで、ついに使用人たちが浜梨館に到着し、運転手・佐藤が満を持して“赤川和美”と“田名部優”の入れ替わりを指摘することになる……のですが、その前に。お気づきになった方も多いかもしれませんが、愛香が推理の途中で広げて見せた被害者の温泉調査ノートの文字が、よく見ると田名部優の熨斗と筆跡が違う(下の画像を参照;特に“名”の字がわかりやすいでしょう)ので、そこから被害者が田名部優ではないことがわかります。 (画像はタリホーさんのツイートより;クリックで拡大できます) しかし、“赤川和美”の連絡先を手帳に書かせた〈御前ヒント〉や、ノートがこれ見よがしにアップで映されたことなどからみて、明らかに意図的に用意されたものであるにもかかわらず、愛香が不注意にも筆跡の違いに気づかなかったのはいいとして(?)、運転手・佐藤の推理でもそれにまったく言及されないという、少々意外な扱いとなっています。が、よくよく考えてみると、使用人たちが熨斗とノートの筆跡を目にする機会はなさそう(*21)ですし、推理の手順が煩雑になるのを避けるという理由もあるかもしれません。 何より、ドラマの中で完全にスルーされる結果として、視聴者のみに向けた手がかりとなっているのが注目すべきところで、読者のみが知り得る地の文の記述を手がかりとした原作へのオマージュ、ということになるのではないでしょうか。 *
サルーンに舞台を移して始まる運転手・佐藤の推理は、愛香の“予言”通り有畑しずるの熱狂的ファンによる犯行という見立てから、原作にない“引きずられた死体の謎”へと進み、脱衣所に落ちていた被害者のスマホと組み合わせて、“犯人が何をしたのか?”が解き明かされていくのが見どころ。被害者のスマホに有畑しずるの写真があると考えた犯人が、スマホのロックを指紋認証で解除するために、入浴でふやけた指をドライヤーで乾かそうとして死体を脱衣所まで引きずった――という推理は、一点を除いて十分に辻褄の合うもので、なかなかよくできています。
そして問題の一点、すなわち“犯人がスマホを持ち去らなかったのはなぜか?”という疑問から、そこに有畑しずるの写真がなかった――被害者は、有畑しずるの元恋人である田名部優ではない、と結論づけるところが実に鮮やか。先の「○原作のトリックと解決」では、 さらに、これまた原作にない財布盗難事件――本物の田名部優による身分証の盗難事件を追加することで、名前の入れ替えという推理を補強してあるのが周到です。これについては、原作では事件発覚後さほど間を置かずに愛香が推理を始めるのに対して、ドラマでは警察が現場近くまでやってくるほどの時間がたっている上に、現場に警察関係者(鼻形)がいるのですから、いずれ被害者の遺留品が調べられるのは必至。加えて、原作と違って浜梨館に人為的に閉じ込められたことで、本物の田名部優が犯人の悪意を恐れ、何とも身元を隠蔽しようと焦るのも当然といえるでしょう。 ただし厳密にいえば、ドラマでは(上のタイムテーブルでもおわかりのように)有戸秀司も電話の時間帯の全体でアリバイがなく、電話をかけた人物であり得る一方で、原作と違って混浴がはっきりと禁止されてはいない(はず)ために、“赤川和美”を名乗る女性が犯人でないとはいいきれない(*22)のですから、(“赤川和美”こと田名部優本人に確認するまでは)田名部優が有戸秀司と名前を入れ替えていた可能性も微妙に残ります。 *
吊り橋を落としたのは犯人・有戸秀司ではなく、下北香苗の仕業だったわけですが、浜梨館の孤立が発覚した直後に
*17: (小説に比べると)大量の情報の中にトリックに関わる情報を潜ませる、という手法もあり得ますが、トリックがあまり細かくなってしまうと、“(メタ視点からでなければ)作中でトリックの説明ができない”という叙述トリックの特性と、(特にテレビ放映では)小説と違って“立ち止まって考える余裕が確保しづらい”という映像の特性との組み合わせで、視聴者が何だかよくわからないまま終わってしまう恐れが出てきます。
*18: まあ、貴族探偵が密かに有畑しずるの熱烈なファンだった可能性も、皆無ではありませんが……。 *19: もう一つ、原作での “複数犯か……(中略)彼女にいつもいつも抜けていた苦い視点だった。”や “今まで、共犯を考えていなかったために、愛香は失敗してきた。しかし、今共犯の可能性を正しく考慮することによって真実に到達することが出来た”といった独白に表れているように、原作『貴族探偵対女探偵』では「白きを見れば」(殺人を計画した“犯人”と、それを返り討ちにした犯人)・「色に出でにけり」(共犯)・「むべ山風を」(犯人と、犯人の偽装に手を加えた事後共犯(?))と、それまでの事件ではいずれも犯行に複数の人物が関わっていたという共通点があり、それを見抜くことができずに貴族探偵に敗北してきた愛香が、“貴族探偵と女将の共犯説”に安直に(?)飛びついてしまった、ということもあるでしょう。 *20: 釈由美子演じる女将・浜梨久仁子が、それまでは(失礼ながら)“狂信的であぶない人”にしか見えなかったのが、 “ですよねえ、貴族さま”という一言とともに一転して妖艶な表情を見せているあたり、さすがというよりほかありません。 *21: 捜査情報は(間接的に?)使用人(特にメイド・田中)のもとに届いているはずですが、熨斗に書いた名前が捜査情報として扱われるとは考えにくいものがあります。 *22: 運転手・佐藤の推理の中では、本人に確認して“赤川和美”が本物の田名部優であることが確定した後で、“自分の影武者を殺す必要がない”という理由で否定されていることにご注意ください。 ○テロップは地の文なのか?
ところで、ドラマでは毎回、登場人物の初登場時に名前と年齢がテロップで表示されていますが、第4話では田名部優(女)に 小説における三人称の地の文は、作中の人物が把握し得ない“(登場人物にとっての)メタ情報”であって、作中の人物を介することなく作者から読者へ直接伝えられるがゆえに、ミステリでは読者が作中の謎を推理するための基盤となります。そのため、そこに“嘘”――真相ないしそれにつながる手がかりと矛盾する記述がある場合、整合しない複数の情報のいずれが正しいのか決定できず、読者が推理不可能となるのでアンフェア、ということになるでしょう。 一方、映像には“地の文”などはありませんが、作中の登場人物が介在しない“メタ情報”としては、(登場人物とは別の語り手(*23)による)ナレーションと、画面に表示されるテロップがあります。このうち、ナレーションは小説での三人称の地の文とほぼ同等と考えても差し支えなさそうですが、テロップには単純に台詞の文字表記のような機能もある(*24)わけですから、直ちに地の文と同一視するのはいささか短絡的ともいえるのではないかと思われます。 実際にドラマ第4話での名前のテロップは、登場人物の名乗りと同時に表示されているので、自己申告した名前をそのまま表示したものとも解釈できるのは間違いないでしょう。そしてそのような解釈を採用すれば、作中で運転手・佐藤が推理しているような手順で、“被害者が田名部優ではない”ことを視聴者も推理可能――さらに、前述した熨斗とノートの筆跡の違いを手がかりに見抜くことも可能――なのですから、テロップが視聴者による真相解明の妨げにはならない、すなわちアンフェアとはいえないということになるのではないでしょうか(*25)。 また、見方を変えてみればこれは、テロップを“地の文”(=絶対的な真実)と思わせることで成立する、映像ならではの叙述トリックの一種といえるのかもしれません。
*23: ドラマ第3話「トリッチ・トラッチ・ポルカ」冒頭の愛香による事件の説明などは、三人称ではなく一人称、。
*24: 実のところ、小説でも(通常は“お約束”として処理されている感があるものの)台詞の(漢字)表記は三人称の地の文と同様の“メタ情報”である――というのは、ほかならぬ『貴族探偵対女探偵』に収録されている「色に出でにけり」終盤の、 “礼人様は旧字で書くと禮人となります。”という台詞にも表れていると思います(音読してみるとわかりやすいのではないでしょうか)。 *25:(2017.10.04追記)大事なことを書くのを忘れていましたが、もし私がスタッフであれば、よりフェアに近づけるために今回の紹介テロップから年齢の表示をはずしておきます。その方が、“あくまでも自己申告した名前の文字表記だけ”と受け取ってもらいやすいのではないかと。そして、原作未読の視聴者が第3話までとの違いに気づいたとしても、“年齢を隠す必要があったのでは?”という方向にミスリードされることになるのではないでしょうか。 ○まとめ“映像化が困難な(逆)叙述トリックをどのように処理するのか”が注目されたエピソードですが、(逆)叙述トリックを捨てて無難な映像化……かと思いきや、その代わりに原作で弱点となっていた推理の部分に注力されているのが圧巻。特に原作既読者からすると意見の分かれるところもあるでしょうが、個人的には放映前からかなり色々と考えていた(という自負がある)だけに、予想していなかった方向で、なおかつ事前の想定を軽々と超越してきた改変には、大満足というよりほかありません。 (逆)叙述トリックが放棄されているにもかかわらず、原作の仕掛けへのオマージュ的なものまで見受けられるのがまたすごいところで、スタッフの原作愛(?)と全力投球に敬礼。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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