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  4. グラスバードは還らない

グラスバードは還らない/市川憂人

2018年発表 (東京創元社)

 『ジェリーフィッシュは凍らない』『ブルーローズは眠らない』では、成功した“新技術”が描かれていましたが、本書では「グラスバード」の冒頭から屈折率可変型ガラスの“失敗”*1に言及され、有望そうに思えた透過率可変型ガラスの方も、冒頭のサンプルや《牢獄》で用いられていたものが“フェイク”――液晶パネルだったという“オチ”に意表を突かれました。現代の知識からすると、液晶の方が簡単に実現できそうに思えるのは確かですし、セシリアが液晶を研究していることもさらりと明かされていた(20頁~21頁)のですが……。

 “透過率可変型”の真相が、《牢獄》内の極限状況でセシリアとイアンの間にさらなる緊張感を生み出しているのもさることながら、透過率可変型ガラスから撤退する要因として、無理な製造条件による爆発事故が用意され、それが事件の動機につながっているのが目を引きます。このように、本書は前二作と対照的に、技術開発の“影”の部分も含めた“新技術の失敗”に焦点が当てられた作品となっている……かと思わせておいて、最後に“成功例”として“光学迷彩布”(布状の屈折率制御ガラス)が飛び出してくるのが鮮やか。

 これを用いた文字通りの“見えない人”トリックそれ自体は、未知のガジェットの機能をそのまま使ったにすぎない上に、類似の前例がある*2こともあって、あまり面白味があるとはいえませんが、決してメインのトリックではありませんし、セシリアが殺される直前の“何もない空間の片隅に、セシリアは赤いもの(注:血に濡れた凶器)(206頁)といった描写で、“見えない人”の存在は(読み返してみると)かなり露骨に示唆されているので、序盤の“サンプルといえば、『ブランケット』の件は”(27頁)*3という台詞に始まる記述や、“ビニールに包んだ透明な粘土の塊のようなもの”(249頁)という証言なども併せて、読者にはある程度予想できるように書かれているようにも思われます*4

*1: 一応、《牢獄》で“隠し部屋”を作るために使われています(190頁~194頁)が……。
 ちなみに、人間ではなく希少生物相手だとすれば、ヒューがわざわざ秘密の観察地点”(194頁)を作る必要はなさそうなので、作者の都合だけの設備になってしまっている感があります。
*2: ヒューの立場からすると、“ブランケット”とまでぼかす必要があるかといえばやや疑問で、“マント”や“クローク”のような用途を含めたネーミングを採用しそうな気もします(それだけで機能が明らかになるわけではないですし)。
*3: 国内作家(作家名)歌野晶午(ここまで)の短編(作品名)「本当に見えない男」(『密室殺人ゲーム・マニアックス』収録)(ここまで)
*4: しかし、作中の捜査陣にとっては“透明な粘土の塊”しか手がかりがないので、そこから“光学迷彩布”に到達するのは非常に困難だと考えられますし、そもそも《牢獄》内での事態の進行を知っている読者と違って、捜査陣には解くべき謎がない――作中では、ヴィクターの“旧邸宅で『硝子鳥』はどこに身を隠した?”(304頁)という質問から謎解きが始まっていますが、狭い一室ではなく広い《牢獄》で、ガラスの壁が一時透明化されたことも知らないわけですから、“どこかに隠れていた”で済む話でしょう――ことになります。

* * *

 本書で描き出された鮮やかな現象を支えている一つが、“硝子鳥{グラスバード}”の正体に関するトリック、すなわち人間を鳥に見せかける叙述トリックです。拙文「叙述トリック分類#[A-2-4](動物)種の誤認」にも書いたように、人間を人間以外の生物だと誤認させるトリックはあまり例がないので、それだけでも記憶に残る一作といっていいかもしれません。ただし本書の場合、トリックのための“硝子鳥”の描写が、少々行き過ぎている感があります。

 「インタールード」のチャックの手記(76頁~82頁)は、その性質上、真相を伏せる――というよりもむしろ、積極的に虚偽の記述をする必要があるわけですから、例えば“透き通るような羽毛、瑞々しい嘴”(77頁)など、事実に反する(と思われる)記述をしてもまったく問題はありません。しかし、手記ではないチャックの内面描写(44頁)、さらにセシリアの内面描写(94頁~95頁)には、いささか問題があるように思われます。

 歌うような美しい囀りが、チャックの耳に流れ込む。
 ――鳥?
 (中略)ガラスの向こう側の彼女を照らし出した。

 止まり木に食い込んだ爪。
 艶やかな青黒色の羽根。
 鋭く突き出された真紅の口の端。
 宝玉のように透き通った眼球。

 チャックがこれまで見たことのない、最も美しい生物がそこにいた。

「硝子鳥{グラスバード}だよ」(後略)
  (44頁)

 チャックの場合、ローナに各種の動植物を見せられた直後なので、そのまま“ヒューが飼育している動物の一種”という先入観が事前にあってもおかしくはないかもしれませんが、“彼女”が人間であることを念頭に置いてみると、その姿を目にして“爪”→“羽根”→“口”→“眼球”という順序で意識するのは不自然に感じられますし、“止まり木”が何を指しているのかも気になるところです。

 鳴き声が聞こえた。――高く澄み渡る、歌うような美しい鳴き声。
 青い羽根が軽やかに風を切り、(中略)彼女が高く宙を舞い、チャックの肩にふわりと摑まった。
 ――鳥?
 (中略)
 宝玉と見まがう赤い眼球。漆黒とコバルトブルーのグラデーションに彩られた羽根。透き通るほどに鮮やかな毛は、わずかの濁りもないガラス細工のようだ。
 今は鋭い爪をチャックの肩に食い込ませ、彼の頬を口でつついている。(後略)
  (94頁)

 こちらは、チャックと違ってまったく予備知識がない状態で“硝子鳥”を初めて目にしたセシリアの視点での描写ですが、“高く宙を舞い(中略)摑まった。”は人間業とは考えにくい表現ですし、(“鳴き声”だけならともかく)実際に姿を見てから“――鳥?。”というのはさすがに無理があるでしょう。さらに、客観的には人間同士のキスにしか見えないはずの行為を、“彼の頬を口でつついている”と表現してあるのもいただけません*5

 前述のように、このトリックは全体を支える不可欠なもので、できるだけ見抜かれたくない気持ちはわからなくもないのですが、ここまでやる必要があったかといえば疑問です。アンフェアとまではいえないかもしれませんが、登場人物の思考が作者の都合に従って不自然なものになっている、気持ち悪さが残ります。

*5: キスを知らない幼い子供の視点であればまた別ですが。

* * *

 さて本書では、「グラスバード」「タワー」の双方で“犯人不在”の状況が作り出されているのが見どころですが、「グラスバード」では“進行中”、「タワー」では“事後”ということで、それぞれまったく別のトリックが使われているのが面白いところです。

*

 まず「グラスバード」の方では、最終的に〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉*6に仕立てて「タワー」の状況につなげるために、“三段構え”の仕掛けが用意され、徹底的に“犯人不在”の状況を演出してあります。

[1]叙述トリック
 前述の“硝子鳥”(エルヤ)を鳥に見せかける叙述トリックによって、《牢獄》内に人間は五人しかいないように思わされ、容疑者としてのエルヤの存在が隠されています*7
 〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉では特に効果的なトリックで、実際に類似の前例もあるのですが、本書ではメインではなく仕掛けの一つとして扱われているのが異色です。

[2]“見えない人”トリック
 前述の屈折率制御ガラスによる“見えない人”トリックで、犯人の姿を隠しながら、“最後の一人”であるはずのセシリアが殺される場面がしっかり描かれ、最後が“犯人の自殺”ではないことが示されています。
 ……これは実際のところ、姿の見えない“六人目”の存在を浮かび上がらせてしまうことになるので、[1]の叙述トリックとバッティングしているのですが、そちらが前述のように少々あざとすぎるので、むしろ叙述トリックを見抜くための手がかりとして機能している、といってもいいかもしれません。

[3]動機の不在
 容疑者の大本命であるパメラが早々に殺された後は、動機のありそうな人物が見当たらなくなり、“容疑者不在”の状況が作り出されています。特に、[1]の叙述トリックが読者に見抜かれたとしても、最後に残ったはずのエルヤの動機が見えない――とりわけチャックを殺したとは考えにくいため、不可解な謎となっているのが巧妙です。
 とはいえ、一度ならず二度の返り討ち(?)はさすがにご都合主義に感じられますし、後述するようにセシリアの動機には難があります。

 これらの仕掛けに対して、「グラスバード」での展開を知らないマリアとしては致し方ないのですが、謎解きが怪しくなっているのが難点。

 まず[1]に関連して、マリアは“硝子鳥”(エルヤ)が《牢獄》内にいたことを前提としていますが、根拠が“イアンたちのものでない指紋が見つかった”(307頁)だけでは弱いように思われます*8。もちろん、“五人が殺された”ことからすれば、“六人目がいた”とするのは妥当ですが、それが“硝子鳥”(エルヤ)かどうかは定かでないはず。

 [2]については前述のように、外部の捜査陣にとっては本来解くべき謎がないわけで、「グラスバード」での展開を知る読者だけに向けた“余分な謎解き”になっている、といわざるを得ません。どちらかといえば、《牢獄》から脱出した“硝子鳥”(エルヤ)が“今どこにいるのか?”というところから出発して、ヴィクターのそばにいる“見えない人”にたどり着く方が、捜査としては自然な流れではないかと思われます。

 そして[3]が最大の問題で、トラヴィスだけが何度も刺されていたことで、最初にトラヴィスが殺され、次にパメラが返り討ちに遭ったことまでは“外部”から確定できるとしても、そこから先が“見てきたような”推理(?)になっているのが苦しいところ。まず、エルヤの存在を考慮すれば、パメラを返り討ちにしたのはチャックである蓋然性が高いといえるかもしれませんが、イアンとセシリアの組み合わせであってもおかしくはないでしょう。次に、実際にチャックがパメラを殺したとしても、それが正当防衛であることを考えれば、さらにイアンとセシリアを手にかけようとまでするのは、いくら何でもおかしいのではないでしょうか*9

 極め付けはセシリアの犯行に関する謎解きで、“チャックより早く凶器を手に入れ”た上に“物陰から刺した”(313頁)のであれば、“返り討ち”もへったくれもなく明確に殺意があったとしか考えられないのですが、マリアの謎解きではセシリアがそこまでする動機がよくわかりません。しいていえば、マリアが言及している(312頁)ように“透過率可変型”に関するチャックの嘘を見抜き、チャックが犯人だと判断して先手を打った、ということになるのかもしれませんが……。

 ちなみに、ここでマリアがチャックの嘘に言及していることには、一つ大きな問題があります。“透過率可変型”が液晶を用いたものであることは捜査で判明するかもしれませんし、そうなれば液晶を専門とするセシリアの関与も明らかですが、しかしイアンが真相を知らないことまではわからない可能性が高いでしょう。しかるに、“透過率可変型”に関するチャックの嘘が“嘘”として通用するのは、その場に真相を知らない人物がいる場合のみですから、マリアの発言は「グラスバード」の内容を知っていたかのようなものになってしまっています。

 実際のところ、セシリアがチャックを殺した動機は、“透過率可変型”の真相をイアンに知られないための口封じというのが、最も妥当ではないかと考えられます。ただしこれは、上で述べたようにイアンが真相を知らないことを知っていなければ――「グラスバード」の内容を知らなければ解明できないので、マリアがそこまで踏み込めずに歯切れの悪い解決になっているのも、やむを得ないところかもしれません*10

*6: 『ジェリーフィッシュは凍らない』の感想を参照。
*7: その意味で、人物を隠匿する叙述トリックともいえます(→拙文「叙述トリック分類#[A-3]人物の隠匿」を参照)。
*8: 事件以前には他に誰も《牢獄》に入ったことがなかった、とは考えにくいものがありますし、事件直前に《牢獄》全体の指紋がきれいに拭き取られた、という可能性も低いのではないでしょうか。
 また、ヴィクターとパメラの立場からすると、エルヤを旧邸宅に連れて行くまではいいとしても、事件に巻き込まれるおそれのある《牢獄》に入れるのは避けたいところでしょう。作中では、“万一誰かが忍び込んで彼女を見つけたり、彼女が逃げ出したりする可能性を考えたら、地上に置き去りにするより目の届く範囲に置いておく方が安心だった。”(307頁~308頁)とされていますが、この時点でヴィクターがフリーになっているはず(タワーの爆破は翌日)なので、一刻も早くエルヤを迎えに行くのがベスト――と考えると、エルヤが《牢獄》に入れられたとする推測は、あまり合理的でないように思います。
*9: これについては、マリアが最終的に“チャックはパメラを殺した後、誰も殺さなかった。”(312頁)どころか、(セシリアに先んじられるまで)凶器を手に入れようとしなかったとしているあたり、作者も無理を承知している節があります。にもかかわらず、あえてチャックの殺意に言及しているのは、二度目の返り討ちという構図を持ち出すことで、動機が怪しいセシリアの犯行を補強するためではないかと考えられます。
*10: むしろ作者としては、これまた無理を承知でマリアが知り得ないチャックの嘘に言及させることで、作中で解明できないセシリアの動機を読者に暗示する狙いがあったのかもしれません。

*

 一方の「タワー」では、事後的な“犯人不在”の状況――すなわち、現場への侵入・脱出が不可能という状況が作り出されていますが、これは【経路】(エレベータと階段の監視/ジェリーフィッシュは【機会】の問題で不可)と【機会】(トラヴィスの電話や、マリアが死亡直後の被害者を発見したことなどによる、犯行時刻の限定)の両面にわたっています。さらに、「グラスバード」の側での日時が明示された状態で描かれた事件の進行が、後者の問題を補強しているのはいうまでもないでしょう。

 この不可能状況を一気に打破する、“硝子鳥”を被害者たちの身代わりにして事件自体をすり替えるトリックが非常に秀逸。事件のすり替えによってアリバイまたは密室を偽装した前例はあります*11が、本書では【経路】と【機会】の問題を一度に解決するという意味で、アリバイと密室の両方にまたがるようなトリックとなっているのがお見事です。しかも、前例に比べて被害者/身代わりの人数が多いことがネックとなる*12ところ、叙述トリックで隠した身代わりをあらかじめ用意しておくという手法が巧妙です。

 また、予期せぬローラの凶行を受けた犯人の計画変更も効果的で、被害者と身代わりの逆転――イアンたちを“硝子鳥”の身代わりにするはずが、“硝子鳥”をイアンたちの身代わりにせざるを得なくなった――に加えて、時と場所を変えて本来の標的を殺害する経緯が「グラスバード」で描かれ、あたかもタワーでの事件を“再現”するかのような形となることで、事件のすり替えがより強固なものになっています。

 もっとも、こちらにもいろいろと無理はあって、例えば、刺された“硝子鳥”の一人が半日以上も生きていて*13、マリアが現場に侵入する直前に絶命したことや、その最後の一人が「グラスバード」での殺害順序に合わせたかのようにセシリアの身代わりだったことなどは、(これまた)ご都合主義といわざるを得ないでしょう。さらに、“硝子鳥”の髪型などを、(もともと標的を殺してそのまま死ぬつもりだったパメラも含めて)被害者たちに似せてあったのは、本来の計画ではあまり有効とはいえません*14し、“チャック”の“眼鏡”(213頁)などはやりすぎではないでしょうか。

 読者の視点からすれば、「グラスバード」「タワー」の日時が明示されているので、日時がずれていることはあり得ない――となれば、場所がずれていると、早い段階で見当をつけることも可能かもしれません。手がかりとしては、「タワー」でマリアが目撃した希少生物の存在と、「グラスバード」の《牢獄》での希少生物の不在が挙げられるでしょう。さらに、「グラスバード」での“大型トラック”による“幹線道路の振動”(133頁)というパメラの説明は、そこがタワーでないことを露骨に示している……ようでいて、直前に「タワー」で始まった爆破テロ(125頁)をごまかしているように受け取れてしまうのが絶妙です。

*11: 思い出せるところでは、アリバイトリックで国内長編三作、密室トリックで国内長編一作があります。
*12: 実際には、マリアが“硝子鳥”の真相に思い至る前、“身代わり”説を思いついた時点で、アイリーンにDNA鑑定を依頼することもできたのではないか、とも思います(身元確認を万全にするという大義名分もありますし)。
*13: タワー最上階での事件発生が、ヴィクターの到着直前――タイムテーブル(229頁~230頁)によれば17:00前後、生き残った“硝子鳥”が助けを求めた(152頁~153頁)のが翌日の10:01以降。
*14: 直近に、新しい髪型の“硝子鳥”を見た人物にしか効果がないため。

* * *

 複雑な真相を小出しにして“多重サプライズ”に仕立ててあるのはうまいところですが、全体をみるとやはりごたごたした印象になっているのは否めませんし、ローナに始まり、ヴィクター、パメラ、セシリア、そしてエルヤと、犯人が多すぎる*15ところにもそれが表れている、といえます。とはいえ、そもそもの原因であるヒューの“罪”がそれだけ根深かったとのは確かでしょうし、最終的に犯人たちの誰一人として生き残ることなく退場していった結末は、何ともやるせないものを残します。

*15: ヴィクターとパメラは共犯関係ですが、殺害自体は個別に行っている――と考えると、個別の実行犯が五人もいるというのは、あまり例がないように思います(皆無ではありませんが)。

2018.10.02読了