ミステリ&SF感想vol.227

2018.11.14

ねらわれた女学校 セーラー服と黙示録  古野まほろ

ネタバレ感想 2016年発表 (角川文庫 ふ31-3)

[紹介と感想]
 ヴァチカン直轄の全寮制探偵養成学校・聖アリスガワ女学校を舞台に、ホワイダニットの葉月茉莉衣・ハウダニットの古野みづき・フーダニットの島津今日子という三人の探偵が活躍する、『セーラー服と黙示録』に始まる〈セーラー服シリーズ〉*1初の短編集で、学校内で起きた四つの事件の顛末が描かれています。刊行順では第三作となりますが、「あとがき」に記されているように本書を最初に読んでも問題はないようです*2
 (おそらくは自覚的に)ミスディレクションが皆無に近いので見当をつけやすい部分もありますが、全体的に重きが置かれているのはあくまでも“どのように解決するか”。分量のせいもあって、三人の探偵による謎解きが先の長編ほど均等に分担されているわけではない*3ものの、それぞれに趣向を凝らした見ごたえのある謎解きになっています。

「消えたロザリオ」
 島津今日子の友人・井の頭竜子が大切にしていたロザリオが、午後の授業の間に寮室から消えてしまったという。盗まれたとすれば、犯人が女学校の中にいることは間違いない。竜子から話を聞いた今日子は、古野みづきと葉月茉莉衣の協力も得て、タイムリミットが迫る中で懸命に犯人を探し出そうとするが……。
 本書の中では最もオーソドックスに近いフーダニット*4ですが、探偵が推理を披露しないまま犯人と対峙したところから始まる、将棋やチェスさながらの探偵vs犯人の勝負――探偵が犯人を“王手詰み”まで持っていく過程が見どころで、手がかりの塊といっても過言ではない物語の中からすべてを拾って最後の一手まで詰めきる手際は圧巻です。舞台には似つかわしくない(?)動機と、それをも踏まえての見事な決着も強く印象に残ります。

「とらわれた吸血鬼」
 図書館のカウンタに座る島津今日子の前に現れたのは、女学校に存在しないはずの学生服姿の少年。そして深夜、古野みづきと葉月茉莉衣も待ち構える今日子の寮室を訪れた少年は、流れる水――女学校を取り巻く海を越えて脱出する不可能な術を三人に求める。少年は、人ならぬ吸血鬼だったのだ……。
 女学校にとらわれた吸血鬼を脱出させるという不可能“犯罪”に三人娘が挑む、『絶海ジェイル』にも通じる異色の“ハウダニット”*5。吸血鬼の“ルール”と聖アリスガワ女学校の設定とを巧みに利用して作り上げられた、実に強固な“不可能命題”とその豪快な“解決”がよくできています。
 特殊設定下のハウダニットでは多くの場合、特殊設定が“不可能を可能にするため”の手段として使われるため、それを念頭に置くと、作者が隠そうとしているトリックの手段(もしくは所在)が露呈してしまいやすい、という難点があります*6。しかしこの作品の場合、そのあたりが読者に露見することは想定した上で“謎”と“解決”を組み立ててある――というのは、フーダニットを放棄して倒叙ミステリ風に仕立てられていることからも明らかでしょう。と同時に、特殊設定が“不可能を可能にする”だけでなく“可能を不可能にする”ためにも使われているのが、何ともユニークなところです。

「あらわれた悪魔」
 消灯時刻を過ぎた深夜、お御堂へ忘れ物を取りに行った島津今日子は、校内の広場で狂乱の魔女宴{サバト}を目撃して意識を失う。そして古賀校長が不在の中、女学校を訪れた東京大司教の主導で葉月茉莉衣ら何人もの生徒が魔女として捕らえられ、凄惨な拷問の末に異端裁判が行われることになって……。
 真夜中のサバトから(ショッキングな拷問シーンを経て)魔女裁判へ突入する一篇で、ヴァチカン直轄のミッションスクールゆえの“事件”といってもいいかもしれません*7。特殊な裁判とはいえ弁護側視点に立った法廷ミステリらしく、検察側の論拠を次々と突き崩していく逆転劇の鮮やかさが目を引きます。もっとも、裁判の行き着く先は最初からほとんど明らかで、それよりも逆転に至る過程そのもの、ひいてはそのための“手がかり探し”こそがこの作品の眼目といえるのではないでしょうか。

「ねらわれた女学校」
 島津今日子が目覚めてみると、そこは宇宙に浮かぶ石の階段、しかも上りも下りも永遠にループする“無限階段”の世界だった。時を同じくして、葉月茉莉衣と古野みづきもまたそれぞれ“無限階段”の世界に閉じ込められていたが、三人は踊り場にある扉を開いて脱出するために、三者三様の“解法”を見出す……。
 聖アリスガワ女学校の秘密の一端*8と、そこに干渉してくる(古賀校長にとっての)“敵”の様子……を背景として、今日子・茉莉衣・みづきの三人がそれぞれに“異世界”から脱出しようと“問題解決”に挑む作品です。“問題”に対する三者三様の“解決”は、シリーズで描かれてきた三人の人物像に合致しているのみならず、フーダニット/ハウダニット/ホワイダニットを分担する探偵としての資質をも浮かび上がらせているところがあり、非常に興味深いエピソードとなっています。
*1: 以前は〈聖アリスガワシリーズ〉と呼ばれていたはずですが、本書の「あとがき」では“『セーラー服シリーズ』最初の短編集”(319頁)とされています。
*2: 刊行順に読む方が設定がわかりやすいのではないか、とも個人的には思うのですが、どのみちわからなくてもかまわない(と思われる)他シリーズとのつながりなどもあるので、あまり気にしなくてもいいでしょう。
*3: 本書全体としては、今日子>みづき>茉莉衣という感じの分担で、茉莉衣が割を食っている感があるのが少々残念。
*4: 明らかに盗難事件なので、題名は「うばわれたロザリオ」でもよかったのではないかと思われますが、あくまでも“消えた”と表現する竜子の心情に合わせるかのように、あえて他の作品と統一していない題名が採用されているのが味わい深いところです。
*5: “犯人”たちの視点で倒叙ミステリ風に進むので、厳密には“ダニット”(“~ (had) done it”)ではありませんが……。
*6: 読者が真相を完全に見抜くまでには至らないとしても、特殊設定を利用したトリックが往々にして複雑になりがちなことも相まって、真相を半ば見抜いた段階で読者が興味を失いかねない。
*7: 聖アリスガワ女学校が舞台でなければ、ここまで大事にならないのではないか――という意味で。
*8: といっても、以前の作品をお読みになった方はすでにご承知の“アレ”ですが……。

2016.10.11読了  [古野まほろ]
【関連】 『セーラー服と黙示録』 『ぐるりよざ殺人事件』 『全日本探偵道コンクール』

おやすみ人面瘡  白井智之

ネタバレ感想 2016年発表 (KADOKAWA)

[紹介]
 全身に“脳瘤”と呼ばれる“顔”が発生する奇病“人瘤病”が蔓延した日本。人瘤病患者たちは、“間引かれる人”という意味を込めて“人間”と呼ばれ、蔑まれていた――。“人間”によるサービスが評判の風俗店で働くカブは、“人間”を買い取ってほしいという依頼を受けて、かつて人瘤病の感染爆発が起きた海晴市にやってきたが、奇怪な事態に巻き込まれることに。一方、海晴市の中学校に通うサラは友人たちとともに、墓地の管理施設で殺人事件に遭遇する。人瘤病患者の管理人が頭を潰され、地下室では少女が無残に殴殺されていたのだ……。

[感想]
 食用のクローン人間が飼育されるデビュー作『人間の顔は食べづらい』に、生殖のために男と女が結合して異形の“結合人間”となる第二作『東京結合人間』と、奇怪な設定とグロテスクな描写の中で妙に(?)ロジカルな推理を展開してみせる独特の作風をすでに確立した感のある、白井智之の第三長編です。前二作は、設定が“大規模すぎる”*1せいで物語の背景がかなり怪しくなっていましたが、本書では“人瘤病”という架空の奇病を題材にしていることで、設定の影響が患者を中心とした(相対的に)狭い範囲にとどまるため、前二作に比べると無理が少なく感じられます*2

 主な舞台となるのは、かつてバイオテロによる人瘤病の感染爆発に見舞われた海晴市で、物語はその“外”と“内”の二つの視点で進んでいきます。“外”は仙台の風俗店で働く男を主役とした「カブ」のパートで、“人間”相手の異様なプレイ(まったくエロくはない)で始まったかと思えば、人瘤病を患った肉親への愛情が描かれ、患者の扱いに関する振れ幅の大きさが印象的。一方、“内”となる「サラ」のパートは、表面的にはまさかの熱血学園ドラマ風に始まりますが(苦笑)、そこは作者のこと、やがて押さえ込まれていた“歪み”が暴発するかのように、壮絶な展開を迎えます。

 ミステリ色が強まるのは中盤あたりからで、海晴市へ“人間”を買いに来たカブは次々と変事に遭遇し、サラは惨殺された知人の死体を発見するとともに容疑者となり――そして物語はついに「プロローグ」として冒頭に置かれた一幕、犯人を指摘した探偵役が死亡する困った(?)場面にたどり着きます。そこから先の展開の一部が、帯などのあらすじで明かされているのが少々もったいないところです*3が、しかしそれはまだ序の口。事態がめまぐるしく急変する中で予想もつかない出来事が次々と飛び出し、“何が起きているのか”が強烈な謎として押し寄せるクライマックスは圧巻です。

 帯に“同じ手がかりから組み上げられる幾通りもの推理”と謳われた、ユニークな多重解決ももちろん見どころではありますが、本書は前二作に比べると推理よりもサプライズに重きが置かれている節があります。ふんだんに盛り込まれた読者を惑わすネタは、中にはわかりやすいものもあるとはいえ、そのすべてを見抜くのは困難だと思いますし、想像を絶する凄まじいバカトリックも強烈な印象を残します。そしてカブとサラ、それぞれの結末が描かれた「エピローグ」は、ある意味衝撃的な幕切れとなっています。

 ただ……個人的な好みからすると、サプライズを狙って振り回しすぎている感があり、中でも少々アンフェア気味になっている部分が気になります。また、ぶっ飛んだ設定のやむを得ない“副作用”として、細部――特に直接描かれない部分で辻褄が合わなくなるという、前二作でも目についた作者の“持ち味”が、本書ではやや“悪目立ち”しているところもあります*4。とはいえ、本書については正直なところ“突っ込んだら負け”のような気がしないでもないですし、突っ込みどころを含めても十分に面白い作品であることは間違いないでしょう。少なくとも前二作が気に入った方にとっては、一読の価値がある作品だと思います。

*1: 『人間の顔は食べづらい』では食用クローン人間の前提となる、世界中から食肉が排除された経緯の説得力が不足している感がありますし、『東京結合人間』の方は生態系からして異なると考えられるので、もはや地球に似て非なる異星での物語とでも考えた方が受け入れやすいようなところがあります。
*2: とはいえ、ウイルスが“脳細胞のコピーを全身に拡散させることで、身体のいたるところに脳瘤を生じさせる”(10頁)のはまだいいとして、“感染者の身体には、切れ長の目、潰れた鼻、でこぼこの歯と三拍子揃った、ウシガエルのできそこないみたいな顔が浮かび上がる”(9頁)というのは……脳瘤が個別に感覚器を作るよりも、宿主の感覚器を共有する方が合理的ではないかと思われるのですが……。
 また、 患者が他人の咳の音を聞くと暴れだすという“咳嗽{がいそう}反応”は、そのメカニズムがさっぱり想像もつかないこともあって、(必要なのはわかりますが)少々ご都合主義に感じられます。
*3: もっとも、人瘤病に関する設定が説明された時点で予想できなくもないので、あまり問題はありませんが。
*4: (設定の影響が及ぶ範囲とは逆に)前二作よりも事件の規模が大きくなっているために、直接描かれない部分(で進行していてしかるべき事象)が増大しているのが一因だと思われます。特に気になるのが、(一応伏せ字)クライマックスと“解決篇”の間の断絶(ここまで)です。

2016.10.14読了  [白井智之]

ジェリーフィッシュは凍らない  市川憂人

ネタバレ感想 2016年発表 (東京創元社)

[紹介]
 特殊技術で開発され、航空機の歴史を変えた小型飛行船〈ジェリーフィッシュ〉。その発明者であるファイファー教授を中心とした技術開発部の六人は、新型ジェリーフィッシュの長距離航行性能を最終確認する航行試験に臨んでいた。ところがその最中に、船内でメンバーの一人が死体となって発見される。さらに、試験機の自動航行システムが暴走を起こし、雪山に不時着して脱出できなくなってしまった。そしてその中で連続殺人が発生し、次々と犠牲者が出た末に……。

[感想]
 第26回鮎川哲也賞を受賞した作者のデビュー作。架空のテクノロジーの発達により“改変された過去”――1980年代の“U国”を舞台にした、一種の特殊設定ミステリであると同時に、帯に“21世紀の『そして誰もいなくなった』登場!”と謳われているように、アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』のプロットを念頭に置いた、三津田信三がいうところの〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉*1となっています。

 まず目を引くのはやはり小型飛行船〈ジェリーフィッシュ〉で、気圧差に耐える新素材を用いて軽量気体の代わりに真空を閉じ込めた“真空気囊”により、従来と同程度のゴンドラを持ち上げるのに“およそ六分の一”(32頁)まで小型化できた、画期的な発明ということになっています。が……ミステリ部分に直接影響がないのは確かですが、いくらフィクションとはいえ、簡単な計算でボロが出てしまう物理法則レベルの“嘘”*2は、さすがにいかがなものかと思います。このあたり、特殊設定をできるだけ“現実的”に描こうとして裏目に出ている*3というか、特殊設定と“現実的”な物語のすり合わせがうまくいっていない印象を受けます。

 それはさておき物語は、最後の犯行に臨む犯人が動機を独白する「プロローグ」に始まり、「ジェリーフィッシュ」のパートでは「プロローグ」に至る事件の様子が、そして「地上」のパートでは刑事二人組による捜査の状況が、ほぼ交互に*4描かれていきます。クローズドサークルの“内部”と“外部”を交互に並べた構成は綾辻行人『十角館の殺人』を髣髴とさせますが、両者が同時並行となっている『十角館の殺人』に対して、本書の“外部”は通常のミステリ同様に事件が発覚した後の話で、読者と違って“内部”の展開を知り得ない捜査陣が、どのように真相を解明するのかが一つの見どころとなっています。

 “内部”では、航行試験中の〈ジェリーフィッシュ〉内で事件の幕が開き、出入り不可能なクローズドサークルで連続殺人に発展する定番の展開。一方、傍若無人な女警部とその“操縦係”(?)の部下が軽口を交わしながら事件の捜査に当たる“外部”では、被害者たちの背景である〈ジェリーフィッシュ〉の製造・開発も興味深いものがありますが、一見すると“犯人不在”の難事件に対して様々な仮説が次々と検討されていくのが面白いところ。加えて、「プロローグ」で明かされた犯人の動機につながる過去の“事件”*5が、“内部”と“外部”の双方で掘り起こされることで、その全貌が読者に伝わるところがよくできています。

 さて……前述の構成の類似などから、本書は『そして誰もいなくなった』よりも“21世紀の『十角館の殺人』”ではないか、とする評も散見されます*6。それも理解はできるのですが、やはり本書には“21世紀の『そして誰もいなくなった』”という惹句がふさわしいように思います。というのも、本書では“ある部分”について、従来の〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉とは一線を画した処理/扱いがなされている*7のですが、それは、『そして誰もいなくなった』に代表される〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉全般に関するある種の問題意識*8に基づいて、新たな方向性を打ち出そうとしたものではないかと考えられるからです。

 ……というのが的を射ているかどうかはわかりませんが、いずれにしても、長い「エピローグ」での謎解きは圧巻です。“内部”と“外部”が分かれた構成上、“外部”から把握しようのない部分については犯人の回想で補われますが、“外部”から解き明かされる意表を突いたトリックは非常によくできていますし、ある“質問”がある意味で衝撃的。そして、どことなく奇妙な味わいの残る幕切れも、何とも印象深いものがあります。前述の特殊設定関係以外にも若干気になるところがないではないのですが、全体としてはよく考えられた意欲的な作品といってよく、受賞も納得の一冊です。

*1: 『作者不詳 ミステリ作家の読む本』などで、以下のように定義されています。
 一、事件の起こる舞台が完全に外界と隔絶されていること。
 二、登場人物が完全に限定されていること。
 三、事件の終結後には登場人物の全員が完全に死んでいる――少なくとも読者にはそう思える――こと。
 四、犯人となるべき人物がいない――少なくとも読者にはそう思える――こと。
  (三津田信三『作者不詳 ミステリ作家の読む本』講談社文庫下巻123頁)
*2: 作中にある“物体が受ける浮力は、その物体が押し除けた流体の重量に等しい”(32頁)も、“物体の密度をゼロに近づければ近づけるほど、その物体にかかる実効的な浮力を大きくできる”(33頁)もおおむね正しい(厳密には“重量”ではなく“重力”)のですが、“実効的な浮力”とは“流体の重量-物体の重量”であって、物体の密度がゼロだからといって際限なく大きくなるわけではありません。
 具体的に水素と比較してみると、おおよその密度比が空気:水素:真空=29:2:0なので、真空の浮力は同体積の水素の7.4%増((29-0)/(29-2)=1.074)にとどまります。逆に、水素と同じだけの浮力を発生させるには93.1%(27/29=0.931)の体積が必要となるので、作中の“およそ六分の一”は論外な数値です。ヒンデンブルク号やグラーフ・ツェッペリン号と思しき機体の史実に言及されているのであり得ないとは思いますが、作中で従来の飛行船で使われていたとされる“可燃性の気体”が水素ではなくメタンだったり、あるいは地球よりも大気の密度が低い異世界が舞台だったり、といった可能性を一応考慮してみても、真空による浮力は作中で示された“従来の6倍”には遙かに及びません。
 ついでにいえば、“真空気囊の浮力が機体の重量を打ち消しているため、人間ひとりの力でも簡単に動かすことができる。”(92頁)も不用意な誤りで、空気に支えられて宙に浮いているにすぎず、質量がなくなっているわけではありません。水に浮いた大きな船を人力で動かすところを想像すると、わかりやすいのではないでしょうか(摩擦がない分、地上よりは楽ですが)。
*3: このあたりは、白井智之『人間の顔は食べづらい』などにも共通するところがあり、(ある程度)“現実”を基盤とした物語世界の中での特殊設定の扱いの難しさが露呈している感があります。
*4: 犯人の回想である「インタールード」を挟みながら。
*5: ちょっとしたトリックも用意されていますが、トリックそのものよりも“なぜそれが成立したのか”が面白いと思います。
*6: 例えば、杉江松恋氏の“「孤島」の外にはみ出した捜査を描くのだから「21世紀の『十角館の殺人』」なら納得がいったのに。”「杉江の読書 市川憂人『ジェリーフィッシュは凍らない』(東京創元社) – book@holic – ブッカホリック」より)など。
*7: もちろん従来の作品を全部読んでいるわけではないのですが、その性質上、おそらく似たような前例は(時期的にも)ないのではないかと思われます。
 このあたりは、本書より先に『そして誰もいなくなった』『十角館の殺人』など、いくつか〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉を読んでおいた方がわかりやすいでしょう(ネタバレがあるわけではないので、本書から読んでも問題はありませんが)。
*8: 恥ずかしながら、本書を読むまでまったく考えもしていませんでしたが……。

2016.10.20読了  [市川憂人]

アンデッドガール・マーダーファルス2  青崎有吾

ネタバレ感想 2016年発表 (講談社タイガ アC02)

[紹介]
 1899年、ロンドン。かつて80日間世界一周を成し遂げたフォッグ氏のもとに、秘蔵の宝石を盗むという怪盗アルセーヌ・ルパンの予告状が届いた。フォッグ氏が警備を依頼したのは、怪物専門の探偵・輪堂鴉夜と、世界一の名探偵シャーロック・ホームズ。そして予告当日、ホームズとワトスン、“鳥籠使い”一行、さらにロイズ保険機構のエージェントらがフォッグ邸に厳重な警備を敷く中、“オペラ座の怪人”を従えたルパンの計画が動き始めるが、鴉夜たちが追う宿敵“教授”一派もまた、宝石を狙ってフォッグ邸に乗り込んできた。はたして、熾烈な宝石争奪戦の結末はいかに……?

[感想]
 怪物たちが跋扈する異形の19世紀末ヨーロッパを舞台に、探偵・輪堂鴉夜と助手・真打津軽らが活躍する伝奇ミステリのシリーズ第二弾。前作『アンデッドガール・マーダーファルス1』は、吸血鬼や人造人間といった怪物を“お題”にした特殊設定ミステリでしたが、今回は“有名人”も含む怪物めいた超人たちが次々と登場し、敵味方入り乱れて繰り広げられる宝石争奪戦が中心に据えられて、謎解きよりも冒険活劇/笑劇{ファルス}色の強い内容となっています。

 まず目を引くのはやはり、怪盗アルセーヌ・ルパン*1と名探偵シャーロック・ホームズ*2の登場で、“本番”のフォッグ邸での宝石をめぐる攻防はもちろんのこと、“紳士的”なやり取りの裏に駆け引きを潜ませた“前哨戦”も盛り込まれるなど、青崎版“ルパン対ホームズ”が本書の目玉といっていいでしょう。もっとも、鴉夜が鋭い観察と推理でホームズと張り合ってみせたり、津軽がホームズ+ワトスンと、あるいは愉快でブラックな“○○○○争奪戦”の末に遭遇したルパンとそれぞれ肉弾戦を繰り広げたりと、“鳥籠使い”一行も“前哨戦”の段階から一歩も引けを取ってはいません。

 そして“本番”の、厳重に警備されて出入りすらできないような現場から、ルパンが“どうやって宝石を盗み出すのか”――“不可能状況下の犯行”が、ミステリとしての最大の見どころ。その中心となる手段そのものにはあまり驚きがない一方で、一見すると“それ”が何の役に立つのかわからないのがうまいところで、後に明らかになるその狙いは実によくできています*3。そしてもう一つ、ルパンに対する“鳥籠使い”の作戦も意表を突いたユニークなもので、“ヒント”と併せてニヤリとさせられます。

 物語後半になると、頭脳戦がメインの“ルパン対ホームズ(対“鳥籠使い”)”から一転して、ロイズのエージェントや“教授”一派も加わっての“異能バトルロイヤル”に突入。人数が多いために戦いは都合四箇所に分かれることになり、次々と場面を切り換えながら並行して描かれていくあたりは少々煩雑な印象もないではないですが、パワーとスピードの乱戦、索敵勝負のゲリラ戦、飛び道具対○○○、そして一風変わったチャンバラ(?)といった具合に、それぞれに趣の違う一進一退の攻防はいずれも見ごたえがあります。

 死闘の果てに待ち受ける宝石争奪戦の決着は鮮やかですし、最後の謎解きも非常によくできていますが、それが同時に“敵”の凄まじさを浮かび上がらせるのがうまいところで、その後のエピローグ的な二幕も含めて、さらなる波乱を予感させて次巻に期待を持たせる見事な結末となっています。その次巻では、再び怪物が物語の中心となるようですが、前作のような謎解き路線に回帰するのか、それとも本書のような冒険活劇路線が続くのか、いずれにしても大いに楽しみです。

*1: ルパンに関する小ネタはちょっとわかりません(子供の頃に読んだきりなので)が、プロローグにあたる「0」での、“空洞の針{エギュイ・クルーズ}”をネタにした最後の一言がしゃれています。
*2: ホームズの小ネタはいくつも盛り込まれていますが、個人的には“バリツ”の解釈にうならされました。
*3: このような書き方をすると、ルパンの盗みが成功することが予想できてしまうかもしれませんが、(盗みに限らず誘拐なども含めて)“これから行われる犯罪”に関して“どうやって?”に力点が置かれている場合、成功しなければ面白味が半減してしまうわけですから、原則として犯行を未然に防ぐことはできない、といっていいでしょう(本書の169頁で言及されているホームズ譚は、“どうやって?”以外のところにポイントがあることにご注意ください)。したがって本書でも、ホームズが一度はルパンに敗れることは明らかです。

2016.11.03読了  [青崎有吾]
【関連】 『アンデッドガール・マーダーファルス1』

ささやく真実 The Deadly Truth  ヘレン・マクロイ

ネタバレ感想 1941年発表 (駒月雅子訳 創元推理文庫168-11)

[紹介]
 悪趣味ないたずらを繰り返しては、騒動を引き起こしてばかりの傲慢な美女クローディア。彼女は、友人の生化学者ロジャーの研究室を訪ねて新発明の強力な自白剤を盗み出し、自宅のパーティーでカクテルに混ぜて一同に振る舞った。かくして、クローディアの夫マイケル、その前妻フィリス、クローディアが所有する会社の総支配人チャールズらが集ったパーティーは、真実の暴露合戦に姿を変えてしまう。そして深夜、窓の外から異変に気づいて立ち寄ったウィリング博士は、クローディアが何者かに殺害されているのを発見した……。

[感想]
 本書はベイジル・ウィリング博士が登場するマクロイの第三長編で、探偵小説研究会・編著「2017本格ミステリ・ベスト10」(原書房)の海外本格ミステリ・ランキングで第1位に輝いた作品ですが、奇抜な発端をはじめ物語は非常に面白い反面、謎解きにはだいぶ物足りないところがあるというか、(かなりやむを得ない部分があるとはいえ)個人的にはいくら何でも真相がわかりやすすぎるのではないかと思えてしまうので、何とも評価が難しい一作です。

 先に邦訳された『二人のウィリング』もそうでしたが、何といっても序盤の魅力が抜群。もつれた人間関係の中に自白剤の“爆弾”が投げ込まれ、一同が隠しておくべき秘密を自ら口にしてしまう――そして、邪悪ないたずらを仕掛けたクローディア自身が真実のしっぺ返しを食らう一幕は、やはり強烈な印象を残します。ここで秘密のすべてが読者に明かされるわけではありませんが、登場人物たちがそれぞれにクローディアに対する動機を宿したことが示唆され、緊迫感が十分に高まっています。

 そしてついに起きる事件では、探偵役であるウィリング自身が第一発見者となる展開が目を引きます。夏の間、クローディアの地所にある浜辺の小屋を借りている*1ウィリングは、パーティーへの誘いを断って恋人のギゼラ*2とデートをした帰りに、犯行直後のクローディアが息絶える場面に遭遇し、第一発見者だけが知り得る重要な事実を手にすることになります。それを可能とするための、ご都合主義と紙一重の周到な状況設定も、見逃せないところではないでしょうか。

 このようにウィリングを第一発見者に据えてあるのは、前述の“重要な事実”の性質――伝聞では把握しづらいところがある――ためだと考えられます。しかし、事件の捜査を担当する警察にその事実を知らせる時点で、そこから導き出される解釈――(一応伏せ字)犯人のある特徴(ここまで)まで伝えざるを得ず*3、読者に対しても早々に手の内を明かす羽目になるのが困ったところで、結果として手がかりが目に付きやすくなるのは避けられません。すべてを拾うのは困難かもしれません*4が、極論すれば手がかり一つだけでも犯人に到達できるので、さしたる障壁とはならないでしょう。

 作者自身もそのような自覚があったのか、一風変わった形である種のミスディレクションも用意されているのですが、作中でこれが浮上してくる流れなどは非常に面白いものの、やはり犯人を隠蔽するには力不足の感がありますし、何より、最後の解決に危うさをもたらしている――解決(←推理ではない)の手順に問題が生じて“結果オーライ”になっている*5――という弊害はいただけません。解決の中で登場人物たちの“裏面”が明らかになっていく様子は圧巻ですし、結末も印象的で、全体的に面白い作品ではあるのですが、ミステリとしてやや難があるのは否めないところです。

*1: “数人のグループで水上飛行機をチャーターし、ニューヨークへ通勤している”(226頁)というのがすごいところです。
*2: ギゼラとの出会いは(邦訳の順序は前後しましたが)前作の『月明かりの男』で描かれています。
*3: 前述のように伝聞では把握しづらいというか、(読者に対しても)ある程度の価値判断まで含めて伝える必要がある類の情報なので、致し方ないところではあるのですが……。
*4: “別系統”の手がかりの配置と扱いにはうならされました。
*5: と同時に、犯人の言動にも釈然としないものが残ります。

2016.11.09読了  [ヘレン・マクロイ]