ネタバレ感想 : 未読の方はお戻りください
  1. 黄金の羊毛亭  > 
  2. 掲載順リスト作家別索引 > 
  3. ミステリ&SF感想vol.162 > 
  4. 異界

異界/鳥飼否宇

2007年発表 (角川書店)

 本書の中ではいくつかの事件が起きていますが、新生児誘拐から依田和弥殺害、そして依田医師の失踪(及び死)と、依田医院がいわば事件の焦点であることが明らかになっていく一方で、“狐憑き”のみが一見すると無関係であるように思えます。それが、熊楠いわく“本当の萃点”(243頁)であるを介して、最終的に一つにつながっていくところがよくできていると思います。

 実際には、解決よりもだいぶ前の時点で狼の“太郎”の存在が示されている*1のですが、“狼少年”の次郎というレッドヘリングが用意されていることで、真相は見えにくくなっています。しかも、“とみ”の息子がたいそう迷惑かけたもので”(95頁)という台詞によって、二重の意味でのレッドヘリング*2となっているところが非常に秀逸です。

 “狐憑き”と狂犬病を結びつけるネタはどこかで見たことがあるように思いますが、それが和弥殺害の(しかも依田医師ならではの)動機につながっているところは実に巧妙ですし、依田医師の死体に残された歯形の意味も見事です。

*

 真相が明らかになってみると、新生児誘拐事件だけが狼とほとんど関連がないように思われます*3し、他の事件から独立しているようにも感じられるのですが、それでもまったく無関係というわけではありません。

 例えば誘拐された新生児の親に関して、依田医師の性別を誤認させる叙述トリックがミスディレクションとして機能している*4部分があるかと思うのですが、その叙述トリックを支えているのは静江による“先生”という呼称であり、その背景にある“依田ふみ”と“依田とみ”の入れ替わりが、前述の“狐憑き”についてのレッドへリングに関わっています。

 また、仁左衛門とふみの“三人の子”の一人が“狼少年”の次郎(=友也)であることが伏せられた結果、新生児の親に関するミスディレクションが補強されています。さらに、新生児の両親である和弥と静江の関係を隠すのに一役買っているのが、和弥に代わって“狐憑き”を演じる岩倉駿平の存在であることも、見逃せないところではないでしょうか。

*

 事件の解決にあたって重要な役割を果たしているイギリスからの客人の正体については、そのいでたち――とりわけ特徴的な“アンブレラ”――など*5から見え見えで、興味深いネタであるとはいえ、“あのイギリス人、たしか名前は、ブラウン……。”(263頁)という“最後の一撃”もさほど破壊力が感じられないのが残念なところです。

 しかし、「序」「急」に仕掛けられた人物(及び年代)誤認トリックが、その最後の一撃を生かすために仕掛けられている――名前を“思い出す”という状況を演出するためには、視点人物が熊楠ではなく(年老いた)太一である必要があるでしょう――のが面白いと思います。それにしても、太一が一一九歳まで生きているというやりすぎぶりが、作者らしいといえるかもしれません。

*1: さらにいえば、カバーイラストにも狼のシルエットがはっきり描かれています。
*2: “狼少年”としての振る舞いが“狐憑き”を連想させるだけでなく、“狐憑き”の正体が自分の息子であることを“とみ”が保証していることになります。
*3: 太一は赤ん坊を見て狼を連想していますが、近親相姦による障害が“全身が茶色の毛で覆われていた”(258頁)という形で表れることに必然性はなく、因縁話めいたこじつけに近いでしょう。
*4: 依田医師が女性であることがあえて伏せられ、「破の破」のラストでようやく明かされることで、母親候補としてクローズアップされる効果があるのではないでしょうか。もちろん、実際には“依田ふみ”と“依田とみ”の入れ替わりを隠蔽する目的で仕掛けられたトリックなのでしょうが。
*5: 補助的な手がかりとしては、作者のG.K.チェスタトンへの傾倒(わかりやすいところでは、『本格的 死人と狂人たち』『詩人と狂人たち』『逆説的 十三人の申し分なき重罪人』『四人の申し分なき重罪人』『痙攣的 モンド氏の逆説』『ポンド氏の逆説』、といった題名ネタ)も挙げられるでしょう。

2008.06.03読了