ミステリ&SF感想vol.28

2001.10.29
『地下室の殺人』 『カリブ諸島の手がかり』 『アヌビスの門』 『鈍い球音』 『レッドシフト・ランデヴー』


地下室の殺人 Murder in the Basement  アントニイ・バークリー
 1932年発表 (佐藤弓生訳 国書刊行会 世界探偵小説全集12)ネタバレ感想

[紹介]
 新居に越してきた新婚早々の夫婦が地下室から掘り出したのは、若い女性の死体だった。衣服も身に着けていない上に腐敗が進んでしまった死体に、手がかりはほとんど皆無だった。地道な捜査の末にようやく被害者の身元を突き止めたモーズビー首席警部だったが、名探偵シェリンガムが被害者と面識があったことが明らかになり、彼を捜査に引きずり込むことに成功したのだ。シェリンガムが解き明かした真相は……?

[感想]

 警察の地道な捜査による被害者探しが行われる序盤、シェリンガムの手になる作中作が登場する中盤、そしてシェリンガムが捜査に乗り出す終盤と、物語は次々に姿を変えていきます。

 まず序盤の被害者探しですが、モーズビー首席警部の指揮による捜査が丹念に描かれています。ほとんど手がかりのない状態から出発する捜査は地味ではありますが、その困難さが十分に強調されているために、“被害者はなぜその地下室で死んでいたのか?”という疑問が一層クローズアップされることになります。

 中盤のシェリンガムによる作中作は、被害者及び容疑者たちの人となりを要領よく読者に伝えてくれます。作家であるシェリンガムは取材のために偶然被害者たちと交流を持っていて、彼らの人物像を草稿という形にまとめていたのですが、なかなか面白い人間模様が描き出されています。シェリンガムがどうしてこれほど細かいところまで知っているのか、という疑問は浮かびますが、伝聞に基づく推測も含むということで、よしとすべきでしょう。

 終盤にはついにシェリンガムが直接捜査に乗り出すことになります。警察の捜査では容疑者こそ浮かぶものの、どうしても犯行が立証できないという手詰まりの状況となっており、その中でシェリンガムの示す解決はなかなか意外です。

 死体の登場場面を除けばどうしても地味な印象を受けてしまいますが、細部まで凝った作品といえるでしょう。

2001.10.13読了  [アントニイ・バークリー]



カリブ諸島の手がかり Clues of the Caribbees  T.S.ストリブリング
 1929年発表 (倉阪鬼一郎訳 国書刊行会 世界探偵小説全集15)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 イタリア系アメリカ人の心理学者ポジオリ教授を主役とし、カリブ海に浮かぶ島々を舞台に繰り広げられる異色のミステリ連作集です。
 舞台となるそれぞれの島の文化や風物が鮮やかに描き分けられている上に、比較的オーソドックスなミステリに近い「亡命者たち」「アントゥンの指紋」、冒険小説寄りの「カパイシアンの長官」、パロディ的な要素の強い「クリケット」、そしてとてつもないインパクトの「ベナレスへの道」と内容自体もバラエティに富んでいるため、全体がカリブ海の多様性を体現したものといえるかもしれません。
 なお、解説は先に読まない方がいいでしょう。ネタバレ注意以前にも結末を予感させる記述があります。

「亡命者たち」 The Refugees
 ベネズエラを追われてキュラソー島へと亡命してきた元独裁者とその一行に、新たな災難が降りかかる。ホテルのオーナーとの会食中に、オーナーが毒入りワインを飲んで死んでしまったのだ。ワインに毒を入れる機会があったのは誰なのか? 偶然その場に居合わせた心理学者のポジオリ教授が事件の謎を解く……。
 事件自体もさることながら、アメリカ人のポジオリ教授の目を通して描き出されるラテン気質が印象的です。なお、この作品はI.アシモフ他編『16品の殺人メニュー』にも収録されています。

「カパイシアンの長官」 The Governor of Cap haitian
 カパイシアンの為政長官ボワロンからの電報を受け取り、ハイチに招かれたポジオリ教授。長官の依頼は、当局を悩ませる反乱集団“カコ”を率いるヴードゥーの呪術師と対決し、そのイカサマを暴くことだった。呪術師ラフロンドのもとに送り込まれた密偵たちはみな、心を読まれて正体を見破られたというのだ。仕方なく密林の奥へと足を踏み入れたポジオリ教授だったが……。
 謎解きの要素はほとんどなく、“ポジオリ教授・密林の冒険”といった趣です。全編を通じて、ハイチという土地に深く根ざした問題が描き出されています。その中で、動乱をしたたかに乗り切ろうとするボワロン長官の姿が印象的です。

「アントゥンの指紋」 The Prints of Hantoun
 マルティニーク島に滞在中、国立銀行を襲った金庫破りの捜査に協力することになったポジオリ教授。一方、彼と犯罪に関する議論を交わしていたド・クレヴィソー勲爵士は、対抗するかのように独自の捜査を始める。歌の手がかりを追いかけるポジオリ教授と、指紋の手がかりに重点を置いたド・クレヴィソーとの勝負の行方は……?
 本書中、最も本格ミステリに近い作品です。残念ながらトリックなどは今ひとつ面白く感じられませんが、ポジオリ教授とド・クレヴィソーの謎解き合戦や事件の予期せぬ展開など、なかなか楽しめる作品です。

「クリケット」 Cricket
 バルバドス島に滞在していたポジオリ教授は、クリケットの試合後にクラブのメンバーが脱衣場で殺された事件にかかわることになった。容疑者は逃亡し、その罪は明らかなように思えたが、公金横領の疑惑がかかった被害者の株取引の記録を見て、不審な点に気づいたポジオリ教授は……。
 非常にユニークな作品です。“人狩り”に嫌悪を示しながらも事件に巻き込まれていくポジオリ教授ですが、その苦悩はさほど深刻なものではありません。そして終盤の展開はパロディめいたかなり皮肉なものですが、最終的にそれを受け入れるポジオリ教授の姿が独特の印象を残します。

「ベナレスへの道」 A Passage to Benares
 トリニダード島にあるインド人居住区。ちょっとした好奇心からこっそりとヒンドゥー教寺院で一夜を明かしたポジオリ教授。だが、この冒険がもとで、新婚初夜の花嫁が首を切られるという凄惨な事件に巻き込まれることになってしまったのだ……。
 色々な意味でインパクトのある作品です。奇妙な論理による殺人、そして見事な演出の結末。細部まで計算された傑作です。


 主人公であるポジオリ教授のキャラクターについて触れておきます。

 当人が政治に疎いということもありますが、イタリア系アメリカ人である彼は欧州各国による植民地支配(ハイチにはアメリカが関わっていますが)とは無縁であり、カリブ海に暮らす人々を比較的公平な視点で見つめています。支配する白人と支配される黒人という構図には疑問を抱いていて、それが「カパイシアンの長官」「クリケット」における支配層の白人との会話に表れています。

 心理学者の彼は、偶然かかわった「亡命者たち」の事件で謎を解いたことで名探偵として名を上げることになりました。その推理は基本的に、物的証拠に基づくというよりもインスピレーションの産物のようで、このあたりに心理学者らしさが表れているといえるかもしれません。

 作者はポジオリ教授をスーパーマンのような探偵ではなく、等身大の人間として描こうとしているようです。名探偵としての評判が高まった後は事件の解決を依頼されるようになりますが、謎解きをしない作品もありますし、皮肉な現実に直面させられる場合もあります。“人狩り”を続けることに疑問を持ちながらも、名声が高まる虚栄心も備えています。探偵役としてはユニークなキャラクターである彼の内面が克明に描かれていることで、独特の印象を残す異色作となっています。

2001.10.17読了  [T.S.ストリブリング]



アヌビスの門(上下) The Anubis Gates  ティム・パワーズ
 1983年発表 (大伴墨人訳 ハヤカワ文庫FT181,182・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 時の流れの所々に開いた“孔”――〈アヌビスの門〉。謎の大富豪ダロウに誘われた英文学者ドイルは、コールリッジの講演を聴くために、その門をくぐって19世紀初頭のロンドンへと旅立った。ところがドイルは現地でジプシー集団に拉致された、そのまま19世紀に置き去りにされてしまったのだ。辛くも逃げ出したものの、ロンドンの暗黒社会に渦巻く陰謀に巻き込まれていくドイル。ロンドン市民を脅かす怪人〈犬面ジョー〉や、魔術王国エジプトの復活を企む魔術師たちとの戦い、そして詩人バイロン卿らを巻き込んだ冒険の果ては……。

[感想]

 魔術によるタイムトラベルを扱った傑作伝奇小説です。
 まず物語の構成がよくできています。タイムトラベル特有の“お約束”はもちろんですが、そこに魔術も絡んで複雑な展開となっている上に、実在・架空を合わせて多数の人物が登場していますが、それらが丹念に組み合わされ、きれいにが閉じていく(としか言いようがない)様子は実に見事です。

 主な舞台となる19世紀のロンドンの姿も魅力的に描かれていますし、登場人物たちもみな生き生きとしています。細かいエピソードもよくできていて、例えばドイルがジプシーの“罰当たり”リチャードと語り合う場面などは強く印象に残ります。魔術が決して万能ではなく、往々にしてコントロール不能となってしまうところもユニークです。

 主人公であるドイルを翻弄する運命はあまりにも過酷ですが、決して屈せず生き抜こうとする彼の姿は印象的です。波瀾万丈の冒険の果てに、ラストで自らの運命と正面から向かい合った彼の心情は、さわやかさを感じさせてくれます。まったく非の打ち所のない傑作です。

2001.10.22 / 10.23読了  [ティム・パワーズ]



鈍い球音  天藤 真
 1971年発表 (創元推理文庫408-04)

[紹介]
 プロ野球日本シリーズが間近に迫る中、弱小球団〈東京ヒーローズ〉をリーグ優勝に導いた名監督が不可解な失踪を遂げた。トレードマークのひげだけを残して――その謎も解けぬまま、やむなく代理監督を立てて強敵〈大阪〉とのシリーズに臨んだ〈東京〉球団だったが、善戦むなしく連敗。土壇場に追いこまれた〈東京〉球団を、さらなる怪事件が襲う。事件の真相は、そしてシリーズの行方は……?

[感想]

 野球ミステリの傑作です。日本シリーズを間近に控えた時期に監督が失踪してしまうというのはかなりシリアスな状況で、しかもひげだけが残っていたという、なかなかインパクトのある冒頭から始まり、日本シリーズの戦況が迫真的に描かれています。さらにシリーズの最中にも怪事件が続発し、シリーズの決着とともに事件も解決するという見事な構成です。単にプロ野球界を舞台にしたというだけでなく、事件と野球が密接に結びつき、実際に試合内容の描写にかなりの頁がさかれている異色の作品です。また、全編を覆うどこかユーモラスな雰囲気も見逃せません。

 試合に臨む選手たちの様子もかなりリアルに描かれていますし、シリーズの勝負が決まる場面は圧巻です。“逆転サヨナラホームラン”といった派手な、しかしありきたりに感じられる結末ではなく、しかもそれでいて十分にドラマチックな決着は何ともいえません。多少なりとも野球が好きな方にはぜひ読んでいただきたい作品です。

2001.10.25再読了  [天藤 真]



レッドシフト・ランデヴー Redshift Rendezvous  ジョン・E・スティス
 1990年発表 (小隅 黎訳 ハヤカワ文庫SF954・入手困難

[紹介]
 超空間を航行する宇宙船〈レッドシフト号〉。その船内では光の速度が秒速10メートルとなり、重力による光の屈曲や赤方偏移など様々な相対論的効果が観測される。そんな中、乗客の一人が船倉で何者かに殺害される事件が起こり、捜査にあたった一等航行士ジェイスンは、乗員の一人が姿を消していることに気づいた。一体何が起こっているのか? だが、彼が船外の探索に出ている間に事態は急変する。〈レッドシフト号〉がハイジャックされてしまったのだ……!

[感想]

 奇抜な設定に基づく怪作です。まず帯には“船内の光速が秒速10メートルの超空間宇宙船〈レッドシフト〉で殺人事件が起った!”と、あたかもこの殺人事件がメインであるかのように書かれていますが(裏表紙のあらすじも同じ調子です)、実際にはそうではありません。物語はあっという間にジェイスンとハイジャック一味との戦いに移り、さらに中盤以降は舞台さえ〈レッドシフト号〉から外へと移ってしまいます。結局、物語の本質は窮地に追い込まれた男女が死力を尽くして脱出するという、ハリウッド映画のような典型的エンターテインメント路線といえるでしょう。これ自体はあまりにも王道であるために、可もなく不可もなしという印象です。

 この作品の見所はむしろ、超空間の特性を熟知したジェイスンが敵に対して次々と仕掛けていくトリックです。奇抜な設定が細かいところで実にうまく生かされていると思います。SFミステリめいた紹介には問題があったと思いますが、肩の力を抜いて割り切って読めば十分に楽しめる作品です。

2001.10.28再読了  [ジョン・E・スティス]


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