ミステリ&SF感想vol.107 |
2005.06.27 |
『ラッカー奇想博覧会』 『忍者月影抄』 『騙し絵の檻』 『日曜の夜は出たくない』 『ガラスの塔』 |
ラッカー奇想博覧会 Collected 13 Short Stories of Rudy Rucker ルーディ・ラッカー |
1995年発表 (黒丸 尚・他訳 ハヤカワ文庫SF1109・入手困難) |
[紹介と感想]
|
忍者月影抄 山田風太郎 |
1962年発表 (河出文庫 や4-12) |
[紹介] [感想] 風太郎忍法帖の比較的初期の長編で、水準以上の面白さはあるものの、(他の作品に比べると)やや中途半端な構成で損をしている感のある作品です。
甲賀忍者と伊賀忍者による、八代将軍・吉宗と尾張藩主・宗春の代理戦争という構図は、かの『甲賀忍法帖』を彷彿とさせますが、そちらが戦いそのものを目的とした忍者たちのサバイバルレースの様相を呈しているのに対し、本書では戦いとは別の任務が示され、忍者本来の役割が描かれています。ただしそれも、例えば『信玄忍法帖』ほど徹底されているわけではなく、その戦いには私闘の色も強く感じられます。それはもちろん、吉宗―江戸柳生―公儀御庭番(伊賀忍者)という幕府方と、宗春―尾張柳生―御土居下組(甲賀忍者)という尾張方との確執と対立の構図が強く打ち出されているためなのですが、これが物語を引っ張っている反面、時に任務よりも私闘が優先されているように感じられるところはいただけません(その中にあって、任務のために 「おれが死のう」という台詞をさらりと口にする伊賀者・百沢志摩の姿が印象に残ります)。 また、柳生剣士の扱いにも難があるように思います。風太郎忍法帖にみられる“そこそこの剣士〈忍者〈剣の達人”といったヒエラルキーは本書でも健在で、忍者を相手にしては柳生剣士たちはほとんど無力。しかも、柳生剣士同士の戦いもそれほど多くはなく、その存在が物語の中でさほど役に立っているようには思えません。忍法帖という“枠”の中で剣豪たちの戦いを描いた『忍法剣士伝』や『魔界転生』と比べるのは間違いかもしれませんが、両陣営の一員としてそれぞれ名を連ねていながら、あっけなく死んでいく『外道忍法帖』の忍者たちよりも見せ場が少ないというのは、やはりいかがなものかと思います。 では、本書のどこが面白いのかといえば、もちろん忍者たちの対決でしょう。初期の作品だけに、登場する忍法には豊かなアイデアが盛り込まれ、バラエティに富んでいます。また、忍法そのものだけでなく、対戦する忍者の組み合わせにも工夫が凝らされています。日下三蔵氏による解説でも言及されている、砂子蔦十郎と不破梵天丸との戦いなどは圧巻ですし、互いに敵と知りながら呉越同舟を決め込む七溝呂兵衛と山科十太夫の心理戦と忍法争いも見応えがあります。そして最後の、異様で幻想的な戦い(忍者の名前は伏せておきます)もまた、強く印象に残ります。 史実の隙間に組立てられた物語でありながら、ある史実((一応伏せ字)“天一坊事件”(ここまで))をうまく取り込んだプロットも巧妙ですし、それにちなんだラストも何ともいえません。繰り返しになりますが、中途半端なところがあるために他の傑作には及ばないものの、面白い作品であることは間違いありません。 2005.06.07再読了 [山田風太郎] |
騙し絵の檻 The Stalking Horse ジル・マゴーン | |
1987年発表 (中村有希訳 創元推理文庫112-04) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 無実の罪で裁かれて16年後に仮釈放された主人公・ホルトが、復讐のために自分を罠に嵌めた相手を探すというあらすじはハードボイルド風ですが、犯人を探すプロセスそのものは本格ミステリに他なりません。協力者のジャンとともに、関係者への質問を繰り返し、手がかりを集め、16年前に決着した事件を掘り返していくという展開は、非常に読み応えがあります。
物語序盤は、現在と過去の様子が交互に描かれています。現在の物語が進行しつつ過去の事件の状況が要領よく説明されるという効果もありますが、冤罪による16年の獄中生活を経てすっかり様変わりしてしまったホルトの性格が浮き彫りにされているところが印象的です。しかし、彼の無実を信じる協力者・ジャンの出現によって凍てついたホルトの心も少しずつ溶かされ、救いのない復讐譚から救いのある物語へと転換していくあたりがうまいと思います(それだけに、終盤の“アレ”は余計でしょう)。 ホルトとジャンの捜査によって、事件当時には知られなかった様々な事実が浮かび上がり、ホルトが推理する事件の“真相”は次々と姿を変えていきますが、そこには壁が待ち受けています。数々の推理が否定されていくのは“多重解決”の常ですが、本書では事件関係者の容疑がことごとく否定され、遂には容疑者が一人もいなくなるという事態になってしまいます。しかし、本書の見せ場はそこから。ページも残り少なくなったところで、八方塞がりとなったホルトが最後に見せる、意表を突いた大逆転は実に鮮やかです。 明らかにされる真相そのものにはさほどの派手さはなく、さらりと読んでしまうと今ひとつ真価が伝わりにくいようにも思えますが、いかにして真相(犯人)を隠すかというところに力が注がれ、巧妙に組み立てられた傑作だと思います。 2005.06.09読了 [ジル・マゴーン] |
日曜の夜は出たくない 倉知 淳 | |
1994年発表 (創元推理文庫421-01) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
|
ガラスの塔 Tower of Glass ロバート・シルヴァーバーグ |
1970年発表 (岡部宏之訳 ハヤカワ文庫SF294・入手困難) |
[紹介] [感想] 地球に謎のメッセージを送りつけてきた異星人とのコンタクトをテーマとしたSF……かと思いきや、そちら方面の話は驚くほどあっさりと序盤で終了。そこから先は、アンドロイドと人間の関係を中心に物語が進んでいきます。作中で示される異星人の設定が非常に魅力的なだけに、実にもったいなく感じられるところですが……。
本書のアンドロイドは機械ではなく、遺伝的に設計されて培養槽から生み出される“人造人間”であり、人間との差異はほとんどないといってもいいでしょう。その意味で本書は、ロボットものというよりはミュータントものに近いように思います。そして、単なる労働力として人間に扱われるアンドロイドの姿に、人種差別問題とのアナロジーを見出すことは容易でしょうし、また実際に作中でもそれと重ね合わせるような記述があります。しかし本書では、創造者の存在が状況をより複雑にしています。 アンドロイドたちが、創造者たるクルッグを“神”とした宗教を作り上げているところが面白いと思います。欧米人などにとっては当然なのかもしれませんが、宗教との関わりが薄い日本人としては非常に興味深いものがあります。特に、本書の重要な登場人物、クルッグの右腕にしてアンドロイドたちのリーダーの一人であるソー・ウォッチマンにとっては、目の前に存在する仕えるべき主人としてのクルッグと、慈悲や救済を求める対象となる概念としてのクルッグを切り離して考えてざるを得なくなるあたりは秀逸です。片や、当のクルッグはアンドロイドに自らの被造物としての愛着こそ持っているものの、支配力をふるうのみで、自分が“神”だという意識はまったくありません。この二人――“神”とその“信徒”――の意識のずれが、あるSFガジェットを通じて露呈する場面は、物語の一つのクライマックスとして強く印象に残ります。 本書の題名となっている“ガラスの塔”は、クルッグの情熱と執念、そしてアンドロイドたちの労働と犠牲によって、少しずつ完成に近づいていきます。作中では“カテドラル”とも表現されていますが、アンドロイドたちがクルッグを“神”と崇めていることを考え合わせると、何とも象徴的です。しかしその一方で、裏表紙のあらすじで“バベルの塔”になぞらえられているように、あまりにも壮大であるがゆえの不吉なイメージもつきまといます。その結末は、ある意味で皮肉。 全体的にみて、それなりに面白くはあるものの、今ひとつ焦点が定まらない印象があるのも確かで、何とも微妙な出来の作品です。 2005.06.16読了 [ロバート・シルヴァーバーグ] |
黄金の羊毛亭 > 掲載順リスト/作家別索引 > ミステリ&SF感想vol.107 |