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コラム226
現実と空想 |
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この頃、実物の異性ではなくて、アニメやゲームのキャラクターに恋する人が増えていると言う話を聞きます。
私自身もアニメやゲームにめちゃくちゃはまったクチなのでガンプラを沢山組み立てたしアニメも良く見てました(笑) 当時の例ですと、昔放送したロボットアニメ「太陽の牙ダグラム」は政治の話が多くて、当時小学生の自分にはストーリーがチンプンカンプン・・・・ただロボットの戦闘シーンで喜んでいました、特に敵で登場した24部隊(ブルーのソルティク4機)が好きでした(笑) そんな感じで、メカが好きと言う理由でリアルロボット系アニメを見まくりと言う子供時代を送りました。 そのまま、中、高校生の頃は近代兵器〜第二次世界大戦の戦車とか戦艦とか航空機のプラモデルを作ったり、最後はサバゲーにはまってBB弾を打ちまくってました(笑) これらの行動はある程度ならば経験した人も多い思います(たぶん?)。 それが年齢の経過と共に徐々に趣味が変わりだして、やがてしなくなる。 始めに話した「キャラクターに恋する」と言うのは仮想話の中に感情移入してしまうと言う事だと思います。 普通ならば感情移入した後、時間と共に薄れます。
これらの感情はキャラクターが好きとか嫌いとかで判断していますが、恋するとかになると待ったく別の話・・・。 例えばアイドルが好きだとしてもその後10年たてばその人の若さは無くなって逆に新しい新人アイドルと比べれば肉体的若さでは10年経過した人は絶対若い人に勝てない。 根本的に人間は自分の事を棚に上げて美とかに憧れます。 これはアニメにはまった人でもコミニケーションを他人としていれば現実と空想の違いは明確になっているのですがそれらの現実との差が分からなくなっているようです。 人間が創造する仮想世界・・・・・と考えるとネットなどに都合よい空間が存在する事で尚更、他人と接する事よりもそれらの空間の中に入り込むと言う事もあるかもしれません。 私も先日、トイザラスのガンプラコーナーでPGストライクガンダムを「買うか」「買わないか」で独りで悩んでいてプラモデルを眺めていていたら、見ていた家族に呆れられて指摘されていますから・・・・・興味が無い人から見ればガンプラコーナーで独り考え込んでいる私(30過ぎ)もやばく見えるようです(苦笑)。 どちらにしてもこの手の話は難しいといえます。 趣味を追求する楽しさはよく分かる、ただそれだけに没頭して対人関係が不器用になってしまう。 アニメのキャラクターは仮想のものであり、実際に存在しているわけではありません。 外観にしても性格にしても原作者やキャラクターデザインの理想によって作り出されているキャラクターと欠点だらけの生身の人間が勝てるわけがないと言う事になります。・・・・と言うよりも当たり前の事実!! しかし、人間は現実社会の中でしか生きられない、自分自身が生身の人間である限り接していく事が出来るのは同じように生身の人間だけと言う事実があるので、この事実を子供から成長にしたがって知ることで変化していき趣味としての比重が薄れて行くのだと思います。 それが、現在のようにパソコンなどの進化で身近な存在(インターネット)にさせる事が出来る為、現実社会よりもこれらの仮想世界にはまる人もいるのでしょうね。 実際に生身の女性に興味を持たない、又は接し方が分からない・・・・と言う人が実際にいますと言うよりも増えているような気がします。 例え、嫌われたり好まれなくても人との交流を続けていく中で、色んな人に会う事で自分がどう他人に接するのか、他人にどう思われているのかを考える事で変わっていくのが普通だと思いますが・・・・・現実的にそれが出来る人ばかりでもないと言うことも分かります。 しかし、異性だけに限らず同姓でも色んな人と接していく、あう人あわない人が色々居るにしても同じような属性の人ではない人と接したりする中で他人への対応を少しでも覚えていく・・・・・・・難しい話ですが、人間である限り人間と接していくしかない・・・・。 今思えば私はアニメが大好きでしたがキャラクターに興味を持たずメカだけに興味を持ったガンプラ少年だったんでしょうね、その所為でマンガの『プラモ狂四郎』が当時は好きでした(笑) そんな自分が途中から対人関係を考え出して色んな人と接することで振り返ってみればガンプラもアニメも趣味の一種と言う位置になりました。 そうそう、私自身は自分が「オタク」だと認識していますが、認識していない人も結構居ます認識する事は結構大切です(笑) |
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