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《天安門革命詩抄》写真集

  ここには《天安門革命詩抄》関連の写真を集めた。いずれも一九七六年四月の清明節前後、天安門広場内の人民英雄(記)念碑前の情景である。
       
憤怒出詩人
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第一次天安門事件概説
                          第一次天安門事件詳説


(歌唱社会主義祖国)


  文化大革命末期、一九七六年四月の清明節に、民衆が同年一月八日に逝去した周恩来総理を悼んで、天安門広場の人民英雄(記)念碑前で、人々は周恩来に対して花輪や詩歌を献げた。
  この四月四日の清明節の翌日、五日に起こった事件を天安門事件とよぶ。もっとも、一九八九年の六月四日に天安門で起こった事件も天安門事件とよんでいるので、両者を区別するため、周恩来追悼花輪詩詞事件を第一次天安門事件ともいう。

  第一次天安門事件は、一九七六年一月八日の周恩来総理の逝去から始まった。彼は、国務院総理として、調整役に当たり、実務家として活躍してきた。しかし、彼の死は、文化大革命中の政治的な状況では、中華人民共和国建国の功労者としての十分な追悼をしてもらえなかった。そんな彼を悼む人々が、三月中下旬より四月四日の清明節までに、中国各地南京、(各地の出来事は、「文化大革命簡史」中共党出版社「文化大革命十年史」等に詳しい。)北京の天安門広場の人民英雄紀念碑前に自然発生的に集まり、周恩来追悼の花輪や詩詞を献じたりした。これに対して、当局側が反革命的な動きがあるとして、花輪を取り去ったり、四月四日の清明節を出勤日に変えたりしたが、翌五日、人々と当局側がぶつかり合って、制圧が始まった。
  もちろん、考えられるのは、今回の事件の原動力は、単に周恩来総理に対する追悼の念だけではない。裏に隠されていたのは、人々が十年続いた文化大革命による、国力の疲弊、人間関係の混乱、政治の壟断、経済の衰亡等に対する危機感を抱いていたことがあったろう。しかし、正面切って文化大革命に反対は言えない。そこで出てきたのが、総理追悼という行為だったのだろう。これは、指導者追悼の情念と愛国の熱情に基づいた正義の行動であり、これを以て、文革推進派、いわゆる「四人幇」(四人組)の文革理論の政治に拮抗する事が出来る、そんな思いもあったろう。尤も詩で見る限りでは、人々はそのような理念に基づいた行動ではなく、情念の行動だったことが強く伝わってくる。
  ここに、その間の写真を収める。波乱に満ちた時代の、同時代人の吶喊と鎮魂の写真集である。多くの思いが交錯する。
  なお、同年九月九日、毛主席が亡くなり、一ヶ月後の十月六日、後に「王張江姚」と、ひとまとめにいわれた、いわゆる「四人幇」の逮捕により、文化大革命は終焉をみた。
      
人海涌洶花作浪  悲歌撼地入青雲
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                                   (’99.8.30 改。)


本ホームページは、5メガバイトまでしか許容されていないので、やむを得ず画像の質を落としても、ファイルサイズを可能な限り縮めました。真に残念です。どこか無料で貸していただけるところがあったら……と思っています。教えていただければ、幸いです。なお、画像については、汚れを取る等の技術的な修正は施していますが、内容は一切変えていません。
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一番上の「中華民族の立派な息子」から入っていきますと、一巡出来ます。
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写真  中華民族の立派な息子 周総理
写真  人民英雄紀(記)念碑 眺望 
写真  人群動,雕欄上,玉階中
写真  欲悲聞鬼叫
写真  勁松
写真  瞻望未来
写真  朗誦詩篇 
写真  神州人人悼英霊
写真  人民的総理人民愛 
(未着手)
(未着手)


天安門革命詩抄(詩集)





天安門革命詩抄(詩集)
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