huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye

      詩詞概説


はじめに
  このページでは、各時代の詩詞の概要について述べている。本サイトは宋詞を中心にしているが、先秦の『詩経』『楚辞』から、漢魏六朝詩、唐詩…と各時代に亘って、触れている。そのため、ここではそれらの全体像を概括するためのページとして設けた。



1.古代の詩詞
  詩の時代区分に依る分け方は、少数派かもしれないが、敢えてすれば次のようになろう。(なお、以下本頁に述べる文を一頁の表にまとめたのが、歴代詩詞年表である。そちらは、詩詞全般の推移を概観するのにつごうがよい。)
先秦詩 『詩経』                 先秦
『楚辞』
漢魏六朝詩 両漢詩
魏晉南北詩 魏晋南北朝
唐・五代詩 唐詩 隋・唐・五代
宋詩/宋詞 宋詩 北宋
南宋
金・元詩 宋代以降 金・元
明詩
清詩
 
 普通は、その時代に興った作品、作風で区分し、次のようにするのが多い。
『詩經』     四言等不定 黄河流域:北方の詩歌集 韻脚による押韻
『楚辭』   六言等不定・騒体 長江流域:楚地方 騒体 韻脚、虚字脚による押韻
樂府   五言等 楽府体 歌謡 韻脚による押韻
古詩   五言 『古詩十九首』『古詩八首』『雜詩九首』
六朝詩   平仄の確立。 対句。
唐詩 初唐 七言律詩
五言律詩
七言絶句
五言絶句
排律
 
  盛唐 近体詩として、律絶の形式の完成。粘法。
  中唐  
  晩唐  
宋詞 婉約詞
豪放詞
ここが本サイトの中心。
婉約詞、豪放詞の二大流派がある。
細かい流派について、詳しくは参照。
元曲    
     
白話詩
自由詩
散文詩
     

  古代詩の体系的に残っているものでは、周の『詩經』が最初のものになる。北方、黄河流域に起こった文化を反映している。上代詩歌では、例外的なものでは、上古の歌謡『撃壤歌』など多くがあるが、これらは後世(晉・皇甫謐『帝王世記』、『古詩源』などに拠る)の編纂のものになる。

  ◎『詩經』
  現存する最古の体系だった詩集である。『詩經』は、はじめ、単に『詩』とか『詩三百』とか呼ばれていたが、漢代以降、「五經」の一として儒教の経典となってからは、『詩經』と呼ばれるようになった。その構成は、大きく『風』、『雅』、  『頌』の三つの部分からなり、あわせて三百余篇の詩歌を擁している。
そのうち、『風』は各国(各地方)の民歌になる。全部で十五の国風があり、我が国風に言えば「風土記歌謡」群といえる。十五の国風は、周南、召南、?、?、衛、王、鄭、齊、魏、唐、秦、陳、檜、曹、?の民歌で、それぞれ「衛風」、「王風」、「鄭風…というふうに呼んでいる。成立年代は、西周末年の詩は僅かであり、その大部分は東周の詩になる。
  次の『雅』の部分は、西周中期から晩期にかけての宮廷の音楽歌で、士大夫の作品になる。『雅』はさらに『大雅』と『小雅』に分けられる。『大雅』は朝廷の儀式音楽歌にあたり、三十一篇あり、『小雅』は宮廷の饗宴で奏でられた音楽歌になり、七十四篇ある。
  最後の『頌』は祭祀用の詩歌になる。
  『詩經』の形式は、外見からは、ただの四言詩というだけのようにも見えるが、その中身は後世の四言詩と全く異なる。まず、繰り返しがある。段が変わっても詞の一部が入れ替わっているだけで、嘗て声に出して歌われていたことがよく判る。また、後世の四言詩は、押韻方式が著しく異なり、韻脚の性質も異なる。交韻のどの換韻様式や虚字脚があることなどが大きな特徴になる。
   交韻とは、この時代独自の押韻で、二種の韻脚を次のように交互にふむ。例えば、王風の「黍離」で、

彼黍離
 彼稷之
 行邁靡
 中心搖
 知我者,謂我心
 不知我者,謂我何
 悠悠蒼
 此何。」

という場合、第一句から第四句までが交韻で、「」韻と「」韻とが交互に「という風に現れている。上述の虚字脚とは、

悠悠蒼
此何。」
とある「哉」がそうである。

また、次の作品も典型的なものである。青字が虚字脚であり、赤字が押韻している。
     
登彼西山兮,采其
       以暴易暴兮,不知其
       神農虞夏,忽焉沒兮,吾適安
       吁嗟徂兮,命之
                     
上代詩歌の特徴で、之、兮、哉、也、矣、などの虚字が句の末尾(脚)になっていた場合、その一つ前で韻を踏むことをいう。之字脚、兮字脚、哉字脚、也字脚、矣字脚、…という。それら(後世から見れば)一風変わった規范がある。

  また、、同じ句や似た句のリフレインが多いことである。同じ表現を繰り返し使っていることが先ず挙げられる。
  例えば「□□□之,□□□□,□□□之,」や「□□□兮,□□□兮,」、この兮字脚や矣字脚、也字脚等々、虚字脚が甚だ多い。恰もそれらは韻脚の如き働きをしている。このため、極めてリズミカルになっている。上古の詩歌や、民歌に共通のことと謂える。声に出して歌っていたことからくるのである。これは、唐詩では、俗、醜、臭(ダサイ)として排斥されたところである。リズミカルな点については、別に現代語を待つまでもなく、日本語の音読みだけの朗読でも、よく分かる。特に国語(日本語)音韻の変遷を顧慮して読めば、北京語より日本漢字音の方が意外と古韻を保っている部分が多く、『詩経』の世界に浸ることができる。残念ながら、日本語からは声調は再現できないものの、現代北京語の声調も大きく変化しているので、構わないのではないか。(王力先生著:『詩経韻読』上海古籍出版社)
   『詩經』の中では、その第一頁に位置する『國風』の「關雎」(くわんしょ:guan1ju1)、「關關雎鳩(カンカンと啼き叫ぶ雌雄のミサゴ),在河之洲。窈窕淑女,君子好逑。…」や「桃夭」(たうやう;tao2yao1)「桃之夭夭,灼灼其華。之子于歸,宜其室家。…」等は有名で、特に青字のフレーズは、現代でも屡々使われているが、多くは難解(に感じられるところ)であり、近寄りがたい。
 押韻の方法は、唐詩とは全く異なる。後世の唐詩では、「□□□□□,□□□□。」等のように、聯の終尾が韻脚になっている。『詩經』では、基本的には、句の終わり部分をそろえて、「□□之,□□之,」という風にする。このように句末の一字前が韻字というのがあるのも、唐詩を見慣れたわたしたちの目には、奇異に映る。偶然に、これと似た押韻の仕方を平成十四年十二月に見つけた。広西省壮族の歌垣である。歌謡研究会での手塚惠子氏の報告では、脚韻ではない押韻がある。図示すれば「………A,………A…B。 ………B,………B。」のようになるか。上代の北方漢族(華夏民族という方が正確か)と、現代の南方少数民族とを比較するのは苦しいが、少し興味を覚えた。『詩経』の方のここは、「[韻]之」の二字の部分の音が押韻の働きをしているのだとも考えられなくもない。(歌として見た場合、その調子は、やはりこの二音節でとっているのだろう。)

  ◎『楚辭』
  その三百年の後、『詩經』に続くものとして、『楚辭が南方の長江流域で起こった。紀元前三世紀、戦国時代の後期の楚の国に興った詩体である。『楚辭』とは「楚の国の詩」の意になり、楚の国の屈原が中心となる。後に漢の成帝の時代になって、劉向が屈原や宋玉などの作品を整理、編輯して一つの詩集『楚辭』に仕上げた。『楚辭』の表現内容は、ダイナミックなものである。詩経に比べ、長篇であり、ストーリーが明確で慷慨の気魄が伝わってくるものである。ただ、用字が『詩經』よりも難解でくせがある。『楚辭』の押韻は、『詩經』同様であるばかりか、一層強烈に虚字脚を使い、騒体というものをうちたてた。騒体とは、韻脚とは別に、虚字脚(兮、其、些、以、與、於、而)が押韻の働きを担っている。『楚辭』ではそれが一層顕著になっている。例えば、その中の『招魂』では、繰り返して詠う一節で、

……
巫陽焉乃下招曰:
去君之幹,    何爲四
舍君之樂處,   而離彼不
魂兮歸來 東方不可以
長人千仞 ,     惟魂是
十日代出 ,     流金鑠
歸來歸來     不可以
……
……
          魂兮歸來 北方不可以
撕u峨峨,        飛雪千
歸來歸來        不可以
 
魂兮歸來    君無上
虎豹九關 ,    啄害下
一夫九首 ,    拔木九
豺狼從目 ,    往來
懸人以嬉,    投之深
致命於帝 ,    然後得
歸來歸來     往恐危
……

と、いう具合に虚字脚「些」字をみごとに使いこなして出来上がっている。
同じ『楚辭』でも「九歌」の「湘君」では、その押韻形式は異なっており、現代のものにやや近い。これは虚字「兮」が前半の停頓のところに(後に)ついている。前半部分の韻脚ともいえる。
                    君不行
蹇誰留
美要眇
沛吾乘
無波,
使江水
望夫君未來,
吹參差
駕飛龍
吾道
薜茘柏帙a,
……
「漁父」になると散文の要素もより多くなるとともに、『孟子』にある古歌の『孺子歌』を組み込んでいる。
  また、脚韻の分類が唐詩に使われている切韻系統の広韻を整理した詩韻・平水韻などとはこれも大きく異なり、古(上古)韻の韻部29部(他に10,13,17,18,21,22,23,25,28,29,30部)にわけ、陰声、入声、陽声の対応があり、音価も今のわたしたち(日本人・中国人)からは、想像しにくいものもある。『楚辭』は前出押韻の他に「□□□□□□兮,□□□□□□」の形等もとる叙情詩として生まれ、その辞賦形式は各時代で変容を遂げながら、遥か後世にまで影響を与えた。
『楚辭』は屈原による「離騷、九歌、天問、九章、遠遊、卜居、漁父、九辯、招魂、大招、惜誓、招隱士、七諫…」や、宋玉の『九辯』(「悲哉秋之爲氣也,蕭瑟兮草木搖落而變衰,慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,…」)、『風賦』(楚襄王遊於蘭臺之宮,宋玉景差侍,有風颯(颯:『文選』では「颯」の偏と旁が逆になっている)然而至,(襄)王廼披襟而當之曰:『快哉此風!』寡人(寡人:朕)所與庶人共者邪?」…)がある。辞賦は、『文選』などで見比べていても、我々現代人の感覚からすれば、韻文から離れて散文というようにも感じられる。もっとも、騒体の虚字脚・「兮」字脚と「」字の洪水は、朗詠すれば美しい韻律を醸し出すことなのだろう。(読み下しをしないで、日本語の音読みで棒読みをすれば、声調は無理としても、感じが味わえるかもしれません。)この辞賦形式は、漢代に入って賦としていよいよ栄える。これらの事情は『全漢賦』費振剛繍校(北京大学出版社)や、『賦』陳慶元著(江西師範大学出版社)に詳しい。

  ◎漢楽府
  漢の代、武帝は、朝廷の儀式や宴会で演奏される音楽や歌を編輯して演奏した役所である樂府を創設し、後には各地の音楽を採取させた。後世、楽府が採集、整理して歌われた民歌をまとめて「楽府詩」というようになった。それ以降この形式や詩題(楽府題)を使った詩歌をも『樂府』と呼ぶようになった。これらをまた、「古樂府」「漢樂府」「樂府體」「樂府詩」「樂府歌辭」ともいう。「古樂府」は「新楽府」に対して、「漢樂府」は「漢文、唐詩、宋詞、元曲」に対して、「樂府體」は「雜謠體、古體、近體」に対しての呼称になる。樂府詩を集大成したものの中、最大規模のものは、宋の郭茂倩の『樂府詩集』になる。この『樂府詩集』の分類に拠れば、『樂府』は、「郊廟歌辭」「燕射歌辭」「鼓吹歌辭」「吹曲辭」「相和歌辭」「C商曲辭」「舞曲歌辭」「琴曲歌辭」「雜曲歌辭」「近代曲辭」「雜歌謠辭」「新樂府辭」の十二篇に大別分類している。その中で、主なものは「相和歌辭」や「鼓吹曲辭」「雜曲歌辭」に入っている。ここで『樂府』とされたもので、本サイトで採り上げているものに、項羽『力拔山操』(力拔山兮氣蓋世:『垓下歌』として広く知られている。)、漢の高祖(劉邦)の『大風歌』(大風起兮雲飛揚)、漢の武帝(劉徹)の『秋風辭』、時代は下って、唐の王之渙の『涼州詞』(黄河遠上白雲間)、王昌齡の『出塞』(秦時明月漢時關)等がある。楽府題には「…行」「…歌」「…曲」というようなものが多く、とりわけ「…歌」「…吟」等は歌われていたことが明瞭に分かるものである。なお、この分類に拠れば、白居易などの新たな楽府以外に、『竹枝詞』も『樂府』に含まれ、遥か後代の清末の秋瑾の長詩もそれ(歌行)に該当する。
  われわれが、普通に『樂府』と呼んでいる場合、宋の郭茂倩の『樂府詩集』に掲載された漢代(以降)の長詩で、前出の『涼州詞』や王昌齡の『出塞』等は、『樂府』にはなるが、あまり『樂府』とは呼ぶまい。
  この頃のものに『古詩十九首』 がある。五言詩で、さほど長くはないが後世の律詩よりは長い。作者も時代も明確にされていないが『昭明文選』に採録されている。内容は、人の生きてゆく悩みを詠った、今日にも通ずる作品群であるなお、後漢末の動乱では、蔡文姫の『悲憤詩』 (騒体)や『胡笳十八拍』などは、中国最初の自叙伝的な詩になり、肺腑を剔られる思いがする絶唱である。


2.六朝詩
  六朝では、五言詩が隆盛を極めた。対句をはじめとした、技巧が発達し、一部に平仄への意識が芽生えている。近体詩を見慣れた者からみると“普通の”詩になっている。漢魏六朝の詩人としては、先ず、建安の「三曹」(曹操、曹丕、曹植)が挙げられる。歴史上、動乱を乗り切った人物として、『三國志』、後には『三國演義』での活躍の方が有名であるが、詩でもたいしたものである。前代の漢の武帝と同様、文武両道の人物である。魏の武帝・曹操の『短歌行』「對酒當歌,人生幾何。譬如朝露,去日苦多。慨當以慷,憂思難忘。何以解憂,唯有杜康。」や『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍。…悲彼東山詩,悠悠使我哀。」は素晴らしく、特に前者は感動的で、後代作られたイメージとは大きく異なった作品を残している。彼の『短歌行』「對酒當歌,人生幾何。…」のフレーズは後世屡々使われ、歌われ続けている。建安の三曹、後出の建安七子そのほか多くの人物で、詩歌、辞賦のみならず、散文、小説などの新たな文学の境地を開いた。建安の三曹の一、曹丕の『燕歌行』「秋風蕭瑟天氣涼 草木搖落露爲霜。…」、また曹植の『七歩詩』「煮豆燃豆箕,豆在釜中泣。本是同根生,相煎何太急。」は、その寓意もあって甚だ有名で、人口に膾炙している。同じく建安七子(孔融、陳琳、王粲、徐幹、阮籍、應、劉)、や、左思、陶淵明、鮑照、謝靈運、信などが挙げられる。本サイトでも陶潛の作品は『陶淵明詩集』のページに、『玉台新詠』にあるものは、『玉台新詠』集のページに収めている。この時代の作品の多くは『昭明文選』、『玉台新詠』に採録され、後世『樂府詩集』、『古文眞寶』、『古詩源』などにまとめられている。



3.唐詩
 前代からの詩の形式を受け継ぎ、唐代に発展し隆盛を極めた中国の韻文で、それに因み、唐詩と呼んでいる。後代、唐詩、宋詞、元曲と並び称して、中国の各時代の韻文を特徴づける言い方もあるが、本来は、文字通り「唐代の詩」という意味で、「宋詩」「明詩」「清詩」等と同列に使っている。もっとも、このサイトでは、唐詩を近体詩、宋詞を填詞の意味で使っているが、通りの良い呼び方を使っているだけで、他意はない。
  なお、わたしたち日本人が、一般に「漢詩」呼んでいるのは、主としてこの唐詩形式中の近体詩を中心としたものを指している場合が多いだろう。もちろんその場合の「漢詩」の意は「中国の詩歌」の義で、「和歌」日本の詩歌)対応して使っている語になる。当然の事ながら「宋詩」「明詩」「清詩」と並び称される中に、漢代の詩として「漢詩」があるのはいうまでもない。

 ◎唐詩の声律、格律
 唐詩の声律、格律については、唐詩格律・作詩法のページを御覧下さい。

 ◎唐詩の諸形式
 唐詩は、その形式により、古体と近体(今体)に別れ、その近体は絶句と、律詩、また排律に別れ、それぞれに五言と七言があり、この五言と七言が主流。なお、平仄式については、「作詩法」のページに譲ります。
 唐代の詩は、次の表のように四分される。その四変の範囲は、おもしろいことに、国により、論ずる人により、異なっている。

 時  代  詩   人          傾        向
・初唐 高祖・武コ元年(618年)〜玄宗・先天元年(712年) 王勃、駱賓王、盧照鄰、楊炯。 雄渾な作品が多い。:唐の始めから則天武后までの時代。 高祖、太宗、高宗(李治)、則天武后の時代。詩人は上官体を作り出した上官儀。「全唐詩」には彼の作が二十首載っているが、盛唐の詩とは平仄では大分感じが違うようだ。(複姓で「上官」が姓)その孫娘の上官婉児。(婉女、昭容)。
・盛唐 玄宗・開元元年(712年)〜代宗・永泰元年(765年) 李白、杜甫、高適、岑參、王維、孟浩然 開元、天宝の時代。わたしたち日本にもよく知られている唐代の詩人のほとんどはこの時代になる。ここが唐詩の一つの中心となっている。傾向として辺塞詩(征討詩)、諷諭詩、豪放詩的なもの(剣を撫でさする詩?)は七言詩で表現され、隠逸、田園、婉約詩的なもの(ハンカチで涙を拭う詩?)は、五言詩で表現されているか?はたして、内容と形式が合致して使われているのか…?
・中唐 代宗・大暦元年(766年)〜文宗・太和九年(835年) )韋應物、柳宗元、韓愈、孟郊、元、白居易、李紳、張藉、王建 この時期、白居易は、「新楽府」など、文芸復興、文学の革新運動を起こした。
・晩唐 文宗・開成元年(836)〜昭宣・宗天祐四年(907年) 杜牧、李商隱、温庭 衰えてきて、芸術的にも高くないといわれるが、わたしは個人的には、この時代の人間的な暖かさ、哀しさのある作品が大好きである。多少、頽廃の影を宿してはいるが…。



◎唐詩の分類
 漢詩といえば唐詩で、唐詩といえば絶句で、絶句といえば七言絶句ということになるほど、我が国に紹介されたものは、盛唐までの絶句が多い。これは、『唐詩選』に負う所が大きい。古く、『白氏文集』、幕末には「宋遺民詩詞」と時代によって多少の変化を見せているが、『唐詩選』の影響は、大きい。それに対して、中国では唐詩を広く(浅く)捉えた『唐詩三百首』に人気があり、両国で底本の違いによる詩句の相違が、たまに問題となるが、楽しい問題である。形式的には、唐詩は大きく古体詩(古風)と今体詩(近体詩)に二分出来る。
 古体詩は、王力先生は「漢語詩律学」(上海教育出版社)の中では、各句の字数によって七種に分けているところが日本の見方と少し違うところで、日本では、古体詩は、平仄は構わずと言っているが、唐宋以降の古体詩は、平仄や表現(対句)、語法(文法)等に、近体詩の影響を受けているとのこと。それ故、同書では各種古体詩の平仄などもしっかり述べられて、五言平仄句式は三十二類で七言の平仄句式は百二十八類と分析しているが、もっとも、このことに関しては、五言、七言古体詩と更に早い時期の四言詩・騒体詩(「離騒」の形式を模したもの)には平仄の要求はない、と「詩詞曲的格律和用韻」(北京大学中国伝統文化研究センター 耿振生;大象出版社」ではなっている。日本では、一定の位置の平仄、または並び方を記している詩書もある。しかし、私見と言うほどでもないが、それには何か「???」という感じが湧いてくる。わたしは、特殊な漢字でない限り、その声調(平仄)が解るつもりだが、「どうもそんなに規則性がないのではないか。確かに、一部の詩では平仄(というよりも声調)の調和で遊んでいる(?)ものもあるようだが……。」という感を抱いている。読者各位に、このことを考えて頂くために、本サイトでとりあげた一千首程の詩句には、全て平仄を附けておいた。作品群はトップ頁の下寄りから入っていけます。
 近体詩は、大きく分けて絶句と律詩になる(そのほかに排律)。それぞれが五言と七言とに分かれる。五言詩は魏晋南北朝に完成され、七言詩よりも古いものになる。
 五言絶句は、五字句四行、七言絶句は、七字句四行。五言律詩は五字句八行、七言律詩七字句八行となる。そのうち、律詩は三句と四句が対句、五句と六句が対句(対仗)になるようにする。また、基本的に偶数句で平韻の押韻をする。(七言詩では第一句も韻を踏むのが通例)。図示すると、以下のようになる。
======================以下、推敲不十分===================================

                      ┏古詩(一句五言字数は無限)
                      ┃古詩(一句七言字数は無限)
                      ┃雑言詩(七言古に入れることがある)
     ┏━━古体詩(古風)━━┫楽府(漢代……五言詩、雑言詩)
     ┃               ┗   (後代……七言詩も含む)
     ┃              
      ┃                 
   詩 ┃                
      ┃               ┏絶句(五言)偶数句押韻。平韻の一韻到底。
     ┃               ┃絶句(七言)首句と偶数句押韻。平韻の一韻到底。
     ┗━━今体詩(近体詩) ━┫律詩(五言)偶数句押韻。平韻の一韻到底。
                      ┃律詩(七言)首句と偶数句押韻。平韻の一韻到底。
                      ┗(排律:「律詩」の中に入れるのが普通。ここでは、紹介のために出す。)(五言)


 一つの句の節奏は、五言詩の場合は、二字+三字に句切る。七言詩は、四字+三字に切る。前半の四字の部分は二字+二字に分けられる。最後の三字は、二字+一字(一字+二字も)になる。
五言詩= □□+□□・□      (□□+□・□□)
七言詩=□□・□□+□□・□  (□□・□□+□・□□)

ここで五言詩と七言詩の平仄をみる場合、その起源となる六朝の詩から見て、七言詩は、五言詩の初めに二字が附いたものと見る。つまり、「○○●●○○●」という七言句は、「●●○○●」という五言句の頭に○○が附いたもので、「○○●●○○●」とみる。同様に、「●●○○○●●」という七言句は、「○○○●●」という五言句の頭に●●が附いたもので、「●●○○○●●」とみる。
  しかし、これだけだと、古詩や一部の詞にも七字句四行がある。例えば樂府にも入れる、『涼州詞』、また、『欸乃曲』(『阿那曲』)、『柳枝』等は七言絶句と同様な形式になる。(阿那曲は仄韻)。『江南春』は、どうなるのか。中国や日本で出版されている本では、同一の詩を、ある本では絶句、ある本では古詩となっている場合がある。この弁別の問題は、次に述べる平仄の観点に立って見るしかない。平仄だけに基づいてみては阿那曲、柳枝と七言絶句との区別は難しい面も出てくるが、詩形式ではなくこれは、詠み込む内容の問題でもある。特に、竹枝詞の場合は、ほぼ完全な七言絶句形式をとり、広がっているが、詠み込む内容の違い、という場合がある。この場合は、七絶形式の大衆化を伴った発展ともいえる。


◎近体詩の平仄
 一つの漢字(=中国語一音節)には、固有の声調(場合によっては二つの韻:両韻。複数の発音:多音字)があります。声調とは主として「声」・発音の際の抑揚を指します。この声調が漢語(中国語)には、歴史的に見て基本的には四種あります。その四種を名付けて「平声」「上声」「去声」「入声」といいます。まとめて「四声」ともいいます。
 詩を作る場合は、この「平声」「上声」「去声」「入声」の四種の声調を大きく二分して考えていきます。「平声」と「上声」「去声」「入声」とに分けます。「平声」を「」、「上声」「去声」「入声」の三種をまとめて「」とよびます。例外を除いて、この「平」・「仄」の言い方でいきます。
 「平」は、(高く)平らな音で、「仄」は、平らでない音といえますが、現代語の詠み方からは「平」は長律、「仄」は短律ともいえます。
 平を表す記号としては、日中とも伝統的に「」、仄を表す記号としては、日中共に「」を使います。平になるべきだが仄でもいいところは、「」(または「」)の符号を使います。仄になるべきだが平でもいいところは、「」(または「」)の符号を使います。


       ・平声……………

       ・上声┓
       ・去声┃…………
       ・入声┛


 なお、声調・四声・平仄、並びに平仄式については、歴史的に漢語(中国語)音韻を見る立場に立って、「唐詩格律」で述べています。また、現代語の声調と詩の音韻との関係は「現代語音韻と詩韻」でそれぞれ詳しく述べていますので、そちらを御覧下さい。

 詩はその詠い込むものとしては、自分の心情の吐露、また、応制での創作等、わたしたち日本人にもよく理解できるものがあります。この時代の詩の一部が「和漢朗詠集」として日本に紹介されたのも頷けます。その後、禅宗の僧侶が愛し、武士が教養としたので、日本での漢詩は枯淡で、悟りを開いたものが多いかもしれません。文化の違いでしょうか。


3.宋詞
  「詞」は、宋代に名人・名作が輩出したことに因んで、また、唐代に隆盛を極めた「唐詩」と対比させて「宋詞」と呼ばれています。形から謂えば、唐詩のように一句の文字数が五字や七字という風には決まっていない、長短句入り混じったもので、詩よりも複雑な規制があります。 これは「歌詞」として発達したことからの制約なのでしょうか。詞は、詩を作る手すさびとして作ったためとも謂われて「詩餘」の名もあり、また、作り方に基づいて「填詞」とも呼ばれています。(たまに填詞のことを詞餘と書かれているのを見かけますが、詞餘は元曲のことになります。)

  詞は、内容からいっても、詩とは全然違った感情を詠みます。「詞」を「小唄」「端唄」等と訓んでみたりすることからも分かるように、嫋々としたもの、艶麗なもの、豪胆なもの等と、詩とは、趣を異にしたものを うたい込みます。とりわけ、女の心を詠ったものも多いようです。詞には、詩とはまた異なった別の天地があります。それは、喩えれば、女心の憂悶を詠ってみたり、 沸き上がる情熱を謳う世界なのでしょうか。そのため、この形式の韻文は、中国でも正式の韻文とは認めてもらえなく、正式の韻文の位置は詩(律詩、絶句)が占めていたようです。 しかし、心のあらゆる襞まで詠むため、また、歌っていたため、また、そのために使う語彙も、詩とは全然違った俗な表現を用いたため、中国では人気を博したようです。それ故、有名詩人の中にも詩とは別の表現を求めて詞も作る人が出てきて、詩人であると同時に詞人である場合も見受けられます。(本ホームページの「参考文献」では、詩詞人・詩詞集の場合、「唐詩」の方にまとめています。)

 詞は盛唐の李白で詩人も取り上げて大いに盛り上げ、白居易、温庭と続き、五代の南唐後主李U、更に、宋代の晏殊、柳永、やがて蘇軾で文学として確立させ、周邦彦、李清照、辛棄疾等に到り、個性豊かな詞が花開きました。とりわけ、各時代の各階層の人物から、当時の社会情勢の影響を色濃く受けた、味わいのある作品が生み出されました。
 中国でこの形式の韻文が流行ったときは、日本では武士の時代で、到底受け入れられなかったでしょう。また、語彙も日本漢学の主流とも謂える上古、中古漢語からはずれた中世の漢語(中国語)なので、漢学の素養のある階層の人にも解りにくく、更に、古=高雅、俗=低劣なものとされていたのでしょう。そのため、詞は詩よりも下と見なされて読む努力がなされなかった、という事情があったのかも知れません。鎌倉の禅宗の僧侶は読めたことでしょうが、詞と禅とは相容れなかったのでは、と想像しています。いずれにしても、日本では、現在でも、やはりマイナーな存在といえましょう。
 
 詞は実に複雑な形式であり、その形式の種類は、八百二十五調、一千六百七十余体を数えます。その各形式の名称を「詞牌」と言います。また、作詞上も、各詞調に因っては、畳韻、逗、対句、仄韻と換韻した押韻、四声(平声は当然のことながら上声、去声、入声)の指定、双調、等多々あり、一(首)の文字数も最小で十四字の小令、最大は鶯啼序の二百四十字の長調があり、大変複雑です。 
 なお、上記「詞調」「詞牌」「畳句」「逗」「対句」「換韻」「四声指定」「双調」「」「小令」「長調」等の語彙の意味については「宋詞格律」を御覧下さい。
  
  詞韻は、詩韻が切韻(広韻)の系統であるのとは異なり、「中原音韻」と同根で、全てを十九部に分け、構成しています。詳しくは詞韻のページをご覧ください。

  「詩」と「詞」の日本語での発音は、同じなので、わたしたちは、この両者を共に話題に上せる場合、上記のような言い方で区別をしていますが、中国人にとっては、「詩」(シー)と「詞」(ツー)は、発音が全く違うので、「詩」や「詞」と簡単に謂っても問題はないようです。
 詞について詳しくは、「宋詞格律」や「詞牌・詞譜」のページに述べていますので、そちらを御覧下さい。
 
   (このページ 未完。)

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  (続く)
                                 
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