huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye

                                          




高野山宿坊



極樂橋頭羅漢松,
青青枝葉映秋穹。
宿坊更有西嚮牖,
吹到昭和炎熱風。





ケーブルカーに乗って 夕食の精進料理
摩尼宝塔(ビルマ戦没者供養塔) 山上の道沿いの景
清浄心院前 一の橋
あゝ同期の桜碑 仙台伊達家墓所
空挺落下傘部隊将兵の墓 薩摩島津家墓所
石田三成墓所
苅萱堂(父・苅萱道心と石童丸の絵解きがある)

                                                
          高野山の宿坊 

極樂橋頭(けうとう)  羅漢松((かうやまき))
青青たる枝葉( し えふ)は  秋穹(しうきゅう)に映ず。
宿坊 (さら)に有るは  西嚮(せいきょう)(まど)
吹き(いた)る 昭和  炎熱の風。

         *****     

  八月(二十日(土)〜)二十一日(日)、(九度山と)高野山に行った。


  二十日の午後、九度山駅から二人だけ高野山に向かい(他の観光客は難波駅の方に向かったが…)終点の極楽橋駅で、ケーブルに乗り換え、高野山山上に着いた。

  この詩は、極楽橋の上の方に繁っているコウヤマキは、秋空の下、秋の気配に包まれている。さりながら、わたしたちの宿坊の部屋に限って西側に向き、窓一杯の夕陽を受けて、昭和の初期のように大自然の中にいた。日想観の修行(=西天の落日を観て、極楽浄土を見ると云う修行)をするのには恰度よかろうが…。平成に長く生活している凡骨には、クーラーの冷気が恋しい……というもの。が、夜から明け方にかけては極めて快適だった。


  行程は:⇒九度山駅⇒極楽橋駅(ケーブル)高野山(山上)駅…宿坊(夕食:精進料理・(泊)・朝のお勤め(希望者)・朝食)…摩尼宝塔…苅萱堂…一の橋口…(奥の院参道)…中の橋(Uターン)…一の橋口(昼食1300円×2+beer)…(金剛峯寺の方に向かって)…高野山(山上)駅…帰宅。
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・宿坊: 参詣者が泊まる、寺の宿舎。宿院。
・極楽橋: 「ごくらくばし」。南海電車・高野線の終点の駅名。
・羅漢松: コウヤマキ。
・秋穹: 秋空。
・西嚮: 西に向かって。
                   
今までのわたしの「高野山」の詩:

   『高野山山下春望』(平成23.4.10)
「高野春霞滿翠微,紫雲深處草萋菲。
  生于日域誰復想: 風舞櫻花映落暉。」

   『高野山奧院』(平成20.7.20)
「翠嵐山道繞高野,海樹C高竝火雲。
 千古英雄奮躍盡,茫茫化爲国ロ墳。」

   『高野山』(平成18.7.9)
「高野山深碧堺氈C林枝蓋徑滿苔鱗。
 一橋奧院權門處,五蘊北邙キ化塵。」

   『高野山其二』(平成18.7.9)
「紀伊古道幽冥中,高野林深路欲窮。
  重嶺豁然開曠土, 桃花源裡陌阡通。」
平成二十八年八月二十一日




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