序/1/2/3/INDEX
光と闇の環†第3章
第1部 暗黒騎士 Light in Darkness
第3章 ヴァレンティーンの聖像
「最近、ヴァンって機嫌いいよね」 朝食の落とし卵のポリッジを食べていると、隣の席にいたジーンが声をかけてきた。 「そうかな?」
ヴァンはちょっととぼけてみせた。晴れた日の夜にこっそりアイリアと会っていることは、ふたりだけの秘密だ。 「そりゃそうだろ。ヴァンはオルバリン爺さんの弟子になれるかもしれないんだぜ」 にやにやとした笑みを浮かべながら話に加わって
きたのは、前の席に座っていたふたつ年上のクレイだ。
「えっ、本当に? ヴァン、すごいじゃない」 ジーンは思わず大きな声をあげてしまい、年嵩の修道女に睨まれた。 「違うって。僕はたまにオルバリンさんの話し相手になってるだけだよ」
オルバリン爺さんというのは、城下の職人小路に住む腕のいい木彫り細工師のことだ。オルバリンの細工物を亡きアルフォンス王が愛し、その居室を飾っていたこと
で有名である。 「でも、木彫り細工を教わってるじゃないか」
クレイはなおも言い募る。養護院の子供たちは修道女にある程度の読み書きと算術を教えられるが、それより上の学問を受けられることは稀で、たいていの者は街や港で住み込みの肉体労働の職を見つけて院を巣立って行く。貴族が募集している見習い剣士や、名のある職人の弟子になることは彼らの憧れだった。 「無理だよ。オルバリンさんにはちゃんとした弟子がいるんだし──」
木彫り職人になってしまったらアイリアの傍にはいられない──けれど。
奉仕の時間──セフィアス神殿と庭園の掃除を終えて、ヴァンは養護院を飛び出した。後ろでクレイが何か叫んでいるのが聞こえたが構わない。ズボンのポケットの中にある物を握りしめて、ヴァンは走った。
王宮とセフィアス神殿はイシュルディアの北の高台にある。神殿の敷地内にある養護院からは、たいていどこへ出掛けるにも坂を下って行くことになり、今のヴァンもゆるやかな坂道を一息に駆け下りているところだ。痩せた少年の小さな身体には力がみなぎっていて、ヴァンの脚は軽やかに飛ぶように、貴族たちの威風堂々とした邸宅が建ち並ぶ屋敷町を走り抜けた。貴族の馬車と鉢合わせしない裏道なら知り尽くしている。
屋敷町を抜けると高い建物がいったん途切れて、眼下に真っ青なシェラ湾が広がる。ここちよい潮風に下からふわふわとあおられながら、ヴァンは城下町へと続く急な石畳を駆け下りた。ここから王都は閑静な貴族の屋敷町から庶民の住むにぎやかな城下町へと様相を変える。城下町シルディスは、ある意味、王宮よりも王都イシュルディアを象徴する豊かな港町であった。 ヴァンはシルディスの中心にある聖騎士広場に向かっていた。目的地は広場ではなかったが、なんとなくそこを通
り抜けるのが習慣になっている。アンディル有数の観光地でもあるシルディスの聖騎士広場には、
採れたての新鮮な果物を売る屋台や、肉や魚と香草の焼けるいい匂いをさせた串焼き屋などの露店が出ていて、一年中祭りのように楽しい場所である。 だが、ヴァンの目当ては露店ではなかった。シルディスの聖騎士広場には、その名の由来となった《光の聖騎士》シルディンの石像があるのだ。二百年前の彫刻家ヴァレンティーンが天啓を受けて彫りあげたといわれる、伝説の聖騎士シルディン像。
すらりと引き締まった長身痩躯の、今にも動き出しそうなその石像はヴァンだけでなく、《輝ける神の地》ルキヴァラムの人々の憧れだった。
道行く人々もみなシルディン像を見上げ、感嘆の声をあげたり、祈りを捧げる人の姿もある。
ヴァンは、長剣を腰に佩き、聖騎士のマントをなびかせて、シェラ湾を望むシルディン像を仰ぎ見た。
こんな英雄の許で戦える光の騎士になれたらいいのに。 ヴァンは小さく嘆息して、シルディン像の許を後にした。
聖騎士広場から狭い小道をくねくねと曲がったところに職人小路はある。その名の通
り、職人ばかりが軒を連ねた小路で、仲買人を通すことなくよい品物が手に入るというので観光客に人気の場所だ。硝子工芸、陶器、銀細工、革製品、まじないに使う札や没薬、刀剣、装身具などの店が並ぶ中、一番奥まった場所にオルバリンの木彫り細工の店はあった。
ヴァンは店先ではなく裏手にまわって、格子のついた窓からひょいと中をのぞいた。床の上に敷いた円座に座って、黙々と手を動かす老人のうすくなった頭が見える。老人の手の中にあるのは白と黒のふたいろの木で蔓草の文様を象った美しい小匣だった。色の異なる木の部品をぴったりとはめ込んで繊細な文様を象るのが、オルバリン独特の技なのである。ヴァンはオルバリンの鮮やかな技を見るのが大好きで、よくここに遊びに来ていた。半年ほど通
って、オルバリンに声をかけられたのがひと月ほど前のことだ。
『坊主、やってみるか?』
ヴァンは目を輝かせてうなずいた。
To be continued
2004.7.23
written by Mai. Shizaka
background by Silverry moon light
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