すのものの「いろいろ」(その36)

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の“私の”解釈

朝日新聞の朝刊マンガ「ののちゃん」のきのうのを見て思い出したが、 私も珍解釈を考えたことがある。

柿を食うと身体が冷える。 よって、寝ているうちにトイレに行きたくなる。 トイレに行きたくなると火事の夢を見る。 「法隆寺が火事だ!」という夢で、 半鐘が鳴っている。---

2001-09-15 (6) 17:49:13 +0900

今回の同時多発テロはハイジャック事件だったことが忘れられていないか?

発生直後にニュースを聞いたとき、 「航空会社に犯人の仲間がいるな」 と感じた。 そうでなければ、客席に凶器を持ちこめないと思っていたからだ。 しかし、そうではなかったようで、 小さな刃物を持ち込めるのは当たり前のように報道されている。

一方、 自分の命を捨てての犯行に及ぶ者がいるのは前から知られていた。 よって、 ハイジャックした飛行機の乗員を殺害し、 飛行機を墜落させることで乗客をも殺害する、 という犯行は予想が可能だったことになる。

ハイジャックした飛行機を犯人が操縦して犯人が目標とするところに突っ込む、 という点には意表を突かれたが、 新しいのはこの点だけではあるまいか。

犯行の全てに意表を突かれたような態度をとると、 「一般客を乗せた飛行機がハイジャックされて墜落させられても驚かないが、 世界貿易センタービルやペンタゴンに突っ込んだので驚いた」 と解釈されないだろうか。

2001-09-15 (6) 17:38:43 +0900

時計の短針は 12 分に一度動くだけで十分?

MS Windows 95 の「日付と時刻のプロパティ」のアナログ時計の短針は、 0 分 12 分 24 分 36 分 48 分にカタッと動くことに気がついた。 一度に動く角度は長針が 1 分間に動く角度と同じである。 長針が 1 分に一度だけ動くアナログ時計には耐えられないが、 短針の動きはこの程度でも十分ということか。 それは、長針はそれだけを見ることがあるのに対し、 短針は常に長針と組にして見るからだろう。

2001-09-15 (6) 17:07:38 +0900

時計の長針は 1/6 〜 1/5 分程度まで読み取れるように動いてほしい

針式の時計であっても、針がカタッと動くのがある。 たとえば、00 秒から 59 秒までは長針がまったく動かず、 次の 00 秒になったとたんに動くのである。 これだと、07 分 59 秒であっても 07 分の位置に長針があるので、 普通の時計のつもりで見ていると「まだ 07 分だ」 とカン違いしてしまう。 場面によっては、59 秒の読み違いは決して小さくない。

では、どのくらいまで細かく読み取れればいいのだろうか。 腕時計では、うんと細かい目盛りのついたものでも 1 分の 1/5 だ。 目分量で読めるのもそのくらいまでのように思える。

MS Windows 95 の「日付と時刻のプロパティ」のアナログ時計の文字盤は、 半径 62 ドットだ。 12 時 3 時 6 時 9 時付近を見ると、 分の目盛りは 6 ドットおきになっている。

コンピュータ画面上でこれだけの大きさの文字盤なら、 細部まで十分表現できているように思える。 よって、ここからは、 分の目盛りの 1/6 ぐらいまで、ということになろうか。

2001-09-15 (6) 16:59:36 +0900

ふと思い立って、岩波文庫「コーラン」(井筒俊彦訳)をまた読み始めた

いま、「牝牛」のまん中あたり。

2001-09-14 (5) 23:32:49 +0900

NHKアナウンサーが「オフィス」を「オ・フィ・ー・ス」と発音していた

「フィ」をどう発音するかはさておき、 私は「オ・フィ・ス」の3モーラだと思っていた。

「ボディ」と書いて「ボ・ディ・ー」と3モーラに発音するのは 「ィ」が音を伸ばす機能も含んでいるから、 という説の支えになろう。

今回のテロ関連のニュースでのこと。

2001-09-13 (4) 22:56:32 +0900

「乗り捨てる」はなぜ「降り捨てる」でないのか?

「吐き捨てる」にならうなら「降り捨てる」になるのでは? 「使い捨てる」 のように、「〜して用が済んだら捨てる」という造語法か?

2001-09-13 (4) 19:41:14 +0900

貿易センタービルを破壊した今回のテロとサムソンの最期

今回の同時多発テロについて 「史上最大のテロで犠牲者は数千人」 と報道されているのを聞いて、 士師記 16 のサムソンの最期を思い出した。

その建物は男女で一杯になっており、 そこにはペリシテ人の領主たち全員もいた。 最上階にはおおよそ三千人の男女がいて、 見せ物のサムソンを見ていた。

最上階に三千人だから、建物全体ではそれよりも多かったであろう。

サムソンは、 建物を下から支えている中央の二本の柱に手をからませ、 右手を一方に、左手を他方にそえてもたれかかった。

そして、サムソンは言った、 「どうか、私自身をペリシテ人と一緒に死なせて下さい」。

彼が力まかせに両柱を押し曲げたので、 その建物は領主たちとそこにいた民全員の上に崩れ落ちた。 彼が自分の死をもって殺した者は、 彼が生きていたときに殺した者の数よりも多かった。

テロリストは世界貿易センタービルのツインタワー (朝日新聞大阪本社版12日づけ号外による)を破壊した。

(引用は岩波版による。士師記の訳者は鈴木佳秀氏。)

2001-09-13 (4) 12:22:05 +0900

若林正丈[編]『矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」精読』(岩波現代文庫)

岩波の新刊は「図書」などで刊行前に頭に入れているが、 タイトルを見ても 「編者は矢内原の研究方法と時代情況について多角的に考究し、 本著作の意義を明らかにする」 という説明も見ても、 「ああ、矢内原先生のあの本の読み方みたいなことをつづった本か」 と思うだけで、購買意欲は湧かなかった。 「あの本」というのはもちろん、 矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」(岩波書店、1988 年) のことである。

ところが、香林坊の福音館で手にとってみてびっくり。 あの本の第一篇がそっくりそのまま収まって、 そこに編者の注が詳しくついているのである。 解説の冒頭には「矢内原門」がなくなったという初耳の話も出ているし、 買うことにした。 買ってから、思わず苦笑した。 予想していたよりも新しい情報が少ないとわかったとたんに買ったのはなぜだろう、 と気づいたからである。

付) カバーの折り返した部分(表紙側と裏表紙側の両方)で 「無教会派クリスチャン」と著者を紹介しているのが気になった。 「無教会」は「派」ではないと思う。 「無教会主義キリスト者」とするべきではなかったか。

付) 巻末の広告ページには「丸山真男『日本の思想』精読」が載っているが、 これには『日本の思想』は含まれていないようだった。 一重カギカッコと二重カギカッコの違いに意味があるのだろうか、 というのは冗談で、「編」がついているかどうかの違いで見分けるべきなのだろう。 でもわかりにくいな。

付) この本は 1988 年版を底本としているそうだが、 1988 年版は、解説 287 ページによれば、全集版を使用したそうである。 ということは「元の本→全集→ 1988 年版→岩波現代文庫」 と“写し”続けたことになる。 元の本にあたらなくて大丈夫なのだろうか?

2001-09-12 (3) 23:05:25 +0900

「-1 時 30 分」「25 時」などを導入すれば、世界中で同じ時刻が使える?

世界中で同じ時刻を使えば、 旅行のたびに時計を合わせ直さなくて済むから楽、 という説を聞いたことがある。

もし仮に UTC を採用するとしたら、 日本は朝の 9 時が 0 時となる。 一時間目の授業が 8 時 30 分からだとすると、 それは前日 23 時 30 分からの授業となる。 二時間目が 10 時からだとすると、 それはその日の 1 時からだ。 よって、日曜日の 1 限の次が月曜日の 2 限となり、 わかりにくいことになる。

だからだめだろう、と思っていたのだが、 「日曜日の 23 時 30 分」を「月曜日の -1 時 30 分」 とも呼ぶことにすれば、 「1 限は -1 時 30 分から」「2 限は 1 時から」で問題ない。 (「-1 時 30 分」は「(-1) 時 30 分」と解釈する。 「-(1 時 30 分)」ではない。)

17 時が 0 時になる地域では、 17 時を 24 時、 18 時を 25 時のようにも呼ぶことにすればよい。 「月曜日は会社を出るのが 24 時すぎだから、 25 時にどこそこで待ち合わせよう」 のように。

時計の文字盤に小さめの文字で 13, 14, ..., 24 と 24 時制での時刻を示す数が書いてあることがあるが、 それと同様に -1, -2, ... や 24, 25, ... も書き添えるようにする。

でも、この案だと、 「12 時から食事」 と旅行プランに書いてあってもそれが朝食なのか昼食なのか、 それとも夕食なのかわからないからだめだと思うけど。

それ以前に、 起きている時間のほぼまん中の 15 時が 0 時になる地域では、 「16 時に起きて 32 時に寝ます」と言う人と 「-8 時に起きて 8 時に寝ます」と言う人とが同じぐらいいて混乱するからだめか。

2001-09-12 (3) 20:30:39 +0900

マタイ 25.14>なぜ「五タラント」「二タラント」「一タラント」なのか?

マタイ 25.14 からのたとえは、 僕(しもべ)たちにそれぞれ五タラント、 二タラント、一タラントを預けて旅に出る人の話だが、 それがまとまりのよい単位であったのだろうか。 つまり、 二タラント貨幣みたいなものがあったのだろうか。 日本の貨幣に慣れた人なら「十」「五」「一」とかにしてしまうような気がする。

2001-09-12 (3) 19:29:50 +0900

「最も短いプログラム配布条件」を募集してみたら?

英語だが 「Don't pretend you wrote it」 というのを見たことがある。

「Respect my copyright.」はどうだろう。

2001-09-12 (3) 01:43:20 +0900

更新記録 --- base64 との間の変換プログラムを追加

《すのものの雑ソフトウェア》 に base64 との間の変換プログラムを追加。 タイトルを《すのものの「雑ソフトウェア」》に改める。

最初のページでは《すのもののの雑ソフトウェア》となっていた。 「の」が一つ多かったのに長い間気がつかなかったのは不思議。

2001-09-12 (3) 01:17:03 +0900

デスクトップテーマを「ダ ビンチ」にしても画面は左利き用にならない

Windows Me だが、 デスクトップテーマでの“遊び方”がだんだんわかってきた。 「レオナルド ダ ビンチ」にしたら光が右上からさしているようになる、 すなわち、ウィンドウやボタンの影が左下にできる、 かと思ったらさにあらず。 これだけいろいろカスタマイズできるんだからできてもいいのに。

ちなみに、私は Windows Millennium をベースに、 配色をモノクローム系にしたものを使っている。

2001-09-11 (2) 23:32:21 +0900

「日航」が「欠航」/ 「日光を見ずして結構と言うなかれ」

本文ナシ

2001-09-11 (2) 19:19:17 +0900

Windows Me のタイムゾーンで「シドニー」には「2000 年限定」がある

正確には「キャンベラ、メルボルン、シドニー(2000 年限定)」。 ただの「キャンベラ、メルボルン、シドニー」とは夏時間の実施期間が違うのだろう。 オリンピックがあったから。

2001-09-11 (2) 19:05:54 +0900

「……に御注意ください」の二つの意味

台風が近づいているのでNHKのラジオ第一放送を聞いていた。

(記憶に基くので細部は違っているかも。)

2001-09-11 (2) 18:44:17 +0900

「いついつは野球部の練習は禁止」というお達しに実効性はあるか?

ちょっと前に、 「いついつは野球部の練習は禁止」 というお達しによって練習のしすぎをなくそうとしている、 という話を読んだ。

実体のない「**部」をでっち上げる。 **部員はほとんどが野球部とかけもちであり、 「**のために、運動で身体をきたえよう。それには野球だ」 という名目で練習禁止の日に野球をする。

2001-09-11 (2) 00:42:49 +0900

聴力を失った作家は「自分では聞けないお話を書き続けている」と言われる?

「ベートーベンは耳が聞こえなくなったあとも、 自分では決して聞くことのできない名曲を書き続けた」 というような文句をレコードの宣伝か何かで読んだ記憶がある。

では、作家で耳が聞こえなくなったら、どうだろうか。 耳が聞こえれば、自分の作品を誰かが朗読するのを聞くことができる。 しかし、 「自分では決して聞くことのできないお話を書き続けた」 とは言われまい。

世間一般の人を見わたした場合、楽譜を見て音楽を鑑賞できる人は少ないが、 ほとんどの人は本を読んで小説を鑑賞することができる、 というのが違いの原因だろう。 もしも、字を読める人がごく少数で、 そういう人に読んでもらうことで一般の人がお話を鑑賞する、 という状況を想像してみれば(以下略)。

本は読んでもらうもの、 と思っている小さい子が耳の聞こえない作家のことを知ったら、 (以下略)。

2001-09-11 (2) 00:35:30 +0900

「死に別れと生き別れとではどちらがつらいか」についての会話

「死に別れと生き別れとではどちらがつらいかね」 「そりゃ生き別れだろう」 「なぜだい」 「生き別れているうちに死んじまうかもしれないじゃないか」

2001-09-11 (2) 00:30:59 +0900

讃美歌 404 番>「主の手にすがれる三輪弥助氏」/ 本当は「身はやすけし」

本文ナシ

2001-09-11 (2) 00:23:48 +0900

これを書いたときは架空の人名のつもりだったし、 しばらくは Google で検索してもこのページだけだったと記憶しているが、 最近、ほかにもヒットするようになった。 (このページを見た人が小説中の人名に使った、ということではなさそうだ。)

2007-06-09 (6) 23:45:43 +0900

エゼキエルやヨハネが食べた「巻物」って巻鮨(まきずし)のこと?

広辞苑第五版は載せていないが、 新明解第五版は載せている。

ちなみに、私はこの意味を「こち亀」で知った。 纏ちゃん、最近でないな。

2001-09-10 (1) 23:01:01 +0900

「テレビを見るときは部屋を明るくして離れてみてね」と言うが、何から?

「こち亀」の冒頭に 「テレビをみるときは/へやをあかるくして/はなれてみてね」と出るが、 いったい何から「はなれてみてね」なのだろうか。

兄弟姉妹がばらばらに離れて見ていたりして。

2001-09-10 (1) 22:00:33 +0900

朝日新聞>「エぺ」という誤植

1997年10月16日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面、 フェンシング《男子エぺ個人》。 「ぺ」はひらがなだ。

2001-09-10 (1) 02:56:12 +0900

聖書>「何番目の文書か」を欄外に書くようにしたら?

金沢で牧師さんからきいた話。

口語訳聖書は大小さまざまのサイズがあったものの、 (英和対照のものなどを除いて)全て同じ組み方になっていた。 よって、ある文書のある章・節を見てほしいときは「何ページ」 と言えばみんなそこが開けるようになった。 しかし、その反面、聖書の中の文書の順番を覚えなくなってしまった、 というのだ。

プロテスタントでは、聖書は 66 の文書からなると決まっている。 順番も決まっている。 だから、ロマ書は「新約の6つめ」と思って間違いない。 現行の聖書は欄外に文書名・章・節をあげるのみであるが、 「新 6」のように、いくつめの文書であるかを示す番号も振ってあれば、 版によってページが違っても容易に目的の箇所が探せて、 しかも文書の順番が覚えられたのではあるまいか。

2001-09-10 (1) 01:53:40 +0900

新共同訳聖書の組版>章番号と小見出しの両立がむずかしい?

新共同訳聖書には、章番号と小見出しがついている。 章・節の番号は、数百年前につけられたのをそのまま使っているそうだ。 よって、章の切れ目は内容と必ずしも一致しない。 たとえば使徒 8.1 の 「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」 は前の章の最後に続けるべきものであるらしい。

よって、章番号を大きめの活字で書き、 小見出しもそれに両立するように書きいれる、 というのはむずかしいことなのかもしれない。 他に、思いつくだけでも、 引用箇所・韻文の部分、 段落がえ、などがわかるように組まなければならない。

2001-09-10 (1) 01:30:42 +0900

金沢大薬学部>入り口に「ゲイトバーが閉ずる」と書いてあった

「ゲートバーが閉じる」なら普通。

2001-09-10 (1) 01:19:50 +0900

兼六園>緑化フェアに合わせて一部で通行制限 / 園内地図は前のまま

金沢城あとで全国都市緑化フェアが始まって訪問者が増えたため、 兼六園は一部で通行制限をしていた。

徽軫灯籠(ことじとうろう)の前の、虹橋から月見橋までが通行止め。 写真屋さんはいつものように出ていたが、どこに客を並ばせて写すのだろうか。 夕顔亭の前から汐見橋までが通行止め。 よって、海石塔のある瓢池の中の島にも行けない。 瓢池の北西側(=金沢城側)の道は従来は園内だったが、 料金所を移動したため園外となってしまった。 ここを通って長谷坂のほうへ行こうと思っていた場合は、 戻って遠回りをしなければならない。

料金所に地図の載ったパンフレットがあったので、 係員に「現在通れるところと通れないところが載っている最新版か」 と聞いたところ、そうではないそうだ。

新しくできた園内外を分ける柵のところで、 外国人観光客と思われる若い女性が道をさがすようにあたりを見回していたのを思い出した。 (日本語が読めれば、入場券を見せれば当日に限り再入園可能とわかるのだが。)

2001-09-10 (1) 01:10:20 +0900

日本語コードの変換は Internet Explorer が楽 / 文字化けも少なくて便利

以前は、メールは nkf でシフト JIS にコード変換して保存していたが、 読みたいときに Internet Explorer に読み込ませればいいことに気づいたので、 JIS のまま保存するようにしている。 illegal なキャラクタを含む場合、 nkf だとそれ以降全てが化けてしまうことがあったが、 IE だと化けは一行で収まるようだ。助かる。

問題は grep するときか。手元のはシフト JIS 専用なので。

2001-09-10 (1) 00:47:52 +0900

180 分で四福音書が読める? 一週間で通読も可能では?

きのうで文語訳の新約聖書詩篇附を読み終えたので、 きょうからは口語訳を持ち歩くことにした。 福音書は内容が頭にはいっていることもあり、ぐんぐん進む。 二十数ページ読んでしまった。 四福音書で 180 ページほどであり、 一ページは 1 分ほどで読めるので、 180 分あれば通読できることになる。 毎日 30 分ほどをあてれば、一週間もかからない。

鉦だか太鼓だかを毎日そのくらい叩く宗教もあるらしいが。

2001-09-10 (1) 00:37:58 +0900

「電子仏壇」ってないのかな

DOS の時代から思っていたのだが、 コンピュータ画面上の仏壇はないのであろうか。 故人の命日を入力しておくと、 しかるべき日には自動的に起動して知らせてくれる。 いまなら、顔写真を出すことも簡単だし、 ネットワークを通してお経をあげてもらうことも可能なのではあるまいか。

このキーでロウソクをつける、このキーはお線香、 このキーでお鈴を鳴らす、季節のお花セットは別売、 命日に何もしないでいるとご先祖さまが幽霊になって画面を飛び回る --- ってなるとなんだか別のソフトになってしまうが。

2001-09-10 (1) 00:28:16 +0900

楽に開く本より固い本のほうがきれいなことが多い

本屋さんに同じ本が何冊も並んでいて、 「少しでもきれいな本を買いたいな」と思うことがある。 ハードカバーの本だと、 少し開こうとして楽に開く本と固い本とがあった場合、 固いほうの本はまだ誰も開けてみていないと思われるわけで、 そっちのほうがきれいなことが多い。

我ながらせこい。

2001-09-09 (0) 19:58:27 +0900

「良心的な出題」の「良心的」には「良心」からは説明しきれない意味がある

「良心」を辞書でひいてみる。

入試問題の批評で「良心的な出題だと思う」というときの「良心的」 はこれとはかなり違う。 「良心的」という語には、必ずしも「良心」からは説明できない意味がある、 ということだろう。 と説明している。

新明解国語辞典第五版は 「良心的」の意味を「良心」に込めているようで、 「良心」を

と説明し、「良心的」は とするのみである。

2001-09-09 (0) 19:41:06 +0900

兼六園>山崎山の裏の道は地下に移したら“音の風景”がよくなるのでは

兼六園の一番奥、 山崎山はこれから秋になると紅葉がいい感じになるところだが、 すぐ裏の道を走る自動車の音が気になる。 兼六園にも、向かいの国立病院にも、そこには自動車用の出入り口はない。 だから、トンネルを掘って自動車は地下を通過してもらったら、 山崎山付近の“音の風景”がよくなると思うのだが。 自動車には歩行者用信号で止められることがなくなるというメリットが、 国立病院にはあたりが静かになるというメリットがあるはずだ。

2001-09-09 (0) 19:28:11 +0900

二週間前、兼六園の奥の奥、「氷室跡地」の池の水がほとんどなくなっていた

本文ナシ

2001-09-09 (0) 19:22:18 +0900

システム手帳のリフィルで、糊で綴じてあるのがあまり見当たらない

あれをワイシャツの胸ポケットにさしておき、 気がついたらどこでもメモをとって、 一ページ書いたら安全なところでファイロファックスに綴じる、 というのが便利だったのに。

と思っていたら香林坊大和に二冊あったので買い占めてしまった。

2001-09-09 (0) 19:19:52 +0900

靴に“格納”できる脚立があったら便利だろうに

職場の図書室はたくさんの本を収納するためにかなり高い本棚を使っている。 よって、脚立を使わないと上のほうの本が取れない。 脚立にあがってみて「あ、となりだった」 というといったんおりて脚立をずらし、またのぼらなければならない。

そこで、靴に“格納”できる脚立があったら便利だろうに、と思った。 ふだんは普通の靴と変わらないが、どこかをいじると1メートルぐらい伸びる、 というものだ。 でも、もしできていたら、 動物園に行くときとか、みんな使うだろうな。

2001-09-09 (0) 19:15:40 +0900

<table> を使って新共同訳聖書の組み方をまねてみた

      イザヤの召命
 6  1ウジヤ王が死んだ年のことである。
わたしは、高く天にある御座に主が座しておら
れるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がってい
た。2上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの

border が見えるようにすれば以下の通り。

      イザヤの召命
 6  1ウジヤ王が死んだ年のことである。
わたしは、高く天にある御座に主が座しておら
れるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がってい
た。2上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの

2001-09-09 (0) 02:00:14 +0900

新共同訳>小見出しが章番号の前にあるのと後にあるのとの違いがわかった

新共同訳聖書には「小見出し」がついている。 章の冒頭についている場合、 章番号の前にあるものと後にあるものとがあるのには気がついていたが、 違いがわからなかった。 「章全体に小見出しがかかるのとそうでないのの違いかな」 などと考えていたが、そうではない。 やっとわかった(ような気がする)。

前にあるのは章の冒頭部分が散文の場合、 後にあるのは韻文の場合である。

2001-09-09 (0) 01:45:14 +0900

手帳のメモは早めに完全な文にしておかねば

手帳のメモに「Rev 7.8 とザカリヤの讃美」とあるのを見つけた。 Rev は黙示録のことだが、 7.8 は各部族から一万二千人ずつが刻印をおされていた、 という箇所(の終わりの部分)で、ザカリヤの讃美とは関係ない。 章・節の番号を間違えているのか? とも思ったが、そうではないようだ。 メモの前後を見ているうち、 これは3月に東京から戻ったときのものとわかった。 あのときは文語訳を列車内で読んでいたはずだ。 調子に乗って読んでいるうちに目がかなり疲れてしまい、 列車内での読書はやめたほうがいいな、と思ったのを覚えている。

その版を出してみて、書きたかったことを思い出した。 それは 「聖書の誤植」 に書くことにするが、 メモは早めに完全な文にしておかねば、と思ったのだった。

2001-09-08 (6) 12:44:10 +0900

米国と韓国はテポドンを「人工衛星打ち上げの失敗」と見ている

7日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「テポドン正式名 白頭山(ペクトゥサン)1号」に

「テポドン」については、 米国と韓国は「人工衛星打ち上げの失敗」、 日本は「弾道ミサイルの発射だった可能性が高い」 と見ている。

北朝鮮のミサイルはこれまで、 米国の偵察衛星が最初に撮影した場所の地名で呼ばれ、 「ノドン」は(中略)、「テポドン」は(中略)からとったとされる。

とあった。 人工衛星を打ち上げるものも「ミサイル」と呼ばれたっけ?

2001-09-08 (6) 02:05:16 +0900

「臀部」と「デネブ」は関係あるのか? (きっと関係ない)

「デネブ」は 「尾の意のアラビア語から」(広辞苑第五版)ということだ。

昔の新聞を読んでいたら料理の欄に「田麩(でんぶ)」が出ていて思い出した。

2001-09-05 (3) 02:02:25 +0900

「缶入りの紅茶」「玉露入り緑茶」の「入り」は国語辞典に載っているか?

広辞苑第五版で「入り」を見ても説明していない。

ちなみに前者は「缶『に』はいっている」の意、 後者は「玉露『が』はいっている」の意。

2001-09-05 (3) 01:50:45 +0900

「全国高校野球 松井5連続四球」の次の打者にふれるのはタブーなのか?

4日づけ朝日新聞「第2石川」面「いしかわ百年百話」は 「全国高校野球 松井5連続四球」だ。 が、 あの試合で松井選手の次の5番を打っていた選手のことが全く書かれていない。 この記事から計算すれば(盗塁などはなかったとして) 「2死一三塁」「1死満塁」「1死一二塁」「2死一塁」「2死一三塁」 で打席に向かったと思われる。 5打席中4打席までスコアリングポジションに走者がいる、 というのは非常にやりがいのあることだと思うのだが、 それでどういう結果だったのかこの記事は一切ふれていないし、 いまは何をしているのかも聞いたことがない。

2001-09-05 (3) 01:32:16 +0900

シチズンの電波腕時計は毎分 00 秒に長針がかくっと進むので私にはちょっと

例えば 10 時 22 分 55 秒には、 普通の時計の長針はほとんど 23 分の位置にきている。 ところが、シチズンの電波腕時計だと、 22 分の位置と 23 分の位置の中間ぐらいまで進んでいて、 23 分 00 秒になった途端、23 分の位置にかくっと動く。

秒針まで見れば極めて正確なはずだが、 短針と長針だけを見ると “23 分まではまだちょっとある”とカン違いしそうだ。 「針式だがデジタル的な表示をしている」 とも言えよう。

7月半ばに新潟の三越で時計売り場をながめていて気がついた。 あんまりじーっと見ていたものだから 「お出しいたしましょうか」と言われ、 退散してきた。

2001-09-04 (2) 01:01:43 +0900

斜め見下ろしの間取り図を見て「角が直角でない建物」と思わないだろうか?

2日づけ朝日新聞大阪本社版トップのビル火災の記事に、 4階と3階の見取り図が出ていた。 キャラ絵でそれらしく再現すれば、こんな感じであろうか。

     ___
    /  /
   /  4階
  /  /
 /  /___
/  //  /
 ̄ ̄ ̄/  3階
  /  /
 /  /
/  /
 ̄ ̄ ̄
こういうのを見て、 「角が直角でない建物だったのか」 と思ってしまう人はいないだろうか。

2001-09-04 (2) 00:52:15 +0900

「捨てる」に「捨てるべきでないところに捨てる」という意味があるのか?

1日づけの朝日新聞大阪本社版「声」の投書で、 《鼻をかんだちり紙を捨てる年配の婦人》 が 《公共の場でのマナーに首をかしげることが多い》 という例にあがっている。 ごみ箱に捨てるのなら問題ないのではないか。 捨てずにリサイクルせよ、というのではあるまい。 33 歳の大阪府の主婦の投書だ。

2001-09-03 (1) 02:53:00 +0900

漢字による筆談を助けるコンピュータは作れないか?

1日づけの朝日新聞大阪本社版「声」に 「漢字の簡略化 / 両国で協議を」が出ている。

筆談だけが念頭にあるなら、 コンピュータの助けを借りればいいのではあるまいか。 日本の字体で入力して中国の字体に変換することはむずかしくあるまい。 一対一でない漢字もあるかもしれないが、 細かいことをいうなら“和製漢語”のほうがずっと大きな問題だ。

2001-09-03 (1) 02:45:22 +0900

受け取ったメールを新たなメールとして送る .forward は危険だった

メールサーバ移行> 転送されてきたメールが区別できて初心者にも向く方法 (2001-08-23 (4) 00:05:44 +0900)》 に書いた方法は危険だった。 転送先宛てのメールが Too many hops で返ってくる事故が起きると、 そのメールに対してまた新しいメールが発信されるので、 メールが“無限増殖”してしまうのである。

Wiz の Greater Demon じゃあるまいし。:-)

2001-09-03 (1) 02:27:25 +0900

NHKラジオ名人寄席>鳳啓介が「マフイア」と言っていたような気がする

確か先週の水曜の放送。 「ゴッドフアザー」とも言っていたかもしれない。

「フィ」「ファ」 がかつてどのように発音されていたかの資料になるかもと思って。

2001-09-03 (1) 01:51:31 +0900

日付・曜日の変わる時間帯を選べる腕時計ってないのかな

23 時前から変わり始めるのだが、 いまの私の生活パターンには早すぎる感じだ。

最近のアナログ腕時計は、 リュウズが一つでも「一段ひいて二秒以内に戻す」 などの操作でいろいろなことができたりする。 そんなふうにして、 何時ごろに日付・曜日を変えるかを選べたらいいかな、 と思ったが、最近は正子に瞬時に変わるのが増えつつあるように思う。

2001-09-02 (0) 23:32:28 +0900

月曜日がお休みになることが多くなり、大学は困ったことになってきた

月曜日が、ますますお休みになることが増えてきた。 会社の会議が「毎週月曜日」と決まっていたら、 「今週は火曜日に行なう」とかするのだろう。 しかし、学校の授業はなかなかそうはいかない。 高校までは同じ先生の授業が週に複数回あることが多いから、 月曜が抜けてもそれほど困らないかも知れないが、 大学は一つの授業は週一コマがほとんどなのでかなり困る。 苦肉の策として 「*月*日は*曜日であるが月曜日の授業を行なう」 とする大学も出てきたそうだ。 しかし、よその大学の先生に非常勤講師としてきてもらっている場合、 これでは困るかも知れない。 そこで、いくつか代案を考えてみた。

なお、以下では、一日は下のような時間表になっているとする。 一日に 90 分授業が 5 コマである。

1限 8:50-10:20
2限10:30-12:00
3限12:50-14:20
4限14:30-16:00
5限16:10-17:40

「変則的な処理は月曜日の中だけで行なう」ようにしてみよう。

案1. 月曜だけ一コマの時間を長くし、4限までとする。

1限 8:50-10:50
2限11:00-12:0012:50-13:50
3限14:00-16:00
4限16:10-18:10

通学時間帯だけバスが多く走るようになっている大学では、 バス会社との交渉が必要だ。 また、 同じ「2限」でも月曜とそれ以外とで開始時刻が違うので、 間違えそうだ。 2限だけ、お昼休みをはさんで二つに分かれてしまうのも問題かもしれない。 体育や実験などでは特に。 このことだけなら、 1限の開始時刻が 30 分早くなり、 昼休みが少しあとにずれるのをがまんすれば、下のように解決できる。

1限 8:20-10:20
2限10:30-12:30
3限13:20-15:20
4限15:30-17:30

その代わり、食堂の営業時間の問題が出てくるだろう。

案2. 時間割上は月曜は4限までとし、下の表に従って授業をする。

1限2限3限4限5限
第1週1限1限2限3限4限
第2週1限2限2限3限4限
第3週1限2限3限3限4限
第4週1限2限3限4限4限

この表は、 例えば第1週は、 1限と2限に1限の授業をし、3限に2限の授業を、 4限に3限の授業を、5限に4限の授業をする、と読む。 4週に5回の授業があることになる。 5週目は先頭に戻るから、12週で15回だ。 ちょっと紛らわしいかもしれないのが欠点。

案3. 時間割上は月曜は4限までとし、 第1週の5限は1限の科目、第2週の5限は2限の科目、 第3週の5限は3限の科目、第4週の5限は4限の科目の授業を行なう、 と決めておく。 1限と5限に授業があると、ちょっとつらい感じである。 でも半年に3回だからいいか。

以下は本気で考えていない案。

その1. 曜日で授業を行なうのではなく、日付の下一桁で行なう。 たとえば 1 日、6 日、11 日、16 日、21 日、26 日、31 日に行なう授業はこれこれ、 と決めておく。 日曜・休日に重なった場合はもちろんお休み。 「来年度のあなたの担当授業は一六の日でいいですか?」 と聞くことになってちょっとおもしろい。 31 日があると翌 1 日も同じ授業をすることになるが、 前期では 5 月 31 日と 6 月 1 日、 後期では 10 月 31 日と 11 月 1 日、 1 月 31 日と 2 月 1 日だけが関係しそうだ。 国民の祝日などのうち、 日付が固定されているものがうまく散らばっているかどうか考えねばならないが、 省略。

その2.七曜で授業を行なうのでなく、六曜で行なう。 「今年度の私の授業は仏滅なんですよね〜」とか。 大学近辺で六曜のはいった暦が売れるようになるだろう。

その3.国をあげて、学校の開いているべき日を5つに分ける。 たとえば、来年4月のカレンダーは次のようになる。

    1  2  3  4  5  6
 7  8  9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
1 日から 26 日までは月曜がA、火曜がB、……、金曜がEでよい。 29 日が休みだから、30 日をAとする。続いて5月。
          1  2  3  4
 5  6  7  8  9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
1 日がB、2 日がC。3 日から 6 日は休みだから飛ばし、 7 日がD。以下しばらくは規則的にくりかえす。 授業はこのA〜Eに従って行なう。 「Aの2限」に授業をする場合、 4 月 22 日までは月曜だが、 次は 30 日の火曜で、5 月にはいると木曜となる。 変則に見えるが、日本中の学校がこうなっていれば、非常勤講師も困らないはずだ。

以上では、一つの授業は週に一コマと決めていたが、 そこを変えて高校までと同じようにしてしまうのが一番いいのかも知れない。

2001-09-01 (6) 23:00:48 +0900

聖書通読>第二イザヤ書・第三イザヤ書ってこんなこと書いてあったっけ?

そんなことではいかん。

(第二イザヤ書・第三イザヤ書は、 旧約聖書「イザヤ書」の第四十章以降をいう。 念のため。)

2001-09-01 (6) 21:11:10 +0900

複数箇所で聖書を通読する場合、どこまで読んだかをどう書き留めるか?

聖書のように複数箇所に置いて通読する本は、 どこまで読んだかをどうやって書き留めておいたらいいか、 と考えていたが、真剣にかつ途切れなく読んでいれば、 どこまで読んだかを忘れるはずがない、と悟った。

2001-09-01 (6) 21:09:05 +0900

「飲ませる」という行為を“させていただく”は「飲ませさせていただく」?

「飲ませていただきます」と言えば自分が飲む。 「飲ませさせていただきます」と言えばたとえば自分の子どもに飲ませる。 飲み物をもらった場合。

2001-09-01 (6) 20:43:04 +0900

国立情報学研究所の書類に「扱わさせていただきます」

国立情報学研究所 「平成13年度学術研究活動に関する調査」の 「研究者用説明書(更新記入者用)」 15 ページの下から 5 行目と、 「研究者個人調査票(更新記入者用)」 1 ページ中ほどに 「扱わさせていただきます」とある。

これは http://www.nii.ac.jp/kouhou/survey/res.html でも見られるだろうか。

2001-09-01 (6) 20:36:25 +0900

「読ませてみろ」の意で「読ましてみろ」と言うので「読ます」が生まれる?

「終わらしてしまえ」とも言う。 これらから「読ます」「終わらす」という五段動詞が生まれるのだろうか。 こういう五段動詞があれば、その「〜させていただく」形は 「読まさせていただく」 「終わらさせていただく」だ。

2001-09-01 (6) 20:29:03 +0900

「『させていただく』という言い方」が「使わさせていただく」を生む?

前にくる動詞によって 「〜せていただく」になったり「〜させていただく」になったりするのに 「最近『させていただく』という言い方をよく聞く」などと言うものだから 「常に『させていただく』をつければいいのか」と思うのかもしれない。

「させていただく」とだけ言われるのは、 こちらのほうが独立性が強いからだろう。 ローマ字で分かち書きをして書くなら "kakasete itadaku" と "ukesasete itadaku" はつけて書くが "kihu sasete itadaku" は離して書くことになろうか。

2001-09-01 (6) 20:26:06 +0900

「広石しずか」という名の人はいないだろうか?

NHKラジオの日本語講座で「広いし静かです」と聞いて思いついた。

2001-09-01 (6) 20:22:28 +0900

「つかわさせていただく」が“正しい”例

五段動詞「遣わす(つかわす)」に「させていただく」が続く場合だ。 「遣わす」は「使う」から派生した語だそうだが、 「使う」は「使わせていただく」だ。

「終わらす」「読ます」「休ます」という五段動詞があれば 「終わらさせていただく」 「読まさせていただく」 「休まさせていただく」 となるが、 「終わらさない」「読まさない」「休まさない」とは言わないから、 ないのだろう。

「きょうじゅうに終わらせよう」の意味で 「きょうじゅうに終わらそう」ということはあるような気がする。 ほかに「あいつに読まそう」「少し休まそう」。

2001-09-01 (6) 20:19:29 +0900

「ごようじ(御用事)」を「ごよ・うじ」と歌っていたような気がする

子どものころ、 私は「さっきのてがみのごようじなあに」の「ごようじ」を 「ごよ・うじ」と歌っていたかもしれない。 意味はわからず、カナは読めたので。

割りばしの袋にはいっていた「御楊枝」を見たらこの歌がふと口から出て、 思い出した。

2001-09-01 (6) 20:05:39 +0900

淡谷という名の選手がホームランを打つと「淡谷(あわや)ホームラン」?

本文ナシ

2001-09-01 (6) 20:01:49 +0900

お化け屋敷はお化けが出る。皿屋敷は皿が出る?

本文ナシ

2001-09-01 (6) 19:57:57 +0900

“二次元の世界”に“二次元の生物”が住んでいて“裏返し”の個体がいたら

頭首
 胸
尾腹
のようになっている二次元の生物が、二次元の世界に住んでいたとする。
首頭
胸
腹尾
のようなのがいたとしても、 われわれから見れば裏返しにすれば同じことだ。 しかし、彼らは二次元の世界に住んでいるので、 どうやっても重ね合わせることができない。

ときどき、普通の人と左右が全く反対で、 心臓が右にある人がいるそうだが、 四次元の世界から見たらこんなふうに感じるのであろうか。

2001-09-01 (6) 00:10:26 +0900

棒を持って廊下を曲がる問題

むかし見たような記憶のある問題。

  | |
  | |
  | +−−
  |
  +−−−−
上の図のような廊下があり、両側は壁だとしよう。 幅は南北の廊下も東西の廊下も 1m とする。 いま、棒をもってこのカドを曲がるのだが、 その棒は常に水平でなければならない。 どれだけの長さの棒まで、曲がることができるだろうか?

2 ルート 2 m より長い棒は曲がれない。 それは、 棒が 45 度だけ曲がった瞬間にどこにあるか、 を考えれば明らかであろう。

2 ルート 2 m の棒であれば、 下の図のようになれば廊下におさまるから、曲がれないとは言えない。

  | |
  |\|
  | +−−
  |  \
  +−−−−

もしも 2 ルート 2 m の棒が曲がれれば、それ以下の長さの棒も曲がれる。 2 ルート 2 m の棒にくくりつけて曲がればよいからである。

よって、問題は長さ 2 ルート 2 m の棒が曲がれるかどうか、だ。 常識的にベストの方法は、外側の壁に沿って進み、 棒の先頭が突き当たったら、先頭は壁に沿って横に進み始める、 という方法であろう。 このやり方で曲がれることは、 高校数学の知識があれば証明できそうだ、と思っていた。

外側のカドを原点として座標をとって考える。 すなわち、座標平面上で、 x 軸の x>0 の部分に一点を、 y 軸の y>0 の部分にもう一点をとり、 その二点を結ぶ線分の長さが 2 ルート 2 であるようにするとき、 その線分は第一象限を二つの部分に分けるが、 点 (1,1) が有界でないほう(線分上も含む)にあることを示せばよい。 実際にやってみたところ、簡単だった。 (微分の知識があれば、である。なくてもできるかどうかはわからない。)

棒の両端が時間に関し連続的に変化すれば運動だ、 と考えるならこのやり方でよい。 しかし、直線運動でも回転運動でもないものを運動と呼ぶのは、 作図を定規とコンパスに限ったエウクレイデスには「ダメ!」と言われそうだし、 小学生や中学生にも説明できるような曲がり方はないものだろうか、 と考えていた。

次のようにすれば簡単だった。

すぐ上の図で、点 (2,2) を中心として棒を回転すればよいのである。 キャラ絵ではわかりにくいかもしれないが、紙に図を書けばすぐわかる。

実は、内側のカドが丸くなっていさえすれば、廊下はもう少し細くてよい。 南北の廊下は東側を、東西の廊下は北側を、 (ルート 2) - 1 m だけ削る。 内側のカドは、点 (2,2) を中心とする半径 ルート 2 の円にしておく。 この円はすぐ上の図の内側のカドを通る。 外側のカドも、丸くしてよい。 点 (2,2) を中心とする半径 2 の円でよいのだ。 これだと、曲がり方は次のようになる。 「曲がり角の手前から内側の壁に沿って進め。 曲がり角では、棒の中点を内側の壁につけて進め」。

このカドの丸い廊下は、最初の廊下の“中”に作ることができる。 こう考えても、長さ 2 ルート 2 m の棒が直角のカドを曲がれることがわかる。

付)

  | |
  | |
−−+ +−−

−−+ +−−
  | |
  | |
上の図のような十字路を曲がるとしても、2 ルート 2 m が限度である。 ±45度の傾きになる瞬間を考えればよい。

2001-08-31 (5) 21:42:46 +0900

付) 「平行移動」と 「棒の途中または端の点を中心とした回転移動」だけでは、 長さ 2 ルート 2 m の棒は曲がれない。 ちょうど 45 度だけ曲がったところから動きようがないのだ。

2001-09-15 (6) 23:05:45 +0900

隔離される病気の患者と“似た”デザインの宇宙人を映画に出してしまったら

最近、「もしも」と思うことがある。

(おことわり: 一読されればおわかりのように最近のハンセン病をめぐる動きが頭にありますが、 特定の病気を念頭に置いたものではない「もしも」の話です。)

ある病気が、 非常に恐ろしい伝染病であると誤解されて患者はきびしく隔離され、 患者は完治しても世間から姿を隠して生きてゆくのが普通だったとする。 完治後も外見に特定の変化が残る場合があるのだが、 世間の人はそれを知らない。

さて、映画やテレビドラマに宇宙人の出てくるものがある。 動物や昆虫をモデルにした宇宙人もあるが、 人間を元にしてデザインされた宇宙人もある。 ある作品に登場する宇宙人のデザインが、偶然、 この病気の元患者に残る外見の変化とよく似た特徴をもっていたとしよう。 デザイナーも、造形担当者も、監督も、製作者も、配給者も、観客も、マスコミも、 誰もその類似に気づくはずがなく、長い間その作品は娯楽作品として楽しまれる。

ところが、あるとき、この病気はそのような恐ろしい病気ではないことがわかり、 「今までの隔離は間違い、元患者に対する偏見をなくそう」となったとする。 そして、元患者はマスコミなどに姿を見せるようになり始めた。

このとき、この作品は 「**病の元患者を宇宙人扱いしている」 と言われ始めないだろうか。---

医学にくわしい人にもデザインをチェックしてもらえば防ぐことができようが、 やっているだろうか。

2001-08-30 (4) 01:03:11 +0900

朝日新聞>名前は「心に余裕を持てたら、考えたい」と話した

この「いろいろ」 のネタにした1月19日づけ朝日新聞大阪本社版をリサイクルに出そうとして、 第一面の記事がふと目に止まった。 同じくこの「いろいろ」の 《朝日新聞> 米子の新生児不明事件の記事に不明な点が二つ (2001-07-14 (6) 00:56:16 +0900)》 に書いた事件の母子が退院したという記事である。

 # 「公務員(三七)」は父親であることがわかったが、それはさておき。

自宅前で記者会見した父親が 《名前は「心に余裕を持てたら、考えたい」と話した》 とあるが、構文上は 《名前は「花子」と話した》 と同じだ。 「心に余裕を持てたら、考えたい」という名前をつけたと誤読されないか。 聖書で最も長い名前である「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」 と(句読点も含めれば)字数は変わらない。

私案:

2001-08-30 (4) 00:36:30 +0900

上のリンクはいまはった。 もとは a href タグをおいていなかった。

2004-05-14 (5) 20:55:35 +0900

朝日新聞>7月の参院選候補者「幸田シャーミン」の「ャ」が行の中央に

7月13日づけ朝日新聞大阪本社版の参院選候補者一覧の中で、 「幸田シャーミン」の「ャ」は小書きになっているものの行の中央にきていた。 縦書き。 五文字分とってあるスペースに七文字をつめこむため特殊な “活字”を使っているためだろうか。 六文字以上で小書きの文字を含む候補者名はこれだけだ。 (「ツルネン・マルテイ」は「マルティ」ではない。)

この日以降、この名前には注目していたが、 ほかの日の朝日新聞では普通だった。

注)選挙が終わったら書こう、と思っていて忘れていた。

2001-08-29 (3) 22:37:21 +0900

同年7月1日づけ同紙の「参院選 全国の情勢と顔ぶれ」も同様だった。 その新聞をネタに 《「女子高生であること」と 「44 歳であること」とは両立しないわけではない (2001-07-01 (0) 19:58:00 +0900)》 を書いたので、これも「選挙が終わったら」と思っていたのだろう。

2002-01-18 (5) 21:30:38 +0900

上のリンクはいまはった。 もとは a href タグをおいていなかった。

2004-05-14 (5) 20:52:58 +0900

ink を「インキ」と音写するなら click は「キリッキ」?

母音を伴わない子音はウ段のカナで写すのが現在の日本語の慣習だ。 たとえば「ストライク」の「ス」「ク」のようにである。 (「ト」は例外。)

しかし、 ink を「インキ」と、deck を「デッキ」とするように、 昔はイ段を用いることもあったようである。 「クリック」は「キリッキ」となっていたかも。 「ダブルクリック」は「ダビリキリッキ」。

「インキ」はオランダ語からはいった、とする辞書もある。 江戸時代にマウスのついたパソコンがあったとして、 「ここをキリッキでござる」 などと話しているさまを想像するとおもしろい。

2001-08-29 (3) 22:29:17 +0900

パソコンの時計合わせができるホームページって作れないのかな

もらったメールのヘッダから、 相手のパソコンの時計が合っていないとわかる場合がある。 「合ってませんよ」と教えてあげても 「めんどうだから」とか「直し方がわからない」 という答えが返ってくることが多い。

 # そのどちらでもない人はとっくに直しているだろう。:-)

そこで思ったのだが、 パソコンの時計合わせができるホームページは作れないものだろうか。 あまり簡単にこちらのマシンの時計を変えられてしまうのも困るが、 「マシン hogehoge から現在時刻を取得しますか?」とか聞かれて「はい」をクリックすると

マシン hogehoge から現在時刻を取得しました。
あなたのパソコンの現在時刻は 2001-08-29 19:21:08 です。     <- この時刻は刻々変わる
マシン hogehoge の現在時刻は 2001-08-29 19:20:54 です。     <- この時刻は刻々変わる
あなたのパソコンの現在時刻をマシン hogehoge に合わせますか?

ここで「はい」と答えるとはじめて時刻合わせが行われる、 ぐらいだったらいいのでは。

2001-08-29 (3) 19:21:08 +0900

タッチパッドの使い方をよく知らずに使っていた

新しいノートパソコンだが、 タッチパッドの右端と下端がスクロール領域になっているのを知らなかったので、 マウスポインタを動かそうとしているだけなのに画面が “勝手に”スクロールしてしまうことがあり、 「呪いでマウスが手から離れない〜」などと一人で騒いでいた。 [→補]

左コーナータップでショートカットメニューがでるようにした。 これでほとんどボタンは押さずに済むだろう。 助かった。 というのは、 このマシンはパッドが本体のまん中についているので、 ホームポジションに指をおいたときにはパッドは右寄りに感じられる。 しかも右ボタンが小さく、左手の指では押しにくい。 こんな感じである。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 0
Q W E R T Y U I O P
A S D F G H J K L ;
Z X C V B N M , . /
.. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. ..
   
 
 
     

他社のカタログでは、下のようになっている。 このほうが左右対称で使いやすそうだ。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 0
Q W E R T Y U I O P
A S D F G H J K L ;
Z X C V B N M , . /
.. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. ..
   
 
 
       

2001-08-29 (3) 02:54:08 +0900

補:スクロール領域を知らなかったからではなく、 ドラッグロックを知らなかったからかもしれない。

2001-08-31 (5) 22:45:45 +0900

野口武彦氏>「史実の背後にある暗がり、ひだ、無理数、虚数」

1日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 《山田風太郎さん死去》で、 「文芸評論家・野口武彦さんの話」に 「史実の背後にある暗がり、ひだ、無理数、 虚数をダイナミックなドラマにするという点で」 とある。

無理数や虚数って、暗がりやひだの仲間だと思われているのか……。

2001-08-29 (3) 02:25:16 +0900

朝日新聞「声」>「終わらさせていただきます」という助動詞の“誤用”

1日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」に 「プロにも多い / 助動詞の誤用」。 首相の記者会見で進行役の人が 「それでは、これで会見を終わらさせていただきます」 と言ったというのだ。 ほかには、アナウンサーが 「読まさせていただきます」 「私も休まさせていただきます」 と言ったという例が挙げられている。

これら三つは全て「自分が〜する」の意味であり、 実は一つの例にすぎない。 私はこの言い方を聞いた記憶がないのだが、 新聞に載るぐらいだから、 少なくとも編集者は聞いたことがあるのだろう。

仮にこういう言い方が聞かれるようになりつつあるとして、 その理由を考えてみた。 そもそも、 このような場合に「〜させていただく」ということ自身が冗長な言い方である。 二十年ぐらい前までは 「これで会見を終わります」「読みます」「私も休みます」 が普通だったと思う。 「自分は冗長な言い方をしようとしているんだぞ」という意識が、 より冗長なこの言い方を産むのではないだろうか。

「早く終わらせろよ」 「その子に読ませてごらん」 「明日は休ませてください」 は全く普通の言い方だ。 このような場合にも 「早く終わらさせろよ」 「その子に読まさせてごらん」 「明日は休まさせてください」 と言うのかどうか、ちょっと興味深い。

2001-08-29 (3) 02:18:32 +0900

朝日新聞>年表で、西暦の省略法に不統一が

1日づけ朝日新聞大阪本社版 「130年前、米国人ウィルソンが日本に伝えた / 野球の今 見せたい」 の年表は

1871 (明治4)
  72 (同  5)
  76 (同 9)
1903 (同 36)
   :
  95 (平成7)
  01 (同 13)
のようになっている。最後の「01」は「2001」とすべきだろう。

2001-08-29 (3) 02:02:48 +0900

歴史的かなづかいについて、普通の人はどのくらい習っているのか?

なぜ現在の発音と違う書き方をするのか、 「これを歴史的かなづかいに直せ」と言われたらどうすればよいか、 などについて。

(後者については、 「信頼できる国語辞典を見てそこに出ている歴史的かなづかいに従って直す」 ぐらいの答えを期待している。)

2001-08-28 (2) 01:37:11 +0900

和歌を適当な順序に並べて、よい古文入門が作れないだろうか?

古文入門に百人一首を使うことがあるが、 初めのほうの歌がやさしいとは限らないし、 恋歌は小学生にはちと早いかも知れない。 そこで思ったのだが、和歌を適当な順序に並べたら、 よい古文入門が作れるのではないか。

「村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ」 は、百人一首の中でわかりやすい歌の一つだと思う。 目新しいのは「ひぬ」だけであろう。 そこで、これを利用して否定の助動詞「ぬ」を教える。 (それ以前に「干る」が現代語ではないが、 「満ち干」の「ひ」であるから、これにはすぐなじめると思う。)

こうやって始めて、 英語や数学の授業がそうであるように、 順々に新しいこと --- 文法、単語、昔の習慣など --- を学ばせてゆくのである。

実際に作ろうと思ったら、 よい和歌を選んだうえで、 一首ずつ、どのような知識を必要とするかを分析し、 「これはこれのあと」のように並べてゆくことになろう。

(和歌を入門に使うのには、 物語などを使うのと違い、 教材を作る側が題材を自由に並べ替えることができる、 というメリットがあると思う。 物語で、最初の部分が非常に難解で多くの説明を必要とするものがあるが、 長々と教師の説明を聞かされると生徒はそこでうんざりしてしまう。 あとのほうに興味をひく話がでてくるからといって、 そっちから読ませることはできまい。 また、物語は、 内容に関心をもてない生徒にはつらいが、 和歌ならば一つずつ“話”が変わるから目先が変わる、 というメリットもあると思う。)

2001-08-28 (2) 01:31:54 +0900

「ぬ」は助動詞「ず」の連体形。完了の助動詞「ぬ」の連体形は「ぬる」

若干,頭が混乱していたようだ。

2018-11-09 (5) 21:17:56 +0900


すのもの Sunomono