すのものの「いろいろ」(その35)

現在、パソコンを乗り換えつつある

家で主として使うパソコンを、PC-9821 Xa7 から DynaBook に乗り換えつつある。 インターネットは乗り換えたがホームページ作成は残っているという変則状態だ。 更新したファイルだけフロッピーで新しいマシンに移してから ftp する?

2001-08-28 (2) 00:59:25 +0900

楽しくない壁紙はどこかにないかな? 鉄格子とか

ウィンドウズについてくる壁紙は、 楽しいものが多い。 窓ごしに見る森とか。

そうじゃなくて、 見ていると気が滅入ってくるような壁紙はないだろうか?

もしも鉄格子のがあれば、スクリーンセーバーの 「3D迷路」の壁に指定してもおもしろそうだ。

2001-08-28 (2) 00:44:39 +0900

iso-8859-1 を MIME 化した宛て先に Outlook で日本語メールが送れたっけ?

メールソフトで、 自分や宛て先の名前のところに MIME 化された文字列 =?iso-8859-1... を書き込んだら、 そのまま送られるはずだから Inukawa Sôsuke Yositô などと書けるのではないか、 と思うが、うまくゆかないソフトもある。

以前、Outlook Express で試したら 「メッセージの文字セットの競合」 というエラー表示のウィンドウが出て送れなかったと記憶しているのだが、 いまやってみると問題なく送れる。 私のカン違いだろうか? それとも Biglobe の仕様の問題?

ただし、 そういう書き方をした人からきたメールに返信する場合、 単に「返信」のボタンを押すと iso-2022-jp だと思って MIME 化してしまうのでうまくない。

2001-08-26 (0) 02:58:13 +0900

いったん送信トレイにいれてから本文を手直しして送ると iso-2022-jp になってしまうようだ。 宛て名は最後の最後にアドレス帳から選択しなければならない。

2001-08-29 (3) 01:37:38 +0900

巻尺の端に広告を入れたら、発掘品などと一緒に写って新聞に載れば広告に…

…なるのではないか。 大きさを示すために一緒に写ることがある。 昔はタバコの箱だったりした。

2001-08-26 (0) 02:24:57 +0900

「20歳〜30歳まで」は「『20歳〜30歳』まで」と解釈すればよい

7月下旬のこと。 同業者の某氏と一緒に数理研から街中に帰るバスを待っていたとき、 近くの店の貼り紙の“おかしな”点を指摘したら、 こう言われた。

2001-08-26 (0) 02:07:41 +0900

「きやしない」か「こやしない」かで一瞬迷った --- 昔は迷わなかったのに

少し考えてから「書きやしない」だから「きやしない」だ、 とわかった。 昔はこういうところで迷わなかったような気がする。 金沢にきてから東京方言の「きない」をわざと使うようになった。 もちろん正式なところでは使わないわけだが、 それと混同して「き」に否定の「ない」が続くのを避けようとしたようだ。

google で検索すると「こやしない」も結構ある。

2001-08-25 (6) 23:54:18 +0900

「さすがに」が「非常に」の意味に誤解されてゆく過程を想像してみる

その1. 有名なレストランで食事をしていて 「さすがにおいしいね」と言ったとする。 話し手は 「この店はおいしいという評判だ、その評判に背かずおいしいね」 という意味でこう言った。 しかし「さすがに」の意味を知らない聞き手は「非常においしいね」 の意味だと思い込む。

その2. 八月にはいり、暑くなった日。 「きょうはさすがに暑いね」と言った話し手は 「八月にはいったから」のつもりだが、 聞き手は「非常に暑いね」の意味だと思い込む。

2001-08-25 (6) 23:22:51 +0900

google で「マルアキ」は36件 --- 日本の会社名(?)もひっかかった

なお、マルアキは共同訳におけるマラキの呼び名である。

2001-08-25 (6) 22:35:19 +0900

google で「ツェファンヤ」は私のページと新共同訳の引用のみ

新共同訳のエレミヤ書 29.25, 29.29, 37.3, 52.24, ゼカリヤ書 6.10, 6.14 の、 「ツェファンヤ」を含む箇所を引用しているのが google では見つかった。 なお、これらの箇所は口語訳では「ゼパニヤ」だが、 口語訳エレミヤ書 21.1 の「ゼパニヤ」やゼパニヤ書の「ゼパニヤ」 は新共同訳では「ゼファニヤ」になっている。 口語訳列王紀下 25.18 の「ゼパニヤ」は新共同訳では「ツェファンヤ」。 新共同訳では同じ名前を「ゼファニヤ」「ツェファンヤ」 と書き分けているということか。

2001-08-25 (6) 22:26:10 +0900

google で「シェムエル」はイスラエルの作家にふれたページ4つと私のだけ

シェムエルは共同訳におけるサムエルの呼び名である。

2001-08-25 (6) 19:54:20 +0900

google で「新日本式ローマ字」は massangeana 氏のページと私のページだけ

本文ナシ

2001-08-25 (6) 19:50:40 +0900

DOS 付属の edit は S で上書き保存 X で終了 / 手がすべったら大変だ

ふだんは DOS 上では vz を使っているが、 6月ごろ買ったノートパソコンには入れてないので DOS 付属の edit を使ってみた。

S が上書き保存、X が終了だ。 しかもバックアップファイルを作らない。 X を押そうとして左手薬指が下がりきらずに S を押してしまうことはありえる。 そうなったら大変だ。

よく考えてみたら、どうして DOS 上でエディタを動かそうとしたのかわからない。 メモ帳でいいではないか。

2001-08-25 (6) 19:33:48 +0900

大学の数学科で初等幾何を教えたらどうだろうか?

いま、高校から大学の数学科に進んでも、初等幾何を習う機会はほとんどない。 多くの数学科では数学者養成のためのカリキュラムを組んでいるが、 最近は、 みんなが数学者になるわけではないので別のやり方もあるのでは、 というところも出てきたようだ。 だったら、初等幾何をやってもいいのではないか。 すでに座標やベクトルを知っているから、 (場合によっては) それらの知識を借りて定理の正しいことを証明より先に確認することもできようし、 エウクレイデスの原論に欠けているという順序の公理なども、 大学生なのだからきちんと扱えるだろう。 ガロア理論の応用として不可能な作図題について習ったり、 微分幾何の応用として非エウクレイデス幾何のモデルを習ったりするが、 初等幾何を知らなければその面白みが十分にわからないかも知れない。

初等幾何を学んだ人が中学・高校の先生になると、 実際に初等幾何を教えるかどうかは別として、 やはりどこか違うだろう、と私は思う。

2001-08-25 (6) 01:27:03 +0900

「出題ミスのあった問題は全員に得点を与える」は本当に正しいか?

新聞などで見るほとんどの場合はこうやって処理しているようだ。 しかしこれに限ると決まったわけでもあるまい。 競争試験で、受験者全員が解く問題だった場合には 「全員零点とする」「採点の対象からはずす」「なかったことにする」 と言っても同じことだが、 こう言ったらかなり問題になりそうなのに「全員に得点」が OK なのは不思議だ。

「何点とれば合格」という資格試験の場合は違ってくる。 その場合は「全員に得点」が妥当であろう。 それを競争試験に流用しているだけであろうか。

問題用紙の最初に 「問題はミスのないよう十分に注意して作成しておりますが、 万が一ミスが発見された場合は全員にその問題の得点を与えることとさせていただきます。 それ以外の責はご容赦ください」 などと書いておくほうがよくはないか?

2001-08-25 (6) 01:10:38 +0900

パソコン上の「ぬりえ」があったら楽しいのでは?

また壁紙を作ったが、 完成したものに別の色を“流し込んで”みる瞬間は楽しい。 で、そう思ったわけ。

2001-08-24 (5) 01:13:32 +0900

水戸黄門が自分の正体はばれていないと思い込み諸国漫遊の旅に出たがったら

水戸黄門が諸国漫遊をしたというのはフィクションだそうだが、 仮に本当だったとして、ああしょっちゅう事件を解決していたら、 あっという間にうわさが広まってしまうのではないか。

だから、もはや身分を隠しての旅、という意味は全くないのだが、 御老公だけは誰も自分の正体に気づかないと思い込んでいて、 「今度はどこそこ方面に行く」 と言い出すとしかたなく家来たちがその方面の諸藩にこっそり事情を伝え、 藩の役人たちは

などを適当に配置し、 御老公に解決していただくまでのシナリオを決めて一行を待つ、 なーんてことにならないだろうか。

御老公に満足して帰っていただけないと藩はおとりつぶし、 なんてことがあるからみんな真剣だ。

2001-08-24 (5) 00:06:11 +0900

Tコードで日本国憲法前文を打つと約 1456 打 / ローマ字入力と大差なし?

massangeana 氏が御自身の「いろいろ」に 《日本国憲法の前文をローマ字かな変換方式で入力すると 1475 打(句読点や変換キーの打鍵を除く)であった。 英文の方は 1501文字(297語)》 と書いておられるのを見て、 Tコードでは何打になるだろう、と試してみた。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、 われらとわれらの子のために、 諸国民との協和による成果と、 わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、 政府の行によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、 ここに主権が国民に存することを言し、 この憲法を確定する。 そもそも国政は、 国民の厳粛な信によるものであつて、 その権は国民に由来し、 その権力は国民の代表者がこれを行使し、 その福利は国民がこれを受する。 これは人類普の原理であり、 この憲法は、かかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、 法令及び詔勅除する。

 日本国民は、久の平和を念願し、 人間相互の関係を支配する高な理想を深く自覚するのであつて、 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、 専制と従、 圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてる国際社会において、 名ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、 ひとしく恐と欠から免かれ、 平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、 自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、 政治道徳の法則は、普的なものであり、 この法則に従ふことは、 自国の主権を維持し、 他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、 国家の名にかけ、 全力をあげてこの高な理想と目的を達成することをふ。

段落の最初のスペースや句読点も含めて 647 字である。 そのうち 27 文字 --- 上では赤字で示した --- はTコードがないものである。 Tコードは一文字 2 打、コードのないものはさらに 6 打と見積もると 647*2 + 27*6 = 1456 打。 ローマ字入力と大差なし、というのは不思議な気がする。 「あいうえお」と読む字ではローマ字の方が打数が少ないが、 ほかで差をつけるのでTコードのほうがもっと少ないだろうと予想していた。

2001-08-23 (4) 01:27:10 +0900

タイトル行の「日本国憲法の前文」を「日本国憲法前文」と改めた。 長すぎるためである。

2004-05-14 (5) 20:35:02 +0900

メールサーバ移行>転送されてきたメールが区別できて初心者にも向く方法

※ このやり方は重大な不都合を引き起こすことがわかりましたので、 絶対にお勧めしません。 くわしくは「補」をお読みください。

職場あてのメールの読み方の変更に関するメモ(2000-04-30 (0) 22:53:24 +0900)》 と同じアイディアだが、 職場などで、 メールサーバを廃止するため全員に新しいメールアドレスへ移行してもらうとき、 あまりコンピュータにくわしくない人にも扱いやすい方法を思いついた。

単に .forward で転送するだけだと、 旧アドレスから新アドレスへ転送されてきたメールなのか、 それとも直接新アドレスにきたメールなのか区別しにくいので、 旧サーバを経由しているのに受取人が気づいていない可能性がある。 これでは、いつまで経っても旧サーバにくるメールがなくならない。 新旧のサーバを見るようにしてもらう方法は、 メーラが複数アカウントに対応していない場合、 新しいメーラを覚えてもらわなければならない。

古いサーバ側の ~/.forward に

新アドレス, "| スクリプトファイル"
と書く。 ここで「新アドレス」は新しいアドレス、 「スクリプトファイル」は絶対パス指定されたファイル名である。 そのスクリプトファイルには
sed -e s/\^~/~~/ | /usr/ucb/mail -s\[Fwd\] 新アドレス
と書く。 こうすると、古いサーバについたメールは の“二つ”になって新アドレスにつく。 「そうやって着いたメールの差出人には新アドレスを教えてあげてください」 と同僚には言っておけばよい。

2001-08-23 (4) 00:05:44 +0900

補: もしも新しいサーバ側に事故が起き、 メールを受け取れなくなって MAILER-DAEMON から発信人にあててエラー通知のメールが送られる事態が起きたとする。 スクリプトで処理されたメールの発信人は自分の旧アカウントとなるので、 それに対してのエラー通知は自分の旧アカウントに送られる。 すると、それがまたスクリプトで処理されて新しいメールが発信される。 これをくりかえすことでメールが“無限増殖”するのである。 よって、このやり方は絶対にお勧めしない。

2001-09-03 (1) 02:08:38 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:45:22 +0900

最近、職場のメールの整理のしかたを変えた

以前は、 《職場あてのメールの読み方の変更に関するメモ (2000-04-30 (0) 22:53:24 +0900)》 に書いたように、 ついたメールはヘッダも込めて個人アカウントに送るように .forward を設定し、 うちでフロッピーに移して保管していた。

これはやめた。仕事のメールは職場で読む。 整理は職場にノートパソコンを持っていったときにフロッピーに。

2001-08-22 (3) 02:03:38 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:47:01 +0900

aliases と「襟足(えりあし)」は音が似ていないか?

本文ナシ

2001-08-22 (3) 01:58:11 +0900

ビールの代わりにミネラルウォーターをかけ合ったら“もったいない”か?

プロ野球の優勝祝賀会のビールかけに対し「もったいない」という声がある。 では、代わりにミネラルウォーターをかけ合ったらどうだろうか? やはり 「もったいない」という声が出るだろうか?

2001-08-22 (3) 01:56:54 +0900

「分祀」は「合祀」の逆操作ではないのか……

20日づけ朝日新聞大阪本社版総合面を見て、 辞書をひいて知った。 「A級戦犯分祀」という言葉をよく見るので勝手に意味を想像していた。

小文字は個々の神・霊(たいていは元・人間)を、 大文字は神社を表わすとすると、 「a, b, c, ..., z を合祀する」 「a を S に合祀する」 という言い方ができるらしい。 小さな辞書には出ていないが広辞苑第五版には 「ある神社の祭神を他の神社に合わせまつる」 という意味も出ている。 吸収合併のようなものであろう。 この場合は「S を T に合祀する」というのだろうか。

「分祀」は小さな辞書には出ていない。 広辞苑第五版は 「分けて祀(まつ)ること。本社と同じ祭神を別の新しい神社に祀ること」 としている。 前者が 「a を S から T に分祀する」 と使えるのかどうかはわからない。 記事によると、すでに合祀してしまったものを分けることはしないそうだ。 後者の場合、 「S から分祀して T を建てる」 のように言うのだろうか。

素朴な疑問: ある神社が存在して a と b がそこに合祀されていたら、 すべての神社で a と b は合祀されていると考えるのだろうか?

2001-08-21 (2) 01:13:07 +0900

聖書>「その耳が二つとも鳴るだろう」はイヤーレシーバーの音もれではない

サムエル前書 3.11 などにある表現だが、 これをイヤーレシーバーからポータブルオーディオの音がもれている様子、 と思うのは誤りである。

2001-08-20 (1) 23:17:18 +0900

黙示録>新しいエルサレムの描写で「香り」について全く言及されていない

黙示録の最後の、新しいエルサレムの描写で、 「香り」について全く言及されていないのはなぜだろうか。 「えも言われぬよい香りがしていた」 などとあっても不思議でないところだ。

聖書に匂い・香りに関する描写がないわけではない。 イザヤ 3.24 など。

2001-08-20 (1) 23:07:51 +0900

「口吸い」は口を吸うが「肝吸い」は肝を吸わない

本文ナシ

2001-08-20 (1) 23:00:34 +0900

ホームページには「旧姓」ではなく「旧氏名」を書くほうが検索に便利では

普通、 旧姓を添える場合は「○○□□(旧姓:△△)」のように書く。 しかし、 これでは「△△□□」という旧氏名で検索した場合に見つかるとは限らない。 ホームページには、どこかに旧氏名を書いておくほうがよいだろう。

2001-08-20 (1) 22:56:23 +0900

サザエさん>「裏のおばあちゃん」から見ると彼女は「裏のサザエさん」?

テレビアニメの「サザエさん」には「裏のおばあちゃん」という人が出てくる。 サザエさんたちがそう呼んでいるのだ。 あの世界には「表」と「裏」があるのであろうか? それとも、 イソノ家から見て裏に住んでいるからそう呼んでいるのであろうか? 前者なら 「裏のおばあちゃん」から見るとサザエさんは「表のサザエさん」となる。 後者なら「裏のサザエさん」だ。

2001-08-20 (1) 22:51:12 +0900

続・トーラス上の五つの町 ---「ここ」「東」「西」「南」「北」

老人:しっかり覚えるのだ!

というところで 《トーラス上の五つの町 --- 「ここ」「東」「西」「南」「北」 (2001-08-19 (0) 00:03:59 +0900)》は終わっていた。 その続き。

もしもこれがRPGなら、 私は次のような地図を書くだろう。 まずは五つの町を平面上に書く。

「東へ進んでから東へ進むと北の町に到る」 ことから、 「〓」の右の辺は「●」の左の辺と貼り合わさっていることがわかる。 このようにして、 貼り合わさっている辺に同じ印をつける。

すると、この世界は、 上の十字型を下のように規則的にくり返したものになっていることがわかる。

また十字型が現れた。 このことのうまい解釈はあるだろうか。

2001-08-20 (1) 22:12:16 +0900

上のリンクはいまはった。 もとは a href タグをおいていなかった。

2004-05-14 (5) 20:28:53 +0900

高校野球中継>「好ゲーム」「好カード」の「好」は辞書に出ている?

「好青年」などの造語成分としては説明してあるが。

2001-08-19 (0) 14:47:45 +0900

画像を arctan(1/2) だけ回転する方法

ここのところ arctan(1/2) だけ傾いた直線を基本とする壁紙をいくつか作っているが、 使った図形はすべて幾何学的なものである。 写真などを用いるには、 画像を arctan(1/2) だけ回転しなければならないが、 それにはどうしたらよいか。

座標軸は数学で普通行なうようにとっておくとする。 数学的には、一次変換 x'=2x-y, y'=x+2y で変換すれば、 arctan(1/2) だけ回転してルート 5 倍に拡大したことになる。 しかし、画像は x, y 座標ともに整数である点のみからなるから、 この一次変換は“全射”にならない。

実は、この像は、 《トーラス上の五つの町 --- 「ここ」「東」「西」「南」「北」》 に描いた図で★●〓▲■を書いた点になるのである。 (そこの図はトーラスを表わしていたが、 ここでは平面の図だと思うことにする。)

これらの点は、 《5マス×5マスのトーラスに同じ形のペントミノを5ついれる問題》 で十字型を並べた際に十字の中心のくる位置であった。 よって、上の一次変換で写した点にもとの点の色を塗るのはもちろんだが、 その「上」「下」「左」「右」の四点にもその色を塗ればよいのである。 (上の一次変換の行列式は 5 だから、 一点が五点に対応してつじつまがあっている。)

2001-08-19 (0) 14:45:14 +0900

(情けないことに)一次変換の式の符号が間違っていたので訂正した。

2001-08-24 (5) 01:10:05 +0900

上のリンクはいまはった。 もとは a href タグをおいていなかった。

2004-05-14 (5) 20:26:42 +0900

上の二つめのリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:49:29 +0900

更新記録 --- 壁紙の手直し

きのうの壁紙の、 手作業で線を消したところの対称性が気になって、手直しをした。 そのとき思いついたトーラス関連のネタを この「いろいろ」にも書いた。

2001-08-19 (0) 01:17:51 +0900

時計算について

中学受験で勉強した参考書に、時計算も出ていた。 「1 時を少しすぎたところで、時計の長針が短針に重なるのは何時何分何秒ですか」 といった問題である。

1 時には長針は短針から 360/12 = 30 度遅れている。 長針は一分間に 360/60 = 6 度、短針は 30/60 = 0.5 度動く。 よって、一分ごとに長針と短針の間の角度は 6-0.5 = 5.5 度ずつ縮まる。 30/5.5 = 60/11 = 5+5/11 分。 5/11 分は 5*60/11 秒で、 5*60/11 = 300/11 = 27+3/11 だから「1時 5 分 27+3/11 秒」が答えである。

このように答えの分母に 11 がでるのが時計算の特徴である。

“時計の長針が一分間に何度動くのか考えたことはなかったが、 問題を解くうえで必要となったら適当な時間内でわかった” という小学生には考える力があると思う。 しかし、 すべての受験生がそれらをぎゅうぎゅうと頭に詰めこんで試験にのぞむようになったら、 時計算に特に意味があるとは思えない。

記憶に残っている問題から、難問とされていたものをもう一題。 「11 時を少しすぎたところで、 時計の長針と短針が 12 時と 6 時を結ぶ直線に関して対称になるのは何時何分何秒ですか」

短針を 12 時と 6 時を結ぶ直線に関して対称移動したものを考える。 11 時には、これと長針は 30 度だけ離れている。 一分間にこれは 0.5 度、長針は 6 度近づくから、 両者のなす角度は一分ごとに 6.5 度ずつ狭くなる。 よって 30/6.5 = 60/13 = 4+8/13 分後。 8/13 分は 8*60/13 秒に等しい。 8*60/13 = 480/13 = 36+12/13 秒なので答えは 「11 時 4 分 36+12/13 秒」。

これは分母に 13 が現れる。

分母に 143 が出るのは記憶にない。 《長針と短針の位置を入れかえても時計が“指しうる”時刻は?》 に書いたような問題は出なかったのだろうか。

2001-08-19 (0) 00:46:29 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:50:53 +0900

長針と短針の位置を入れかえても時計が“指しうる”時刻は?

0 時 05 分と 1 時 00 分とでは、 時計の短針と長針がほぼ逆の位置にくる。 では、正確に逆の位置にくるのはいつだろうか。

二つの時計A,Bを用意する。 Aは普通に動かす。 Bには細工をし、Aの長針と同じスピードで短針が回るようにする。 それには、12 倍の速さで針が回るようにすればよい。 12 時間経ってAの短針が 1 周する間に、 Bの長針は 12 * 12 = 144 周する。 ということは、 Bの長針はAの短針を 143 回追い越すわけだ。 12 時間を 143 で割ると 5 分 02+14/143 秒。 0 時 00 分も短針と長針が重なるから、 「0 時 05 分 02+14/143 秒」が答えだ。 このとき時計Bは 0 時 00 分から 5 分 02+14/143 秒の 12 倍だけ経った時刻、 すなわち「1 時 00 分 26+25/143 秒」を指している。

2001-08-19 (0) 00:22:35 +0900

長い針と短い針とが重なる時刻との関係 / 他

nagai hari to mizikai hari to ga kasanaru zikoku to no kañkei / hoka

12 時間を 11 で割った 1 時間 05 分 27+3/11 秒ごとに、 長針と短針が重なることは時計算の基本であった。 それは、上の 5 分 02+14/143 秒の 13 倍である。 11 * 13 = 143 (= 122 - 12) であることに注意。

一方、上の 5 分 02+14/143 秒を 11 倍した 55 分 23+1/13 秒が、 《筆算>とけい算> 12 時間 00 分 00 秒を 13 で割る [... o 13 de waru]》 に出てくる。

2022-04-07 (4) 22:01:44 +0900

トーラス上の五つの町 ---「ここ」「東」「西」「南」「北」

老人:君が立っているのが「ここ」、 こちらが「東」、反対が「西」、 そしてこちらが「南」、その反対が「北」だ。

若者:もしも私が「東」に行ったとすると、 私が立っているところが「東」で、 私がいまいる場所が「ここ」で、 残りが「西」「南」「北」となるのですね?

老人:いや、そうではない。 そこにゆけばやはり君が立っているところが「ここ」で、 四つの方角が「東」「西」「南」「北」となるのだ……。

若者:なんですって? 私が「ここ」から別の場所へ移っても、 やはり私の立っているところが「ここ」 なのですか? なんということだ! 私は永遠に「ここ」 からのがれられないのか?!

                       
                       
                       
                       
                       
                       
                       
                       
                       
                       
                       
                       
                       
                       
                       

上の図の5×5マスの部分はトーラスを表わしている。 トーラスなので上の端に到れば下から出てくる。 右の端にいたれば左から。 よって、この5×5マスが縦横無限に並んださまを思い浮かべることになるが、 ここでは3×3=9個だけを示した。

さて、 トーラスの上には★●〓▲■の記号で示される5つの町があるとしよう。 また、図の「右やや上」に向かう方向を東としよう。 すると、どの町からみても、 東西南北の方角に同じ距離だけ行ったところに、 四つの別の町があるのである。

老人はわれわれと同じ感覚で「ここ」「東」「西」「南」「北」 を使っている。 若者は、それらを五つの町の名前だと思っているのである!

老人:しっかり覚えるのだ!

2001-08-19 (0) 00:03:59 +0900

付: <td bgcolor=...> と </td> の間に何も書いていないところがあったので、 ブラウザによってはそのマスはまっ白に表示されるだけだった。 間に &nbsp; を書くことでその点を訂正した。 これで、マスに色がつくはずだ。

2001-08-21 (2) 21:39:45 +0900

トーラス上の合同変換で5つのペントミノ詰めを不変にするもの全体は?

トーラス上の合同変換で、 上のような5つのペントミノ詰めを不変にするものはどれだけあるだろうか?

右下方向への平行移動は「木→火→土→金→水(→木)」、 左上方向への平行移動は「木→土→水→火→金(→木)」。 後者は前者を二度くりかえしたものにほかならない。

この図は、最上行と右端の列を書き加えて、 最上行と最下行、左端の列と右端の列を貼りあわせる、 というように書き換えたものである。 (あるいは、最上行の上半分はないと思う、 最下行の下半分はないと思う、 左端の列の左半分はないと思う、 右端の列の右半分はないと思う、と考えてもよい。)

すると図の90度の回転で「火→木→土→金」がえられる。

上の二つが生成する五次の対称群の部分群は……?

付記: 後述の《トーラス上の五つの町 --- 「ここ」「東」「西」「南」「北」》 の図で考えるほうがわかりやすそうだ。 一つの町に注目する。その行き先が 5 通り、 それからその隣の町の行き先が 4 通りで 5*4 = 20 が位数であろう。 そのような群の同型類は 5 つある。 移動して回転して逆移動すると(一般には) 別の点を中心とする回転になるから可換群ではない。 位数 10 の元は存在しないから正十角形を不変にする合同変換群 (裏返しも含む)ではない……。

2001-08-18 (6) 22:35:35 +0900

上のリンクはいまはった。 もとは a href タグをおいていなかった。

2004-05-14 (5) 20:24:59 +0900

5マス×5マスのトーラスに同じ形のペントミノを5ついれる問題

こうすれば、十字型が5つ収まる。

(色のみでは見にくい場合があるので「木火土金水」の文字をいれた。 それ以上の意味はない。)

こうすればZ型が5つ。

こうすればI型が5つ収まるが、これは当たり前。

ほかのペントミノはどうだろうか。 「向きは5つとも同じ」とするかどうかで結果が変わってくるかも。

なお、これらの図形をもとに壁紙を作ってみたが、 あまりおもしろくないようである。

2001-08-18 (6) 19:38:02 +0900

更新記録 --- 五色の輪が互いにからむ壁紙を作成

また壁紙を作った。 壁紙のページを二つにわけた。 これこれ

2001-08-18 (6) 02:46:32 +0900

「おじぎ」は「頭をさげて敬礼すること」ではなく「頭をあげる」まで含む

タイトルの語義は広辞苑第五版によるもの。 おじぎをして頭をさげた際、 机の上にペンがちらかっているのに気づいてそれを片づけながら頭をあげる人がいる。 私もときどきやってしまうのだが、 これは失礼だ。 だから、 「頭をさげて敬礼し頭をあげること」 とすべきではないか? というのはもちろん半分冗談だが、 おじぎのしかたの心得としては 「頭をあげるところまで込めておじぎだ」 と考えるべきであろう。

2001-08-17 (5) 03:30:54 +0900

吐き気を催す>英和辞典をながめていて retch という語を見つけた

ジーニアスは「吐き気を催す」「…を吐こうとする」なる訳語をあてている。

2001-08-17 (5) 03:25:17 +0900

「吐き気を催す」の主語には何がくるのか?

「ケメ子の唄」の歌詞に、 《吐き気をもよおすその顔で 私を好きになるなんて》 という箇所がある。 この部分はいわば関係代名詞の構文だが、 その関係節の部分を単独の文にするとどうなるだろうか?

私は前者だと思うのだが、 何を見て調べたらいいのだろう?

なお、 上の単独の文における「その顔で」の「で」は、 元の歌詞における「その顔で」の「で」とは関係ない。

「……で」の「で」が関係代名詞の構文で消えてしまうことはあるようだ。 「(その)テーブルでご飯を食べる」が 「ご飯を食べるテーブルを片づける」となるように。 (これから単独の文を復元する際、 「(その)テーブルがご飯を食べる」とはならない。)

2001-08-17 (5) 03:23:32 +0900

『「吐き気を催す」の意味は国語辞典を見ても……』に補注をつけました

どうもすみません。

2001-08-17 (5) 03:14:45 +0900

「私は思いきってエーイと遍路に出ました」--- 嬰イと変ロは異名同音

ちなみに、「エーイ 遍路」を google で検索したら6件だった。

2001-08-16 (4) 19:35:30 +0900

朝日新聞「21世紀最初の夏休みに」>南半球はもう夏休みを体験済みでは?

15日づけ朝日新聞大阪本社版文化面に「21世紀最初の夏休みに」とあるが、 南半球では2月ごろすでに“夏休み”があったのではないか?

2001-08-16 (4) 01:31:14 +0900

「$」の縦棒一本の字体と二本の字体を「弔」と「弗」とで書き分けたら?

「弗」を「ドル」の意味に使うことがあるが、 縦棒が一本の「ドル」は「弔」と書いたら? というわけだが、 もちろん冗談である。

2001-08-16 (4) 01:29:14 +0900

「祀る」とはどういう行為か、はっきり決めないと議論にならないのでは?

15日づけ朝日新聞大阪本社版文化面 「戦死者をどう弔うか」は 「京都大学教授 河上倫逸さん(法思想史)」と 「国際日本文化研究センター所長 山折哲雄さん(宗教学)」 に聞き手がそれぞれ聞いたもの。 専門家の意見なので「なるほど」と思うことが多いが、 「おやおや」と思う点もある。

その一つは「祀る」の意味だ。 河上氏は政教分離について厳格な立場をとり、 《欧米諸国は国家と宗教の分離に苦闘し、 国家が無宗教で戦没者を追悼するという道を見いだした》 と述べ、国立墓地構想に賛成しているが、 《国立墓地の具体像について》という質問に 《千鳥ケ淵戦没者墓苑を拡充することが考えられる。 ただ、ここに祀(まつ)られているのは》 と答えている。 墓苑とは死者を「祀る」ところなのか。 山折氏も 《やはり国立墓地をつくるべきだろう。 その際、万物生命教の立場からいえば、 アジアの人々もA級戦犯も含めた全世界の戦没者を祀りたい》 と「祀る」の語を使っている。

この「祀る」について、 新明解国語辞典第五版は「神としてあがめ、一定の場所に安置する」、 広辞苑第五版は「神としてあがめ、一定の場所に鎮め奉る」としている。

「祀る」「追悼する」「墓地」 の定義をはっきりさせないと、議論にならないのではないか。

付: 聞き手(鈴木京一と“署名”あり)の序文には 《死者の弔いは、実は残された人々のための行為なのだろう》 とある。 「弔う」は、 新明解国語辞典第五版によれば「人の死を悲しみいたむ」。 広辞苑第五版には『「とぶらう」の変化した語』とあり、 そちらを見ると 「人の死をいたんで、喪にある人をたずねて慰める。弔問する」 「亡き人の冥福を祈る。法要を営む」とある。

「弔う」の定義も必要だろう。

2001-08-16 (4) 01:22:18 +0900

首相靖国参拝が15日から13日になったことと Idus の日付について

カエサルの暗殺で有名な三月の Idus は 15 日だが、 研究社羅和辞典の付録によれば Idus が 15 日なのは三月、五月、七月、十月。 あとの月は 13 日だ。

(某推理小説を思い出して書いたもの。)

2001-08-15 (3) 23:35:42 +0900

首相は靖国神社を「参拝」したと言えるだろうか?

14日づけ朝日新聞大阪本社版トップ記事 「小泉首相 靖国参拝を敢行」に 《いわゆる 「二拝二拍手一拝」の神道形式ではなく一礼するだけにとどめ、 玉ぐし料の代わりに「献花料」を事前に私費で支払い》 とある。 これを「参拝」と言ってよいものだろうか。

自分の信仰していない宗教で行われる葬式に出席する場合、 一礼にとどめることがある。 また、仏式でいう香典の代わりに「お花料」をもってゆく場合がある。

その前の部分には 《警備・連絡上の理由で公用車を使い、 「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳した》 とあるが、首相が葬式に参加する場合はどうするのだろうか。 (調べればわかりそうですが調べていません。)

人が亡くなるとふつう一度だけ葬式を行なう。 これに知人が参加するのは宗教上の行為とは言えまい。 しかし、今回の“靖国参拝”はそれとは違うので、 宗教上の行為でないと言いきることはできないが、 最初に引用した部分からすると「訪問」に近いように感じた。

なお、広辞苑第五版は「参拝」を 「社寺に参って神仏を拝むこと」 としている。

2001-08-15 (3) 23:17:43 +0900

「吐き気を催す」の意味は国語辞典を見てもよくわからない

ROM男さんの 「2001 年 8 月の日記みたいなもの」 の 8 月 11 日分に、 電車の中のできごととして 「途中で、 目の前にいた母娘のうち娘の方が吐き気を催したので席を譲った」 とあった。 これをあわてて読んだ私は 「吐き気を催したのはROM男さん」と理解し、 その前の「娘の方が」を「娘の方で」「娘の方を見て」 と誤読してしまった。 (奥村さんのゲストブックにそう書いたらROM男さんに 「そういう失礼なことは書きませんて」と叱られてしまった。 その通りです。すみません。) [→補注]

しばらく、なぜ私はこんな誤読をしたんだろう、と考えていた。 子どものころに流行していた、 「吐き気を催すその顔で / 私を好きになるなんて」 という歌のせいだろうか、とも考えた。 しかしついに、 ROM男さんと私とで、 「吐き気を催す」を違う意味に使っているのではないか、 と気がついた。

ROM男さんが書かれているのは、おそらく、 目の前に立っていた娘さんが「吐き気がする」とお母さんに訴えた、 あるいは吐きそうな様子であった、 ということであろう。 私にとっては 「吐き気を催す」というのは 「吐きそうな予感がする」という外部の人にはまだわからない段階なので、 私だったら「娘の方が吐き気を催した」とは書かないと思う。 「吐き気を催したようだったので席を譲った」、 あるいは 「吐きそうになったので席を譲った」とするだろう。

(ここまでは話の前置きであり、 ROM男さんと私とでどちらが正しいかを論じよう、 というのではありません。)

手元の国語辞典で「吐き気」をひいても「催す」をひいても、 「吐き気を催す」の意味がよくわからない。

岩波国語辞典第三版で「催す」をひくと他動詞であると書いてあり、 「そういう気持ちをかきたてる」 という意味のところに 「信心を―」「便意を―」という用例が出ている。 新明解国語辞典第五版では 「外的条件が刺激となって(何かがきっかけになって)、 そういう生理的・精神的状態を起こさせる」。 広辞苑第五版では「さそい出す。ひき起こす」の意味のところに 「尿意を―す」「眠けを―す」の例があがっている。

私の感覚では、 「私は便意を催した」「私は吐き気を催した」 はそれらが起こってきた、 という自動詞的な意味なのだが……。

こういうとき、よくできた和英辞典は国語辞典よりも役に立つことがある。 プログレッシブ和英中辞典の「催す」は 「会などを開く」「ある状態・気持ちを起こす」 とまず大きく二つに分類した上で、 後者に 「眠気を催す feel sleepy」、 「寒気を催す feel chilly」をあげている。

2001-08-15 (3) 22:37:39 +0900

補注: この誤読は私のうっかりに由来するごく一瞬のことで、 そのあとすぐに私は正しく理解することができました。 そのことを書きもらしました。どうもすみません。

2001-08-17 (5) 03:08:19 +0900

NHKラジオ第一放送>22時からの報道番組で正午の時報を流していた

「全国戦没者追悼式」の報道で、 黙とうを呼びかけることばのあと、 本物の時報と区別できないような音質で正午の時報が流れた。 22時02分ごろのこと。

日本語を知らない人が聞いていたら22時の時報と誤解したかもしれない。

2001-08-15 (3) 22:20:30 +0900

首相靖国神社参拝>フェイントで15日にもう一度参拝したりしないのか?

13日に参拝したので15日はしないと決めてかかっているようだが、 まだ15日は終わっていない。

2001-08-15 (3) 03:21:21 +0900

google で検索したら「気持ち的に悪い」が一件

あるときふっと頭に浮かんだ言い方。

2001-08-15 (3) 03:20:05 +0900

google で検索すると「軽い脳震盪」は 801 件、「重い脳震盪」はたった2件

「軽い」は「脳震盪」の“まくらことば”か?!

2001-08-15 (3) 00:20:05 +0900

タイトル末尾の「たった 2 件」を「たった2件」と改めた。 長すぎることに気づいたので。

2004-05-14 (5) 20:12:46 +0900

ゴルトベルク変奏曲の編曲ものにティンパニをいれたら?

弦楽合奏に編曲したものを聞いていたら、 ティンパニが鳴ったような気がしたので思いついた。 もちろん G と D にチューニングすることになるだろう。

2001-08-13 (1) 01:07:10 +0900

ウルトラマンとウルトラセブンの第2〜4話の類似性

ウルトラマンとウルトラセブンは、 どちらも第2話がちょっと恐い話になっていた。 ウルトラマンの第2話はバルタン星人、 ウルトラセブンの第2話はワイアール星人の登場で、 等身大の宇宙人が出てくるので、子どもだった私にはかなり恐かった。

その“類似性”は初めて見たときから気づいていたのだが、 第3話 --- ウルトラマンはネロンガが、ウルトラセブンはエレキングが登場 --- はどちらも小さな生き物から大きくなった電気に関連する怪獣であること、 第4話 --- ウルトラマンは海底原人ラゴンが、 ウルトラセブンは船舶を“誘拐”するゴドラ星人が登場する --- がどちらも海に関連する話であること、 には最近気がついた。

2001-08-13 (1) 01:01:35 +0900

ウルトラマン>「ゼットン」は“本当”は「ゼッドン」?

「ゼットン」は、 最後の怪獣だからとアルファベットの最後の文字「Z」にちなんでつけた名前、 とずっと昔に聞いた。 「Z」は“本当”は「ゼッド」と最後が濁るので、 “本当”は「ゼッドン」? これじゃなんだかもっそりした感じだ。

2001-08-13 (1) 00:35:25 +0900

ウルトラマン>「ゼットン」は「ゼット」+「ン」

「ゼットン」は、 最後の怪獣だからとアルファベットの最後の文字「Z」にちなんでつけた名前、 というのはずっと昔に聞いたような気がするのだが、 「ン」がカナの最後の文字、 というのは割と最近気がついた。

2001-08-13 (1) 00:33:58 +0900

ウルトラマン>「ゼットン」は宇宙人語で「お母さん」の意味、の可能性は?

作品中では、 科学特捜隊に撃たれた宇宙人が「ゼットン、ゼットン」と言いながら絶命し、 その直後に怪獣が現れるので “あれを呼んでいたのだろう”ということになるのだが、 実は「ゼットン」は宇宙人の言葉で「お母さん」という意味、 だったりする可能性はないのだろうか?

2001-08-13 (1) 00:29:40 +0900

怪獣名の“肩書き”がなければセブン12話問題は起こらなかった?

セブン12話が欠番になったのは、 作品そのものではなく雑誌が勝手につけた宇宙人の“肩書き”が直接の原因だった、 と私は理解している。 もしもこの習慣がなければ問題は起こらなかった?

2001-08-13 (1) 00:25:06 +0900

「ベムラー」の前につく「宇宙怪獣」なる“肩書き”は何なのか?

単に 「水戸光圀公にあらせられるぞ」 よりも 「先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ」 のほうが落ち着きがいい、 という日本人の心理と関係するか?

自己紹介の際に「**です」と名前だけ言うのでなく前に会社名をつけて 「**の**です」といいたがるのも日本人の特徴と言われる。 それとも関係するか?

2001-08-13 (1) 00:23:23 +0900

「トートバッグ」と聞くとガマを思い出して顔をなでたりしてしまう

トートバッグは tote bag, ガマは toad.

2001-08-13 (1) 00:11:12 +0900

カバンを買ったが「すぐお使いになりますか?」と聞かれなかったわけ

私たちの一人(男性)の話。

先日、 無印良品にふらっとはいったらよさそうなカバンがあったので買ったが、 レジで「すぐお使いになりますか?」と聞かれなかった。 なぜかな、と思っていたが、 レシートを整理していたら「女性用」に分類されていた。 そういえばいわゆるトートバッグである。 そのせいかもしれない。

2001-08-13 (1) 00:07:16 +0900

インディ・ジョーンズのテーマを聞くと花を万引きしてしまう人はいないか?

金沢・武蔵ヶ辻のダイエーはインディアナ・ジョーンズのテーマを BGM に流すことがある。 地下の食料品売り場では切り花も売っているが、 もしもあれを聞くと反射的に花を盗んでしまう人がいたとしたら万引きを増やすことになるのでは、 と心配になってしまう。

(いまわが家の LD プレーヤーの調子が悪いので確認できないが、 あれは「最後の聖戦」で、 ベニスでエルザと出会ってすぐのシーンだったか?  そのシーンの音楽はもちろんあれではなかったはずだが。)

2001-08-12 (0) 23:55:49 +0900

イーサケーブルを持つとインディアナ・ジョーンズのテーマが口からでる

8月になって、 職場の計算機室が隣室の会議のため立ち入り禁止となる日がある。 そのため、他の部屋で LAN に接続できるようイーサケーブルを借り出して研究室においているのだが、 くるくると丸めたケーブルを手に持つとついつい、 インディアナ・ジョーンズのテーマを口ずさんでしまう。

(決してこれをムチの代わりに使ったりはしませんからご心配なく。)

2001-08-12 (0) 23:54:16 +0900

『「ラインエディタのように思わせるスクリーンエディタ」…』への補い(2)

WS の 60 行ぐらいあるコンソールで、 次のようにプログラミング作業ができたらいいな、 と思ったりするのだった。 「edit」はそのエディタの起動コマンドとする。 それが動いた “痕跡”の部分ではスクリーンエディタのようにエディットをしたのである。

$ edit hello.c                          # ここでエディット
#include <stdio.h>

main() {
    printf("hello, world")              # \n と ; を忘れてる
}
$ gcc hello.c                           # コンパイルするも
hello.c: In function `main':            # エラーメッセージが出る
hello.c:5: parse error before `}'
$ edit hello.c                          # も一度エディット
#include <stdio.h>

main() {
    printf("hello, world");             # ; は補った
}
$ gcc hello.c                           # 今度はコンパイル成功
$ ./a.out                               # 実行したら
hello, world$                           # 最後の改行が抜けてる……
$ edit hello.c                          # またまたエディット
#include <stdio.h>

main() {
    printf("hello, world\n");           # \n も補った
}
$ gcc hello.c                           # コンパイル
$ ./a.out                               # 実行
hello, world
$                                       # 完成

2001-08-12 (0) 23:50:20 +0900

タイトル行が長すぎることに気づいたので、「…」を一つ削った。

2004-05-14 (5) 20:06:58 +0900

「ラインエディタのように思わせるスクリーンエディタ」のためのアイディア』 への補いである。

2006-05-11 (4) 00:54:46 +0900

「〜は〜の方のみとさせていただいております」を学生に対しても使ったら

「申しわけございませんが〜は〜の方のみとさせていただいております」 と、柔らかく断わられる場合がある。 われわれ教師も、 「単位くれ〜」と言ってきた学生に 「申しわけございませんが単位取得は試験で*点以上の方のみとさせていただいております」 と言ってみたらどうだろうか?

2001-08-11 (6) 03:04:30 +0900

最近、新聞がどんどん読める

読まずにためてしまった新聞をさかのぼって読んでいる。 いまは長野オリンピックのあたりだが、 なぜかどんどん読めるようになってきた。 一日に3日分読めたりする。

「いまの私には新聞の神さまがついているのかも」 「その神さま、なんて名前?」 「新聞神(しんぶんがみ)」 などとぶつぶつ言いながらきょうもまた新聞を読むのであった。

2001-08-10 (5) 23:57:28 +0900

『「ラインエディタのように思わせるスクリーンエディタ」……』への補い

ちょっと前に書いた 『「ラインエディタのように思わせるスクリーンエディタ」のためのアイディア』 への補い。

その1. DOS の画面制御エスケープシーケンスには 「Save cursor position」 「Set cursor position」 「Cursor position report」 などがあり、 これらを使えばあのようなプログラムが書けそうなことはわかっていたが、 これらの使い方がよくわからないこと、 汎用性がどのくらいあるかわからないこと、 などから行きづまっていたのだった。 これらを使わずに書けたことが、 私にはうれしかった。

その2. unix はマルチタスクなので、 ほかのプロセスの出力により画面が乱れることがある。 そういった場合に備えてエディタには「再描画」 コマンドをつけるのが普通である。 それが呼ばれたら本当に画面をクリアし、 以後は“絶対移動”のエスケープシーケンスを呼ぶようにすべきであろう。

2001-08-10 (5) 02:41:13 +0900

上のリンクはいまはった。 もとは a href タグをおいていなかった。

2004-05-14 (5) 20:04:00 +0900


すのもの Sunomono